2-5 京にて
「お父上にもご心配をおかけ申します。
なれど、我が嫁になる女子にございます。
人手を借りずとも、我が手で収めて見せましょうぞ。」
「ほう、さすがに貧乏たれの公家とは一味違うか・・・。
で、いかほど用意できるのじゃ?」
「小判なれば三千両ほど、小粒金なれば今少し。」
「これは驚いた。
我が子は希代の商人かな。
この御所のどこを探してもそのような金子は出てこぬぞ。
まぁ、そなたの思うようにしなされ。
養女先で彩華に負担を掛けさせぬだけのものを用意してやればよい。
斯波家では逆立ちしても無理であろうからな。
彩華よ。
宗徳が用意する金に気後れするでないぞ。
そなたの値だと思うて水野でも前田でも大きな顔をしていなされ。
陳に金があれば、そなたには万両払っても惜しくはないと思うでな。
が、千代に比ぶれば少し見劣りするぞ。
ま、それは、惚れた弱みでな。
勘弁しなされ。」
そう言うと法皇は快活に笑った。
仙洞御所での会見も無事に済み、彩華と宗徳は仙水寮に落ち着いた。
宗徳の話では、京の西部域にあたる花園と太秦の境界近くに五千坪の敷地を用意してあり、そこに新居を構える予定だという。
伏見までは三里ほどあるが、左程遠いわけではない。
新居ができるのは早くて翌年春頃になるだろうという。
その資金は宗徳が用意したようであり、彩華の旦那様になる男は随分と金持ちの様である。
その夜、仙水寮に盗人が入った。
丑三つ時に間もなくであろうという刻限に、仙水寮の周囲を巡る土塀に黒い人影が立った。
庭先に降り立った人影は侵入に際して全く物音を立てていない。
庭から奥座敷の縁側の辺りで一旦片膝をついて様子を伺い。
人気のないことを確認したうえで、縁側から障子を開けてするりと中に入った。
闇に眼を慣らすように、そのまま入り口で静止した。
やがて、床の間にある置物に目を付けたようである。
曇りのなかでの朧月の明りは乏しいものであるが、夜目に慣れた男にとっては、床の間に置かれた香炉の値踏みができた。
足音を立てずにそのまま、香炉に手を掛けた途端、首筋に冷たいものが触れた。
「動くでない。
動けば斬る。」
静かな声であった。
男は中腰のまま動きを止めざるを得なかった。
男の首筋に当てられたのは刀であることは察知していた。
目の前にその刃先が上を向いているのがわかる。
自分の気配を殺してここまで侵入してきた男であるが、同時に自分の背後に近づいた人の気配に全く気付かなかった。
そのことは、今自分が抵抗しても無駄であるということである。
男は諦めた。
「旦那、どなたか知りやせんが、ここに腰を降ろしてようございましょうかね。
見つかっちまった以上は、じたばた致しやせん。
まさか今夜が年貢の納め時とは思っていやせんでしたが、いずれはこんな日が来るだろうとは思っていやした。」
「よかろう。」
背後の男は静かな声で応じ、刀をすっと引いた。
男は胡坐をかいて背後の男に向き直り、盗人被りの布を取った。
目の前にいる男は武家の様であった。
寝間着代わりの浴衣に大刀を下げており、先ほど触れた抜身の刀は既に鞘の中に納まっている。
「ほう、お若いのに・・・。
大した腕前のご様子。
あっしは通り名を陽炎の三次と申しやす。
盗みに入った先で家人に知られたのはこれが初めてでござんす。
どうぞお縄にするなり、バッサリと殺るなり、お好きなようにしてくだせえ。」
「ほう、随分と覚悟ができているようだな。
何故に、この屋敷を狙った。」
「何故って・・・。
そりゃぁ。
金目の物がありそうな家に見えましたので。」
「ふむ、まぁ、多少は無いことも無いが、左程高価な物は無いぞ。」
「へっ?
そんなことはござんせんよ。
そこにある香炉と掛軸だけでも何十両って品物ですぜ。」
「なるほど、そなたも目が肥えているようじゃな。
そなたこの後も盗みを続ける所存か?」
「いえ、ここで掴まったが百年目。
三尺高いところに首を晒すのも仕方がねぇと思っておりやす。
盗人なんぞできるわけもござんせん。」
「左様か。
ならば、遠慮なくそなたの命貰い受けよう。」
そういうなり、男はいきなり抜き打ちを放った。
凄まじい速さで目の前を刀が振り下ろされていたが、来ると思っていた痛みは感じなかった。
三次は思わず顔を見上げて声を出した。
「えっ?」
「そなたの命は只今消えた。
新たな命を授かったと思え。
盗人は止めよ。
仮にまた始めたならばその時は斬る。
去るがよい。」
「旦那ぁ・・・。」
暫し、若い武家を見つめて三次が言った。
「ようがす。
旦那に出会ったのも何かの縁でござんしょう。
きっぱりと足を洗います。
失礼をいたしやす。」
三次はすっと立ち上がると音も無く縁側に降り立った。
そこで一度深々と若い武家にお辞儀をすると身をひるがえして闇に消えて行った。
◇◇◇◇
翌朝、朝餉を終えて、彩華と宗徳は母千代のお手前で茶を喫していた。
「それで、お江戸に戻らねばならぬと聞いているが、いつこちらを立ちますのじゃ?」
千代がゆったりと微笑みながら尋ねた。
「はい、明日早立ちで大阪へ参ろうかと。」
「大阪へ?
