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仇討ちの娘  作者: サクラ近衛将監
第三章 風魔

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3ー1 侵入者

 三日目早朝いつものように朝餉(あさげ)前の鍛錬を始めたところ、何者かの気配を察知した。

 咲はいつものように縁側に座している。


 気配は、庭先の盛り土の先にある木立からのようであった。

 殺気ではないが、まとわりつくような監視の目であった。


 最初の正眼の構えの途中であり、そのままじっと待ったが気配は一向に消えない。

 相手が自ら動けばおそらくは、その位置もわかるだろうと思うが、夜明け前の暗い中では判別も難しいだろう。


 そのまま注意を払いながら稽古(けいこ)を続けた。

 いつもと異なったのは斬撃である。


 普段ならば縁側に沿って行う斬撃を、その日は気配のする方向に向かって為した。

 縁側には背を向けている。


 見えない敵に向けて気を発しながらの斬撃であった。

す ると最初の一振りで前方の気配が動いた。


 無論のこと姿は見えないが、誰かが見ていたことには違いない。

 すっと気配が消えたのである。


 或いは屋敷に忍び込んだものかもしれないが、深夜ならばともかく間もなく夜明け間近に忍び込む者もいないはずであった。

 面妖(めんよう)なとは思いながらも、彩華は日課の稽古を続けたのである。


 稽古が終わった時ふと思い出した。

 今日は宗徳様が、京へ戻る日の筈であった。


 別れの挨拶はしないと言っておられた。

 必ず会えると信じているから別れは言わないのだそうである。


 ◇◇◇◇


 その夜、加賀藩邸に異変が起きた。

 土塀越しに隣接する水戸徳川の中屋敷で騒ぎが持ち上がったのである。


 「曲者じゃぁ出会えぃ出会えぃ」という叫びが加賀藩邸にも聞こえたのである。

 加賀藩邸のあちらこちらに灯りがともり、従者や藩士が広い邸内を駆けずり回った。


 万が一にも藩侯に支障があってはならじと、厳重な警護体制が敷かれたのである。

 だが十万坪近くもある敷地は広い。


 賊一人が逃げ込んでも暗がりはいくらでもあるのである。

 騒ぎは、主殿の近くにある彩華の寝室にも届いていた。


 奥女中の二人が念のため鉢巻き(たすき)がけで薙刀(なぎなた)を持って部屋の外に配置された。

 室内には、彩華のほかに咲とお葉が入り、懐剣を握りしめている。


 小半時も過ぎようとする頃、彩華は異様な気配を感じ取っていた。

 すっと立ち上がり、床の間の刀掛けに置いてある備前長船を左手に持った。


 そのまま庭に面する障子戸に手を掛け静かに開くと、そこには襷がけ鉢巻き姿で脇に薙刀を構え、片膝ついて警戒に当たっているお菊とお沙英の姿があった。

 驚いた顔でお沙英が言った。


「姫様、危のうございます。

 今は、お部屋の中でお待ちくださりませ。」


「ええ、でもそうもしていられないようですね。

 招かざる客が来ています。」


「え、・・ど、どこに。」


 慌てて二人は周囲を見渡すが、庭先は闇に覆われていて見えるはずもない。

 だが彩華は、闇の一方向を見つめて左程大きくはない声で言った。


「そこなお人、出て参られよ。

 さもなくば、人を呼びます。」


 闇の中からは何の動きも無かった。

 彩華は視線をずらさずに更に言った。


「お葉、人を呼びなされ。

 曲者がこの庭先に潜んでいると叫ぶのじゃ。」


 彩華が静かに言った。

 だが、指示を受けたお葉は口を開けたものの声が出なかった。


 怖気(おじけ)づいてしまうと声が出ないことがある。

 その様子を察した咲が、緊張のあまり蒼白になりながらも、気丈(きじょう)に叫んだ。


「お出会い召されぇ。

 姫様の寝所前の庭先に曲者(くせもの)が潜んでおりまするぅ。」


 澄んだ良く通る声であった。

 (たちま)ち藩士達がバタバタと廊下を掛けて来る音が聞こえ始めた。


 だが、藩士達が渡り廊下を渡って、彩華の寝所へ駆け付けるまでには大分間があった。

 その時、庭先から黒い影が飛び出して縁側付近にまで到達した。


 黒装束で目だけを(のぞ)かせている。

 沙英と菊が慌てて両手で薙刀を構えようとしたが、男の動きに比べると余りに遅すぎた。


 合間を縫うように曲者は、一直線に彩華に向かっていた。

 不思議なことに殺気は感じ取れない。


 彩華は、瞬時に(さと)った。

 姫と呼ばれる自分を人質にして逃げようとしているのではないかと。


 彩華に選択の余地はなかった。

 剣に手を掛け瞬時に抜き放ち(さや)を足元に捨てた。


 彩華が正眼の構えを取ると、曲者の足がやや乱れた。

 鞘が床に落ち、乾いた音を立てた。


 曲者は、飛び込みざまに腰の刀を抜くや横なぎに払ってきた。

 彩華は、冷静に間合いを見ていた。


 剣先は、彩華の身体には届かない。

 剣同志が触れ合うのを最小の動きでさっと(かわ)すと、曲者の横なぎの刀は空を切った。


 勢い余って、その分、曲者の身体が流れたのである。

 すかさず彩華は曲者の肩口に斬りつけた。


 但し、瞬時に持ちかえた峰打ち(みねうち)である。

 ボクっと骨の折れる鈍い音が聞こえ、曲者は驚愕(きょうがく)の表情を眼に浮かべてその場に沈みこんだ。


 その時数名の藩士がようやく寝所に駆け付けた。


