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柿沼はタワーから出ると、公園を北へ向かって歩いて行った。ずっと手に下げていた花束を抱え、普段は早足の彼としてはかなり遅い足取りで石畳を並木沿いに歩いて行く。
そのモニュメントは、放射状に伸びる桜並木の一つに沿った公園の外れにあった。激戦の現場に放置された野砲を溶解して造ったと言う二等辺三角錐の枠組み、その中央に慈愛の表情を浮かべるブロンズの観音像、そして像の足元に折り重なる苦悶の表情を浮かべる群像、その手は全てが観音像へと伸ばされて・・・高さ3メートルほどのモニュメントの台座には白銀製のプレートに「観音崎1946・鎮魂12825名」と刻まれている。
柿沼は目を細めてその像を見遣る。彼はこのモニュメントが大嫌いだった。この作者は『国民芸術家』の称号を得た日本を代表する彫刻家であるが、あの地獄を示すには余りにも率直に過ぎた感じがしてならない。否、そもそもあの世界をこのようなオブジェにすること自体、死者に対する冒涜の様な気がしてならないのだった。
だが、そんな彼も、両親らが死んだ地を祈念する場所を国が公営の慰霊地に設ける意義を認めない訳にはいかない。それは、犠牲は忘れない、という国家の意志であり、彼らの死を無駄にはしない、という国家の約束であるからだった。
柿沼は既に多数が手向けられている台座の周りの花束に、自分の手にした花束を重ねた。そして線香を取り出すと、モニュメントの直ぐ脇にある熾し炭の入った香炉の中へと落とした。漂う香の煙の中、柿沼はモニュメントに手を合わす。暫くそうやって動かなかった。
五分が経過し、柿沼は背筋を伸ばす。すると初めて賀川の存在に気付いたかの様に、
「ああ、済まなかったね」
賀川は無言で首を振る。そんな彼を見て、柿沼は口元に笑みを浮かべると、
「さあ、本部へ帰ろう、同志賀川」
賀川は、公安警察官というよりは大学教授然としたこの男が、地獄からの生還者である事をよく知っている。あらゆる意味で、柿沼はあの地獄が再現しないために最善を尽くそうとしている、それも知っていた。彼の信念が揺らいだ時や、何かの節目の折にここに来る事も知っていた。大抵は一人で来る様だが今日は賀川の同行を許してくれた。柿沼の原点、神聖な儀式に立ち会っているかの様な、そんな気がしていた。例の人事異動から今日まで柿沼がここに来る時間などなかった事だろう。組織の中心に戻って来た柿沼は、きっと新たな力を得たかったのだ、もう一度原点に返り、彼が積み上げ、現在に至ったその道を振り返り、そして・・・
資本主義者どもに操られたイスラム狂信者や帝国主義者のテロ集団との戦い。そして西側陣営との正規・不正規戦。戦場の悲哀を余りにもたくさん見続けて来た元・特殊部隊員の賀川には、同志柿沼の気持ちが痛いほど良く分かった。そんな賀川の視線を背に受けて柿沼は力強く大股に歩いて行く。全くいつもの彼に戻っていた。
やや陽が傾いた秋晴れの午後、爽やかな日差しがコスモスの咲き乱れる花壇に降り注いでいる。しかし一旦日陰に入ればコートが必要なほど冷え冷えとしていた。世界は核の冬により何かが永遠に変わってしまったのだ。東京の短い秋は、既に長い冬にバトンを渡そうとしている。来週にも木枯らしが吹き出すだろう。
鋭い号令の声に賀川が立ち止る。振り返ればタワーの正面にある『永久の炎』の衛兵が交代するところだった。グースステップで腕を直線に振りながらの完璧な行進に賀川の顔が引き締まる。その先、彼の見上げたタワーの頂上には、澄んだ蒼天に際立つ巨大な赤色旗が堂々とはためいていた。
― 了