死霊術師は夢の中
お久しぶりの投稿です。お手柔らかに
誰も寄り付かない地下室で、ボクは一人の少女を、複雑な魔法陣が刻まれたテーブルの上に横たわらせ、深く息を吐く。
少女は……美雨は目を閉じたまま、ピクリとも動かない。息の一つもしていない。十年以上も前から、彼女の命は止まったままだ。
ボクは精神的にも肉体的にも成長しているのに、美雨はあの日見たまま、何も変わっていない。
しかし、今日この時、美雨の時間は動き出す。
そのためにボクは大嫌いな家の人間の言うことを聞き、死霊術師としての研鑽を続けてきた。すべては、この家に生まれてしまった不幸な妹を救うために。
「寄る辺無き魂を現世に、土に眠りし肉を空の下に、栄えある生を繋ぐ。起きろ、汝の時は再び動き出す……さあ起きて、美雨」
瞬間、暗かったはずの部屋が鈍い光で満たされる。自然とは程遠い紫色の光は、息をしない少女に集まり、やがて小さな点に収束する。吸い込まれ身体の一部となるとともに、少女はゆっくりと目を開けた。
ボクは思わず彼女の肩を掴み、必死になって瞳の奥へ語りかけた。
「美雨、わかるか美雨。ボクだ、骸だ。答えてくれ、美雨」
しかし、美雨の表情は変わらない。瞳は確かにこちらへ向けられているのに、視線を感じない。
同時に、ぎこちなく口が開き、音が出た。
「……お、あ」
目覚めたばかりだ。肉体と魂が完全に結合するには時間がかかることも、これまでの実験で証明されている。もう少しすれば、美雨は意識を取り戻す。
そう、あと少しもすれば――――
●
「おい、あいつまた連れてきてるよ……」
「よくやるよな。死者蘇生の失敗作を連れ回すなんて」
「死霊術師の考えてることなんてわかるわけないだろ。関わらないのが身のためだぜ」
一帯の魔術師たちが集まる協会に来る度、そんなさえずりが耳を差す。最初こそ憤りを感じていたものの、ボクにとってはもう雑音でしかない。
ボクの斜め後ろを歩く少女を見る。つかず離れず、時折ボクの顔を覗く彼女の目は、黒ずんだ赤い瞳を宿し、色素の抜けた真っ白の髪を靡かせている。そんな彼女を不気味たらしめているのはそれだけではない。
おぼつかない足取りは、時折何もないはずの平たい床につまずき、顔面からべしゃりと倒れる。しかしその表情はぴくりとも変わらず、声も出さず、なんとか立ち上がろうともがいている。
「立てるか、美雨」
美雨に手を差し伸べると、彼女は虚ろな目を向け、じっと見つめてから静かに小さな手を置く。
「……ァ」
小さく首を縦に振る、表情こそないものの、最低限の意思表示はできる。それだけでも、ボクにとって彼女は人形でも死体でもなく、生きているのだと実感できる。小さな頭を撫で、肩を押して彼女を隣に置いて歩かせる。
廊下の曲がり角まで来るなり、見知った顔の女性がこちらを睨むように見つめている。
金色の髪、空を映したような瞳を持った外国を思わせる風貌、しかして流暢な日本語で、彼女はボクへ語りかけた。
「残念ね、稀代の天才が失敗作に溺れるなんて。あなたの力なら、完璧な死者蘇生を生み出せるのではなくて?」
攻撃的な彼女は、協会を統べる魔術師連中と同じことを口走る。魔術師ならばより上を、究極の魔術を作り上げることこそが至高であると、信じて疑わない奴らだ。
ボクは何か言葉を返すでもなく、美雨の手を引いて過ぎ去ろうとする。しかし、彼女は依然として食い下がる。
「そんな状態で、妹は戻ってきたと思ってるの? あなたはそれで満足なの?」
「……ボクは美雨を蘇らせるために魔術師になった。それが達成された今、ボクは魔術を捨てても構わない」
冷ややかな声で、しかしほんの少し怒りの混じらせて返す。
そう、ボクは魔術師としての誉れはいらない。
ボクの悲願はただ一つ、幼くして死んだ妹の蘇生だけだった。
死霊術師の適性は、生まれ持った魔力やセンスよりも重要視されるものがある。
それは、死の概念を受け容れられるか否かにある。ボクが生まれた九条家には、そういう教えだった。
その家に生まれた子どもたちは、物心ついてから最初に見せられるのは、生物の死を間近で見せられるショーのようなものだった。
できる限り残酷に、凄惨に、残虐の限りを尽くして殺す。それを見て子どもたちは何を思うか、どんな反応をするかを見定められる。
ある者は泣き喚き、ある者は意識を失い、ある者は体の中にあるすべての体液を吐き出す者もいる。それが人間として当然の反応だった。美雨もその一人だった。
十人集められた子どもの中でただ一人、ボクだけが顔色一つ変えなかった。生まれもっての才能を持ってしまった。それから死霊術師としての訓練を受けたのはボクだけで、何故ボクばかりと幼少ながらに理不尽を感じていた。