ならば、海路で参られるか?」
「はい、ここ三日ほどは大丈夫でしょうが、それからは長雨になりそうでございます故、陸路では難渋するかと・・・。」
「そうじゃなぁ。
確かに洪水になるほどではないにしても七日ほどは続くやもしれぬ。」
傍で聞いている彩華にとっては随分と不思議な会話である。
どうみても雨にはなりそうもない天気であるのに、四日も先の天気を予想して、親子で相槌を打っているのだから首を傾げたくなる。
「もしや、そなたが浪速屋に頼んでいたという船ができたのかえ?」
「はい、先月には出来上がっているはず。
おそらくは、大阪の港で待っているはずでございましょう。」
「そうか。
では、海路の方が良いかもしれぬな。
女連れの旅じゃし、此度は土産も多いのであろう?。」
「はい、少々重いかもしれませぬ。
陸路なれば馬で運ぶしかございませぬが、船ならば載せてしまえば手間はかかりませぬ。」
千代は静かに頷いた。
「彩華殿は、船旅は初めてでしょうか?」
「はい、桑名から熱田まで船に乗りましたが、船旅というには随分と近い距離にございました。
大阪から江戸までの船旅となれば五百石船かあるいは千石船にございましょうか。
そのような大きな船には乗ったことはございませぬ。」
千代が微笑みながら言った。
「宗徳が特別に造らせた船でのぉ、長さが十五間ほどの船じゃから、千石船の長さはあろうが、幅がない。
二間半ほどじゃそうな。
大きさから言えば五百石も無いのではないかな。」
「母上の申されるとおりにございます。
無理をして詰め込めば三百石ほども詰めましょうが、元々荷を運ぶ船で造ったわけではございません。
それほど積めば人が乗る場所も無くなります。」
「水夫はいるのかえ?」
「はい、船頭を含めて三人ほど用意しております。」
「彩華殿と伴の者を入れると五人になる。
寝起きする場所は大丈夫かえ?」
「はい、船自体は十五名から二十名ほども収容できるように作ってあります。
尤も二十名も乗るとなると雑魚寝状態になるやも知れませぬ。」
「そなたの嫁女になる彩華殿に雑魚寝などはさせてはなりませぬぞ。」
苦笑いしながら宗徳が答えた。
「はい、左様なことは致しませぬ故、ご安心をくださりませ。」
「そうか。なればよいが・・・。
後は船酔いが心配かなぁ。」
「はい、こればかりは、乗ってみなくてはわかりませぬ。」
そう言って親子二人は彩華を見つめた。
どうやら二人は彩華の身を案じてくれているようである。
「あの、・・・。
紀州の沖は大層な難所で海も荒れると聞いておりますが、そうなのでしょうか。」
「難所ではあるよ。
でも心配はいらない。
少し気分が悪くなる程度で収まるはずだ。
私を信じて欲しい。」
「はい、宗徳様の行く所なれば、どこへなりともお供いたします。」
そんな話をしていると、奥座敷に用人として伴った吉野がやってきた。
「松倉様、町人のなりをした男が松倉様に面会を申し出ておりますが如何いたしましょうや。
若いお武家にお会いしたいと門番に申したそうで、私が出てみると私ではなくもう少し上背の有るお武家だというのです。
今のところ、この屋敷にいる武士は私と松倉様のみ。
或いは松倉様存じよりの者かと存じます。」
「男の名は聞いたかな?」
「はい、本人は三次と名乗っております。」
「三次?
ふむ、あるいは存じよりの者かも知れぬ。
私が出向いてみよう。
どこに居るのかな?」
「恐れ入りまする。
玄関先で待たしております。」
玄関先に出向くと、町人姿の若い男が一人待っていた。
「そなたは・・・。
確か、陽炎の三次であったかな?」
「左様でございます。
先だっては、御無礼をいたしました。
お武家様に御厄介になったついでに、もう一つお願いがありまして、訪ねて参った次第にございます。」
「ほう、願いとは?」
「へい、お武家様もご承知の通り、あっしは当面の仕事がなくなりました。
で、誠に図々しいお願いとは百も承知で、どうかあっしを奴でも中間でも構いませんのでどうか旦那の下で雇っては頂けないでしょうか。」
「なるほど、・・・。
そなたのこれまでの生業から離れたか・・・。
じゃが、これまでの蓄えがあるのではないのか?」
「無くはござんせんが、それに手を付ければ元の木阿弥です。
できれば手を付けずに、困っている人たちに分けてあげたいと思っております。
それには、旦那の元で働けると言う確証があってからの方がやりやすいものでして。」




