study days(5)
ほんの数秒前まで脳を痺れさせていた全能感は、模擬戦開始早々に無数の汗の粒となって、ブーツの底を湿らせていた。
右肩を掠めたペイント弾が、そのまますぐ後ろにいたチームメイトに当たって爆ぜる。
背後からの悲鳴に振り返ろうとした自分の愚かさは、頭で認識するよりも先に動いた身体の反応で帳消しになった。
無意識に膝を折って倒れるように地面に伏せると、ほんの一瞬前までエフリエッタの胴体があった空間を、続けて二発の弾が切り裂いた。
それらはやはり、エフリエッタの背後にいたチームメイトに命中することになり、再度彼の悲鳴と塗料の飛び散る音が木霊することになった。
(なんかごめんっ!)
結果的にはエフリエッタの身代わりになった訓練生が誰だったのかも把握できないまま、身を捩ってその場から離れる。
マスクのせいで視野は狭いが、視界を遮る霧はない。それはこの場にいる誰に対しても平等な条件であったが、まだ立ち上がることすらできていないエフリエッタに対しては不利に働いた。
見れば、なだらかな坂の途中に設置された廃材の陰から銃口がこちらを見下ろしている。
そう、狙っているのだ。
目の前で無防備な姿を晒した獲物を照準器の中に収めている。このまま指に力を込めれば、彼――あるいは彼女のスコア表にもう一人分の星が追加されることになるだろう。
だが目先の標的に夢中になればなるほど視野は狭窄し、反対に周囲の気配に対する注意は散漫になる。
それは図らずとも、エフリエッタの――エフリエッタたちの思惑通りであった。
銃声。
しかしエフリエッタに向けたものではない。
悲鳴を上げたのは、今まさに廃材の向こうからこちらを狙っていた訓練生だった。
「よっしゃあ!」
廃材から数歩分離れた物陰に潜んでいたヤグが、甲高い叫び声を上げながら飛び出した。
(……あっぶな。もうちょっと早く撃ってくれてもいいのに)
斜面を跳ね回る彼を眺めつつ、胸中で悪態をついて立ち上がる。
囮作戦。
この結果が予想の範疇だったとはいえ、心臓は未だ早鐘のように鼓動を響かせていた。
作戦などと大層な言い方をしているが、要は相手が騙されてくれるかどうかの博打を繰り返すに過ぎない。
もし相手がキリアくらい銃の扱いに長けていたとしたら、あるいはヤグが弾を外していたら。それ以前に二人で立てた作戦が露見していたら……。
可能性は決して低くない。だがエリンナの鼻を明かすには悪くないように思えた。まさか底意地の悪くとも成績優秀な彼女もまさか、こんな作戦とも呼べない策を弄してくるなど思いもしないだろうから。
ヤグに提案された時は半信半疑だったが、ひとまず幸先は悪くない。
ふと、その馬鹿げた作戦の発案者へと目をやる。
塗料に塗れた肩を押さえながらうめく訓練生に近づいた彼は、続けて何発もペイント弾を撃ち込んでいた。
「ヤグ! てめぇ、仲間を囮にしたのか!?」
「ばーか。俺が結晶生物だったらお前は死んでたぜ」
ヤグは見事に作戦がハマったことに興奮しているのか、頭上に小銃を掲げてこちらに腕を振っている。
(すぐそうやって調子に乗る……!?)
