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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

貴方に愛の刃を

作者: 霰石琉希





「イルミエ・リューゼ、私は君との婚約を破棄させてもらう」




その言葉が頭をがつんと抉った感覚がした。目の前には麗しい婚約者の男。その隣には可愛らしい貴族の娘。本来ならそこに立つべきはわたくしのはず。

「プロヴァス殿下、それはどういうおつもりで」

イルミエが絞り出した声は、予想よりも震えていた。うまく息が吐けずに、声は掠れ、消え入るように静寂に溶ける。殿下と呼ばれた王子プロヴァスはその丹精な顔を大きく歪めた。

「お前は私に隠し事をしていたな」

「隠し事など、しておりません。この身に誓って、殿下に嘘など」

「とぼけるな」

イルミエの訴えをプロヴァスが両断する。隣の生娘を強く抱き込みながら、プロヴァスは腰の鞘に収まっていた細身の剣を抜き、イルミエに向けた。

「そんな、殿下、婚約者に刃を向けるなど……」

「もうお前は婚約者ではない」

生娘の方をしかと抱いたプロヴァスは、その瞳に憎しみの炎を燃やしていた。

「お前に問う。この地において魔女とは何か」

「魔女とは、王と友好を交わし、この国を守る存在でございます」

「ではその魔女が王を愛するのは禁じられているのを知っているか」

「しかと」

イルミエは深く頷いた。ひたすら下手に回り、プロヴァスの機嫌を損ねぬように頭を下げた。なんて無様と、野次の飛んだが、イルミエは構わなかった。

「お前は、日が落ちてから、毎晩散歩に出かけていたな」

「ええ、月を見に」

「では問う。月を見るのに、魔女の森へ行くのは、必要なことか?」

「っ……必要なことでございます」

「なぜだ」

「暗い場所ならば月がよく見えるからです」

ドレスの裾が地面についても構わない。イルミエはプロヴァスの顔を見ないようさらに体を屈ませた。

「では問う。お前はどの地の出身だったか」

「隣国、リリィシャンより参りました」

「ほう……」

プロヴァスの声が更に低くなる。いよいよイルミエは土下座のような体制をした。

「リリィシャンに、リューゼという貴族はいないな」

「っ……」

イルミエは言葉に詰まった。プロヴァスは我が意を得たりと剣の切っ先をイルミエにつきたてる。

「問う。お前は魔女だな?」

「断じて、違います」

「そうか」

プロヴァスの声が優しくなる。イルミエが思わず顔を上げた瞬間。

イルミエのその胸に、切っ先が真っ直ぐに突き刺さった。どくりと血が溢れて、イルミエのドレスが赤く染まる。

「でん、か」

イルミエは胸を押さえ、その場に崩折れた。周囲の野次馬たちはそれを静々と見ている。

「やはりな」

プロヴァスはイルミエの胸に刺さった剣をさらに押し込む。どぷりどぷりと血が溢れた。

「その死なぬ体こそ、魔女の証。掟破りの魔女よ、よくも私を騙してくれたな。

火を放て!この者を焼き捨てろ!」

プロヴァスが吐き捨てるように叫んだ。イルミエは剣を抑えたまま蹲っていたが、やがて呻くように声を出す。

「ああ、ずるい、ずるい、殿下」

「ぷ、プロヴァスさま、魔女が」

「まだ生きようとするか、意地汚い」

生娘の怯えた声に、プロヴァスは喉を切ろうと剣に手をかける。それをイルミエは、華奢な手からは想像できないほどの力で押し留めた。

「ずるいわ、殿下」

「離せ……!」

イルミエはゆっくりと顔を上げた。その瞳は、仄暗い愛を宿している。



「わたくしに最後を彩れというのね?」



刹那、稲妻が迸る。プロヴァスと生娘が魔法で引き離された。イルミエは緩慢な動きで立ち上がり、にいっと恍惚とした微笑みでプロヴァスを見やる。

「ずっとずっと隠してましたのに」

「なっ……はやく! 火を!」

プロヴァスの叫びに、兵士たちが火種をもって駆けてきた。

「邪魔をしないで!」

イルミエはそれを魔力の波で押し戻す。兵士たちが呆気なく吹き飛んだ。イルミエは生娘を魔法で拘束し、窓から外に放り捨てた。

「このような泥棒猫と添い遂げになろうだなんて、酷いお方」

「ルイーネ!」

プロヴァスが生娘の名前を叫ぶ。それが気に食わなくて、イルミエは稲妻を再び迸らせた。兵士たちが取り落とした火種が、カーペットに燃え移る。

「ああ殿下、殿下、わたくしの殿下! ようやく、すべてをわたくしにくださるのね!」

嬉しいわ、とイルミエはひとりごちた。その胸から剣を引き抜き、自身の血を拭ったイルミエは、切っ先に頬擦りする。頬に赤い線がひとすじ浮かんだ。

「せっかくこんなものまで用意してくださったんですものね、その期待に報いなくてはね、殿下。最後の場所はどこがいいかしら」

先程の魔力の波に巻き込まれ、貴族たちは事切れていた。この場所にはもうプロヴァスとイルミエしか存在しない。

「ねえ殿下、ねえ殿下、どこがいいと思いまして? やはり寝室? それともバルコニー? ……いえ、わたくしと殿下が出会ったあのホールがよいでしょうね、行きましょう、殿下」

イルミエはプロヴァスを驚異的な力で引きずる。プロヴァスはイルミエの手から逃れようと藻掻くが、イルミエは離してたまるかと手を握りしめた。鈍い音とともに、プロヴァスの手は青黒く腫れて、動かなくなってしまった。

「ぁ゙ア゙、やめ、やめろ、イルミエ」

「殿下はわたくしにすべてをくださるんでしょ?」

イルミエはホールまで来て、そこにプロヴァスを放る。そしてその体に馬乗りになり、抱きしめた。

「ねえ殿下、覚えていまして?」

そして一筋一筋大切に、プロヴァスに傷をつけ始めた。

「幼いあなたはわたくしを森の外に連れ出してくれましたわね。あの時、すべてをくださいといったでしょう? あなたはそれに頷いた。いつか時が来たらすべてをあげると言ったのはあなた。あの約束を覚えてくださっていたなんて嬉しいわ」

プロヴァスはもう一言も発さないし動かない。それでもイルミエは傷をつけるのをやめない。纏っていた衣装が無惨にも切り捨てられ、体中、顔中血塗れになっても、まだイルミエはやめなかった。

「ああ殿下、愛していますわ、殿下」

恍惚とした表情で、イルミエはまたプロヴァスの体を強く抱きしめる。

「あなたの血の一滴も、あなたの骨の一本も、あなたの肉の一欠片も、全てわたくしの物ですわ」

火の手がホールまで回り始めた。周囲が燃え盛る中、最後にイルミエはプロヴァスの胸に剣を突き立てた。そしてその血に紛れた唇に口付けを落とし、炎の中へ消える。

「愛しています、殿下。ずっと、ずっと。」





夜が明けて、燃え終えた城の中で人々が目にしたもの。

愛するものとひとつになった、その魔女の死体が、灰となって空に消えていった。

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