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翌日の午前九時にぼくたちは、昨日のレンタル倉庫の前に立っていた。プライベートでタックンと会うのは初めてだった。仕事の現場では作業着や防護服姿しか見ていなかったから、この日、ハンチング帽をかぶって、黒のジャケットを羽織り、胸元にはシルバーのネックレスが覗く小粋な装いを見て、ちょっと驚いてしまった。近づくと甘い香水の匂いも漂っている。一方でぼくはといえば、汚れても大丈夫なようにと、だいぶ、くたびれたジャージ姿だ。
今は仕事が閑散期で、次の仕事が入っているのは明後日だった。つまり今日は丸一日、あの父娘について調べられるのだ。遺体で発見された男性の長女で、今回の清掃を依頼してきた女性は、タックンと電話で話した際、自分はこれから海外に出張に行くから、連絡が取れないかもしれないと告げた。かってに遺品を調べるのはまずいだろうということで、タックンが再度、電話をしてみたが、実際につながらなかった。もっとも、写真などを除いて、遺品は後に廃棄処分にする予定だから、欲しいものがあったら自由に持っていってもいいと彼女に言われていた。だから少しくらい遺品を調べても大丈夫だろうと判断した。
倉庫の中に入って、あらためて遺品を眺めてみると、それほど量が多くなかったことに気づいた。昨日、必死になってここに運んでいる最中はけっこう多いなという印象があったが、一世帯分としては少ない方だろう。その理由にぼくはすぐにピンときた。行方不明の次女の私物が少ないからだ。
とりあえず、手分けして父娘に関する手がかりになりそうなものを集めていく。早速、作業に取り掛かる。調べていくと、意外と父娘の人となりが分かるものが多いのに気づく。やはり、所有物には個性が現れるのだろう。
次女のものと思われるものは、どちらかというとインドア的なものが多かった。家庭用ゲームや小説、マンガ、次女が描いたと思われるアニメのイラスト、ガチャガチャの景品がたくさん入っている箱など。ただ昨日も思ったのだが、生活に密着するもの、洋服とかバッグ、パソコン、スマホなどがほとんど残っていなかった。ぼくがゲームソフトを手に取って眺めていると、
「欲しかったら、持ってっていいそうだよ」とタックンが声をかけてくる。そういう彼は、父親のものと思われる釣り竿を手にして魚を釣るジェスチャーをしている。
「遠慮しとく」最近発売したソフトだったので興味はあったのだが、あの現場を思い出すと、どうしても持っていく気になれない。それを顔に近づけてみた。とくに臭いがついてはいなかったが、ソフトを元の場所に戻した。
次女の私物を見ていて不思議に思ったことがある。それは彼女の卒業アルバムが一つも見当たらないということだった。卒業アルバムがあれば、彼女がどんな性格なのかがちょっとでも垣間見えると思ったのだ。
次女とは対照的に、父親の方はアウトドアタイプだったらしい。さっきタックンが持っていた釣り竿もそうだが、他にも天体望遠鏡、キャンプ道具、大きなリュックサック、高級そうなカメラ、鳥の図鑑、バイクのヘルメットなどを持っていた。生前は活動的な人だったらしい。
一通り遺品を見ていったが、ぼくたちの疑問に答えてくれるものはみつからなかった。
『次女はなぜ父親の遺体を放置したのか』
今度は書類がまとめて集められている場所に向かった。昨日は大雑把にしか見ていなかったが、今日は一つずつ目を通していく。書類はいろいろあって、父親の通っていたデイサービスからのお便りや、父親の通院していた病院関係のもの、次女の勤務先の病院のものなどが多かった。それらを念入りに調べるが、これらも参考にはならなかった。
最後に残った一枚を手に取る。それは次女の部屋の机に置かれていたもので、長野県の観光案内だった。それほど色褪せていないので、最近、駅かどこかから持ってきたものらしい。次女はなぜ、このパンフレットを持ってきたのか。長野に旅行する計画でも立てていたのだろうか。地元が長野なのだろうか。それとも別の理由からだろうか。
それを書類の束の上に戻して、その隣にあるアルバムに手を伸ばす。開いてみると、予想していた通り、家族写真が収められていた。姉妹が赤ちゃんのころから、成人式の記念写真まで、この家族のたくさんの思い出が詰まっていた。
写真を眺めながら、あることに気づいた。途中から母親と思われる女性が現れなくなっていたのだ。長女が中学に入学するころを境に、ぱったりと出てこなくなった。たぶん、両親が離婚したのだろう。アルバムに見入っていると、
「なんだろうこれ?」とタックンが独り言にしては大きすぎる声を発した。ぼくはアルバムをそっと床に戻して彼の方を向く。タックンは壁掛けのカレンダーを手にして首を傾げている。そのカレンダーはリビングの壁に掛けられていたもので、処分してもよかったのだが、なんとなく持ってきていた。
「どうしたの?」
「これなんだけど」タックンはカレンダーのある部分を指さしている。そこは一月五日の日付で、その日付に赤いペンで二重丸がしてあった。
「一月五日か。なにか予定があったんだろうけど、なんだろう?」
タックンがカレンダーをめくって他の月も調べてみるが、一月五日以外には、丸や書き込みはなかった。
「今日が二月十九日だから、一か月半前か」
タックンの持っているカレンダーを見ていて、ぼくはある考えが浮かんできた。それはゾッとする考えだった。遠回しにタックンにたずねる。
「父親の死因は病死だったんだよね?」
「え?死因?たしか警察の検死では遺体に外傷はなくて、持病が悪化したのが原因だったみたいだけど」そこまで言ってタックンもぼくの思っていることを察したらしい。ぼくの肩に手をのせて、
「だいじょうぶ、娘さんはそんなことしないよ」と言ってくれた。
そう言ってもらったものの、ぼくの中ではモヤモヤしたものが残っていた。一月五日は何かをする予定だったのは間違いない。それはなんだろう?
考えていても切りがないので、再び作業に戻った。だがその後は、父親のものと思われる銀行の通帳を見つけただけだった。口座にはそれなりに預金があった。だが次女の通帳や銀行のカードは見つからなかった。また個人情報を得られそうなものは全く残されていなかった。
タックンが最後の段ボール箱を調べ終えると、
「こんなもんかな。あんまり参考になるものは見つかんなかったな。次女の日記とか出てくればよかったんだけど」と吐息を漏らした。
日記と言ったので、ぼくはスマホを取りだした。もし次女がブログを書いたり、SNSをやっていれば、何か捜し出せるかもしれない。検索窓に次女の名前を入れてみる。ヒットはしなかった。どうやらSNSなどはやっていなかったか、やっていたとしても本名では活動していなかったのだろう。
「じゃあ昼飯でも食いに行くか」