green field(1)
「……なんていうか。俺の勘違いだったら申し訳ないけど、もしかして君たちってあんまり仲が良くないのかな?」
「…………」
引率役の探索者が発した言葉に、エフリエッタは肩をすくめて明後日の方向を見やった。視線の先に目を引くようなものがあるわけでもないが、彼と目が合わないように周囲を警戒する振りをしながら荷車のハンドルを引く。
「そんなことないっすよ」
答えたのはエフリエッタの前を歩くヤグだった。
彼は背負った荷物と防護服の可動範囲に苦戦しながらも、こちらを振り向こうと上半身を捻る。おぼつかない足取りだが、それでも器用に樹木の根を飛び越えながら続けた。
「俺たち、演習でも一緒に戦った仲なんだから。な、エフリエッタ」
「……そうだっけ」
「うぉい! あの熱いバトルを忘れたとは言わせねーよ。それにさぁ、終わったあとは二人で頑張って防護服洗ったじゃん!」
「二人じゃないし。っていうかあんたさ、ちょっとは手伝ってよ」
「む」
口を尖らせつつも素直に荷車の後ろに回り込んだヤグに、引率の探索者――スクラートと名乗っていた――が苦笑を向ける。
エフリエッタはマスクの下で嘆息して、平坦な道を探すことに集中した。
数週間ぶりに吸い込んだ外界の風は、濾材を介してもなお冷たく肺を刺激する。
まだ午前中ではあったが、周囲は薄暗い。上空に張られた翠緑の天蓋が日光を遮断するために、地上の気温は常に低いまま安定している。それでも植物が枯れずに繁殖し続けるのは、過剰なまでの栄養が大気に含まれているからだろう。
エフリエッタにとって二度目の外界。
今回は訓練生三人に対して、現役探索者の引率一名による少人数チームに分かれている。
目的はシェルターと隣接するランドマークへ辿り着き、現在そこに滞在している探索者へ補給物資を届け、探索活動を補佐すること。
安全とは限らない。
可能性は高くないが、結晶生物と遭遇することもあり、不慮の事故によって装備が破損したり怪我を負うこともある。名目上は訓練だが、シェルターの外にいる以上、やっていることは実地とほぼ変わらない。
「歩きにく……」
レンズを曇らせて、エフリエッタはうめいた。
シェルターを出発して数十分ほど歩いたところで舗装された道はなくなり、瓦礫や木々が地面を埋めるようになった。
前哨基地までの道のりはそう遠くないはずだが、地図を眺めるのと実際の地形とでは、想像以上に乖離がある。
たとえ身軽であっても無心で歩けるような道でない――それでも補給物資を積み、そして探索の成果をシェルターに持ち帰るために荷台を引く必要があるとなれば、なおさら。出発前に引いたくじで、その役目を引き受けることになったのはエフリエッタだった。
(今、どれくらい進んだ?)
雲のひとつでも見えれば、天候の変化と時間の経過から距離も導き出せるのだろうが、エフリエッタにそこまでの知識はなく、そしてそんなことをする余地もないほどにエーテルは濃い。
息が上がる。肘が強張り、指の関節はハンドルを握りしめた形のまま固まっている。不整地を進行することを想定して、荷車の車輪径はかなり大きく設計されているはずだが、規則性のない傾斜や隆起する木々は容易に車輪の回転を阻んだ。
その度にヤグとスクラートが、荷車を抱え上げたり後ろから押してくれたりと、サポートに回る。
チームである以上フォローし合うのは当然ではあるが、ではこちらが何か返せるのかといえば、今のところそうでもない。
せめて、自分のせいで訓練が滞らないようにと、エフリエッタは自らを鼓舞し、気力を振り絞った。
「エフリエッタ君、大丈夫か?」
「だいぃ……じょうぶです! んぎぎぎ、やってて良かった基礎訓練!」
こちらを気遣うスクラートに、半ば叫ぶようにして返す。実際のところ体力は限界に近づきつつあったが、それでも弱音を吐くことはない。
無様な姿を絶対に見せたくない相手がいる。それは引率のスクラートでも、口笛を吹きながら荷台を押すヤグでもなく、
「……」
「エリンナ君がなるべく進みやすい道を探してくれている。しっかり着いてきてくれ!」
隊の先頭で地図を両手に広げる小柄な後ろ姿。ヘルメットの縁から、ひとつに束ねた黒髪が伸びている。
――エリンナ。
エフリエッタを落ちこぼれと称した、避難移民の少女。彼女に罵られたのが自分だけならまだ良かった――良くはないのだが、ついでのようにサラまで軟弱者と馬鹿にされたことを、エフリエッタは絶対に忘れないだろう。
そして先の模擬戦闘訓練。
大勢の前で啖呵を切ったはいいものの、結局エリンナ率いるチームに敗北し防護服を洗濯する羽目になった。
そんな因縁ある彼女と、まさかチームを組むことになろうとは。
だからといって、意識しすぎるのも負けた気がするものだ。エフリエッタは努めて冷静な顔を維持していた。
ただそんな事情を知らないスクラートは、何かとチームの結託を強めようとしてくる。
つまり、どうしても視界に入ってくるエリンナの後ろ姿を、無意識に辿ってしまう。
