第七話 レオスとダンジョン(中編)9
地下六層。
入り口から内部を見た限りは、またしても同じような広い空間があるだけで、奥には七層へと降りられる階段が見えた。
五層と違うのは、水が広間の外側を縁取る様に囲んでおり、それ以外は石の床板で構成されているところだ。もちろん、二層のように床板が当然砕けてその下に潜んでいる水に落とされるといった罠がある可能性は残っているので、警戒は必要だ。
「エマ、五層にいた魔物はまたいそうか?」
「……いえ、小さい魔物はいません。ただし、広間を囲んでいる水の中に人間サイズの魔物は何体もいます」
「そうか。床の下も大丈夫か?」
「今のところ、魂力は感じません」
貝の魔物がいないことと、床下の罠が無いことを確認すると、俺は六層の広間へと足を踏み入れた。
周囲の水の中に魔物がいるという話だったが、俺に続くように全員が六層へ足を踏み入れても、出てくる気配がない。
「兄さん、あれを見てください」
ギルが広間の中央を指差した。
そこの床板には真っ赤な血が広がっており、ボロボロになった衣服や装備が散らばっている。
「……ギル、エイベルたちは、更なる犠牲を出しつつも七層へ進めたと思うか?」
「いくら兄さんでも、希望的観測すぎますよ。あそこで全滅し、魔物に食い荒らされて遺体も残らなかったと考えるべきでしょう」
「やはりそうか……」
俺は大きく息を吐くと、気持ちを切り替える。
エイベルたちは、ここで全滅した。そう断定し、今後の方針を考えよう。
「あの血の跡からして、広間の中央まで進むと両サイドの水中から魔物が大量に飛び出して襲ってくるのだろうな」
「でしょうね。完全に取り囲まれる形になると思います。エイベルはそれなりに強いですが、Aランクの魔物2体以上に囲まれたらどうしようもありません」
「……それは俺も同じだが、こちらにはエマがいる」
俺がエマの肩に手を置くと、彼女は驚いたように俺を見上げてきた。
「お、おじ様。私に何をさせる気ですか?」
「お前の感覚頼りになって悪いが、水中にいる魔物の強さを判別して、Aランクがどこに何体いるか教えてくれ」
「えっ? そ、相当な数の魔物がひしめいているんですけど?」
「出来ないか?」
俺が尋ねると、エマはムッとしたように眉を寄せた後で、そっぽを向いた。
「で、出来ますよ!」
「そうか、さすが――」
「――ただ! すっごく集中しないと難しいですし、大変です!」
「あ、ああ……そうだろうな……」
エマは再び俺に向き直ると、睨むような鋭い目で俺を見つめて手を握った。
「もう一度言います。すっごく大変なんです!」
「負担をかけてすまない。だが、全員で生き延びるのに必要な事なんだ」
「そ、それはそうでしょうね……そんなこと分かってます……もちろんやりますよ」
エマはガッカリしたように肩を落としつつ、俺から離れる。
すると、俺の左すねに何かがぶつかったような衝撃があった。見ると、ジョゼが俺のすねを蹴飛ばしたようだ。
俺は常時命力を全身に纏っているのでこの程度の衝撃では痛みを感じないのだが、いったいどういうつもりだろうか?
