3ー4 鬼百合
彩華の参賀客の応対で一番大変だったのは、大名家に輿入れした義理の姉達である。
岡崎藩五万石の陪臣に当たる僅か二百四十石の武家娘の出自と聞いて最初から下女扱いなのである。
綱紀が言うように、かなり傲慢な性格であるらしい。
種々嫌味を言いながら難問を繰り出すのである。
「加賀の蒔絵はいかにして造られるか知っておるか。」
「前田家初代党首前田利家公の一番の功績は何じゃと思う。」
「七尾の石高はいくらか知っておるか。」
「代々の普請奉行を知っておるか。」
などなど、自分たちでも中々に答えられないような問いを投げかけている。
お側についているかがりと咲がハラハラしながら見ている中で、立て板に水のごとくその全てに彩華が明快に答えると、相手は少々驚いた様子を見せた。
「そなた国表に赴いたことはないであろう。
何故にさほどに詳しいのじゃ。」
「前田家の娘として他家の者に問われてもお答えできるだけの素養を持つのが当然かと存じまして、このお屋敷に参りましてから種々の記録を調べ、お話を伺いました故に知っております。
義姉上様方もきっとそうなされたのではないかと存じまして。」
そのようなことなど一切なした覚えのない年長の義姉達は内心冷や汗を掻いていた。
「左様か、なれば書画、音曲、茶道の手ほどきは受けたのか?」
「はい、書については母上様からこの年末にお墨付きを頂きました。
琴は、只今佐野検校さまにお教えを戴いている最中にて、先日皆伝をいただきました。
茶道は小笠原流を少々、こちらに参りましてからは裏千家の六代目様より二度ほど手ほどきを受けてございます。
そのほか、お義父上様の配慮により、狩野派絵師英一蝶様から絵の手ほどきを、また、池坊畠山周山様から華道の手ほどきを受けている最中にございます。
母のほかは、名だたる名士が師匠であり、自分たちが手ほどきすら受けたことのない人物であったから、義姉達は心底驚いていた。
癪に障ったか、そうしたお稽古事では負かせぬと思ったか、姉の一人、敬が言った。
「武家の子女として身を守ることも大事じゃが、小太刀、薙刀の腕前は如何に。
いざとなれば主不在の折に家を守らねばならぬぞ。」
「はい、一応の心得はございまするが、武道・芸道共に中々奥行きが深うござります。
未だ得心の行くまでには至っておりませぬ。」
「それは行かぬな。
身を挺しても家を守るのが武家の子女の務めじゃ。
不逞の男一人倒せぬようでは、この後前田家の恥にもなるぞよ。」
そう言って嘲笑った。
その時、傍で聞いていて遂に怒り心頭に発したかがりが口を出した。
「お方様に申し上げまする。
彩華姫様は剣の達人にて、この藩邸にても間違いなく五本の指に数えられる使い手にございます。
薙刀、小太刀は姫様に教える者がもはや当家にはおりませぬ。
おそらくは奥伝にも達しておられましょう。
先年、お隣の水戸屋敷にて鹿島神道流目録の藩士二名を切り殺した賊が当屋敷に侵入した折にお一人で賊を討ち伏せられましたは彩華姫様にございます。
お疑いなれば、お方様御自ら立ち合ってご確認なされれば宜しきかと。」
すかさず、彩華が言った。
「これ、かがり、失礼なことを申し上げてはならぬ。
姉上様、私の付け女中が余計な口出しを申しましたこと深くお詫び申し上げます。
これ以上姉上様に不快な思いをさせるわけには参りませぬゆえ、これにて我らはお暇申し上げます。」
彩華はそう言うとお辞儀をしてさっさと引き上げた。
部屋に戻ると彩華はかがりに誤った。
「かがり、ごめんなさい。
ああでも言わないと、姉上様たちに何を言われるかわからないので、ついかがりを悪者にしてしまいました。」
「いえ、姫様が誤ることはございませぬ。
お詫びしなければいけないのは、身分をわきまえず差し出口を挟んだ私の方ですから・・・。
どうにも腹が立ってしまって・・・。
でも姫様は良く我慢ができますねぇ。
小姑根性もあそこまで来ると感心します。
自分では何もできず、何も知らないくせに、気位だけは高くて、姫様の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいと思うくらいです。」
確かにその通りであろうから彩華は苦笑するしかなかった。
◇◇◇◇
松の内も七日を過ぎると彩華が接待をしなければならないような大身の訪問は途絶える。
その代わりに出入りの商人たちの御挨拶が増えて来るのだが、こちらの方は原則として側用人以下の家臣が応対することになっている。
その七日夕刻、奥向きで内々の祝いがあり、綱紀、吉行、本妻、側室が上座に座り、高禄の家臣も招かれての恒例の宴席が設けられた。
その席で彩華、美枝、かがりの三名による御琴の演奏が披露された。
三名の合奏であるが、驚くほど見事な演奏であった。
琴の合奏は、概ね同じ音を演奏するのが通例であるが、三人はそれぞれに違う音を出して和音を奏で見事な演奏を行って見せたのである。
