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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

救われたいと願うなら

作者: 十字たぬき



 冷たい石の部屋で、私はひとり。


 (かせ)()めた手首を見ながら、なんとなくベッドに横たわる。


 ママは元気かしら?


 嗚呼(ああ)、ママは死んだんだっけ。


 そんなどうでもいい事を考えていれば、扉をノックする音が耳に届いた。


「ご飯だよ」


 その言葉と共に、湯気を立てる温かいシチューとパンを持った伯父(おじ)さんが部屋に入ってくる。


「今日は、本を読んでいたんだね」


 窓際のデスクに広げたままの本を勝手に覗かれた。


「面白かったかい?」


 伯父さんは優しく問うけれど、騙されてはいけない。


 笑顔で、善人面で、甘い声で私に近づいては、


 私に暴力を奮うのだから。


「やめなさい!」


 そう、こんな風に。


 伯父さんに手首を力いっぱい握られて、私の手は赤黒く変色していく。


 ぱき、っと変な音がして、伯父さんは顔を青くさせた。


「すまない、痛かっただろう。今日はもう休むといい」


 手首に嵌めた枷を一度確認してから、伯父さんは部屋から出て行った。


 扉の外から、カチャンと鍵を掛けられた音が冷たく響く。





 可哀想に。


 伯父さんには、悪魔が憑いているのだ。


 優しい伯父さんが豹変した姿はとても怖い。


 なのに、少し安心しちゃうのは何故(なぜ)だろう? 何故涙が溢れてくるの?


 ママが生きていたら教えてくれたのかしら?