「ジョゼ?」
「レオスさん……分かってあげてよ」
「いや、負担をかけているのは分かっているが、生き延びるためには……」
「そうじゃないよ。エミーは……俺とは違うんだよ」
「ジョー、止めて。私が子供だったのよ。おじ様、少し集中しますから、時間をください」
「わ、分かった」
エマは隊列の先頭に出ると、その場に座り込んで目を瞑った。どうやらその姿勢が一番集中出来るようだ。
「ランバートさんちょっとこっちへ」
「ん? イライザ、何だ?」
「いいから来てください」
どういうわけか、イライザが多少の苛立ちを含んでいそうな声色で俺の腕を掴むと、隊列の後方へと移動する。
エマの近くにはギルとニックが待機してくれているので大丈夫だとは思うが、やや不安が残る。エマの集中を乱さないためだと思うが、話があるなら彼女の索敵が終わってからにして欲しかった。
「イライザ、いったい何なんだ?」
「何なんだはこっちの台詞です。エマちゃんが可哀そうですよ」
「そうは言っても、あれだけの精度で魔物を判別できるのはエマだけだ。仕方ないだろう」
何だ、この居心地の悪さは。どういうわけか、俺はイライザ、グレンダ、セレス、キャサリンの4人に囲まれて睨まれている。
俺がいったい何をした?
「……呆れました。あなた、彼女の父親代わり何でしょう?」
「そ、そうだが?」
「正直、最初の彼女の態度で分からなかった段階でかなりのものですが、ジョゼくんに怒られても気付けないなんて、鈍すぎます」
「もしかして……エマは体調を崩しているのか?」
俺が尋ねると、イライザは信じられないものを見た顔で驚いた後で、グレンダへ視線を向ける。
「グ、グレンダ、私、手が出そう……」
「お、落ち着いて、リザちゃん。私も我慢するから」
どうやら、今の質問は的外れであり、余計に二人の怒りを買ってしまったようだ。俺は縋るような気持で、セレスへ視線を向ける。
悪いが分からないものは分からないのだ。気付けなかったのは不覚だが、そろそろ答えを教えて欲しい。
俺のアイコンタクトが通じたのか、セレスが深く息を吐いた後で、俺に屈むようにジェスチャーを送って来た。
俺が素早く指示に従って屈むと、セレスが遠くにいるエマに聞こえないように耳打ちして来た。
「ランバートさん、これまでの付き合いで分かっていますよね? エマちゃんは素直に気持ちを伝えるのが苦手なんです」
「……ああ、それは分かっている。もう少し素直になってくれるとやりやすいんだが」
「分かっているなら、改善を求めるより、エマちゃんに合わせてあげてください。あの子はあなたの事が大好きなんですよ? その自覚はありますよね?」
あるかと言われれば、それはまあ――あるに決まっている。
エマは俺に、父親になって欲しいのだろう。そして俺も、いつしか彼女の父になっても良いと思うようになっていた。
「エマちゃんは、これまでお父さんがいなかった分、甘えたりないんです。だからあの子なりにいつも必死にアピールしているんですよ?」
「甘え……そうか」
やっとエマが何を言いたかったのか、分かった気がした。
あいつ自身、自分の感情を上手くコントロールできず、素直にもなれない中で、必死に俺に分かってもらおうとしていたのだ。
俺は隊列の先頭に戻ると、エマの隣に腰を下ろす。
「――っ? お、おじ様?」
「エマ、やりながらで良いから聞いてくれ」
「いえ、あの、集中できないんですが……」
「俺は本当の親というものを知らないから、何が正しいのかは分からない。だからこれは、俺が子供の頃に親に言われたかった言葉なんだが」
「な、何の話ですか?」
周囲にギル達がいるところでこれを言うのはとんでもなく気恥ずかしいが、これは俺が招いた結果だ。この程度の恥ずかしさくらい鈍感な俺への罰として受け入れよう。
「エマ」
「は、はい」
「いつも、ありがとな。感謝している」
「……はい」
「お前は俺の――自慢の娘だよ」
一秒もないほどの沈黙。
それが俺の恥ずかしさを増大させ、顔が熱くなるのが感じられた。
