謝肉祭
結局のところ、いくら遠くの的を正確に打ち抜く射撃技術を有していたところで、エーテルに干渉できない人間が無力なことに変わりはないのだ。
空気を掴むことはできない。外付けのデバイスを介さなければ呼吸すら自死の手段になり得る脆弱さは、この世界で生きていくにはあまりにも適性のない、欠陥を抱えた生物の証明であろう。
ならばいっそ、結晶生物こそが環境に適応した進化の形なのだろうか。
(淘汰されるべきは、私たち人間の方か)
自嘲的な結論に思い至った彼女は、廊下の端を歩きながら独りごちた。
肩に食い込むベルトの位置をずらす。背負った鞄から銃器のパーツ同士がぶつかる心地よい音が鳴った。
とにかく荷物が多い。首からはマスクをぶら下げ、教材の入った袋と防護服を両手に抱えている。先ほど洗濯から返ってきたばかりの防護服は乾いているにも関わらず、それなりの重量があった。分厚く、着れば通気性が良いとは言えない。もちろん、その分だけ丈夫ではある。
一応は身を守るために必要な装備ではあるが、もう少し軽量で動きやすい素材にならないものだろうか。そうなれば体力の消耗を気にせずに長時間の行軍もこなせ、もっと多くの結晶生物を狩ることができるだろう。
(いや……長い目で見れば少しでも生き残る可能性が上がった方が、たくさん奴らを殺せるはず)
思い直して足を止める。
避難移民としてハイマットで暮らし始めて、そう短くない月日が経ち、故郷の記憶は段々と薄れつつあった。
表面上、ハイマットの住民に受け入れられているように見えるが、同郷のコミュニティに閉じこもりがちな避難移民を、心の底から歓迎する者は決して多くはない。
ハイマットがいかに広大な敷地を有していようと、それを拡大できない以上は資源や居住スペースにだって限界がある。結晶生物の脅威によって滅んだ小規模シェルターは数知れず、それらからやってくる避難移民全てを包容できるほど懐が深いわけでもあるまい。
そう遠くない未来に、移民排斥派の声が浸透していくだろう。何年後か何十年後かは知らないが、いずれ自分たちがハイマットを追いやられる日が来るのかもしれない。
思い浮かんだのは、何かと小うるさく突っかかってくるルームメイトの顔だった。議員の娘と避難移民の自分。置かれた立場も、探索者として目指すものもまるで違う。ならば互いの信条を理解し合うことなどできはしまい。
(……だからなんだ。どうでもいい、そんなことは)
エリンナは防護服を握りしめた。
いつになく騒がしく、浮足立った校舎。
廊下の先にある掲示板の前に、登校してきた訓練生たちで人だかりができている。次の野外訓練の組み分けが発表されたのだろう。
前回よりも更に少人数に分かれての実戦とあれば、誰と組まされるのかは訓練生にとってそれなりに大きな意味と話題性を持つのだろうが。
エリンナには、それすらもどうでもいいことだった。
彼女は掲示板を一瞥すらせず、縫うように群衆の間を通り抜けると、静けさの滲む射撃場に向かって歩みを再開した。
〇〇〇
「私たち、同じチームになったみたい。組むのはこれが初めてだったかしら。よろしくね」
「あ……はい。よろしく……お願いします」
教室の長机で教科書を眺めていたサラに声をかけて、キリアはその隣の席に腰を下ろした。
「講義が終わったら、さっそく集まって顔合わせをしようと思ってるんだけど、このあと予定は空いてる?」
「えっと、あい……てます。はい、大丈夫です」
「そう、良かった。ついでに役割分担なんかも決めちゃいたかったから」
鞄から教材を取り出しながら、キリアは彼女の顔を覗き込んだ。
目元に薄っすらと隈が浮かんでいる。単に色が白いというよりは、血色が良くないようにも思える。よく寝れていないのだろうか。
サラは目線だけこちらに向けながら、気まずそうに頷く。
(怖がらせちゃったかしら)
自分が誤解されやすいことは、わかっているつもりだった。だからこそ気の弱い人間を委縮させないよう、心掛けていたはずだが。まさかサラからそんな反応が返ってくると予想していなかったキリアは、表情を変えずに上体を引いた。
サラとは特別仲が良いわけではないが、かといって全く接点がないわけでもない。彼女がエフリエッタと一緒にいる時に軽く話す機会はあった。だがこうして二人だけでやり取りするのは初めてかもしれない。
そういえば、サラがエフリエッタ以外の誰かといるところを見た覚えがなかった。
(でも、少しずつ打ち解けていけばいいわ)