と、エフリエッタの視線に気づいたのだろか。
一瞬だけ、彼女の顔がこちらを向いた。マスクに阻まれ表情を読み取ることはできなかったが、僅かに上を向いた顎の動きは、こちらを鼻で笑ったように見えた。
(愚図が)
(ぶっとばす)
視線がぶつかる。
伝わるかどうかなど関係なく、それでも口を動かさずにはいられなかった。ぱくぱくと開いた喉からが漏れ、排気口から湿った呼気が流れ出る。
目が合っていた時間はほんの数秒に過ぎない。
しかし、どこか緊迫した空気を感じ取ったのか、二人の間に挟まれる立ち位置にいたスクラートはエリンナとエフリエッタを交互に見やり、ぼそりと呟いた。
「……やっぱり勘違いじゃなかったかな」
「気にするほどのことじゃありませんよ。目の前で芋虫が這っていれば多少不快にはなりますが、放って置いてもそのうち小鳥の餌でしょうし」
「い、いもむしぃ!? スクラートさん、聞いた? こいつ、エリンナってこの通り、ちょー性格悪いんです!」
「お、おいおい、ちょっと落ち着いて……」
思わずハンドルを手から取り落とし、その勢いのままエフリエッタはエリンナに詰め寄った。
「たまたま一回勝てたからって調子に乗らないでよ」
「洗濯ご苦労さん。これからもよろしく頼むよ」
胃の底から食道を逆流してくる吐瀉物に似た、粘性の怒り。
安易な言葉でそれを発散しないよう、しっかりと奥歯を噛みしめる。
薄笑いを浮かべる彼女と至近距離で睨み合い――ちらりと視線を足元へやった。エリンナの頭が僅かに傾いだのを見計らい、エフリエッタは彼女の顔面に向けて拳を突き上げた。
空気の入った袋を割ったような音が響く。顎を狙った一撃は、エリンナの手のひらで受け止められていた。
「このっ!」
腕を引く。しかし防護服の特殊繊維に食い込む指は、エフリエッタの拳を逃がさない。同年代の者たちより体格で劣るエリンナの、どこにこんな力があるのかと驚愕に顔を引きつらせつつ、今度は反動をつけて上半身を捩じった。
が、
「……!」
エリンナはあっさりと手を離した。想定していなかった空振りにエフリエッタの足がもつれ、それに追いつくようにエリンナの身体が飛び込んでくる。
避ける暇もなく、肩口に重たい衝撃がぶつかった。彼女の全体重を叩きつけられ、エフリエッタはなす術なく背中から地面に倒れ込む。
防具服を貫通する衝撃に息が詰まる。
したたかに打ち付けた背中の痛みを感じる間もなく、腹の上にエリンナの体重が圧し掛かった。
開けた視界の中心で、彼女が腕を振りかぶる。
すぐに訪れるであろう痛みと衝撃に備えて、エフリエッタは目を閉じて肩を強張らせた。
と、
「はい、そこまで」
スクラートの声が間に割って入ってきた。
瞼を開くと同時に、腹部の圧迫が解かれる。
「君たち、熱くなりすぎ」
呆れの混じった声音とともに、彼は肩をすくめ、すでにこちらへの興味を失ったかのように背を向けたエリンナに告げる。
「エリンナ君、挑発は良くない。君たち一応仲間だろ。何があったかは知らないけど、そんなクソ事情はチームを組む俺たちからすればどうでもいい。殴り合いも外じゃご法度だ。マスクが破損したらどうなるか知ってるよな。どうしてもっていうなら、シェルターに戻ってからやってくれ」
「……」
続けてエフリエッタへ向き直り、
「エフリエッタ君はもう少し冷静になること。君みたいなタイプはこれまでにもいたけど、結構死亡率高いから。直感で動くなとは言わないが、周りをもう少し観察する力を身につけるべきだぜ。ほら、見てみろ」
スクラートは地面を指差し、今まで来た道をなぞるように真っ直ぐ腕を上げていく。彼が指した先には荷車があった。
「あ……」
そこでようやく、エフリエッタは自分の失態を悟った。
エリンナの挑発に乗ったことなど、この際些細なことに過ぎない。それよりも自分の役割を放棄し、前哨基地に届けるべき物資を放置したことが問題だった。
「すみませんでした……」
「でさ、ここ坂になってるでしょ。なのに、なんで荷車が転がっていかないかっていうとさ…………君が仕事をサボると、ヤグ君の負担がやばい」
「……エフリエッタぁ」
積荷の奥から怨嗟の声が聞こえてくる。どうやらヤグが後ろから荷車を支えているらしい。
「あぁ! ご、ごめん、すぐ行くから!」
悲鳴を上げて荷車に駆け寄る。鈍い痛みを訴えてくる背中を無視し、何事もなかったかのように地図を広げるエリンナのことも気にせず、エフリエッタはハンドルを持ち上げ、引っ張った。
「お前はなぁ!」
「よっとと……。ごめん……ごめんね、ヤグ。重かったよね」
「貸しひとつだぞ」
「うぅ」
自分の思慮の浅さと、それを晒してしまったことに対する羞恥心。
衝動的で直情的。
会ったばかりのスクラートにすら、それを見抜かれたしなめられた。
そして何よりも、結局スクラートやヤグに面倒をかけてしまったこと。 まだ訓練は折り返し地点にも着いていないというのに、エフリエッタの意気は早くも深く沈んでいった。




