第二章
一哉たちが住んでいるのは、日本の国土の約3分の2を占める第3地区だった。
住人は社会保障費の優遇措置を受ける代わりに、国の賃金格差是正措置――最低賃金の保証対象から外されている。一哉自身も職を転々としてきたが、ここに引っ越してきてからは第1地区時代の半分以上は稼げた試しがない。
いわゆる、地方と都市部との格差是正がされる見込みがないことが判明したのが、今から数十年前。人口減少に伴い田舎から都会へと人々の流出が止まらない時代だった。
人々の生活費は安いが、それ以上に恐ろしく賃金が安い地域。
インフラの整備を進めても、そこで暮らす人々は少なく、税収が見込めない地域。
高齢化も進み、なぜか出生率だけは高い地域。健康で意欲のある子どもたちは働き手として自立すると、その多くが都市部へ流入してしまう地方都市。
当時の日本にはそんな地域が溢れていた。
圧倒的な人手不足ながら、そこに住む人々を切り捨てるわけには行かないという矛盾。そこにいくら公費を投入しても改善できないなら、もう根底の考え方を変えるしかない。
そこで国は3つの政策を取った。
インフラ整備に代わるインヴィジュアルプラン(IP法)、地方再編成法、それに労働賃金改正法。
インヴィジュアルプランは地方のICT化の義務化を、地方再編成法は日本を第1〜3地区に分け、住む地域によって年金の上限額や受給基準が変動させることを、労働賃金改正法は、主に第3地区における最低賃金の下限を大幅に引き下げることを定めたのだ。
これにより、第1地区には富んだ人々が高い税率、高い年金受給に高い給金を求めて集った。
第3地区には貧しい人々が低い税率、早い年齢での年金の受給開始を求めて、低賃金を受け入れ移り住んだ。
第2地区にはその中間の人々が。
そして数十年。
第3地区は高度にICTの化された地域ながら、極めて貧しい人々が集う、人口過疎地域になっていた。大手スーパーや小売店、コンビニエンスストアは機械化が進み、自動レジには人間はいない。役所の窓口は閉鎖され、web上でほとんどのことが行える。
人々は電子コンタクトを両目に埋め込み、24時間インターネットに繋がり、電子ビューを日常に使って生活している。
バスや鉄道は廃止され、廃墟となった駅にはたまに貸し切りバスで他の地区から観光客が訪れる。自動運転の軽自動車や自動三輪車が田舎道を悠々と走り、特に過疎の進んだ山間地域では、人々の移動には軽飛行機が使用される。物品の輸送はもっぱらドローンで、人々はスマホが手放せない。
それが、一哉らが暮らす第3地区。日本の中で最もゆっくりと人間が滅びていく、そういう地域だった。
午後になり二人してマンションのエントランスを出ると、海の匂いを微かにのせた風が綺麗に整備された工場の緑地帯を駆け下りてくる。2月の穏やかな日だった。
「それで、今日の仕事は何だ?」
人通りの少ない路地を選びながら、アダムは一哉を振り返った。一哉が今回の仕事に適しているかの問診を兼ねた、資料の復習だ。
仕事は常に二人でする。
ホログラムのアダムはこうやって外に連れ出されることも多い。電子ビューを利用してさえいれば、どこでも誰にでもアダムが見えているからだ。
実際、アダム自身は一哉のスマートフォンの中にいるのだけれど、一定の距離ならば一哉から離れていても行動は可能だった。
一哉は指でこめかみに触れまばたきをすると、電子ビューに本部からの仕事の資料を立ち上げた。抜粋して読み上げる。周囲の雑踏に紛れるほどの小さな声だったが、アダムは一哉の声をしっかりと聞いていた。
「親族から居住確認を要請されている人物がいる。名前はアレク・サワムラ。39歳。一人暮らし。履歴を調べたところ、クレジットカードを半年以上使用していない」
一哉が喋る度、白い呼気が口元から漏れる。2月の瀬戸内はまだ寒い。一哉のシャツの襟元から白い喉がのぞくのを見て、アダムは自分のコートの前を掻き合わせた。
「――数年前に第2地区から引っ越してきて第3地区に身寄りはなし。叔父が第2地区に暮らしていて、彼からの依頼で先月事前調査が行われた」
「依頼の具体的な内容は?」
アダムが尋ねる。