そして、その刹那的な沈黙を破る様に、エマの魂力が信じられないくらいに膨れ上がり、その場にいた全員を騒然とさせた。
「――っ!? エ、エマ!?」
「……20……30」
「ど、どうしたんだ? エマ?」
「……40」
膨れ上がっていたエマの魂力が収束し、落ち着きを取り戻すと、エマは満面の笑顔で俺に飛び付いて来た。
「エ、エマ!?」
「部屋の四隅に、それぞれ1体ずつです」
「は?」
「Aランクの魔物の数です。部屋の四隅に1体ずつ。つまり、全部で4体です。あとはBランクが40体います」
「お、お前、Bランクの数まで数えたのか?」
「凄いですか?」
エマは俺の胡坐の上に座ると、褒めて欲しそうな目で俺を見てきた。これまで見たことが無いくらい、彼女の気持ちが分かりやすく顔に出ている。
「ああ、凄いよ。さすがだな」
こんな芸当、どのトップ冒険者にも出来やしない。
俺がエマの頭を優しく撫でてやると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「あ、あの……じゃあ、ご褒美が欲しいです」
「ご褒美? 何が欲しいんだ?」
「…………お父様と、呼んでも良いですか?」
何が欲しいと聞いた時、俺は大抵の物ならプレゼントしてやろうと思っていた。服、宝石、アクセサリー、魔石、高級料理、何を頼まれても、生きて地上に帰れたらプレゼントしてやるつもりだった。
しかし、まさか呼び方の許可をねだられるとは思いもしなかった。
「……ジョゼ」
「別に呼ばせてあげたらいいじゃん」
「……ギル」
「俺に助けを求められても困ります。さすがに、それは兄さんの問題ですよ」
どうやら助け船はどこにもないようだ。
「ダメ……なんですか?」
「ダメとまでは言わないが、『お父様』はさすがに恥ずかしいぞ……」
「恥ずかしいのですか?」
「俺はそんなガラじゃないだろう? 父さんとか親父とかなら分かるが」
娘からお父様と呼ばれるなど、どこかの王族や上流階級じゃあるまいし、勘弁願いたい。
「ですが、私が『父さん』と呼ぶのは、それこそガラではないと思いませんか?」
「…………」
エマに『父さん』と呼ばれて、心臓を掴まれたような衝撃を受けた。
何だろう、妙な高揚感がある。
「おじ様? どうして笑っているんですか?」
「い、いや……」
いかん。もしかして、俺はエマに『父さん』と呼ばれて嬉しかったのか?
自分の感情についての新しい発見だが、これをエマ以外の奴らに悟られるのは恥ずかしすぎる。俺は何とか表情を元に戻すと平静を装った。
「もしかして、おじ様はそっちの方が好みですか?」
「っ? ま、まあ、好みというか、そっちの方が自然だというだけだ。しかし、エマが使うには確かに違和感があるかもしれないな」
「ですよね」
「……分かった。エマがそう呼びたいのなら、『お父様』で良い」
俺はエマにこれ以上『父さん』と呼ばれて動揺するよりは、多少の恥ずかしさを我慢する方向へ舵を切った。『おじ様』呼びの時もそうだったが、最初は違和感があってもそのうち慣れるだろう。
「良いんですか? ありがとうございます、お父様!」
エマが再び満面の笑みで俺に抱き付いて来たので、俺は彼女を受け止めて頭を撫でてやる。
本当なら、ここから半日はエマと交流して幸せを実感したいところなのだが、場所が場所だ。
俺はエマとの交流を早々に切り上げると、立ち上がってギルや仲間たちへ向き直った。
「待たせて悪かった。エマの感覚を信じるのを前提で話をするが、この六層をこのまま進むと、4体のAランク魔物と40体のBランク魔物に囲まれることになる。そして、先行していたエイベルたちはおそらく広間の中央地点で全滅したと考えられる」
中央へ差し掛かったタイミングで、水中に潜んでいる魔物たちが一斉に襲い掛かってくる殺意しか感じられないギミック。ダンジョンは確実に俺たちを殺しに来ているのが分かる。
「今一度、全員の意志を確認したい。このまま進むべきか、撤退するべきか。自分のパーティの仲間たちと話し合った上で、教えてくれ」




