4ー7 長崎にて その二
宗徳の言葉を聞いて、少し落胆したような風情を見せながら、庄左エ門が言った。
「帝が御存じなくとも、仙洞様はご承知と漏れ聞いておりまするが・・・。」
「確かに、仙洞さんはご承知じゃ。
旅に出る前に仙洞御所より関係先へ知らせを成していただきましたからな。」
庄左エ門と忠栄は、顔を見合わせ、ほっとした表情を浮かべたのがわかった。
「では、仙洞御所より、何か長崎会所にお尋ねなどござりましょうか?」
「いや、仙洞さんは長崎会所に特段の依頼の筋もないし、此度、麻呂に言付かった用事もござらぬな。
あるとすれば、麻呂一人の興味であろう。」
「ほぉ、大納言様のご興味を惹かれるものとは何でござりましょうか。」
「麻呂は常々、異国との交易で何が得られるのかを知りたいと思うておる。」
「なるほど、異国との交易にござりますか・・・。
確かに異国との交易は、この長崎出島でしか許されては居られませぬ。
この長崎には朝鮮国、大清国、オランダ国からの品々が集まりまする。
一方で、異国との交易には、この日の本からの品も必要にございまして、朝鮮、大清国、オランダを含む南蛮諸国が望む品々も六十四州から集められております。」
「それらの交易によって長崎の町は潤っているわけだが、一方で琉球は独自の交易で大清国や南蛮との交易も行っていると聞いている。
琉球は長崎の商売敵なのかな?」
庄左エ門は少し困った顔をした。
「琉球は、ある意味で異国にございまする。
なれど琉球を支配する島津藩が琉球の交易を牛耳っており、ある意味抜け荷を行っているのは周知の事実。
長崎の商売敵は琉球に非ず、薩摩にございます。」
「何故、幕府は薩摩にそのような抜け荷紛いの交易を認めておるのだろうか?」
「幕府が薩摩に交易を認めたわけではございませぬ。
琉球は痩せても枯れても国王を抱く王国にございまする。
琉球に対して古来よりの交易を止めよと命を下す立場にはござりませぬ。
一方で、神君家康公のみぎり、琉球を島津の特別の属領と認めたのもこれまた事実。
従って、薩摩は琉球を介して異国の品を事実上手に入れることができまするが、そのことを幕府に知られないようにしておりまする。
何となれば、長崎以外で異国の品を扱うことは禁じられておりますので・・・。
表向き、薩摩にはそうした品が入ってきてはいないことになっております。」
「なるほど・・・。
面妖な話ではあるが、表向きの話となれば理解はできる。」
「琉球と言えば、琉球国王の御息女と御子息を同道されての旅は何故でございましょうか。
差し支え無くばお教えくださりませ。」
「フム、薩摩に立ち寄った際に出会うたのじゃが、二人とも少々難儀をしておったのでな。
薩摩より無理に連れ出して参った。」
「島津公は、そのことご存じで?」
「今は知っておるだろうが、特に断らずに連れ出した。」
「何とまた、随分と思い切ったことをなされたものですなぁ。
確か国王尚益様のお子と言えば、お二人は人質として薩摩に囚われているやに漏れ聞いておりましたが・・・。」
「流石に長崎会所、ようご存じじゃ。
いかにも、鹿児島のさるところに軟禁状態であったわ。」
「失礼ながら、そのような方達をお連れ申して騒ぎにはなりませぬか。」
「一騒ぎはあったかのぉ。
じゃが、向こうが有効な手立てを講ずる前にさっさと薩摩を出てきた。
あるいは、この長崎にも島津の手が伸びておるやもしれぬ。」
「何とまぁ、大藩相手にこの長崎で騒ぎにございますか?」
しげしげと庄左エ門は、宗徳の顔を見つめた。
「重ねて失礼を申し上げますが、お公家様にはもったいないほどの御器量にございますな。
薩摩から闇討ちを掛けられる恐れもあるというにこのように泰然自若とされておられるのは、余程の戯け者か、さもなくば途方もない大器にござりましょう。
噂に聞く大納言卿は少なくとも戯け者ではないはず、我が目で見てもそうは見えませぬ。
それで、大納言様からこの長崎会所に何か格別の御話がござりましょうか?」
「ふむ、二つほど、・・・さしたることではない。
近々、というても数年かかるやもしれぬが、琉球は島津の手を離れることになろう。
琉球は独自の道を歩むことになるやもしれぬ。
その場合、琉球が長崎の交易相手になるやもしれぬ故、その折には長崎の利、不利を十分詮議の上で立場を明らかにするが宜しかろう。」
「それは朝廷の、いえ、仙洞御所の御意向にございましょうか?」
「琉球の行く末については仙道さんも案じておる。
が、結末については未だ不透明じゃな。」
「はぁ、しかし、そのような不確かな話では会所が動くわけには参りませぬが・・・。」
「今、動くはできまい。
だが準備あるいは検討はできよう。
仮にそうなった場合の道筋を見当つけておくことが商人としては必要な才覚だと麻呂は思うがな。」
「いかにも、左様にございました。
大納言様から商人の心構えを教えられようとは思いませなんだ。
御無礼を仕りました。」
「ところで、今一つ、高島殿にはお願いの儀がある。
恐れ入るが琉球国王のもとへ麻呂の手紙をお届けくださらぬか。」
庄左エ門は、少し眉をひそめた。
「文を琉球へ?