新春にふさわしい音色と初めて聞く曲想が見事に演じられた時、誰しもが驚いたものである。
宴席に参賀した者は、やんややんやの喝采を浴びせたものであった。
その夜、寝静まった奥御殿の庭先に黒装束の者が一人、侵入した。
静かに狙いの寝所に近づくが、その障子戸が静かに開けられた。
黒装束はぎくりとして動きを止めた。
「そなた確か百合と申したか?」
白い寝間着のまま左手に大刀を下げた彩華が立っていた。
黒装束の者は言い当てられて驚いていた。
「何用あってその姿で参った。」
「兄の仇、お命頂戴。」
低く発した声は若い女のものであった。
隣の障子が開いて、小太刀を持ったかがりが飛び出して来た。
「かがり、手出し無用に願います。」
「姫様、なれど・・。」
「手出し無用。
その場を動くでない。」
黒装束の者は、背にした刀を抜き放った。
「霜月晦日、隣の水戸藩邸から侵入した曲者がそなたの兄か?」
「左様じゃ。」
「そなたの兄は、何も言わずに舌を噛み切って死んだ。
どこの誰ともわからず無縁仏として葬られたやに聞いておる。
せめて名なりと教えてはくれぬか?」
「七代目風魔小太郎、・・。
私は、その妹百合、兄は鬼百合と言いつつも私を可愛がってくれた。
兄の無念を晴らさんがため、かく参上した。」
「兄様の無念とは?」
「女風情に不覚を取っては死んでも死にきれぬであろう。
風魔の意地にかけてお前を切る。」
「風魔は一族一門を大事にすると聞いた。
そなたの仲間は如何した。」
「風魔の血筋は絶えた。
今残っているは、私一人。」
「兄様は子を遺さなかったのか?」
「死に行く者が知る必要はあるまい。
知りたければあの世で兄に聞け。」
そう言うなり、黒装束は隠し持っていた棒手裏剣を放った。
彩華はその飛来を見切って鞘付の大刀で弾いた。
黒装束はその瞬間を狙って跳躍した。
庭先から縁側の高い部分へ向かって四間近くも跳んだのである。
驚くべき跳躍力と速さであった。
だがその合間に、彩華は剣を抜いていた。
抜き放って手を放した鞘が床に落ちるまでの間に、刃が交錯した。
風魔のくの一百合の袈裟切りは僅かにその剣筋を躱されキンと乾いた音を立てて空を切った。
着地と同時に更なる攻撃のために跳躍をしようとした途端、肩に衝撃を受け、刀を取り落すと同時に息が詰まってその場に蹲った。
最早これまでと覚悟したが、次の斬撃は来なかった。
見上げると彩華は、正眼に構えたままである。
但し、太刀はあくまで百合の顔に向けられている。
百合が低く言った。
「斬れ、仇から情けを受けとうはない。」
「百合、そなた女子であろう。
女子の務めは次代に生をつなぐことぞ。
風魔の一族が途絶えたのであれば、残るはそなたのみじゃ。
そなたは生きねばならぬ。
生きて子を産め。
それがおそらくはそなたを愛おしんだ兄小太郎殿の意に適うことじゃと私は思う。」
「生き恥を晒してまで生きとうはない。」
「生き恥など何ほどのことがあろうか。
戦国の世に風魔が強さを誇ったのは、そのような矜持であったからではないであろう。
一族を守らんとして、男たちは身を危険に晒して戦った。
生き恥がどうのではなく、生きている親族を守るために死んだはずじゃ。
守るべきものがある者は強い。
だから母は強いのです。
そなたは、今は守るべきものもいないかもしれぬ。
だが己が身に子を宿したならば、生き恥など構わず子を守ろうとするはず。
ならば、生きて子をなしなさい。
そうすれば、そなたは生きられる。
それが風魔の血を受け継ぐそなたの義務だ。」
「お前などに私の気持ちはわからぬ。」
「確かにわからぬやもしれぬ。
私も実の父を殺され、仇を追った日がある。
運よく仇を討つことはできたが、終わってみれば空しいことだった。
父が生きていてくれたならば、人を殺さずに済んだやも知れぬと幾度も後悔した。
だが、残された者は、いかに空しゅうても生きて行かねばならぬ。
それが志半ばで倒れた父への供養になると私は思っている。」
暫く無言が続いた。
「百合、生きよ。
生きる自信が無くば、今一度私の元へ参れ。
そなたが人並みに生きられるように道を示してやろう。」
彩華は、そう言って剣を引いた。
自ら鞘を拾って、剣を収めたのである。
百合が顔を伏せて静かに泣いていた。
やがて、百合が立ち上がると何も言わずに静かに闇の中に走り去った。
後には棒手裏剣が一本と百合が置き去りにした抜身の刀が残っていた。
「かがり、済まぬが、刀と手裏剣を人目につかぬよう始末してくれぬか。
それと、風魔は毒物を扱うのにも長けていると書に記されていた。
そなたゆえ間違いはないと思うがくれぐれも注意してほしい。」
「姫様、・・・。
お人よしだね。
あの鬼百合、また来るかもしれないよ。」
「そうかもしれない。
特に生きる算段ができなければまた現れるでしょうね。
このことはかがりの胸だけに仕舞っておいてほしい。
そなたの兄様にも内緒にね。」
かがりは苦笑しながら頷いた。