そのあまりにも間抜けな姿に思わず頭を抱えようとしたが、エフリエッタは視界の隅に僅かな光の反射を捉えた。息が止まる。
目を凝らすまでもない。先ほどまでヤグが潜んでいた壁の隙間。そこから細長い銃身が覗き、ヤグへと向けられていたのだ。
「伏せて!」
エフリエッタは吸気の手間すら惜しんで、小銃を持ち上げ即座に引き金を絞った。
たたたん、と小気味よい反動とともに射出された弾丸は、真っ直ぐに壁の隙間を通り抜け、その奥に潜んでいた銃身に命中した。
弾き飛ばされた小銃がヤグの足元まで転がり、彼はしばらく固まったあとで間抜けな声を上げて、その場を飛び退った。
「えっ」
「油断しすぎ!」
エフリエッタは叫びながら、慌てた様子で身を隠そうとする訓練生の胴体に向けて引き金を引く。少し狙いのずれた弾はヘルメットに当たって炸裂し、真っ黄色の塗料を周りに撒き散らした。
それを喜ぶ時間もなかった。
戦闘の気配を嗅ぎ取ってか、演習場に散らばっていた足音がいくつもこちらに近づいてくるのをエフリエッタの耳は捉えていた。
味方の立てる物音だけではない。装備同士のぶつかる金属音が相手チームの拠点側からも響いてくる。
「ヤグのばか! さっさと隠れて! あんたの思いつくことくらい、相手だってやってくるに決まってるでしょ!」
「う、うるせー! 今のも作戦だっての!」
「ああっ、もう!」
反論する気も起きず、エフリエッタは怒鳴り返した。
自分の考えが甘かったことを痛感し、その苛立ちはヤグにぶつけることで発散する。
立て続けに鳴った銃声は演習場全体に響き渡り、容易にこちらの位置を伝えてしまう。二人のいる場所が間もなく銃撃戦の中心地となることは明らかだった。
正面からの撃ち合いになれば囮など機能しなくなる。
味方の合流を待って、人数の差があるうちに一気に攻勢にでるべきかもしれない。
すでに相手チームの何人かが丘の頂上にいるのが見えた。
顔の一部をドラム缶の隙間から覗かせて、牽制のために前方へ向けて適当に連射する。運良く当たればよいが、期待はできまい。それにこんなことを続けていれば、いずれ弾が尽きてしまう。
エフリエッタよりも丘の頂上に近い位置にいるヤグは、その分危険に晒されることになる。廃材に張り付くように身を伏せながら、彼は腕でバツ印を作った。
と、
「エフリエッタか。今どうなってる?」
背後から囁かれた声に振り向く。
チームメイトの一人が、身を隠すように伏せながらエフリエッタに近づいてきた。
「二人倒したよ。でもヤグがやばい。あと何人残ってる?」
「もう俺たちだけだ。こっちも二人はやったが、最初に一人撃たれて、その後エリンナに五人やられた。集団で固まってると見せかけて、あいつだけ自由に動き回ってやがる。まんまとやられたよ」
「つまり三対六か。まずいね」
ため息が排気バルブを震わせた。
苦々しくつぶやく彼の手には、もう銃がなかった。どこかで取り落としてきたのか、それとも撃ち落とされたのか。手元に飛び散った塗料を見る限り、後者なのだろうが。
弾倉を予備のものに取り替えながら、舌打ちする。
形勢はこちらが圧倒的に不利だ。
実質、銃を持っている二人で倍以上を仕留めなければならない。人数差で制圧するどころの話ではなくなった。相手もそれは理解しているだろう。特に、自らの手でエフリエッタたちを追い込んでいる彼女ならば。
「あとはそこにいる奴らだけだぞ! グズども、突撃しろ! 元の色がわからなくなるくらい塗料まみれにしてやれ!」
エリンナの声が演習場に響いた。場外から聞こえる歓声が一際大きくなる。
全員で突っ込めば、それで終わる。多少撃ち返されたところで、一人でも無事ならチームは勝利する。エリンナの判断は合理的だった。
そばにいたチームメイトが天井を仰ぎ、うめく。かぶりを振った彼は両手を挙げて、立ち上がろうと腰を浮かせた。
エフリエッタは目を剥いて、彼の腕を掴む。
「諦めるの!?」
「いやぁ、もう無理だろ……。この状況からどうするつもりだよ。せめて洗濯物増やさないように大人しくしとこうぜ」
「なんでよ!」
思わず立ち上がった。が、すぐ目の前をペイント弾が通過して、すぐさま身を伏せる。背中に冷や汗が滲むのを感じながら、エフリエッタは抱えていた銃を、チームメイトに押し付けるように、半ば投げつける勢いで渡した。
「わたし、あいつにだけは負けたくないの! いい? わたしがあいつらを引き付けるから、出てきたやつを撃って!」
