こんにゃく先生、ライバルは丸いアイツ
星屑による星屑のような童話です。お読みいただけるとうれしいです。
ひだまり童話館第20回企画「つるつるな話」参加作品。
晴れてかねてからの第一志望だった私立の中学校に合格してから、数ヶ月が経った。
何事も無く順調に過ごした一学期。それも昨日で終わり、今日から待望の夏休みになったのだ。あ、一応断っておくが、僕が待ち望んでいたのは早速始まる夏期講習なので、お間違いなく。
そんな僕、小学校のときからずっとクラス委員を務めている南新一は、当然ながらこの中学の学び舎、一年A組でもクラス委員として活躍している。相棒は、小学校からの同級生である、美千代ちゃんだ。
――ところが、だ。
順風満帆なはずの僕の中学校生活に、今日になって試練が訪れたのである。
「おお、みんな来てるな! 感心、感心」
耳の痛くなるほどのセミの鳴き声と陽炎の揺らぐ暑さの中、朝から登校した僕たちの前に満足気に笑みを浮かべながら教室にやって来たのは、担任の加藤先生だった。
「先生、その格好って……」
クラスの中の誰かがそう呟いたのも、無理はなかった。夏休み期間とはいえ、普段とは明らかに違う、かなりラフなスタイルの服装を先生がしていたからだ。
派手な色の半袖シャツと半ズボンに、ミント・ブルーのビーチサンダル。腰には空気でパンパンに膨らんだ浮き輪までついている!
どう見ても、これから授業を始めるように思えない。
そして、どれだけひいき目に見ても、今から空港に向かい、その足で南国のバカンスに出掛けます、といった感じだ。
とそのとき、有名大学を目指す僕たちにとって夏休みも無駄にはできないことを重々承知しているはずの加藤先生が、無精ひげの目立つ顔をしかめながら苦しげに息を鼻から吐き出し、こう言った。
「先生は、これから研修のために沖縄に行かなくてはならなくてな……。皆の授業に付き合えず、とても残念だ」
そう言いつつ、口元は盛大ににやけている。
嘘――バレバレなんだって!
けれど先生は、少しも悪びれずに話を続けた。
「ということで、先生の代わりの特別講師を呼んでおいた。こちらの『玉こん先生』だ!」
しん、と静まった教室。
確かに、さっきから気になってはいた。加藤先生の背後に控える、茶色い小動物のようなつるつるとした物体は何だろうな、と。
まさかあれが、先生だったとは……。
よく見るとその体には、たくさんの黒いつぶつぶが見えた。何となく、見覚えのあるつぶつぶ。名前が『玉こん』ってことは、もしかして――。
「ええ……、加藤先生の代わりとして夏休みの間数学の臨時講師を務める、玉こんです。こんにゃく王国として名高い、山形の出身です。よろしくお願いします」
――来たよ。また、こんにゃくが来たよ。
ぺこり、サッカーボールほどの丸い物体が、頭を下げた。
この、どこまでが顔でどこからが肩だかわからない感じ――懐かしい気もする。
でもちょっとだけ違うのは、前は板状のぷるんぷるんだったのが、今回はまん丸のつるんつるんだということだ。
すると、ゴムまりのように跳び上がった先生が、体を楕円形にしてぷるぷると揺れながら教台の上に載った。どうやらそれは、教台の前側に腰かけている形になっているらしい。その態度は堂々としていて、まるでそこが自分の指定席だと言わんばかりだ。よく見れば、爪楊枝のように細くて短い手足をぶらぶらとぶらつかせている。
「どうしたあ、みんな。鳩が豆鉄砲喰らったような目をして……。いや、むしろリスがこんにゃく芋喰らった時って感じの方が近いかもな。こんな見た目だからすごく厳しそうに見えるんだろうけど、大丈夫。先生、そんなに厳しい指導はしないから」
――いや、そういうことじゃないです。きっと。
