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一部、ごみ屋敷についての描写があり、不快に感じられる方がいらっしゃると思われますので、あらかじめおことわりしておきます。


 ぼくたちは古びたアパートの外廊下を歩いていた。廊下には、住人のものと思われる荷物が乱雑に置かれていて、気をつけて歩かないと、つまずいてしまいそうだ。なんとか突き当たりにある部屋の前までやってきた。204号室。色あせた表札には赤城幸弘という名前が書いてあるのが確認できる。

 ドアの前に来ると、隣にいるタックンが深呼吸するのが防毒マスク越しに分かった。タックンというのはもちろん、ニックネームだ。本名は望月拓海。彼は年功序列というか、上下関係が嫌いみたいで敬語は禁止だよと、採用面接のときに、いの一番にぼくに説明した。だからぼくはタックンにタメ口をきいているのだが、正直まだ慣れない。この時もつい、

「中、そうとう荒れてるんですかね」と口をすべらせてしまった。

 だけどタックンは、ぼくの敬語なんて気がつかないのか、それとも作業手順を頭の中でシミュレーションしてるのか、

「うーん、どうかな。臭いはあまりなさそうだな」とぼくの敬語なんかよりも、目の前のドアに意識を集中している。それから、

「よし」と気合いを入れて、ぼくの方を向いた。彼は右手の親指を立てて胸の前まで上げた。ぼくも同じように右手の親指を立てて、お互いの手の甲を軽く接触させる。これは仕事を始めるときと終えるときに彼がする一種のおまじないみたいなものだ。たぶん、グッドラックとかお疲れ様という意味があるんだろう。

 その動作を終えると、タックンは防護服のポケットから鍵を取りだす。それをドアの鍵穴に差し込む。いよいよだ。タックンはドアを開けると、すばやく中に入った。ぼくも間髪を入れずに彼の後に続いて中に入り、急いでドアを閉めた。これは前回の勤務で学んだことだった。室内の悪臭をなるべく外に出さないようにするためである。

 ドアを閉めると、室内はほぼ真っ暗だった。タックンが手探りで室内灯のスイッチを探す。まもなく玄関口にぱっと電気がついた。その瞬間、ぼくは愕然とした。目の前には、腰の高さくらいまで積まれた大量のごみ袋の山が広がっていたのだ。このごみ袋に阻まれて部屋に入ることができない。その上、なんとも形容し難い悪臭が鼻腔を駆け抜けた。

 思わずよろけて靴箱の上部に右手をついてしまった。右手が何かに触れて、そのはずみでそれが靴箱から落ちた。床を見ると、それは写真立てだった。落下したとき音がしたのでタックンも振り返った。ぼくはその写真立てを拾う。そこにはここの住人と思われる人物が写っていた。どこかの観光地で撮ったものらしい。ありふれた家族写真だった。父親と母親、小学校五、六年生くらいの姉妹。みんな屈託のない笑みを浮かべている。

 ぼくが写真に見入っていると、

「まず、このごみを運び出すか」とタックンが、そんなものは置いておけというような口調でぼくの腕をつかむ。

 彼は土足のまま玄関を上がり、手近にあるごみ袋をつかむ。袋がきちんと縛られていて中身がこぼれないのを確認すると、それをぼくに向かって放り投げる。

「じゃあ、アッキーはどんどん外に持ってって」

 玄関にあるごみ袋は十五分ほどで運び出すことができた。外に出したごみ袋は、アパートの正面に停めてあるトラックの荷台に積んでいく。その間、アパートの住人や通行人に『204号室ですか』とか『ごみ屋敷の清掃かい』などと声をかけられたが、多くは語らずに適当に受け流した。

 玄関フロアのごみを撤去すると、タックンは左手にあるドアを開けた。そこは洗面台、トイレ、浴室がある。ここにもごみが散乱していた。

「住人はどうやって生活してたんだ?」と独り言をつぶやいて、タックンは手際よく袋を投げてよこす。

 信じられないことだが、トイレの中やバスタブの中もごみ袋で埋めつくされていた。便器の中をちらと覗くと、黄ばんでいて何年も洗っていないのは明らかだった。浴室も汚く、かび臭くて、おまけに蜘蛛の巣が張っていて、身体にくっついてしまった。

 そのフロアのごみも撤去すると、いよいよリビングルームだ。そこがどのような状況になっているかは、だいたい察しがつく。実際に、リビングと玄関を隔てているドアは曇りガラスになっていて、中の様子がうっすらと見える。

 タックンは深呼吸をしてからドアノブを握った。ドアは玄関側に開くタイプで、開けた瞬間、タックンの目の前にごみ袋が転がってきた。

「おう」

 タックンは転がってきたごみを器用に片手で受け止めた。

 想像していた通りだった。広さ八畳ほどのリビングはごみ袋で埋めつくされていた。そこはまるで、マンションのごみ収集所のようだった。天井付近には、ハエのような生き物が数匹飛び交っている。

 その光景に圧倒されていると、今度は強烈な悪臭がぼくたちの嗅覚を襲ってきた。その臭いはなんと例えればいいのか。側溝の臭い。あるいは動物園の檻の中。ぼくは胃酸が逆流してくるのを感じた。吐き気を催してしまい後ろを向いた。

「アッキー、無理すんな」

「大丈夫」本音はここから出たかったが、弱音を吐くのは嫌だった。

 タックンが壁にあるスイッチをつけた。部屋が明るくなった瞬間、右側の壁に、黒っぽい虫が這っているのが見えた。

「やるか」

 先ほどと同じ要領でごみ袋を外に出していく。ごみはほとんどがコンビニやスーパーで買ったと思われる弁当や惣菜の容器だった。ごみ袋を持って外に出ると、さっきよりも野次馬の数が増えていた。中にはスマホで動画を撮っている者もいた。

 リビングにあるごみを撤去するのに約一時間かかった。ごみがなくなると、想像以上に悪臭が消えていた。臭いの源はごみだったのだ。

 そこでタックンが言っていたことを思い出した。今回の現場は遺体がきちんと冷凍庫に入れられていたから、腐敗臭とか虫とか体液はない。だから前回よりはましだよ。前回、それはぼくの初仕事だったのだが、その現場は壮絶なものだった。あらためて思い出したくもないが、たしかにこの現場はまだましだと思う。

 



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