それでも犠牲はボクだけで、他の兄弟親戚たちは安全に暮らせる。そう勝手に思い込んでいた。
ある日、美雨は魔術の実験に無理やり連れ出され、結果として命を落とした。
目の前で苦しめられる美雨を見て、初めてボクとしての感情をもって拒絶し、泣き叫んだ。
「やめて、やめてよ! 美雨が死んじゃう!」
実の父に泣きついた。しかし、父は顔色一つ変えずにこう言った。
「これも九龍家の繁栄のためだ。死を恐れるな」
やがて美雨は泣くことも、もがくことも諦め、やがて地面に倒れた。実験は失敗し、美雨は無駄な死を遂げてしまった。
何もできなかった。幼さ故の全能感などまるでなく、ボクは無知で無力な存在なのだと実感した。
同時に、ボクの生まれたこの家を強く憎んだ。罪のない人間を、妹を惨殺してもなお平気な顔をするこの家の人間たちを、深く憎んだ。
同時にそのときから、ボクは死霊術師になることを決めた。九龍家が培った技術を盗み、妹をもう一度生き返らせる。ただそれだけのために、ボクは九龍家のいいなりになった。
●
……目を覚ますと、ボク専用の工房で一人座っていた。いつの間にか机に突っ伏して寝ていたらしい。
九龍家の地下にあるここはボクしか出入りすることができず、家の人間は入ってこない。ここにいれば、美雨も安全だ。
が、美雨の姿はどこにも見当たらない。
「美雨?」
声を出して呼びかけるが、その影はどこにも見えない。慌てて立ち上がり、階段をかけ上がる。
「美雨!」
目に映った彼女は、黒いスーツを着た男、この家の使用人にあたる人間に腕を引かれ、彼女は必死に抵抗していた。
刹那にして頭に血は昇り、ボクはすかさず走り寄って男を殴り飛ばした。
「美雨に触るな!」
「やめないか、骸」
激昂するボクを諭すのは、どこからともなく現れた祖父、九龍家の当主にあたり、そしてボクがこの世で最も恨んでいる人間だ。
「ボクの妹をもう一度殺そうっていうのか」
「そうではない。だが、いつまでも人形遊びをされていては困るでの」
「人形、遊び……?」
死霊術師は、文字通り死に対して造詣の深い人種であり、同時に最も死を軽んじている。たとえ子どもが死のうと、最愛の家族が死のうと、彼らはなんとも思わない。そんな薄情な連中なのだ。
その親玉に、ボクは頑として歯向かった。
「死者蘇生の過程はボクが証明した。既に成功しているんだぞ。これ以上何が欲しい?」
「成功、それがか? 笑わせるでない。そいつは本当にお前の妹か? 言葉も話せない、まともに歩けず、お前の名前すら呼ばない動くだけの屍が、お前の望んだ妹なのか?」
そんなはずはない。魂の厳選にも成功した。死体と魂の結合にも、知性の復元にも、実験では成功している。
しかし、美雨は……未だに言葉を話せない。知能も稚拙なままで、この魂が美雨だと証明する方法は、どこにもない。
何かを返そうとしても、ボクの口は開いては閉じ、やがて歯を強く食いしばっていた。
ぎゅっと袖が握られ、視線を落とす。そこにいる美雨はボクを覗いている。けれど、やはりその瞳には感情が見えない。
心配しているようにも見える、けれど、本当にそうなのか。ボクがそう思い込んでいるだけではないのか。今までありもしなかった疑心暗鬼が、ゆっくりとボクを蝕む。
ボクは、失敗したのか……?
「まあいい。その遊びに飽きたら、すぐに研究を進めろ。万代家にも後れを取らないためにもな」
また颯爽と祖父は姿を消し、だだっ広い廊下にはボクと美雨が残された。
美雨が何かを喋ろうと口を動かしている。が、今は声すらも聞こえない。
その夜、外は綺麗な満月だというのに、相も変わらずボクの工房は暗闇が続いている。
いつになく陰鬱に感じるこの空間で、ボクはぼんやりと眠っている美雨を眺めていた。
物心ついたころに見た彼女は、どんな声をしていたのか。どんな顔で笑っていたのか。滲んだ記憶の中を探る。そして、いつの間にか思い出せなくなっていた。
今ここにいるのは、本当に美雨なのか。同じ身体と同じだった魂を持っただけの別人なのではないか。
ボクは、何を信じてここにいる?
「……お、ねえ」
美雨の発した声にはっと現実に引き戻される。
彼女を覆うように顔を覗き込むが、依然として目を瞑っていて、それがただの寝言だった。けれど、確かにボクを呼んでいた。
同時に、さきほどまで疑心していたボクが愚かだったことを、実感させられた。
あわよくば殺して、また作り直そうとすら思っていたボクが、醜い。
ボクは魔術師の思考には染まらない。死を受け容れても、納得はしない。
ああ、これは確かに美雨だ。誰に何と言われようと、美雨はここにいる。その事実さえあれば、ボクは――
「悪魔にだってなってやる」