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 もう気づいていると思うが、ぼくたちの仕事は特殊清掃だ。それは殺人や自殺、事故などが起きた現場で、遺体の発見が遅れたために、部屋に深刻な被害が出た状態を回復させる仕事だ。

 ごみがなくなった部屋をあらためて眺めてみると、その内装は女性っぽいものであることに気づいた。カーテンはだいぶ色褪せているが、花柄をあしらったピンク色をしているし、テレビの横には、すでに枯れてしまってはいるが、観葉植物が置いてあり、小ぶりなソファの上には動物のぬいぐるみがいくつか置いてある。

 リビングの奥にはドアが二つ並んでいた。タックンは右側のドアに向かう。ぼくも足もとに気をつけながら後に続く。ドアを開けるとそこは寝室のようだった。ぼくの予想に反して、部屋にごみは見当たらなかった。アパートの管理人によると、ここには父娘が暮らしていたということだった。部屋の様子からすると、ここは娘さんの部屋だったのだろう。

 ただ気になったのは、部屋には生活感というものが感じられなかった。私物というものがほとんどなかったからだ。あるのはベッド、クローゼット、小さな本棚、壁に掛かっているハンガーくらいだった。一言で表現するなら、家財道具を持って夜逃げしたようだった。

 タックンはためらうことなく部屋に入っていき、正面にあるカーテンを引いた。窓越しにベランダの状態を確認してから、ガラス窓を開ける。アパートの管理人の話では、父親の遺体はベランダに置かれていた冷凍庫に入れられていたらしい。いくら腐敗していなかったと言っても、足がすくんでしまう。そんなぼくをよそに、タックンは怯む様子もなくベランダに出る。

 そこにはたしかに小型の冷凍庫が置いてあった。

「これだな」

 タックンは冷凍庫のドアを開けた。まだ電気がついているらしく、冷気が外に漏れ出す。中はからっぽで、特に異常は見当たらない。冷凍庫から周りに視線を転じる。ベランダは隣の部屋と共有していて、冷凍庫の先には物置のようなものが見える。開けてみると、釣り道具や天体望遠鏡、石油ストーブ、バイクのヘルメットなどが丁寧に収納されていた。そこをざっと調べて部屋に戻る。

 リビングに戻ると今度は、左のドアを開ける。その部屋には生活感が残っていた。おそらく父親の部屋だったのだろう。父親のものと思われる衣類がベッドの上や床に乱雑に置かれていた。ベッドの傍らには車いすがぽつんと置かれていた。右側の壁には本棚があり、本がぎっしりと収められている。よく見ると小説よりも、釣りや旅行雑誌などが多かった。左の奥にある机には文房具やパソコンがあったが、すっかり埃をかぶってしまっていた。押入れの中も調べたが、ごみ袋の類いは見当たらなかった。

 父親の部屋を出ると、リビングの左側にある引き戸の方に歩いていく。戸を横にスライドさせると、そこは四畳ほどの部屋でサービスルームと言うのだろうか、雑多なものが床に置いてあった。ここにもごみはなかった。

「じゃあ運び出すか」

 この部屋の清掃を依頼してきた人物は、遺体で発見された男性の長女だった。彼女は、この部屋をすぐに引き払う必要があるので、遺品はとりあえず、近くにあるレンタル倉庫に預けるようにぼくたちに指示をしていた。

 明らかに不要だと思われるもの以外は、なるべく捨てずに運び出すことにした。ごみ袋の時と同じように遺品は外に停めてあるもう一台のトラックに積んでいく。慎重に扱わなければならないので時間はかかったが、それでも午前中にはあらかた運び出すことができた。

 トラックで近くにあるレンタル倉庫に向かい、最後の遺品を倉庫の中に入れ終えたとき、時刻は午後一時をさしていた。疲労も溜まってきたので、ぼくたちは一旦、休憩することにした。休憩といっても食事はしない。というか食欲がわかない。今日の現場はまだマシな方で、もっと壮絶な現場では食欲どころか、胃の内容物を外に出さないようにしなければならない。だから煙草を吸ったり、飲み物を飲んだりする程度だ。倉庫の横に空き地があったので、そこで休むことにした。

 タックンはいつものように、お気に入りの音楽を聴いてリラックスしている。ぼくはスポーツドリンクを飲みながら、今日あの現場に行ってから思っていたことを考えていた。

 タックンは仕事に取り掛かる前に、遺族などから、亡くなった人の人となりや、どういう状況で亡くなったかなどの情報を聞いておくことにしている。アパートの管理人などの話をまとめると、男性の遺体が見つかったのは二日前で、遺体が冷凍庫に入れられていたために、正確な死亡推定日時は特定できなかった。だが、男性がデイサービスに来なくなった日や、近所の住人の目撃情報などから推測すると、今から二か月前には男性は亡くなっていたと考えられるとのことだった。さらに、亡くなった男性の次女は、あのアパートで同居していたのだが、やはり二か月前に姿を見かけなくなり、今も行方が分からなくなっているらしい。

 ぼくは、なぜ男性の次女は父親の遺体をあの無機質な箱に入れて、死亡届も出さずに放置したのだろうと思っていたのだ。あのアパートに入ってすぐに落としてしまった写真立ての家族写真が目に浮かんできた。たぶん、あの写真に写っていた姉妹の一人は、亡くなった男性と同居していた次女なのだろう。あの屈託のない笑顔。ぼくはその疑問が気になってしかたがなかった。隣にいるタックンは相変わらず、目を閉じて音楽を聴いている。こんなことを話しても一笑に付されるだけではないか。そんなこと考えてないで早く仕事を覚えろよと言われるかもしれない。

「タックン!」ぼくはすでに彼に声をかけてしまっていた。

「うん?」

 ぼくの言い方が深刻な感じを帯びていたからだろうか、タックンは怪訝そうな表情でぼくの方を向いた。

「どうした?この曲嫌い?それとももう時間?」

「いや、そうじゃないんだ。実は…」キレられるか、笑われるかと覚悟しながら、その疑問を口にした。

 タックンはスマホから流れている音楽を止めると、少し眉間にしわを寄せて、ぼくの顔を正面から見つめた。

「オレも気になってたんだ」

 タックンには申し訳ないが、それは予想外の反応だった。

「ほんと?」

「ああ。アッキーはオレがそんなこと考えたなんて意外だと思ったかもしれないけど、あの写真立てに写ってる女の子の笑顔を見たら、彼女が親の遺体を冷凍保存して放置したのには、なんか理由があるんじゃないかって思ったんだ」

「やっぱりそう思ったんだ」

 タックンもぼくと同じ考えを抱いていたのが嬉しかった。それならば、ぼくの提案も受け入れてくれるだろうか。勇気を出して言ってみる。

「あの、この仕事が終わったら、ぼくたちで調べてみない?なぜ娘さんは父親の遺体を放置したのか」

 タックンは少しうつむいた。上着のポケットから煙草を取り出す。一口吸ってから顔を上げて、右手の親指を立てて胸の前にもっていった。

「調べてみるか。ただ、あくまでも仕事を優先するからな。まあ今は閑散期だから、ひまなんだけど」



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