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仇討ちの娘  作者: サクラ近衛将監
第三章 風魔

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3ー6 嫁入り

申し訳ありませんでした。

25日木曜日に掲載予定でしたが、所用があり投稿できませんでした。

26日金曜日に投稿しております。

 By サクラ近衛将監

 翌日、宗徳と母千代が加賀藩京屋敷を訪れ、綱紀に面談し挨拶を交わした。

 彩華も久方ぶりに宗徳と楽しいひと時を過ごすことができた。


 輿入れは卯月二十七日の予定となっており、暦の上では夏に入っている。

 蝉の鳴く声はまだ聞こえないが、宗徳と初めて出会った箱根の山は蝉の声が聞こえていたから、間もなく一年になることになる。


 この一年で、彩華は随分と色々な経験をした。

 岡崎からは母郁代と宗長が京に来ているようであるが、遠慮してどうしても京屋敷には来なかったようである。


 今は、岡崎藩京屋敷に厄介になっているようである。

 藩侯直々の命により、藩侯代理として京屋敷留守居役柴田源之丞が出席するほか、その供人(ともびと)として宗長と郁代が指名されての上京である。


 輿入れの二十七日には、嵯峨にできた新たな宗徳の屋敷で二人は待つことになっている。

 二十五日辰の下刻(午前9時頃)、一つの駕籠が加賀藩京屋敷を出て西へ向かった。


 藩士三十名、奥女中八名を伴う小規模の一行ではあるが人目を引いた。

 その駕籠は、岡崎藩京屋敷の前で泊まった。


 岡崎藩では少し前に先触れもあり、急な(おとな)いに慌てたが、すぐに加賀藩の駕籠は門の中へと導かれた。

 駕籠の主は彩華であった。


 母郁代と弟宗長に輿入れ前の挨拶に来たのだった。

 翌日は、準備もあって彩華は他出ができない。


 嫁入り前に会うことができるのはその日だけであったのである。

 奥座敷に通された彩華は上座に案内された。


 ひとしきり型通りの挨拶を交わした後、彩華は座っていた座布団を離れ、畳の上に正座して、母郁代に挨拶を述べた。


「母上様、彩華は明後日宗徳様が元へ嫁いで参ります。

 これまでのご厚情、彩華は深く感謝しております。

 母上様の教えは、加賀のお屋敷でも随分とお役にたちました。

 この場に父上様がおられぬことは残念なれど、母上様が元気なお顔を拝見して彩華は安心いたしました。

 宗長殿が妻女を迎えられたならば、斯波のお家も安泰にございます。

 嫁女が参りましたならば彩華とお思いになって慈しんでくださりませ。

 そうして母上様が幾久しくお元気でありますよう彩華は祈っております。

 母上様、ありがとうござりました。

 彩華は幸せになります。」


 一段と綺麗になった彩華を見て、最初から涙目であった郁代は、この三つ指ついて述べる彩華の別れの挨拶に、ついにおいおいと泣き始めた。


 ◇◇◇◇


 二十七日巳の刻、加賀京屋敷を花嫁御寮が出発した。

 その数、千名に及ぶ行列である。


 藩侯は駕籠に乗り、花嫁は白無垢を着て七色に彩られた御輿(みこし)に座っていた。

 四囲に薄絹の垂れ幕はついているが、周囲からそのお顔は拝見できる。


 行列に気づいた京の人々は、その艶やかさに目を見張った。

 行列はお武家のものであったが、御輿の周囲に(はべ)る女衆はいずれも京風に長い髪を下した巫女姿であったし、前後左右に警護についた騎馬武者も冠を頭に被り背に矢筒を背負った公家武者の出で立ちである。


