2ー2 角次との因縁
「旦那、お待たせしやした。
三軒とも高々百二十文から百五十文の額でしてね。
大した額じゃねぇんですが、・・・。
ああいうのを放置しておくと真似する者が出て来るものですから・・。
それにしても旦那がいてくれて助かりやした。
あっしは、てっきりバッサリやられたと思ったのに、抜く手も見せずとはああいうのを言うんでしょうね。
あっしの顔の前を凄い勢いで何かが下から上へ動いたのは風が顔にあたりやしたんで判りやしたが、まったく見えませんでしたぜ。
おまけに旦那が刀を抜いたこともわからねぇ。
カキンと音がした途端、旦那の鞘に刀が収まったチンという音だけが聞こえましたっけ。
あれが居合なんですかい?」
「まぁ、そのようなものだ。
だが、角次、いくらお前の威勢が良くてもあんなに突っ張っていたら命がいくらあっても足りないぞ。
自重しろよ。」
「へぇ、旦那の言いつけですからできるだけそういたしやすが、江戸っ子の気質ってやつは、そう簡単にはなおりやせん。」
「まぁ、少なくともその努力はしろ。」
「で、旦那、お礼代わりと言っちゃなんですが、そこらでちょっと一杯どうでやすか。」
「ああ、今日は連れがおるでな。
また今度にしよう。」
「へぇ、お連れさんが・・・。
じゃ、そのお連れさんもご一緒にどうです?」
「うーん、そうも行かぬな。
若い娘さんだからな。」
「ええっ、てぇっと、旦那のこれですかい。」
角次は小指を出して見せた。
「まぁ、角次の想像に任せよう。」
「なるほど、そういうこって・・・。
じゃぁ、酒はやめて、娘さんの欲しがりそうな甘いものはどうです?
汁粉の美味い店があるんですがねぇ。」
「汁粉か。
それも悪くないが、昼時だ。
どこか小料理屋で美味いところを知らぬか。
昼餉を食べるつもりでおったのだ。」
「あ、なーる・・・。
では、あっしが浅草で一番美味いと思っている店にお連れしましょう。
で、そのお連れさんはどちらに?」
「うん、あぁ、あそこの松の木の下で待っている振袖姿の娘だ。」
角次はそちらに目をやって、ほうっと思わずため息を漏らした。
「こらぁ、大した綺麗どころだ。
浅草でも滅多にはお目にかかれねえや。
旦那も隅にはおけませんねぇ。
一体どこで知り合いになったのやら・・・。
江戸に来てからまだ三月ほどじゃぁござんせんか?」
「そうだな、かれこれ三月にはなるな。」
「一体どこでどうやったら、あんな綺麗な娘さんと良い仲になれるんでしょうねぇ。」
「まぁ、良いではないか。
角次が詮索することもあるまい。」
「そらまぁ、そうですがねぇ。
じゃぁ、ご案内いたしやすから、せめてわっちにもご紹介ぐらいしてくれやせんか。」
松倉は、彩華に浅草火消「り」組の若頭角次と言って紹介した。
角次はひとしきり彩華に挨拶をすると、すぐに浅草門前中町の外れにある小料理屋鹿野屋に案内した。
角次の妹の嫁ぎ先であり、間口はさほど広くはないが、庭付きの小料理屋は浅草界隈の分限者が贔屓にしているらしい。
若女将である角次の妹が、三人をこざっぱりとした離れに案内してくれた。
料理を待つ間、角次が松倉との馴れ初めを彩華に語った。
「松倉の旦那とわっちが初めて会ったのは忘れもしやせん皐月の二十一日ですよ。
浅草の南鳥越橋の天王にある紙問屋富士屋が昼火事になったときでやす。
富士屋の手代だった清吉という男が賭場の借金でお店の金に手を付けて、お払い箱になったんでやすが、こいつが逆恨みして、店に入り込んでくるなり袋に入れていた蛇を十匹ほども、店の土間や帳場に放り込んだんでやすよ。
忽ち、店ン中は蜂の巣をつついたみたいに大騒ぎだ。
何せ、ただの蛇じゃねぇんですよ。
蝮をばらまいたんだもんで、奉公人もお客も逃げ惑うばかり。
その騒ぎを引き起こして店の台所に行って、油を持ち出し座敷に火をつけたんでござんす。
おまけにてめぇも頭から油を被って火だるまになって屋敷の中を走り回ったもんだから、火の回りが早くって、富士屋のお店者は貴重品を持って逃げ出すのが精いっぱい。
そこにわっちらもすぐに駆け付けたんでやすが、その時には一階の庇から火が噴き出ている状態で隣家に燃え移らないようにするのが精いっぱいでやした。
そんな最中に外出していた女将と若女将が戻ってきて、幼子が二階で寝ていると騒ぎ始めたんですよ。
御店の者はそれに気づかずに外に出てしまったというわけで、半狂乱の若女将が火が回っている屋敷に飛び込もうとするのを抑えるのが大変でござんした。
一階はほとんど火の海に近かったでやすからねぇ。
火事場に慣れているわっちらでもさすがに飛び込む状況じゃござんせんでした。
そこに現れたのが、この松倉の旦那でしてね。
何故か道端にあったどてらを拾い、わっちに大小の刀を差し出して、預かってくれとわっちに差し出したんで・・・。」
なおも角次の話が続いた。
「わっちも旦那の勢いに負けて、何の気なしに受け取ってしまったんですが、それから旦那はそのどてらを水桶に突っ込んですぐに引き上げ、そいつを頭から被ってあっという間に火の中に飛び込んで行ったんでござんす。
こちとら止める暇もありやせんでした。
それから十も数えない内だったと思いますがね、二階の雨戸が内側から蹴倒され、旦那が二階から飛び降りてまいりやした。