ふつう考えたら、こんにゃくが教師としてやって来ること自体が不思議なんですよ、と僕は大いに言いたかった。僕と美千代ちゃんは慣れてるから驚かないけど、他のクラスのみんなは、こんにゃく状で常にぷるんぷるんと揺れる風体の教師に、開いた口が塞がらない。
そんなとき、こんな成り行きに痺れを切らしたらしい担任の加藤先生が口を挟んだ。
「それじゃあ、玉こん先生。あとはよろしく頼みます」
「ええ、お任せください」
自信満々に体を震わせた玉こん先生に、バカンス直行モードの加藤先生がお辞儀した。そして、ズボンのポケットから取り出したサングラスを掛け、後ろ髪などこれっぽっちも引かれない様子で、意気揚々と腰の浮き輪を揺らして去って行った。
後に残されたクラスメートたちはたまらない。慌てふためく教室。
でも、こんなときに役立つのは経験と実績だ。
もう三回目というのもあるし、中学生になったというのもあるのだろう――以前はあんなに動揺していた美千代ちゃんが、その落ち着き払った声で教台の上のまん丸い形をした先生に向かって言った。
「先生、お顔というかお体が焦げ茶色ですが、それは一体、何の色なのですか? こんにゃくって、もっと白っぽいですよね……。もしかして、日焼けですか? あと、おでこについてる黄色いものがよく分かりません――」
――ちがうよ、美千代ちゃん。クラス委員として質問すべきはそこじゃない。
こんな場合、「こんにゃくに教師が務まるのか」とかそういうことを言うべきじゃないかと、湧き上がって来る気持ちを必死に抑えていると、玉こん先生がどこにあるのかよくわからない口をニヤリとさせて、こう答えた。
「おお、キミはなかなか通のようだね……。私の出身地、こんにゃく王国の山形では、こんにゃくを醤油などの調味料で味付けするから茶色いんだ。それから、この黄色いのは『からし』だよ。この辛さにより、こんにゃくの旨みが100パーセント引き出される」
玉こん先生の話を頻りに頷きながら熱心に聴く、美千代ちゃん。もうこうなったら僕が言うしかないと心に決め、席から立ち上がったときだった。
教室の入り口扉がガラガラと開き、再びのアイツが現れたのだ。
「ちょっと待ったあ! どこがこんにゃく王国だってぇ? こんにゃく王国は私の出身地、群馬に決まってるだろうが!」
だいたい一年振りだと思う。
妙な懐かしさまで感じてしまう、四角い容貌。それは、小学校の理科の先生だったこんにゃく先生だった。この僕が、見間違える訳がない。確か去年、自転車にぶつかって散り散りバラバラになったけど、そこは元々植物、地面に植えた欠片のお陰できっちり復活したんだね――。
巨大な『まな板』か『塗り壁』のような体をぷるんぷるんと震わせて怒るこんにゃく先生に、不意に現れた小さなブラックホールのような玉こん先生が、教台の上にのっかったまま答える。
「ふっふっふ……。待ってましたよ、こんにゃく先輩。今やこんにゃく界の伝説となった、あなたに会える日をね」
「君は……もしかして、玉こん君か? 今年教師になったっていう……。こんにゃく界では二人目の教師誕生ということで、私の住む群馬まで噂は広がってるよ」
「好敵手の群馬にまで噂が届いていたなんて、光栄ですね。おっしゃる通り、私の名前は玉こん。今日、臨時講師ではありますが、念願の教師デビューができました」
「ふん、教師としては青二才ということだ」
もう、なにがなんだかわからない。
頭が混乱し始めた僕は、さぞやあたふたとしていることだろうと美千代ちゃんの横顔をちらりと見た。想像に反し、とび切り楽しそうなワクワク顔をしている、美千代ちゃん。知らぬ間に、美千代ちゃんも大人になったんだな。
けれど、それで僕の気持ちは収まった訳ではない。
「ちょっと、いい加減にしてよ! ここは将来の受験生が集まった大切な講習会なんだよ。しっかり授業をやってよ!」