 たくさんの何故を抱えながら、私は今日も眠れぬ夜を過ごす。


 いつかの終わりを夢見ながら。




 ▪️▪️▪️




「嗚呼、可哀想に。彼女にはやはり悪魔が憑いている」


「お前が神父なのは知っている。しかし、此処(ここ)は病院だ」


「そうだ。そうだった。話を戻したいのだが、さて。どこまで話したかな?」


 私は毎週金曜日、医者であり旧友のアンドレの元を訪ねる。


「最近寝つきが悪いと。また昔の夢を見るのか?」


「少しな」


 本当は、少しなんてものではない。毎夜(うな)されて起きてしまう。だが言えない。


 言ってしまえば、そこからボロボロと私が崩れていきそうで恐ろしいのだ。


「睡眠薬を増やしてくれ」


「駄目だ。お前、自分の顔を見てみろよ? ボロい教会にだって鏡はあるはずだ」


「言われなくとも、()けた頬もボロボロの肌だって分かっている。しかし、私が倒れたら誰があの子の面倒を見るんだ?」


「孤児院に入れてしまえばいい。お前はもう頑張りすぎた」


 そう思えていたらどんなに楽か。


「私は、(つぐな)いをしなきゃいけない」


 そう言えば、アンドレは口を(つぐ)むしか出来ない事を私は知っている。卑怯だが、話を切り上げる為に私は立ち上がった。


「薬だけよろしく。また来週」


「来週じゃなくても、やばいと思ったら来いよ。話を聞くだけなら出来る。それが友として俺がお前にしてやれる唯一の事だ」


 優しい旧友を持った事を幸せに思いながら、私は帰路に着く。


 今日は鶏肉を分けてもらったから、シチューにしよう。あの子も喜んでくれるといい。




 ▪️▪️▪️




 シチューやサラダを載せたトレーをテーブルに置き、重い南京錠に手を掛ける。その冷たさに心まで侵されるような気がして、手早く鍵を回した。


 コン、コン、コン。三回のノック。


 相手はいくら幼くともレディーだ。マナーを忘れてはいけない。


「ご飯だよ」


 トレーを持って部屋に入れば、ベッドの上で碧い瞳を輝かせたジャンヌと目が合った。どうやらお腹を空かせていたらしい。


「今日は鶏肉が入っているよ」


 部屋の中央にあるテーブルへとトレーを置けば、足速にジャンヌは席へと着いた。枷を外せと、両手をぐいぐいと押し付けてくる。


 鍵を差し込みながら、手首が赤く腫れているのを見た。

 また暴れたのか。


 どうにかしてやりたいが、私は未だこの子を助けられないでいる。


 自分を傷つけないように拘束して、心が楽になるようにと薬を与える。それが唯一私の出来る事。


 スプーンを握って美味しそうにシチューを頬張るジャンヌが見ていられず、窓際のデスクへと目を逸らす。


「今日は本を読んでいたんだね」


 ジャンヌの本棚にあるのは、街の住民から寄進されたいくつかの絵本。デスクの上の開かれた(ページ)では、花冠を頭につけた熊と少女が手を取り合ってダンスを踊っている。


「面白かったかい?」


 可愛らしい絵ではあるが、そろそろ絵本では物足りない頃かもしれない。返事次第では、挿し絵の入った児童書を少し置いてみよう。


 そう思って振り返った時、


 私はジャンヌに悪魔を見た。


 先程シチューに輝かせていた瞳は、幼い身でありながら艶かしく色づいている。


 悪魔がその小さい指で私の手を取る。指を(くわ)えようと赤い舌を覗かせた時、咄嗟に手を振り払った。

 一瞬悲しそうな眼差しを向けた悪魔はめげずに私の手を取り、未熟な恥部へと(いざな)おうとする。


「ねぇ、触って?」


「やめなさい」


 私は手を引き戻し、彼女の肩に手をつき距離を取る。


 それが嫌だったのか。


 悪魔は背後からフォークを手に取り、(みずか)らの身体に突き刺そうとかぶりを振る。


「やめなさい!」


 咄嗟に細い手首を捉えるが、悪魔に取り憑かれた彼女は幼い身体に見合わぬ力で(あらが)う。

 私もそれに応えて力を強め、彼女の手首が変な音を立てた時になって後悔した。


 ジャンヌが怯えた瞳で私を見ている。


 違う! 私は君を守ろうとしたのだ!


 そう言いたいのを堪え、ジャンヌの手が折れていないか確認をする。まだ手首が柔らかいせいか、特に異常は無いようだ。その事にほっとしつつも、またいつ現れるかわからない悪魔を警戒して彼女の手首に再度枷を嵌める。