 白装束に緋色袴の巫女姿の女人の中に、かがりとお咲、それに百合がいた。

 百合は彩華に挑んで敗れた三日後、彩華への面会を正式に申し出たのである。


 奥女中とは異なる下働きの女中は、薄茶色の地味な色のお仕着せであるが、奥御殿へと招き入れられ、取次の間でかがりによる入念な衣装改めをされた。

 腰巻一つにされて股を開かされ秘所まで改められたのである。


 かがりが改める前に予め百合に告げていた。


「姫様にお会いになるのであれば、そなたの身体入念に調べるがよいか。」


「私が貴方の立場ならそうするでしょう。

 ご存分にどうぞ。」


 かがりが検分を終えて言った。


「生きる目標が見つけられなかったのか?」


「いや、見つけた。

 だが、姫様の了承を戴かねばできぬことだ。」


 かがりは、百合の顔を見つめた。

 自分と同じように日焼けした顔ながら、整った顔立ちである。


 かがりが眼の大きなぱっちりとした顔であるのに反して、百合は目が細い分少しきつめの印象を与えるがすこぶる美人と言える。

 そうして百合の顔には微塵も迷いは見られなかった


「そうか・・・。

 なれば、参ろうか。」

 

 そうして彩華の前に平伏した百合は、彩華の付け女中として働きたいと申し出たのである。

 彩華姫は、静かに言った。


「何故私の元で働きたいのかその理由を教えてくれますか。」


「姫は、生きる道が見つけられなければ姫の元へ参れと申された。

 私は三日考えて、とりあえず守るべきものを見つけた。

 それが姫、貴方なのです。

 いずれ私にも好きな男ができて、子をなすかもしれない。

 それまでの間は守り人として姫の側で働きたいと思ったのです。」


「仇と思う私でよいのか?」


「姫、貴方は仇ではない。

 貴方のように優しい方が兄をむざむざと殺したりはしないはず。

 だから一刀の元に切り捨てることもできたのに兄を峰打ちにした。

 兄は気づいた時にその失敗の故に死を選んだが、それはあなたの所為ではない。

 貴方は兄が生き延びられるよう道を残しておいてくれた。

 それを断ったのは兄の意志だ。

 そうして私もまたあなたに命を助けられた。

 しかも女と言う理由で手心を加えられた。

 兄は骨を折られるほど叩かれたが、私は痛みで刀を取り落すだけにした。

 貴方から与えられた命じゃ。

 なれば、貴方の元で守り人となって働きたいと思った。」


「そうですか・・・。

 わかりました。

 では、そなたが子をなすまで私の傍に居りなさい。

 貴方にやや子ができた時は、私の守り人の役目を外します。

 それで良いですね?」

 

