2ー13 加賀藩邸への訪い
神無月二十七日辰の上刻には、白木屋の前に二十台の真新しい大八車に白布を敷き、その上に長持ち二つが並べられ、その上には陰十二菊紋を白抜きした真紅の布が覆っていた。
中間も真新しい赤白の半纏を身に纏い、いかにも晴れの行事を演ずるにふさわしい演出である。
更に駕籠が一つ、正徳の時代まだ町駕籠は普及していなかったが、白木屋が懇意にしている大名家から借り受けた女駕籠であった。
大名家で使う駕籠を普通の町民が使ってはならないが、女駕籠は代参などが認められる者であれば使っても良いとされており、ある意味で大名家が許しを与えれば誰でも使えるものであった。
駕籠には打掛を羽織った彩華が乗り、その脇にお咲がついた。
先導は吉野三郎左衛門が務め、駕籠かき中間が続き、その後に裃袴姿の宗徳が中間姿の八太と三次を伴っている。
駕籠が出発するとその一行の後を追うように中間姿の荷駄隊が動き出した。
白木屋では四人の手代が数台置きに配置され、何か支障があった場合に動くことになっている。
本郷にある真光寺までは半時余り、辰の下刻には一行は真光寺境内に入っていた。
宗徳と彩華は、水野忠之が来るまでの時間に、住職である浄信和尚と世間話をしていた。
巳の上刻には少し間があるという時間になって、水野忠之の一行が真光寺前に到着した。
水野忠之の一行の後に吉野が先導する一行がついた。
加賀藩前田邸の正門は慶事のために開門されていた。
この正門が開くのは滅多にないことであり、門前を通り過ぎて行く者は驚いていた。
水野家用人が訪問の理由と主の名を門番に告げて、儀式は始まった。
加賀前田家の家紋をつけた半纏を纏った中間二十人ほどが、御門わきの通用門から一斉に出てきて、門前の右脇に蹲踞したのである。
御門の中には加賀家藩士が玄関までの通路脇に片膝つき頭を垂れて待っていた。
その中を水野家の駕籠と供の者が進んだ。
続いて吉野が門番に主とその許嫁松倉宗徳の到来を告げる。
すっと、裃をつけた用人が進み出て、言った。
「お駕籠のままで玄関前までお通り願いたい。」
こうして駕籠に乗ったまま彩華は前田藩邸に迎え入れられた。
後に続く大八車は、御門を潜ることは許されず、門前にて長持ちが中間たちの手によって次々と運び入れられた。
前に前田家中間、後を紅白半纏を纏った日雇い中間が担いで御門内に入る。
全ては、前日に白木屋を訪れた加賀前田家お側用人中西蔵人の指示によるものである。
御門の外には白木屋の手代数名が邪魔にならぬように土塀寄りに大八車を並べて待っていた。
荷を運び終えると手代と日雇い中間たちは戻って行く手はずになっている。
玄関脇では既に駕籠を降りた水野忠之が待っていた。
玄関脇で降ろされた駕籠から降りた彩華は、その周囲に矢絣の衣装を着た奥女中が膝をついて頭を垂れているのを見た。
少なく見積もっても三十人はいよう。
幾分場違いなところにいるのではないかと動揺したが、すっと宗徳が傍によって行った。
「さて、新たなお父上にご挨拶じゃ。
参ろうか。」
その一言で動揺が収まった。
「はい。」
式台からはお側用人が水野を、そうして宗徳と彩華を先導した。
お付の者達は玄関にほど近い部屋で待たされることになる。
奥座敷に通された水野忠之ら三人は左程待たされることも無く、加賀藩侯前田綱紀公に会うことができた。
挨拶のあと、すぐに水野は結納の辞を述べようとした。
だが、それを遮って前田公が言った。
「結納の儀は、養女彩華がこちら側に居らねば恰好がつかぬ。
彩華、我が傍に参れ。」
彩華は宗徳に目を向け、目線で頷いて「 失礼をいたします。」と言って、立ち上がった。
そうして、藩侯の前で改めて平伏して言った。
「ふつつかな娘にござりまするが、幾久しく宜しくお願い申し上げます。」
前田綱紀は、笑みを浮かべて言った。
「ふむ、美しき娘じゃし、よう気も利いておる。
宗徳殿も良き目をしておるな。
さ、一時だけでも儂の隣に座れ。」
彩華は再度お辞儀をして、前田公の左脇少し後ろに座した。
「さて、形は整った。
水野殿、結納の言上お願い申す。」
水野忠之は、懐から結納の目録を出して読み上げ、型通りの結納の言上を告げて、前田公が目録を受け取って「 幾久しゅうお受け申す。」との言葉で儀礼は締めくくられた。
つと、前田公が立ち上がり、足早に宗徳の前に来て座ると言った。
「さて、結納の儀、この屋の主として受けざるを得ない故に上座に座ったが、これより以降は宗徳殿が上座に座っていただかねば儂の尻が落ち着かのうて困る。
恐れ入るがこの爺と席を替わってはくれぬか。」
「いや、しかし、それでは素浪人の身分の私が困ります。」
「何の、何の、座興と思ってくだされ。