旦那が飛び出すと同時にその雨戸口から盛大に火が噴きだしてやすから、ほんの一瞬の差で旦那は丸焼けになるところだったはずでござんす。
で、驚いたことに、旦那はその短い間にちゃんと幼子を抱いていたんでござんすよ。
幼子を若女将に渡すと火のついたように幼子が泣き出して、生きていることがわかりやした。
あれだけ火の回りが早かったのに、仏さんのご加護があったんでやしょうか、幼子は火傷一つ負ってはござんせんでしたよ。
幸い火事は何とか延焼を食い止められ、富士屋の屋敷が燃え落ちただけで済んだんでござんす。
焼け跡には黒こげになった骸が一つ、火付をした清吉だけの死人で済んだのが不幸中の幸いでした。
富士屋も幸いに蔵までは燃えずに残りましたんで。
今は商いも仮店で始めてやす。
それにしても無鉄砲な旦那だとは思ったんですが、その後、わっちから刀を受け取ると名も告げずにいなくなってしまいましてね。
わっちが次に会ったのは、この浅草寺境内で旦那を見かけて、声を掛けたんです。
その時にお名前とお住まいをお聞きしたような訳でして、わっちら町人にも気さくに声を掛けてくれる旦那でしてね。
それから二度ほど一緒に酒なんぞ飲ましていただいた仲でござんす。」
彩華達が江戸に来たのは皐月半ばそれから何日も経たずに火事場での人救けをしたようである。
そんな話をしている間に、御膳が運ばれてきた。
野菜の煮付けに焼き魚の料理は、角次が自慢するだけあって中々に美味いものであった。
食事をしながら、角次が彩華に色々と聞き始め、ついには仇討の話まで出てしまった。
「こいつは、驚いた。
目黒の仇討は一時江戸中で評判になったんでございますが、その御当人と知り合いになるなんざぁ、わっちの自慢話になりますぜ。
しかも、松倉の旦那がそいつに関わっているなんて・・・。
確か、瓦版では岡崎藩の姉弟が父親の仇を討ったとか・・・。
松倉さんは、その助太刀ですか?」
「そうだな。
助太刀で控えておったが、仇の塩崎勘兵衛を討ったのは紛れもなくこの彩華殿と弟の宗長殿じゃ。」
「へぇ、しかし、仇は圓明流の達人とか、この楚々とした御嬢さんがそんな腕前を持っているとは信じられませんが・・・。」
「彩華殿は、剣を持てば、そこいらの剣客には負けぬ腕を持っておる。
下手に手を出すと、腕の一本もなくなるやも知れぬぞ。」
「旦那ぁ、御冗談を言わないでくださいよ。
わっちが旦那の良い人に手を出すもんですか。
御嬢さんより先に旦那の刀で切られちまいますよ。」
陽気な角次がいた所為かその後も話は弾み、半時ばかり鹿野屋で過ごして、角次と別れた。
角次の妹である若女将のお京は、松倉が払おうとした代金を受け取ろうとはしなかった。
「兄さんの命を救ってくれた御方から御代はいただけませんよ。
そんなことしたら、鹿野屋の暖簾に唾を掛けるようなもので、浅草にはおれなくなってしまいます。
どうか、今日のところは、私と兄さんの顔を立ててくださいまし。」
兄妹揃って気風のいい江戸っ子であった。
そうして松倉と交わした約束の三月が間もなくという長月十二日、岡崎から一通の文が届けられた。
差出人は母の郁代であり、文を読んで彩華は驚いた。
宗長が元城代家老柴山家と御蔵奉行青木家所縁の郎党に襲撃され、弥吉と宗長が怪我を負ったという内容であったのである。
柴山の一族と青木の一族併せて七人の郎党が弥吉と宗長の登城途中を襲い、その全員を二人で討ち果たしたものの、弥吉と宗長がともに軽い怪我を負ったというのである。
国家老橘嘉右衛門は、激怒し、事件当日には柴山家と青木家の蟄居閉門を命じ、十日後には家禄召し上げの沙汰を下したのである。
度重なる両家を巡る不祥事に業を煮やしたようだ。
その一方で、負傷した宗長と弥吉には何のお咎めも無く、家老が自ら斯波家を訪れ見舞ったということである。
宗長の怪我は、肩に受けた矢傷であり、一方の弥吉も宗長を庇って太股に矢傷を受けたようである。
彩華は迷った上に、岡崎に戻る旨を松倉に告げた。
事情を聴いた松倉はすぐに、岡崎へ彩華を送ると申し出た。
その上で、彩華に尋ねたのである。
「間もなく約束の三月に相成るが、許嫁としての彩華殿の気持ちは変わらぬかな?」
彩華は居ずまいを正して松倉に言った。
「松倉様のお側近くでこの二月半余りその人となりを見てまいりましたが、やはり、私がお慕いする気持ちに変わりはございませぬ。
ただ、松倉様の御身分に差し障りがあるのならば、せめて側女としてでも置いていただけませぬでしょうか。」
「ふむ、そなたの折角の申し出ながら儂は側女を置くつもりはない。」
その返事を聞いて、彩華は目の前が暗くなる想いがした。
「だが、そなたが望むならば嫁として迎えるつもりはあるぞ。
じゃによって、二人して岡崎へ参り、そなたの母上他親族の方々にお許しを願おう。
岡崎で周囲の了解が得られれば、岡崎から京へと上り、母者と父にも許しを願おうと存ずるが、その意志はあるかな。」
「もったいないお言葉にございます。
お母上様あるいは先帝様のお気に召す自信は全くございませぬが、松倉様の仰せならば、何処にてもついて参りまする。」
松倉はにっこりと微笑んだ。




