影の語り部
「……して、私はこう言ってやったのです。お前のような愚弟にはローデンスの家名を名乗る資格すらないとね」
「あら、随分厳しいですのね」
「もちろんですとも。我らローデンス家は王族に仕える由緒正しき家柄ゆえ、泥を塗るわけにはいきますまい」
得意げに、さも自分は優秀だと誇示するかのように、恰幅のいい男は髭を擦って言った。
口元を手で隠し、クスッと微笑む仕草を見せる私は……別に面白いなどとは思っていなかった。
貴族たちは私に気に入られようと、入れ替わり立ち代わりで申し訳程度のお世辞と、自身の武勇伝を押し付けにやって来る。
最初は王族が女一人しか生まなかったなどと揶揄されていたものの、私の成長ぶりを見るや否やすぐに手のひらを返した。
本当に盲目的というか、つまらない人ばかりだな、と早々に悟ってしまうのも無理はないでしょう。
「では、私は公務がありますので。今日は素敵なお話をありがとうございました」
「これはこれは。未来の女王様とお話しできただけでも光栄至極。貴重な休息の時間をいただけたこと、感謝申し上げます」
お辞儀をして満足げに去っていく男の背中を眺め、扉が閉まる。
一人になった部屋で窓の外を眺める。城下には多くの人で賑わい、その表情はとても楽しそうに見えた。
取り繕いのない、生きている心地のするものだ。
「……本当に、迷惑だと思うのなら来なければいいのに」
せめて私に兄の一人でもいれば、こんなに退屈な生活をしなくてもよかったのだろうか。そんなことをぽつりと考えては、使用人の持ってきた仕事に目を通し始めた。
〇
疲れ切った溜め息を吐いて大きすぎるベッドに身体を投げ打つ。誰にも見られないこの時間だけは、私の本心をさらけ出せる場所。
「今日来てた方、確か……ローデンスでしたっけ。あれはダメね」
話し慣れているのは聞いていてわかる。しかし隠しきれない欲深さと、なにより他者を落として笑う姿勢は少しも面白くない。
他の人を指差して貶すことでしか笑いを誘えないなど愚の骨頂。誰かが落ちたところで、自分の地位が上がるとでも思っているのだろうか。
彼に限った話ではない。今の貴族は皆そうなのだ。誰かが落ちゆく様を見て喜ぶ。そんな揚げ足取りでしか自らを高く見積れない。
「そんなことをしている暇があったら、国のために政策の一つでも提案したらどうかしら」
誰もいないからこそ、独り言は加速する。おかげで夜はとても空虚な時間に感じていた。
考え事が増すばかりで、真っ暗だったはずの部屋は徐々にはっきりと見えてきて、月明りが嫌に明るくなってくる。
このままでは明日の公務にも支障が出るので、無理やりにでも眠りにつこうとした。
「退屈な夜をお過ごしのようですね。王女殿下」
窓の外から声が聞こえて、私は飛び起きた。
カーテン越しに移る影がある。聞き覚えのない声、それにこんな時間にどうやって私の部屋のベランダに?
暗殺者か……王族にはよくあることだと国王も言っていた。いつでも身を守れるよう護身術は習っている。今は静かに、その影を睨む。
「そう怯えなくても大丈夫ですよ。僕はただお話をお聞かせしようと馳せ参じただけです」
「まずは名を名乗りなさい。さもなくば人を呼ぶわ」
「つまらない話はしませんよ。嫌でしょう、つまらない話を聞くのは」
独り言を聞かれてしまったのか。だとすればいつからいたんだ。……もし暗殺が目的ならば、とっくに襲われていてもおかしくない。
それでもこうして窓越しに話しかけてくるのは、敵意がないと思ってもいいのかしら。
「……少しなら、聞いてあげてもいいわ」
「恐縮です。では僭越ながら」
影は膝をつき、そのまま話を始めた。
「これはとある国に生まれた王子の話です。彼はとても聡明で、次の国王は間違いなく彼であろうと信じておりました。彼もまた自分の使命を理解しており、日々勉学に励んでおりました。しかし、ある日王子は気づいてしまいました。どんな事だと思いますか?」
脈略のない質問に答えられるはずもなく、私はただ首を横に振る。
影は続けた。
「その国は既に、多くの貴族たちが行政の権利を奪っており、王族はただの飾りになってしまっていたのです。しかし決定権は王族にある。ゆえに貴族たちは王族に気に入られようとあらゆる手段を尽くしておりました。ある者は自分の力を誇示し、ある者は財力を見せびらかし、またある者は……邪魔な貴族を暗殺、などひどいものでした。王子はそれに気づいた時、この世界は腐っていると嘆きました」
それはまるで……私の境遇に近いのではないか、と過ぎってしまう。
王族の在り方。そして醜い貴族たち。私が知らないだけで、彼らもまた汚い手を使っているのではないだろうか?