雛の節句ではござらぬが、内裏雛は男女一対、上座に在ってこそ映えるものじゃ。
宗徳殿と我が娘となった彩華は好一対の内裏雛じゃ。
我が屋敷にて少しの間飾りとなってくだされや。」
「何と、内裏雛にござりますか。
彩華殿はともかく某ではちと役不足ではないかと思われまするが、・・・。
中将殿の仰せとあれば止むを得ませぬ。
では席をお譲り申し上げます。」
宗徳はそう言うと目礼をしてから立ち上がり、上座に座った。
「なるほど、確かに前田様の仰せのとおり、好一対の内裏雛にございますなぁ。
これで御所風の衣装に替えれば正しく内裏雛になりましょう。」
水野忠之が感嘆したように言った。
水野も彩華が打掛を着た姿は今日が初めてであった。
前田公もにこやかに笑っていた。
「さて、宗徳殿、結納の儀はこれにて終わり、後は婚儀を待つだけじゃが、宗徳殿がお住まいは京にござりましたな。」
「はい、只今は京都伏見にある母の屋敷で暮らしておりますが、目下嵯峨野に我が屋敷を普請中にございます。
この霜月には母屋が、明くる年卯月には庭を含めた屋敷全てが完成する予定にございます。」
「なるほど、では嵯峨野がお二人の住処となるか。
ふむ、で、婚儀の件なれば、儂も少々お頼みがござりまする。
儂は加賀藩主となって以来、既に六十年有余、参勤交代は数々あったなれど、あいにくと京都に参ったことはござらぬ。
宗徳殿、年寄りの我がままじゃぁ。
どうか婚儀の席へ嫁の父として儂を招いてはくれぬかのぉ。
それも、祝言を参勤交代の折にしてほしいのじゃ。
我が娘の祝言に参加するために、京まで足を延ばすと言えば、幕閣もそう文句は言うまい。」
「なんと、中将殿が京まで参られますか?」
「おお、そうじゃ、彩華の嫁入り行列を引き連れて京へ参りたい。
のぉ、水野殿、それぐらいなれば参勤の経路も曲げることができるのではないか?」
「はて、明日にも奥祐筆に調べさせて前例を調べさせてみましょう。
此度と同じ理由ではなくとも、参勤経路を相応の理由で変えることはお認めになられるかと。」
「うむ、水野殿にもよろしく頼む。
何とかこの老人の今生の頼みを叶えてくれ。
京に加賀藩の藩邸はあれども儂は一度も京の都を見たことが無い。
彩華には悪いが、婚儀は遅らせてはくれぬか。」
「さよう、前田様の参勤は卯月から皐月にかけてでございましたな。
なれば、参勤の場合一日十里、百二十四里先の京まではおよそ十二日か十三日にございますが、大井川など天候模様によっては遅れる場合も、されば二十日ほどの余裕をもって出発成されればよろしいかと存じますが、京の都で二千を超えるご家来衆をお泊めできるところがあるかどうか。」
「それは心配ない。
いざとなれば京にたくさんある寺の宿坊に頼み込む。
それに宗徳殿が過分なまでの帯料を出してくれたでな。
儂も家臣に無理が申せる。
参勤では5千両を下らぬ金が使われる。
道中奉行が様々節約したところで、この費えはどうにもならんわ。
格式に応じた備えを講じて参勤すればどうしても費えはかかる。
それ故、儂も家臣に金の掛かる話はできなんだが、此度は違う。
黄金二百貫は四万両を超えるはずじゃ。
無論、彩華の嫁支度は加賀前田家に恥じぬものを十分に用意するが、いくら金を掛けたところで万両の金は使いきれぬ。
それ故、祝言の日取りは卯月下旬若しくは皐月にしては貰えぬか。
このとおり、頼み参らせる。」
百万石の大名が下座から宗徳に頭を下げた。
「前田様、某に頭を下げるなどお止め下され。
そのようなことをせずとも、某、そのつもりで参りました。」
「なんと、儂の根底見えていたか?」
「いいえ、そうではございません。
仮にも彩華の父となっていただくお方故、何とか前田殿が祝言に御出席を賜るようにできぬかと算段しましてございます。
少なくともお触れを見る限りは、経路について特段の定めはございませぬ故、加賀藩でも東海道、中仙道を使う経路が過去に認められておりまする。
残念ながら、琵琶湖より南へ経路を取った事例はございませぬが、老中水野殿が仰せられるように、何らかの理由で必要とあれば幕府もお認めになると思われます。
参勤交代は、事前に経路を幕府にお届けになる由にございます故、その点で過ちが無ければ幕府に否やを申す理由がございません。
尤も、藩侯が余りに長い領内不在が講ずれば叱責の対象にはなりましょうし、朝廷との関わりが余りに多くなればお咎めの対象にはなるやもしれません。」
「ほう、さすがに宗徳殿、幕府と朝廷の確執も御承知か。」
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By サクラ近衛将監