思わず叫んでしまった、僕。
教室が、しんと静まる。
しばらくして、どこにあるかよくわからない口を開いたのは、こんにゃく先生だった。
「おお、誰かと思ったら南じゃないか! 久しぶりだな。元気だったか?」
「ええ、まあ……。先生、普通に復活したんですね。びっくりです……っていうか、先生、小学校の先生じゃなかったですか?」
「こんにゃくに小学校とか中学校とか、そんなくだらない垣根はない。ねえ、玉こん先生」
「ええ、その通りです。こんにゃく先輩」
「こんにゃくの世界の垣根はどうでもいいです。それより、ちゃんと授業をやってください!」
「何を言ってるんだ、南。ちゃんと授業するに決まってるじゃないか。今まで私が授業で手の抜いたことなどあるか?」
――うん。確かにこんにゃくのことだけは、真面目に授業してた。
だが、僕の魂からの叫びも空しく、授業は素直には始まらなかった。
教室入り口辺りに立っていたこんにゃく先生がずかずかと中に進み入り、教台の上でまん丸く佇むもう一人の先生に、どこにあるのかよくわからない目で睨み付けたからだ。
「だが、授業の前にこれだけははっきりとさせておかねばならぬ。玉こん君、先程君は聞き捨てならないことを言ったな――山形がこんにゃく王国だって? 笑わせるな、それはこんにゃく芋の国内生産シェア93%の群馬に決まってるじゃないか!」
「しかし先輩、消費量は山形が日本一ですよ。ってことは山形が世界一、ってことです」
「むむむ……。ならば真のこんにゃく王国がどこか、はっきりさせよう。でも、あれ? よく考えてみたら山形のこんにゃくって、もともとは群馬の――」
「と、とにかく、こんにゃく日本一を掛けた対決をしようじゃありませんか!」
山形のこんにゃくの原料には触れられたくない玉こん先生が、無理矢理に対決を申し出た。勿論、こんにゃく先生は受けて立つ。
こうして、二人の教師による『こんにゃく王国対決』が始まった。
「では、生徒の皆にこの対決の審判員を務めてもらおうと思う。それでいいか?」
何故か中学の夏期講習を仕切る、小学教諭のこんにゃく先生。
どう返事してよいものやら分からずにいる生徒たちをよそに、「そうか。みんなそれでいいんだな」と勝手に納得したこんにゃく先生と玉こん先生は、三番勝負で対決することにこれまた勝手に決めてしまった。
ちなみに、じゃんけんが買った方が対決のお題を出せる。
「最初は、食べやすさ対決!」
手足が爪楊枝な玉こん先生がどうやってじゃんけんをし、勝利したのかはわからないが、玉こん先生がひとつ目のお題を出した。
お題に沿ってお互いのいいところを言い合い、その内容の優劣の判定を生徒たちが行う、というシステムらしい。
「見てくださいよ、この美しいボディー! 丸くてつるつるして、すごく食べやすい。しかも山形で食べる玉こんにゃくは三つづつ串に刺してあって持ちやすい上に、大きさもお口にジャストフィットなんです。これ以上食べやすいこんにゃくなんか、世界中探してもないですからっ」
つるつるした褐色の肌を光らして、玉こん先生が自慢げに話す。
むむむと唸りながらどこにあるかわからない唇を噛みしめたこんにゃく先生が、苦しそうに反論した。
「い、いやいや、それは違うね。食べやすさなら、やっぱり四角い形だ。手に持てば、前後左右にぷるぷると震えて楽しいし――」
群馬対山形のこんにゃく王国対決だったはずが、いつの間にやら『板こんにゃく』対『玉こんにゃく』になっている。けれど、それを今クラス委員の僕が指摘したところでなにも変化がないだろうから、そのまま放っておくことにした。
結局このお題では、クラスメートのみんなの挙手によって玉こん先生が圧倒的勝利を収めた。
「次は、料理レシピ対決!」
何度も言うが、どうやってじゃんけんが行われたのかはわからない。