影の話はとても他人事とは思えず、気づけば聞き入ってしまっている。
「それで、王子はどうしたのですか?」
「王子は王族としての復権を果たすべく、さまざまな手を尽くしました。市井を巡り、貴族たちの悪事を暴こうと影から彼らを裁こうとしました。ようやく彼らの地位を剥奪できる、その手前で王子の動きは貴族に見つかってしまいました」
影はおもむろに立ち上がり、くるりと踵を返したようだった。
「悪事を知られてしまった以上、貴族は彼を放っておくわけにはいきません。それから王子は捕らえられ……三日三晩拷問を受けました。片目を抉られ、手足の爪を剥がされ、やがて片腕すらも。王子は正気を失い、自分が誰であったかも忘れた」
全身に寒気が走る。嫌に生々しい語り口は想像をより鮮明にさせ、おぞましさを増幅させる。
震える声で、私は続きを問うた。
「しかし、そんなことをすれば王族も黙ってはいないはずです」
「ええ。王子が消えたことで宮内は混乱を極めるはずでした。しかし、王子の部屋には置き手紙がありました。『僕はこの世界に失望した』とだけ書かれたそれに、宮内は彼が自らいなくなったのだとしました」
「でも、それは偽物なのでしょう?」
「さすがは王女殿下。察しが良いようで」
影は機嫌良さそうに答える。
「その王子は、どこに行ってしまったのかしら」
「王子は自らのすべてを忘れ、夜な夜な貴族を殺す怪物になってしまいました。それから、彼の姿を見た者はおりません」
「お話としては面白かったですわ。後味は悪かったけれど……ねえ、聞いてもいいかしら」
影は答えない。それでも、私は聞かずにはいられなかった。
「その人に、妹はいたのかしら? お互いの顔も知らないほど、年の離れた――」
「それはわかりませんね。もっとも、王子が姿を消したのなら話は別ですが」
「あなたは!」
あなたは誰だ。そう問おうとしたところで、月明りがぷつりと消え、再び部屋は黒に染められる。
ぼんやりと消えゆく影に手を伸ばすと、そこから朝日が上がってきた。
――いつの間にか、時間は朝になっていた。慌ててベランダへと駆け込むが、当然影はどこにもなかった。
あれは夢だったのか。それとも……。
扉をノックし、着替えの衣装を持ってきた使用人は目を丸くして私を見た。
「王女殿下。如何なさいましたか」
「あなた、王宮に仕えてどれくらい?」
「は、はぁ。かれこれ二十年はいるかと」
「なら答えて。私に兄はいるの?」
そんなことはありません。と使用人は首を振り、衣装を置いてそそくさと部屋を出て行く。
私は見逃さなかった。彼女の瞳がほんの少し見開き、揺れていたことを。
やはり、あの影は――
「……どこにいるのかしら」
あれは、私に何を伝えに来たのだろう。
同じ過ちを繰り返すなということか。それとも、無念を晴らしてほしかったのか。
影はまた来てくれるだろうか。もしまた来たのなら……聞きたいことはたくさんある。
「まずは、名前を聞かないといけませんね」