素行に問題はなく、誰かに表立って対立することもない。
良く言えば平和主義で、悪く言えば自我を出すのが苦手。銃よりもペンを握っている方がしっくりくる佇まいは、我の強い者が多い探索者らしからぬ少女だという印象を抱かせる。
教科書に目を落としているが、こちらの様子を覗っている気配が伝わってくる。キリアはそれに気づかない振りをして続けた。
「ねぇ、これ食べる? この前お祖父様から頂いたんだけど。旧文明の資料から再現した、チョコレートっていうお菓子らしいわ」
「へ? あ、はぁ……」
コミュニケーションを取るのが苦手なのだろう、というのは前から薄々感じてはいた。
なんとなくエリンナの顔が思い浮かんだが、あれは恐らく意図的に他人を遠ざけているのだから、サラとはまた種類が違う。
つい浮かべてしまった苦笑を即座に打ち消し、教科書と一緒に取り出した包みを机の上に広げて、彼女に差し出す。
サラは少しの間だけ目を泳がせたあと小さく頷き、少し溶けたチョコレートを一つつまんで口に運んだ。
「……苦い」
「やっぱり? ミルクが欲しくなるわよね」
キリアは微笑みながら返した。
気を遣っていないと言えば嘘になる。エフリエッタのやらかしが彼女たちの間に溝を作ったことは当然知っており、それが未だに尾を引いていることも周知の事実だった。
だがわざわざ当人同士の問題に首を突っ込むほど、キリアはお節介ではない。サラも興味本位で話の種にされることを良くは思わないはずだ。仲を取り持つことは難しくないだろうが、無理やり関係を修復したとしても禍根は残るだろう。
結局、こういうことは時間がかかっても本人たちで解決するのが一番なのだ。
キリアはあくまでも同じ訓練生として、そしてチームメイトとしてサラに接すると決めていた。
「あの……」
「ん」
だからこそ。
「わたしのこと、エフリエッタから何か聞いてますか」
彼女からその話題を切り出してきたことに、キリアは驚きを隠せなかった。
「……何かって?」
「いえ、その、やっぱり何でもありません。忘れてください。別に、ちゃんとあの時のことを反省してるのかとか、あの子がわたしをどう思ってるのかとか、朝早くにどこに行ってるのかとか、今は誰に髪を整えてもらってるのかとか…………どうだっていいんです。ただちょっとだけ気になっただけで」
「……ちょっとだけ?」
顔を伏せたまま早口でまくしたてるサラに、どう返せばいいかわからず、キリアはまじまじと彼女の顔を見やった。
白い頬にそばかす。赤みの差した耳たぶ。彼女はまるで食器を割ってしまった子供のように膝の上で拳を握りしめている。
しっかり者だと思っていたが、案外エフリエッタが隣にいたことで相対的にそう見えていただけなのかもしれない。
なんとなく庇護欲が刺激される。
頭を撫で回そうと、思わず伸ばしかけた腕を咄嗟に引き戻し、キリアはゆっくりと尋ねた。
「その様子だと仲直りはまだしてないのね。エフリエッタはちゃんとあなたに謝った?」
「えっと……はい、一応。でもなんだか口調も変だったし、媚びるみたいな、すごく気持ち悪い顔してたから……わたしの方が引いちゃって」
(……あのバカ)
額を手のひらで支え、胸中でうめく。
「それで、本当はどう思ってるんだろうって。キリアさんなら、エフリエッタから何か聞いてるんじゃないかって思ったんです」
サラは更に思いの丈を吐露しようとするように唇を震わせて、取り繕うように言葉を被せてきた。
「ごめんなさい。面倒くさいですよね、わたし」
あえて否定はしなかった。ただ彼女の拳の上からそっと手を重ねると、できるだけ柔らかい言葉を選んで囁く。
「エフリエッタはちゃんと反省していたと思う。あの子はおバカだけど、おバカなりに色々考えてるはずよ。だからあの子が何を考えて、これからどうしたいのかを、あなた自身の耳でしっかり聞いてあげて。そしてサラが感じたこと……不満でも愚痴でもいいから、それを本人にちゃんと伝えるの」
「わたしが感じたこと……」
「きっとできるはずよ。だって私には言えたじゃない。自分の悩みや欲を他人に話すのって、すごく勇気がいるのだけれど、あなたはその一歩を越えた。どこかの脳筋が言ってたけど、自分たちの思いや意見をぶつけ合うことで、真の友情が育まれるらしいから」
サラに語りかけながら、キリアの瞳はその奥を眺めていた。
「ありがとうございます」と小さく頭を下げた彼女にウィンクで返し、チョコレートをひとつ口に運ぶ。
「苦いわ」
キリアは顔をしかめる。サラが笑った。