 その時百合は初めて笑顔を見せ、大きく頷いた。

 その翌日から、百合は矢絣のお仕着せを着た奥女中になった。


 一旦心を開いた風魔の娘は、能登忍びのかがりと良き友になった。

 江戸から京へ、そうして京屋敷から嵯峨野の松倉邸まで二人は仲良く彩華の守り人として旅をしてきたのである。


 かがりは、婚儀の後で、江戸又は加賀へ戻ることになっているが、百合は咲たちと一緒にお付女中として京へ残ることになっていた。

 滅多には見られない演出に京奴(きょうやっこ)京雀(きょうすずめ)たちは驚き、またその演出を楽しんだ。


 担ぎ手はこの日のために雇われた八瀬(やせ)の屈強の担ぎ手であり、白衣装をまとい、頭に烏帽子を載せた姿である。

 河原町から嵯峨太秦(うずまさ)までの道のりを一行はゆっくりと歩いた。


 加賀藩上屋敷を行列が出てからすぐに噂が飛び交い、沿道は多くの見物人で埋まった。

 時ならぬ見物客に一時京の町の通行ができなくなったほどである。


 行列は三条通りを西へ向かい、掘川沿いで方向を転じて北へ進み、二条城を左手に見ながら通過、堀川丸太町から再度西へ方向を転じ、丸太町通りを嵯峨野方面に進んだ。

 天神川にかかる天神橋の(たもと)に二十名ほどの出迎えが待ち構えていた。


 公家もいれば武士もいるし、町人姿もあった。

 雑多な出迎えであるが、そのいずれもが手に手に(のぼり)を持っていた。


 陰十二菊の御紋が入った紫色の幟である。

 行列が近づくと一行を案内するようにその幟の一行が先導を始めたのである。


 行列中ほどにいる御輿の中からもその幟は見えていた。

 天神橋から十町ほど先にお屋敷はあった。


 実に長い壮大な白壁が田畑の先に続いている。

 少なくとも五町では利かぬほどの長さを有しており、丸太町通りに面する白壁は更に長いようにも思えた。


 そのほぼ中央に朱色の門が建っており、大きな門は大きく開かれていた。

 そうしてそこまでの沿道片側には、多くの老若男女が花駕籠を持って並んでいた。


 一行が近づくとそれぞれが花びらを道路に()いた。

 路面には色とりどりの花びらが散らされ、その中央を一行が歩んで行く。


 やがて先導が御門の中に入って行き、千名に及ぶ一行もまた御門の中に次々と吸い込まれていった。

 屋敷の中は広く、玄関前には十名ほどの薄桃色の衣装をまとった巫女姿の女人が待っており、更にその脇を薄青色の狩衣姿の烏帽子をかぶった男たちが並んでいた。


 一行は、玄関前の広場にて徐々に両脇に寄ることになった。

 間もなく綱紀の駕籠が玄関前につけられた。


 玄関の奥から見計らったように狩衣(かりぎぬ)烏帽子(えぼし)姿の宗徳が現れた。

 綱紀の道中をねぎらい、すぐに別の者が綱紀を奥座敷に案内した。


 そこへ御輿が到着し、御輿が地面に降ろされると、宗徳が近寄り、彩華の手を取って御輿から降ろした。

 そのまま二人は手をつないだまま、奥へと入って行く。


 行列の一行は、女人は薄桃色の巫女姿に、お武家中間などは烏帽子姿の者によって順次座敷の方へと案内されていった。

 午の刻限には千名の者達が、全て屋敷の中へ収容されていた。


 婚儀の宴席は大きな広間に設けられていた。

 但し、木目も綺麗な檜の板張りの床であり、大きな丸い卓が二十ほども置かれている。


 その前面に細長い卓が置かれていた。

 一行が到着して半刻後宴会が始まった。


 宴会の出席者は予め定められた四百名だけである。

 仙洞法皇とその一行、加賀前田綱紀とその一行、彩華の母と弟宗長を含む岡崎藩一行などは上座に近いところに席が設けられ、どの席にも座り心地の良い背もたれのついた椅子が配されていた。


 招待客の多くは京に在住する公家、豪商、各大名屋敷の留守居役などが多いが、京都所司代の板倉家も招かれていた。

 その末席には江戸から付いてきたお咲たちお付女中の席も設けられていた。


 一方で、嫁入りの行列の一行に加わっていた者達の大半は、別間で供応を受けていた。

 間取りの広さに応じて人数が決められてはいるが、概ね二畳に三人が詰め込まれた。


 多くの女中衆が臨時で雇われたらしく、刻限になると大量のお膳が運ばれ始めたのである。

 主宴会場では懐石料理の数々が順次卓の上に並べられていた。


 主賓の花婿と花嫁が姿を見せないうちに、太政大臣である九条道人が宴会の始まりを告げた。

曰く、


「花嫁、花婿は只今衣装替えにて暫しのお時間を要するとのことにおじゃる。

 宗長殿からの言付けにて、どうか宴を始めてくだされとのことにおじゃりまする。

 御酒、御肴を前にして仙洞様、加賀中将様をお待たせするのもよろしからず、お言葉に甘えて祝いの宴を始めましょうぞ。

 先ずは、松倉宗徳殿、前田彩華殿の御婚礼誠におめでとうおじゃる。

 両家の弥栄(いやさか)寿(ことほぎ)ぎを祈念して、いざ乾杯を申し上げる。」


 主不在のまま始まった宴会ではあるが、山海の珍味が次々と出て来ていた。


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