「彼が実際、親族に知らされている住所に居住しているか……生きているのか確認してほしい、とのこと。サワムラは両親を早くに亡くして、父親の代わりがこの叔父だったらしい。良好な関係だったが、昨年夏に連絡が途絶えた。電話をしても留守で、SNSで呼びかけても返事がない。忙しいのかと、12月にクリスマスプレゼントを送ったところ、宛先不明で返送された。心配になった叔父は国民IDポータルを通じてサワムラへ呼びかけたが、年が明けて現在も返事がない。国民IDポータルのAIはサワムラのクレジットカード履歴をチェック、昨年8月から利用履歴がないことから調査が必要と判断した」
「なるほど、問題だな」
アダムは目を細めて町並みを見た。
昨今、第3地区では現金はもはや死滅したと言われている。クレジットカードを全く利用せず生活できる人間がこの地域にいるのかと疑いが出るくらいだ。
第3地区では食料に医薬品、通信サービスに居住費、コンビニのコーヒー1杯にさえ、人々は国民IDポータルを通してクレジット決済や電子決済を利用する。
Japan Identification 通称「国民ID」。
12年前に制定された国民番号法により、国民一人ひとりには13桁の国民番号「国民ID」と写真入りの「国民IDカード」が発行されるようになった。
国民IDカードは、いわゆる公的な身分証明書だ。
保険証、運転免許証、年金手帳に障害者手帳。その他諸々の煩わしいカード類がこのIDカードに一本化された。写真入りで、生年月日に由来する13桁の国民IDや電子署名が刻まれている。
法の施行から数年で、国や一部民間が提供する福祉教育サービスは、国民IDカードの提示で無償利用できるようになった。現在では国が運営する国民IDのポータルサイトに接続すれば指先一つで住所の変更が行え、役所への照会ができ、起業ができる。
民間も同様だった。
例えば件のクレジットカード。
申し込み欄に国民IDを入力さえすれば、カード会社が勝手に国民IDのポータルサイトにアクセスし、個人の信用度を調査、AIが約30秒で審査結果を送ってくる。早ければ翌日にはもう手元にカードが届く仕組みだ。
同法では同時に国民IDカードの携帯が義務付けられ、不携帯や偽造などには各種の罰則規定が設けられている。そのため当初こそ反発があったが、最近ではそれも下火だ。徹底的な情報開示と自己管理が可能なポータルサイトの仕様、官民共同プロジェクトという先進さ。そして何より、大幅に削減された社会保障費が後押しした形だった。
実際、第3地区の住民の間で国民IDについて否定的な意見を聞くことはほぼなくなった。
来年には携帯義務のあるカードに代わって、皮下に埋め込む形の国民IDICチップの運用が国会で審議入りになる予定だという。最近の若者の中には既に電子決済対応のICチップを皮下に埋め込んでいる者も一定数いるから、法整備さえ進めば、それもあまり違和感なく受け入れられる筈だった。
「居住確認っていうか、孤独死案件の気がするな……」
一哉がぼやく。人口減少著しい第3地区ではたいして珍しくもない。年に数件はぶちあたる仕事だ。だからといって気が休まるわけではないが。
一哉の仕事は補助司という福祉職だった。
市からの依頼で住人の「居住」「在宅」「通院」を確認する仕事だ。
「居住」はIDポータルへ登録されている住所へ住人が実際に住んでいるかの確認。「在宅」は決められた日時に住人が家へいるかの確認。利用者の多くは前科がある者や仮釈放中の者が対象の者だった。「通院」は定期的な通院を行う住人の医療施設への付き添いだ。
簡単な調査や確認、付き添いだけなので給料は安い。
利用者に何かあれば福祉や医療の専門へつなぐか、警察へ連絡するのが常だった。
「事前調査では何だって?」
アダムが先を促す。一哉はどうしても孤独死の現場を想像するのか、嫌そうに資料の続きを読み上げる。
「ちょうど1ヶ月前……叔父の依頼を受けて、ポータルサイトのAIがサワムラを捜した。携帯しているはずの個別IDカードの信号と、映像で。その結果すぐに、自宅前と、自宅近くの無人コンビニで彼は捕捉された。それぞれの入口を見張る防犯カメラの映像に、通りかかるサワムラの姿が何度か記録されている。それを叔父に確認してもらった」