「御怪我はございませなんだか?」


 廊下の端に倒れ伏した曲者に刃を向けながら、息せき切って若い藩士が(たず)ねた。


「ご苦労様にございます。

 誰も怪我はありませぬ。

 但し、曲者は少々打ち据え(うちすえ)ましたゆえ、怪我を負っているやもしれませぬ。

 曲者を逃さぬようにお願いします。」


「はっ、(かしこ)まって候。」


 咲が縁側の廊下に落ちていた鞘を拾って手渡してくれた。

 剣を鞘に納めると彩華は室内に戻った。


 背後では、大勢の藩士が集まって曲者を縛り上げ、覆面を()いでいた。

 男は完全に気を失っており、そのまま数人掛かりで別の場所へと運ばれていった。


 その後も、別の賊がいるのではないかと厳重な探索と警戒が続けられたが、新たな賊は現れなかった。

 彩華はその騒ぎの中で静かに寝入っていた。


 彩華の(かたわ)らには咲とお葉が寝ずの番をしており、縁側に面する廊下には奥女中が二人交代で見張りについていた。

 庭先には篝火(かがりび)()かれ、藩士数名が同じく交代で見張りについていたのである。


 翌未明に、いつもの日課をこなそうと庭先に出ると未だに篝火が焚かれており、藩士二名が立っていた。

 彩華は目線で挨拶し、庭先に立った。


 藩士二名が驚きの目で見ているのがわかった。

 昨日と同様に監視の目があるように感じられた。


 やはり盛り土の陰辺りである。

 但し、昨夜の曲者のように異様な気配ではないことがわかっていた。


 咲がいつものように縁側に座していた。

 彩華が起きた時には、座ったままで眠っていたのであるが、どうやら彩華が起きた気配で起こしてしまったようである。


 いつものように稽古をこなし、朝日が昇る前には終えていた。

 その様子を若い藩士二人が羨望(せんぼう)眼差し(まなざし)で見つめていた。


 朝餉の後、綱紀様がわざわざお顔を出された。

 すぐに上座を譲り、下座に平伏した。


 彩華の頭で(かんざし)の飾りがわずかに揺れている。


「彩華、面を上げよ。

 儂とそちの間では斯様(かよう)な堅苦しい挨拶は要らぬ。」

 

 綱紀はにこやかな笑顔でそう言った。


「ところで、そなた、昨夜は大層な働きをいたしたそうな。

 彩華一人で賊を捕えたと聞いたが、危なくはなかったのか?

 その時の様子を教えてはくれぬか?」


「危ないことは特には、・・・。

 ただ、何者かが暗い庭先に潜んでいることに気づきましたので、顔を出しなさいと申したのですが、相手は答えず、止むを得ず、お付の者に曲者じゃとお知らせする様大声を上げさせたのでございます。

 すると曲者は危険を感じたのでしょう。

 一気に私の元へ走り寄って参りました。

 ただ、不思議にも殺気は感じ取れませんでした。

 縁側には薙刀を持った二人の女衆が居たのにもかかわらず、私に向かっているのは人質にするためと考え、瞬時に手に持った刀を抜いて構えたのです。

 すると曲者は走り寄っていた足を(わず)かに乱れさせつつも、腰の刀を抜きざまに横殴りに斬りつけて参りました。

 曲者の刀が私の身に届くには少し遠い間合いで、私の刀を弾き飛ばすためと思い、わずかに刀をそらし、相手の刀が空を切った瞬間に肩口に峰打ちを打ち込みました。

 曲者はすぐに白目を剥いて縁側に倒れ込みました。

 その直後に藩士が駆けつけまてくれましたので、後をお任せして私は寝ました。

 その後の事は知りませぬ。

 ただ、朝の稽古の折には二人の藩士が警護についておられましたので、寝ずの番をしてくれていたものと知りました次第にございます。」


「何と、・・・。

 そなた、ようもそれほど冷静に覚えておることよ。

 あの賊は、隣の水戸藩邸において二人の藩士を斬り捨てておると聞いた。

 斬られた者は、何れも鹿島神道流の使い手であったらしいが、不意を突かれたか一刀の元に切り捨てられておったようだ。

 その姿を別の者に見られた賊は、手近の(へい)を乗り越えて我が藩邸に潜り込んだようだ。

 おそらくは警戒が緩んだころを見計らって、逃亡するつもりだったに違いない。

 それを彩華に気づかれ焦ったのやもしれぬな。

 彩華が峰打ちで倒した男は鎖骨を見事にへし折られていたわ。

 だが、覚醒して縄目を掛けられていることに気づくや否や、舌を噛み切って死におった。

 彼奴(きゃつ)が何者なのか、また何の目的で水戸藩邸に入ったのかは闇の中じゃ。

 但し、黒装束と言い、持っていた特殊な武具と言い、忍びの者ではないかと思われるのじゃ。

 しかも二人の水戸藩士を殺害したこと、水戸藩邸からの脱出の手際の良さから見て、相当な腕利きではないかと思われる節がある。

 何処の忍びかはわからぬがな。

 藩邸内を警戒する藩士に気づかれずに首尾よくこの主殿近くまで入り込んだが、そこまでがあ奴の運の切れ目じゃったな。

 そなたと言う思わぬ伏兵に見つけられては、忍びも形無しじゃろうて。

 しかし、遺憾(いかん)ながら我が藩の警戒態勢に抜かりがあったのも事実じゃ。

 蔵人には、今一度警戒態勢の見直しをするよう申しつけておる。」


「父上様、一つお聞きしても宜しゅうございましょうか。」


「ふむ、改まってなんじゃ。」


「朝餉の前の稽古に際して監視の目があるようです。

 もしや父上様が誰ぞにお命じになられましたか?」


 綱紀の顔が真顔になって、まじまじと彩華を見つめた。


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