だが、今度はじゃんけんに勝ったこんにゃく先生がお題を宣言する番だった。
「ほらほら、見てくれ。こんなにも、板こんにゃくには料理のバラエティがあるんだぞ」
どこからか取り出した写真付きの料理レシピの書かれた紙を黒板に何枚も貼り着けると、こんにゃく先生は自慢げに体全体をぷるぷると震わせた。レシピには、切り込みを入れた板こんにゃくにご飯を詰め込んだこんにゃく寿司や、こんにゃくの刺身、おでんや煮物、こんにゃくでできたパスタ料理まであった。
「これは玉こんにゃくには真似できまい。なにせ、玉こんにゃくは醤油ベースの調味料で煮っころがすしかできないのだからな」
「そ、そんなことはないですっ。甘辛い味付けもできるし、煮物にだって使えるし! 結構レパートリーがあるんですっ」
しかし反論空しく、玉こん先生が用意した写真がどれも茶色い色をしているというビジュアル的問題なのか、今度はこんにゃく先生に軍配が上がった。
「最後は、栄養対決!」
じゃんけんに二連勝したこんにゃく先生が、三つ目のお題を高らかに宣言した。
二年前にこんにゃく先生の授業で聞いた覚えがあるけど、ああ見えて、こんにゃくって結構栄養があるらしい。
「板こんにゃくには食物繊維が含まれているのは、よく知ってるよな? だけど、それだけではなく、骨を強くするカルシウムや、肌の保湿に必要なセラミドも多く含まれているので、健康や美容に気を使いたい人には、とても良い食材なんだぞ」
どこに鼻があるのかはわからないが、鼻息を荒くして自慢するこんにゃく先生。だがこのとき、後ろの方の席の誰かがぽつりと言った。
「それってさ、玉こんにゃくも同じなんじゃないの?」
今更ながらそれに気づいたらしいこんにゃく先生が、はっとして玉こん先生を見遣る。
玉こん先生は、どこがその部分だとは僕には言い切れない場所にある肩をすくめると、
「残念ながら、栄養は同じです……こんにゃく先輩」
と言って、これまたどこの部分がとまでは言い切れない首をがくっと折って項垂れた。
こうして、三つ目の対決は生徒たちが評価をするまでも無く、引き分け。結局、互いに一勝一敗一引き分けとなり、勝負全体としても引き分けとなったのだ。
「……いい勝負だったな、玉こん君」
「ええ、そうですね。こんにゃく先輩」
その表情はよくわからないが、多分、対決を終えた二人の笑顔は清々しかった。スポーツで対決した訳でもないのに、互いのつるつるとした額らしき部分からは、爽やかな汗まで流れている。
――って、そんなことどうでもいいから、早く普通の授業を始めてよ!
僕が大声を張り上げ、暴れようとしたときだった。
玉こん先生が、しみじみとした声で言ったのだ。
「伝説のこんにゃく先生と対決するのが、私の夢でした。夢がかない、教師としてもう思い残すことはありません」
「そうか。ならば今後は、こんにゃくの良さを世界に広めるためにともに頑張ろうな」
「ええ、勿論です!」
そう言い残し、二人の教師はぽよんぽよんと跳ねるような足取りで、教室から出て行った。
置き去りにされた、生徒たち。
「いったい……何だったんだろう」
狐に化かされたような気分の僕たちは、次の授業までぽかんと口をあけたまま過ごすしかなかった。
翌日、研修先から連れ戻されたらしい加藤先生が、憮然とした表情で教壇に昇った。その格好は、バカンスモードから通常のスーツ姿に戻っていた。
「ええ、残念ですが……本当に本当に残念ですが……臨時講師だった玉こん先生は『私には世界平和のためにこんにゃくを普及する使命がある』と言い残し、地元の山形に戻られたということです」
やっぱり、こんにゃくなんて嫌いだ。
――大嫌いだ。
(おしまい)
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