「なら、生きてるんじゃないか?」
「そうだけど、まぁ……あれだよ」
一哉が言いよどむ。アダムも同時進行で資料を読んでいたので一哉が言いづらそうにしている内容は分かった。
一哉の過去に突かれると痛いことが同様にあるのだ。仕方なくアダムは自分で答えた。
「サワムラの叔父曰く『このアレクは別人だ』……だったか?」
「そう」
一哉が肩をすくめた。
「……もしかしたらID偽造による成りすましかもな」
身分証の偽造などによる、他人への成りすまし自体は昔からよくあることだ。ただその場合、成りすまされた相手はどうなったのかという問題が立ちふさがる。
実は一哉自身、アダムと連携してなりすましを偽装しようとした過去がある。しかし、それは実現しなかったのだが。
「そろそろだ。地図はいるか?」
「あぁ。欲しい」
アダムは尋ねて、頷く一哉を横目で見た。アダムは人差し指で十字を切って一哉の電子ビューへ地図アプリを立ち上げた。
一哉の視界では、目の前の景色に同期して目的地までのストリートビューが3Dで展開したと同時に、重なり合った景色とストリートビューが一瞬ブレる。
一哉がよろめくのを見てアダムはとっさに手を出しかけた。が、無駄だと判断してすぐに手を引っ込める。ホログラムの体を持つアダムでは一哉を支えられない。
左右に大きく揺れた一哉だったが、視覚補正が行われ、体勢をどうにか立て直す。気づけば足元から進行方向への歩道へは蛍光グリーンの矢印で道順が描かれ、視界の左端にはオレンジで目的地までの詳細な情報が描かれていた。
徒歩であと7分。
アダムは目線だけで一哉を振り返る。一哉は独り言のように呟く。
「偽装なら、っ……やっかいそうだ。けど、半年もクレジットを使わずに生活できるもんかな。収入はどうだっけ?」
何らかの方法で金を手に入れないことには生活できないはずだ。今度はアダムが資料を読み込んで返事する。
「サワムラ本人は会社員だな。電子ビュー開発の下請け企業でプログラマーをしていた。1年前から休職中で、精神疾患……軽度の鬱状態と診断されて半年間の療養を言い渡されている。即座に失業保険も支払われているが、夏以降は手を付けていない」
「ふうん。本人は働けない状態で、資金の動きもなし、か」
「そういうことになるな」
喋っているうちに目的地へと着いた。
二人の家とそう大差ない、鉄筋コンクリートのマンション。
間口は狭く高さだけは立派で、三階しかない低層のオフィスビルと二階建ての民家の間というなんともバランスの悪い立地で、6階建てというその姿はやや悪目立ちしている。
「海からは少し離れてるけど、ここも上階なら海が見えそうだ」
自宅を思い出すのか一哉が呟く。つられてアダムがマンションを見上げると、横に並んだ一哉が周囲を見渡した。
「僕は……、すぐそこのカフェで待ってる」
向かいの通りにあるファストフード店を示す。
まずはアダムが現場へ赴き、本人と面会する手筈だった。面会と言ってもアダムはホログラムだから、近くの何かの「視界」をジャックする。一哉はそのアダムの視界を通じて映像をチェックし、危険がない場合、必要ならば合流する予定だった。
「了解」
アダムは頷き、指先でチェックを描き一哉の地図アプリを終了させた。
代わって、一哉の内耳のインカムと電子コンタクトのカメラアプリを同期させた。これで音声と映像をリアルタイムで一哉の電子コンタクトへ送ることができる。
アダムが振り向くと、一哉はアダムがジャックした近くの監視カメラの信号を電子ビュー上で受信したらしく、小さく手を上げてから向かいの通りへと渡ろうとしていた。それを確認し、アダムは前へ向き直る。
「国民ID局所属、補助司No.102216。調査No.010212-07の案件につき記録を開始します」
アダムが所属部署とナンバーを詠唱すると、調査局に常駐するAIが周囲50メートル以内の監視カメラの使用許可を通知してきた。
カメラが自動録画を始める。許可された映像を探ってみれば、サワムラのマンションではマンション前や個別の部屋の前に必ず監視カメラがついているらしい。そうであれば「面会」は簡単だ。
まずは本当にアレク・サワムラが生きているのか、実際に会って確かめなくてはいけない。