ふむ、できなくはございませぬが、日を要しまする。
二月か三月を見てもらわねばなりませぬ。」
「会所が表向き琉球と直接の交流はないことは承知しておる。
さしずめ、清国の交易船などに預けることになろうであろうこともな。
長崎会所が良かれと思うならばどのような方法でも構わぬ。
琉球国王の手に文が渡ればよろしい。」
「恐れ入りまするが、こは朝廷のご依頼と思ってよろしいのでしょうか。」
「表だって朝廷に問えば、知らぬと答えるかもしれぬな。
じゃが、少なくとも仙洞さんはご承知の上の話じゃ。」
「先の帝様の・・・。
わかりました。
お預かりいたしましょう。」
宗徳は懐より書状を取り出して、卓の上を滑らせた。
恭しく押し抱いてから庄左エ門は懐に収めた。
「これは些少じゃが、手間賃じゃ。」
そう言って宗徳は小袋を懐から取り出した。
「滅相も・・」
「いや、これは商いじゃ。
もらって呉れなくてはこちらが困る。
それに文もこの一度限りとは限らぬでな。」
「なるほど、商いにござりまするか。
なれば遠慮なく頂戴いたしましょう。」
そういって卓の上の小袋を取り上げようとしてその重さに驚いた。
ずしりと感ずる重さは砂金のようでもある。
「何と・・・。
これは・・・。
長崎会所もいろいろなお方と商いはいたしまするが、朝廷との商いは初めてにございます。
これを縁にどうぞ良しなに。」
「ふむ、数年先になろうかの。
あるいは、またお手前方と商いの話をすることになるやもしれぬ。」
「それは朝廷との商いにございましょうか。」
「さて、その辺はわからなぬ。
あるいは麻呂個人との商いになるやもしれぬ。」
「交易に関わる話であると・・・。」
宗徳は小さくうなずき、立ち上がった。
「急な訪いで乙名達には迷惑をかけたな。
本日はこれにて失礼しよう。」
「宗徳様には、本日出島を訪れられるとお伺いしておりますが、これから参られまするので?」
「うむ、午後一番にて参るつもりでおる。」
「左様にございますか。
では、通事を出島口の前で待たせておきます。」
「通事は不要じゃが、案内人として願おう。」
庄左エ門は驚きの表情を見せた。
「大納言様には、異国の言葉をご承知にございますか?」
宗徳は、小さくうなずき、ほほ笑んだ。
その上ですっと背を向けた。
庄左エ門ら乙名達はその背後で静かに礼をした。
一行が立ち去った後に庄左エ門がつぶやいた。
「何とも不思議な御仁じゃ。
人を惹きつける何かをお持ちの上に、商いのつぼをご存じじゃ。
必要最小限の情報を与え、余計なことは何も与えぬ。
それにもまして通事が不要とは・・・。
文武両道の方が公家の中にいようとは・・・。
この先が楽しみじゃ。」
庄左エ門には江戸表のことも耳に入ってくる。
江戸の読売が二月ほどかけて長崎にももたらされていた。
従って、庄左エ門は江戸における仇討の子細を承知していたし、添えられた情報からその仇討に宗徳とその奥方が深く関わっていたこともかなり詳しく承知していたのである。
長崎会所に料亭松浦の事変が知らされたのは一行が立ち去って半刻後であり、その内容に驚愕した。
丑三つ時に14人もの黒装束が襲来し、ことごとく大納言一行に打倒されたたという話であり、それにもまして今日の訪問に際してそのような変事について何もなかったかの如き振る舞いが庄左エ門自身にできようとはとても思えなかった。
件の黒装束については身元など一切が不明であり、長崎奉行所が背後関係を探索中との情報であり、会所においても関連情報があれば奉行所に届け出よという奉行所からの指図であった。
庄左エ門は、すぐにも島津家の手が伸びたのではないかと疑ったが、確たる証拠は何もなく、ただの憶測を奉行所に知らせることはやめたのである。
◇◇◇◇
その日の午後、宗徳一行は出島に赴いていた。
長崎会所から命を受けた案内人たる通事はオランダ語と清国語の二人が出島に入る橋のたもとで待っていた。
通事を交えた十人が出島に入ったのは午の下刻である。
連絡を受けていた出島側では、清国の使節を兼任する黄大人とオランダ領事ヘンダーデンが出迎えていた。
彼らは当然に通事を交えての会談になるものと思っていたが、いきなり主賓である宗徳からそれぞれ母国語で挨拶をされてむしろ戸惑った。
宗徳が話す言葉は、通事の片言の言語ではなかった。
韻や話し方はいずれも母国の者と少しも変わらないものであったからである。
最初に清国施設の迎賓館に当たる南都飯店に招かれ、飲茶で接待をなしたのだが、宗徳の知識の豊富さに黄大人は驚いた。
清国に渡ったこともないはずの若い貴人が黄大人以上に地理も歴史も承知だったからである。
しかも機微に通じた話し方は、清国の貴人としか思えないものであったのである。
歴代の通事でもこれほど清国事情に詳しく、きれいな清国語を話すものはいなかった。
しかも北の言語、南の言語も承知のようであり、黄大人の出身地である蘇州の訛りをさえ正確に話す人物は同じ清国人であっても珍しい。
蘇州でも少し山岳部に近い黄大人の故郷の方言は一風変わっていたからである。
黄大人の出身地を聞かれ、耶蘇と答えた途端にその方言で会話が進められたのには、さすがにまさか倭国の者が話せるはずもないに何故と思ったほどである。
しかも清国のみならずバタビヤを含めた周辺諸国の事情に通じている様子が伺えた時には脱帽ものであった。




