悪意の種は受け取りません 〜公妾ですが、離宮の庭で鶏と果実を育てていたら国王陛下に溺愛されていました〜
金色の朝露がきらめく離宮の裏庭で、ヴィオラは藁を敷いた籠を抱え、白い鶏たちの間を歩いていた。
「おはよう、ペピータ。今朝も立派な卵をありがとう」
鶏の羽をそっと撫で、まだ温もりの残る卵を一つずつ籠に収めていく。庭の向こうでは、今年植えた杏と無花果の若木が、朝風に青葉を揺らしていた。熟した杏は枝先で黄金色に色づき、無花果は薄紫の皮を割って、蜜のように甘い香りを漂わせている。
木陰には、収穫したばかりの梨と葡萄も並んでいた。みずみずしい梨は切れば果汁が滴り、葡萄は陽に透ける粒の中に、甘酸っぱい夏の味を閉じ込めている。ヴィオラはそれらを眺め、今朝は杏のジャムも煮ようと心に決めた。
彼女の肩書きは、国王陛下の「公妾」。
一族の思惑によってその地位へ送り込まれたヴィオラだったが、権謀術数と虚飾が渦巻く本宮のサロンには興味を示さなかった。国王から賜った離宮の庭で土に親しみ、鶏を育て、季節の果実でジャムを煮る。彼女はそんな日々を選んでいた。
国王ルイにとっても、離宮は安らぎの場所だった。王妃とは政略のために結ばれ、交わす言葉はいつも儀礼的なものに限られていた。重臣たちの争いに心をすり減らした彼が求めていたのは、宝石や香水で飾り立てた華やかな相手ではない。湯気の立つハーブティーを淹れ、静かに笑いかけてくれる人と過ごす、穏やかなひとときだった。
けれど、その暮らしを宮廷の貴婦人たちが快く思うはずもなかった。
「まあ、ヴィオラ様。朝からずいぶんと土の匂いがいたしますこと。まるで小作人の娘のようですわね」
扇で鼻を覆いながら現れたのは、宰相の姪、エヴリーヌ侯爵令嬢だった。豪奢なドレスの裾を翻し、取り巻きの令嬢たちを従えている。かつて公妾の座を望みながら選ばれなかった悔しさを、彼女は今も忘れていなかった。
「そんな果実や鶏の卵など、本宮の豚の餌にもなりませんわ。陛下のお慈悲に甘えながら、公妾としての役目も果たさず、土いじりにうつつを抜かすなんて……恥というものを知るべきですことよ」
背後で、令嬢たちが扇越しに忍び笑いを漏らした。
ヴィオラを怒らせ、取り乱させ、その醜態を本宮で言いふらすつもりなのだろう。エヴリーヌの目には、挑発するような悪意が浮かんでいた。
しかしヴィオラは、籠を抱え直すと、穏やかに首を傾げた。
「エヴリーヌ様。もし、どなたかが立派な贈り物を携えてあなたのもとを訪れ、あなたがお受け取りにならなかったとしたら、その品は誰のものになるでしょう?」
唐突な問いに、エヴリーヌは眉をひそめた。
「受け取らなければ、持ってきた者の手元に残るに決まっておりますでしょう。そんなこと、幼子でも分かりますわ」
「ええ、その通りですわね」
ヴィオラは花がほころぶように微笑んだ。
「ですから、エヴリーヌ様が今わたくしにくださった悪意や嘲りの言葉も、わたくしは受け取りません。どうぞ、そのままお持ち帰りくださいませ」
「な……っ!」
エヴリーヌの頬がみるみる赤くなる。言い返すことも、ヴィオラを傷つけることもできなかった。投げつけたはずの泥が、相手に触れぬまま自分の手元へ戻ってきたような屈辱だった。
「な、なんですって……! 屁理屈を! 陛下に言いつけて差し上げますわ。わたくしを侮辱したと!」
踵を返そうとした、その時。
「私に、何を言いつけるというのだね。エヴリーヌ嬢」
木立の向こうから、国王ルイが姿を現した。上着を脱ぎ、袖をまくった腕には剪定鋏を持っている。朝の散策の折、ヴィオラと一緒に無花果の枝を整えていたのだ。
「へ、陛下……。いつから、そこに……」
「最初から聞いていたよ」
ルイはエヴリーヌをまっすぐに見つめた。
「私の大切なヴィオラを侮辱しただけでなく、彼女が心を込めて育てた庭や実りまで『豚の餌』と呼んだな。民が手間をかけて育てた食べ物を蔑むその心根を、私は見過ごせない」
「ち、違いますの。ほんの冗談で――」
「言葉は種と同じだ、エヴリーヌ嬢」
ルイは静かに告げた。
「悪意の種をまいた者が、香しい花を刈り取ることはできない。自分でまいたものは、自分で刈り取るがいい。領地へ戻り、礼節と食べ物のありがたみを学び直しなさい。宮廷の夜会への出入りは、当面禁ずる」
「そ、そんな……! お許しください、陛下!」
エヴリーヌは許しを乞うたが、ルイの決定は変わらなかった。取り巻きたちは目を伏せ、駆けつけた近衛兵が彼女を連れて庭を去っていった。
静けさが戻ると、ヴィオラは籠の中の卵を見つめ、小さく息をついた。
「なるようになりますわね」
「ヴィオラ、すまなかった。朝から嫌な思いをさせてしまった」
申し訳なさそうなルイに、ヴィオラはふふっと笑って首を振る。
「いいえ、陛下。わたくし、何も受け取っておりませんもの。それより、採れたての卵と無花果、それに杏を持ってまいりましたの。甘いオムレツに、無花果と蜂蜜をのせたトーストはいかがですか? 杏のジャムも、ちょうど食べ頃ですわ」
「もちろんいただくよ。君と食べる朝食ほど美味しいものはないからね」
厨房へ向かう二人の後ろを、朝風が吹き抜けた。熟した無花果の濃い甘さと、杏のさわやかな酸味が、庭いっぱいに広がっていく。
誰かの言葉も、自分が受け取らなければ、心の中に居場所を得ることはない。悪意の種は、まいた者の手元に残る。けれど、思いやりを込めて育てたものは、やがて豊かな実りとなる。
ヴィオラはルイの手を取り、陽光あふれる離宮の厨房へ、軽やかな足取りで歩き出した。




