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恋と鳥とコーヒー

 街の中に佇むビルの一階に、個人経営の小さな喫茶店があった。

 会社の下にあるのもあり、昼間はそこそこ繁盛する店で、高校生だった僕はそこでバイトをしていた。

 最初はほんの少しだけやって、一年もせずに辞めようと思っていた。だが、そこで僕は辞められない理由ができてしまった。


 いつからか、僕はとある女性、その店のオーナー兼店長の人間性に惹かれていた。

 歳が10も上で、エネルギッシュで明るい彼女は、仕事の覚えが悪い僕に情熱をもって教育を施してくれた。

 しかしどうだろう。そのときの僕は仕事の話よりも、彼女の一生懸命な姿勢と、明るい笑顔ばかりが脳裏に焼き付いて、そのことばかり考えていた。

 面食いであることは自他ともに認めている。可愛ければそこに恋は生まれる。そんな無粋な神経の持ち主。

 だがそのときは、彼女は違かった。

 

 初めて顔やスタイルなんかではなく、底抜けに前向きな人間性に惹かれていた。

 歳も境遇も関係ない。本物の一目惚れだ。


「やめといた方がいいよ。あの人、この店じゃ男嫌いで有名だから」

「そうなの?」


 僕が相談を持ちかけた同年代のバイトに、開口一番切り捨てられた。

 だとしたら、あの笑顔は嘘だっていうのか?


「あんなに優しそうなのに」

「そりゃ優しいよ。みんなが心配するくらい、真理まりさんは真面目で優しい人だよ。けど、彼女も人間だし、好き嫌いくらいあるでしょ」


 ガツーン、と。頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲った。

 同時に、ショックを受けるほどに僕はいつの間にか真剣に彼女のことを考えているのだと気づく。それだけに、こんな事実を知ってしまったことが、悲しかった。

 どうせ短いつもりのバイトだ。引き止められるほど、人員の薄い店でもない。

 忘れてしまおう。この憩いの空間から離れる。それが、僕が僕にできる最大の治療だ。


 その日は金曜日というのもあり、僕はいつもより遅めのシフト希望を出していた。

 会社で働く人間も早々に帰り、店を閉める頃には僕と彼女の二人きりになっていた。

 覚悟した手前、その空間は僕にとってひどく気まずいもので、早く帰りたい一心で閉店作業をしていた。すると、一足早く終わった店長がケータイを片手に、僕の肩に人差し指でつついてくる。


「あのう、ツイッターって詳しかったりする?」

「え、なんですか急に」

「ほら、最近ってお店とかもアカウント? を持ってたりするでしょう? この店も、ツイッターとかやれば若いお客さんも来やすいかと思って……でも私、機械は全然ダメなの。やり方だけ、教えてくれないかな?」


 ……ああ、あなたはずるい人だ。

 男嫌いじゃなかったのか? 他の女性店員でもよかったじゃないか。なのにどうして僕なんだ。

 こんなにも遠ざけているのに、こうも離してくれないんだ。

 本当に、ずるい人だ。

 結局、僕は踏み出すこともできず、僕のスマホを彼女の間に置いて、丁寧に使い方を教えてしまった。

 一通り教えると、彼女は満足そうに「ありがとう」と返した。


 それからの僕は、辞め時を見失い、かといって干渉しすぎることもせず、適度な距離をもって彼女と接していた。

 彼女は見ているだけで十分だ。僕の大切なものにするのは、きっとお門違いだったんだと、心の中で見切りをつけた。

 一度できてしまえば楽なもので、むしろ興味は彼女から彼女の好きなものへと移っていった。


 幼少から喫茶店の娘だった彼女は、いつか自分の店を開きたかったらしい。

 上京し、経営を学び、こうして夢を叶えられたと嬉しそうに話していた。それが微笑ましくて、聞いている僕も思わず笑みが零れてしまう。

 

 学校よりもここにいる時間が楽しくて、ついついシフトを増やしてしまった。彼女は「そんなに無理しなくていいよ」と言われたが、お金が必要なので、とはぐらかした。

 これは口にしちゃいけない。出そうとも思わない。

 こんな日常が続けばいい。そんな平凡な願いを抱えたまま、高校時代を過ごしていた。

 だがあるとき、こんな話をしたことがある。


「真理さんは、彼氏とかいないんですか?」

「いないよー。今は仕事が楽しいというか……その」

「なんですか?」


 小首を傾げて問うと、彼女は俯きがちに答える。


「あんまりね、恋愛とかわからないの。今まで真剣に好きになったことないし、中途半端な気持ちのまま付き合うのは違う気がして……みんな私のこと変だって。恋愛感情がない人間なんていないよって言うの。私、そんなにおかしいのかな?」

「……変ではないと思いますよ。けどそれ以上に、真理さんは鈍いのかもしれませんね」

「なにそれ、どういう意味?」


 彼女は不満げに頬を膨らませ、僕に問い詰めてきた。

 笑って流そうとする手前、どうして気づかないのだと、心の中で叫んでいた。それっきり、彼女とはその類の話はしなかった。

 そして、僕の高校生活とともに、この喫茶店でのバイトも終わった。最後まで、彼女に想いを伝えることも、なくなってしまった。





 手入れもされず、時間とともに廃れた廃ビルの前で、僕は呆然と、あの日のことを思い出していた。

 喫茶店の上にあった会社が倒産し、そこの社員が売り上げの8割を占めていた小さな店も、大きな打撃を受けて店を畳んでしまったらしい。

 大学に入ってからしばらくここには来ていなくて、この廃ビルを見に来たのも初めてだった。


 ……僕が手伝ったあの店のツイッターアカウントを見てみる。

 今日が最後の営業日です。頑張ります! という店の画像がついたツイートで途切れている。とても最後とは思えないほど店は明るく、また文面から彼女の声が聞こえる。

 最後まで、絵文字の使い方はわからなかったらしい。


 ここは僕の青春の場所だ。ここに来れば、あの頃の感覚が蘇ってくるような気がした。けれど僕の心は未だ、枯れたままだ。

 あれから僕は、人を好きになる感覚を忘れてしまっている。あんなに恋焦がれていた僕は果たして今の僕と同一人物なのか、疑ってすらいる。


 変わっていないのは、あの人を想う僕の気持ちだけ。

 だがここに来て蘇るのは、過去の僕に対する嫌悪感のみだ。

 あのとき、勇気を出して言葉にしていたら。勘違いでも、困られても、行動するだけで今はかわったんじゃないか。そんな後悔ばかりが、僕の胸を締め付けて吐き気を催す。


 今頃彼女は何をしているのだろう。

 実家の喫茶店を継いでまた明るい笑顔を振りまいているのなら、それでいい。ようやく好きな人ができて、一緒にいてもいい。

 少なくとも、彼女に暗い顔は似合わないのだから。


 自動販売機で買った缶コーヒーを飲み干して、なにもない廃墟に背を向けて歩き出した。

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