「は?」
「頼んだからね!」
「お、おい!」
何か言ってきたが無視をする。
これ以上議論する意味はなく、その時間も惜しかった。背中に悪態を受けながら地面を蹴り、低い姿勢のままドラム缶から身を投げ出した。
目を向けずとも銃口が一斉にこちらへ向いたのがわかる。ぞっとするような心地のまま、照準に追いつかれないよう、最大速度で駆ける。
「自暴自棄になったエフリエッタ」とでも思われているだろうか。自問する。果たしてこの選択肢が正しかったのかと。だが、数的不利を覆すにはこうするしかなかったのだ。
作戦通り、自分が囮になった。それだけの話だった。
「ヤグ!」
叫ぶ。虚を突かれたように固まる少年に向かって。
マスク越しでも見て取れるくらいに、彼は呆けた表情をしている。
空になった両手を前に突き出して、彼の潜む廃材とは逆の方角へ思い切り跳ぶ。
「ヤグ!」
「お、おぉ!」
ヤグは弾かれたように肩を揺らし、地面をきょろきょろ見渡すと、やがて地面に転がった真っ黄色に染まった小銃を掴み、投げた。
意図が伝わったことに少し驚きつつも、エフリエッタは駆ける。
回転しながら地面を滑る小銃を胸全体で受け止め、着地の勢いのまま遮蔽物の裏まで転がった。
肺の空気が全て抜けきったような虚脱感に喘ぐ。打ちつけた身体のあちこちが痛みを発するが、それを無視してまたすぐに壁から飛び出す。
胸中で、知っている限りの罵倒の言葉を吐き出しながら、遮蔽から遮蔽へ。ひたすら止まることなく撃ち続ける。
次第に引き金は重たさを増していった。
耳元で空気が弾け、目の前の壁が別の色に塗りつぶされた。
感覚器が鋭敏に周囲の状況を捉え続ける。自分を狙う銃声が一つ、また一つと増えていくのを、興奮した神経が感じ取っていた。
それでも、汗を吸った下着から伝わる涼気が血管を冷やし、頭の中では冷静さを保っていられる――蒸れた防護服の匂いを不快に思える程度には。
エフリエッタを狙い撃とうと丘の上から立ち上がった訓練生の腹部に一発当て、彼の防護服を引っ張って下がらせようとしていたもう一人の肩に二発を命中させた。
軽快な口笛の音を乗せたペイント弾が、脇を通り過ぎていく。振り向けば、先ほどまで降参しようとしていたチームメイトがドラム缶から身を乗り出して、エフリエッタの姿を追う相手を仕留めているところだった。
「何をやって――」
銃声に混じるエリンナの声から焦りは感じない。だが僅かな苛立ちを含んだ声音に、思わず口元が緩んだ。
(いける――!)
エフリエッタのカウントが間違っていないのであれば、すでに人数の差は覆っていたはずだ。
(あと二人……エリンナはどこに)
エリンナはすでに射程範囲の中にいるのだろうが――未だにその姿を捉えられていない。
銃声に紛れ、足音を殺し、彼女はどこにでも現れる。
エリンナを自由にすることの厄介さは、この模擬戦を通じて十分に思い知っていた。射撃の練度に差は感じないが、おそらく自分よりもずっと彼女が賢く、狡猾であるということは認めざるを得ないだろう。
時間をかけるべきではない。とにかく丘の頂上を奪取し、そこにエリンナたちが固まっていればそのまま囲んで、そうでなければ有利な位置に陣取ればいい。そう結論づけて、エフリエッタは後ろにいる二人に合図を送ろうと振り返った。
その先、
「えっ」
腕に赤い布を巻き付けた、小柄な訓練生がいた。
チームメイトの背中に小銃を突きつけて、無言のまま佇んでいる。
顔は見えない。元より目視で判断できる距離ではなかったがそれは間違いなくエリンナだった。
(回り込まれた!?)
理解するとの同時に「 たん」 と軽い破裂音が耳を駆け抜け、チームメイトの防護服に鮮やかな黄色が弾けた。
「くそっ!」
エフリエッタが反応するよりも早く、ヤグは身を翻し、彼女に向かって照準を合わせていた。
撃てば確実に当たる距離。しかし、内臓を這い上がった焦燥感がヤグの取った選択を否定した。
「だめ! 戻って!」
鋭く叫んだ声がヤグの元に到達するのと同時に、丘の上から真っすぐの軌跡を描いた銃弾が直線軌道を描く。
破裂音。
小柄な彼の体は泥土とともに宙に浮いて。
その着地点を視線で追った一瞬の隙に。
すでにエリンナの銃口はエフリエッタに向いていた。
目が合い、そして――
模擬戦の終了を告げる笛が、演習場に響き渡った。