 悪魔は去った。ジャンヌは自身に潜む悪魔の存在を知らない。


 神様、私はどうなってもいいのです。

 どうかこの子が心穏やかに過ごせますよう。


 そんな毎日の祈りは届かない。だから、旧友から貰った薬をジャンヌに飲ませる。


 苦いのが嫌なのか、ジャンヌは必死に抵抗するが、その力は幼な子のものだ。同じ身体でもあの悪魔とは比べるまでもない程非力。


 ベッドの上に抑えつけて、口に含ませた薬が嚥下(えんげ)されたのを見届けてから私はトレーを片付ける。


 扉に錠を掛けた音が嫌に耳に残った。




 ▪️▪️▪️




『この愚図(ぐず)が』

(けが)らわしい』

『飯が食えるだけ有難いと思え』


 与えられる食べ物は、全て腐っていた。


『どこの男との子供だ?』

『貴方の子でしょ? 貴方の色よ!』

『俺がこんな汚い色に見えるのか!?』


 水すら貰えず、泥水を(すす)って生き延びた。


『取り違え子だ! 医者を問い詰めろ!』

『そんな時間があるのならジュリエッタに使って頂戴!』


 両親から愛された記憶はない。


『それもそうだ。嗚呼、愛しのジュリエッタ』

『なんて愛らしいのかしら』


 愛されたのは、妹のジュリエッタだけだった。

 彼女はいつも両親の(かたわ)らで、幸せそうに笑みを浮かべていた。


 恨めしかった。憎かった。


 だから、私は神学校へ進む事で家族を捨てた。


 なのに――――


『あの悪魔(ジュリエッタ)が産んだ娘を引き取って頂戴!』


 そんな手紙が母から来た時、何かの間違いだと思った。いつだってジュリエッタは両親に愛され、(さげす)まれる私を見る事なく笑っていたのだ。


『あの娘、どうやら母親(ジュリエッタ)性的虐待(いたずら)をされて心が壊れちまったらしい』

『母親が娘に? そんな事ってあるの?』

『その母親はどうしたんだ?』

『自殺だってさ』


 久々に訪れた地元で、噂話を耳にして(ようや)く私は悟った。


 あの両親の元で、正常に生きていける訳はないのだ。現に私がそうであったように。


 にこにこと浮かべた笑顔の下には、どれ程の絶望があったのか。


 私の妹であるのだから、私は彼女の手を引いて逃げるべきだったのだ。兄である私は、隠した心に気づけず一人で逃げ伸びた。


 その事が、酷く苦しい。


 せめてもの償いにと、私は悪魔の娘と呼ばれたジャンヌの手を取った。


 私が住む、小さな村の教会へ連れてきたジャンヌは碧い瞳を輝かせて視線を忙しく動かしていた。

 言葉は一つも話さなかったが、徐々に慣れてくれればいいと思った。


 それも、その日の夜迄の事。


 月明かりの中、物音で目を覚ました私の視界に映ったのは全裸で私の指を咥えるジャンヌの姿だった。

 急いで身を起こせば、彼女は癇癪を起こして近くにあった水差しを自身の身体に叩きつけた。

 羽交締(はがいじ)めにして止めた頃には、血塗れの姿でジャンヌは怯えた表情を浮かべていた。



 きっと、噂話は本当なのだろう。



 心が壊れた妹は、娘の心まで壊して還っていった。せめて、天上で穏やかに。今ではそう祈りを捧げる事しか出来ない。彼女にはもう何もしてやれない。だから。


 彼女が残したジャンヌを守り育てる事が、私に出来る最大の償いなのだ。


 そうは思っても、日々、突如として訪れる色欲と暴力。言葉の通じない幼な子に無理矢理薬を飲ませる毎日。


 それは、私の心を(むしば)んでいく。


 もう疲れた。出来る限りの事はしたのだ。


 そっと、細い首に手をかけ、共に楽になろうと力を込めた所で――――





――――目が醒める。


 呼吸が不安定で頭がくらくらする。寝衣(ねまき)は汗でびしょ濡れで肌に張り付いていた。


 此処の所、毎晩この状態だ。睡眠薬を飲んだって、こうして夜更けに目が醒める始末。


 水差しを手に取り一息ついた所で、このままでは私も持たないと悟る。

 前々から頭にあった事。それを実行する覚悟を決めた。




 ▪️▪️▪️




 頭がぼんやりとする。


 伯父さんに手を引かれて、久しぶりに部屋を出た。


 ベッドに腰掛ける伯父さんは、眉間に皺を寄せて険しい顔をしている。


 これは、悪魔の兆候だ。


 また、痛くされるのかもしれない。


 少し怖くて、少し安心した時に、蝋燭の灯りを何かが反射したのが分かった。


 伯父さんの背後にあるのは鏡?


 それに映るのは、伯父さんの背中と、碧い瞳で裸の――――


「いやああああああああああああ!!!!」


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


「ママだけだから! これは違うの!!」


 愛してるから痛くしないで。


「痛くして! もっと愛して!」


 ママは死んだのに。死んだと思ったのに。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 今度は、ママの言う通りにするから。


「だから、愛してください…………」


 頭がふわっとした時、最後に見えたのはママじゃなくて、泣き出しそうな伯父さんの顔だった。




 ▪️▪️▪️




「お前……」


 水曜日の夜。突然ジャンヌを背負って尋ねた私を、その一言だけ呟いて、アンドレは受け入れてくれた。


 鏡で現実を突き付ければ、ジャンヌは乖離(かいり)した世界を見つめてくれると思った。

 何度かアンドレとも話して、詳細や時期などはこれから詰めていく予定だった。

 私は焦ったのだ。そして失敗した。


 意味不明に叫んで、泣き崩れるジャンヌの姿が脳裏から消えない。


 アンドレから貰ったホットワインをちびちびと口づけながら、全てを語り終える頃には、もう絶望しか残っていなかった。


「やっぱり、孤児院は駄目なのか?」


 返事をするべきだ。お互いの為に、この子を孤児院へ送ると言うべきなのだ。


 妹への償いはいつしか自分自身の救いへ替わっていた事に今更気づく。

 私は妹に見立てたジャンヌを救う事で、救われたいのだ。


 浅はかにも、未だ救われたいと言う願いがアンドレへの返事の邪魔をする。


「これは、医者の言う事じゃねぇ。友としての言葉だ」



 頭をガシガシと掻きながら、アンドレは俯きがちに呟いた。


「お前も、その子も、とっくに依存関係なんだよ。変な所でまごついてないで、もっとドロドロの関係になればお互い楽になれると思うんだわ」


 まさか。


「こんな幼な子と同衾(どうきん)しろというのか? 相手は姪だぞ?」


「違えよ。お前、その子に極力触れないようにしてるだろ?」


 アンドレの言う通り、あの悪魔が現れないよう、細心の注意を払ってジャンヌへの接触は避けてきた。


「ぎゅっと愛情を持ってハグしてやればいい。寒い日はそのまま一緒に寝ればいい。親子ならしてもおかしくないんだ」


「だが、あの悪魔が――」


「その悪魔は、愛情を欲しがってるんじゃないか? 体温で安心したいんじゃないか?」


 愛情も、体温も親から貰わなかった私には理解が出来ない。しかし、そんな方法でこの子が救われるなら。


「だけどな、雛鳥が最初に目にした者を親とするように、その子はきっとお前無しでは生きていけなくなる。

 心に傷を抱えたその子は一生お前を離さないかもしれない。一生巣立たないかもしれない」


「駄目じゃないか……」


 私がどんなに頑張っても、その愛は紛い物なのだ。


「言っただろ? これは医者じゃなく、友の言葉だ。傷ついた者同士、傷を舐め合って楽に生きろよ。お前が壊れていくのは、見ている俺も辛いんだ。神様はそんな救いは否定なさるか?」


 どんな形でも、人は神の下で皆平等なのだ。愛も、救いも、形は違えど私達にも与えられるべきものならば――――




 ▪️▪️▪️




 ふと目が覚めた時、隣に伯父さんも横になっている事に気づいた。


 思わず身体が硬くなってしまう。


 その顔は、悪魔の顔だろうか?


 息を潜めて様子を伺うと、頭がぼんやりとしてくる。


 上手く頭が回らなくなった頃、伯父さんがきつく抱き締めてきた。このまま悪魔に締め殺されるのかもしれない。


 思い描いた終わりとは違うけれど、これでもいいかもしれない。


 そう思った時、触れ合った部分から感じる伯父さんの温もりが心地よく感じた。


 身体に入った力を緩めれば、その胸に当たる耳にはとくん、とくんと心地良い音が伝わってくる。


 何故だろう? 胸の中がこんなに暖かいのは。

 何故だろう? 痛くないのに涙が溢れてくるのは。


 最後まで何故が尽きないな。


 そう思いながら、私は意識を手放した。




 ▪️▪️▪️




「パパ!」


「おい! 危ないじゃないか!」


 そう言いながらも、パパは後ろから飛びついた私を抱え直して、そのままぐるぐると回り始めた。


「あはは! 目が回っちゃうー!」


 頭はくらくらするけど、笑いが止まらない。


 伯父さんはいつしかパパになって、私はいつしか大人になった。


 もう私の部屋は冷たくないし、毎日パパと寝るベッドは温かい。


「ねぇ、パパ。ずっと一緒だよ?」


 それが叶わない事は、私だってもう分かってる。


「私の一生は全部ジャンヌの物だよ」


 困った様に眉を下げて笑うパパも、分かった上で答えてくれる。


「パパ大好き」


 そのおでこにキスをして、私は目一杯微笑んだ。



最後までお付き合いくださりありがとうございました。


ブクマ・評価は活動の励みとなっております。短編・連載作品問わず反応くださる方、いつもありがとうございます。


他作品でも、またお読みくださった方とご縁がある事を願って。

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