第六話 邂逅
竜ヶ守町一丁目48番地、といえば町の中心にあたる区域から200メートルほど北西にいったあたりのことである。震災から復興する過程で築四年程度の家屋が多数となったこの地域内でも、特に新築の物件ばかりが30から40軒立ち並ぶ閑静な住宅地だ。
そこから西にさらに100メートルほど移動すると、ここ数年でようやく立ち直ってきたばかりの農家や田畑が広がる田園地帯に侵入し、反対に東側に歩いていけば町役場などの、自治体機能の中心的役割を果たすエリアが見えてくることになる。
さて、そんな住宅地の東の端にたった今、黒塗りのタクシーが停まろうとしていた。車種はトヨタのクラウン。プレートは仙台ナンバーで行灯はちょうちん型と、この辺りではごくごく標準的な個人タクシーである。
徐々にスピードを落としたタクシーが最後に、薄い肌色をしたレンガ塀で囲まれた一戸建ての前で止まると、その後部ドアが流れるように開いた。
そこから姿を現したのは一人の女性だった。髪は黒のストレートロング。草色の服を着て、そこから突き出た瑞々しい肢体がこの上ない白みを帯びている。
女性が車外に出てゆっくりと立ち上がると、その艶のある黒髪が風になびくようにしてさらさらと動いた。その下に隠れる頬や額も手足と同じぐらいに白く、ざわめく髪の色と化学反応を引き起こして、まるで達人級の画家が塗り分けたかのような絶妙なコントラストを生み出している。それでも一見したところの年齢はまだ若く、多く見積もって二十代前半といったところであろう。
背後で車のドアが閉まり、もと来た道を戻るようにして走り去っていってしまうと、女性はその場で静かに深呼吸した後、自分がようやく一歩、その土を踏んだばかりの地方の小さな田舎町の光景を見渡し、つい数ヶ月前に起こったばかりのあの出来事を思い出した。
彼女はこれから、ある人物の元を訪れるつもりであった。おそらくは自分の所為で心と体ともに、深い傷を負わせてしまったかもしれない―――いや、もっと正直に言えば既に人生自体を変えてしまったであろうその人物の元に。
勝手な思い上がりかもしれない。けれど、どうしても伝えておきたい。
彼女は数日前にした決意をもう一度繰り返すと勇気を持ってさらに一歩目を踏み出し、それから清潔感あふれる住宅地の傍を離れると、彼女の目的目指し、小さな町中を潮風の漂ってくる方へと歩き出した。
* * * * *
「急げ急げ、もう昼の大会はじまっちゃうぞ!」
「うひゃー」
町行く女性の傍らを、その背丈と見比べてみてもやたらと大きく、ずっしりと重そうなバッグを背負った小学生ぐらいの男の子が二人、慌ただしく駆け抜けていった。彼女がつられてそちらに目をやると、ちょうど今通り過ぎた交差点の向かい側に、出入り口のガラス扉にカラフルなポスターがたくさん貼り付けられた、何らかの店と思われる二階建ての小さな家屋があり、男の子たちはその中へと駆け込んでいた。
『カードショップ デュエルラック竜ヶ守店』
店の入り口の真上には、青地に赤と黄色の文字でそう書かれた横長の看板が掛かっていた。
貼ってあるポスターのイラストは、家電量販店やテレビCMなどで見覚えがあった。たしか最近流行っているカードゲームに登場する、人気のあるモンスターの絵だ。男の子たちがのめり込むこういう文化は、彼女の幼い頃から殆んど変わっていないように思えた。
中には相当な人数が集まっているのか、店自体は小さいにもかかわらず外に漏れ聞こえてくる声は多少店から離れていてもハッキリと聞き取ることができ、甲高くはしゃいでいる声が殆んどであることを思うと、先ほど入店していったような小学生ぐらいの客が多いのだろうか。
よく見れば、店の外にも何人か小さい子どもの客が溢れ出していて、それをしばらくすると店内から顔を出した中年と思わしき、メガネをかけた小太りの男性に名前を呼ばれ、バッグを抱えて楽しそうに店内へと走って入っていったりしている。
「あ、チカちゃんはもうちょっと待っててねー」
「は~い」
歳の離れた客同士の親しげな会話。店から遠ざかりながら彼女はふと、一昔前の映画に登場した田舎の駄菓子屋の光景を思い出していた。こんな土地に来たからかもしれないが、その店の雰囲気は何処となく、そんなノスタルジーを感じさせた。
* * * * *
それからしばらく後。商店街を抜けて海に50メートルほど歩いたあたりの町角にある、おそらくは個人経営レベルの小さなお土産店。店の奥からは文字通り梅干しのように皺くちゃな顔をした一人の老婆が、一見すると開いてるか閉じてるかも判らないぐらいにその目を細めながら、静かに静かに店の外を覗いている。
そんな店の軒先では老婆の見守る中、四十代後半ぐらいの農夫姿の男が二人、喧々諤々の議論を交わしていた。
「―――だから隕石だって、アレは。やっぱり警察に連絡しないとマズイんじゃ・・・・」
「つってもお前、今まで隕石なんて見たことも無いだろうが?」
「いや、そりゃそうだろって何度も言って―――」
「・・・・・・・・『烈怒龍饅頭』一個105円、ひと箱2000円、今ならキーホルダーとセットで―――」
「おい婆さんしっかりしろ、俺たちゃ客じゃねぇぞ」
「あの、すみません・・・・・・」
そのとき声をかけられて、農夫二人はさっと老婆から店先の路上へと視線を戻した。すると彼らの目の前に突然、草色の服を着て黄色のトートバッグを持ち、長い黒髪を靡かせた二十歳ぐらいの女性がその両脚を綺麗にそろえて立っていた。
あまり派手ではなく、それでも滅多にいないような美人に急に話しかけられて、男二人はワザとらしく驚いたような声を上げると、
「ぉぉう、ビックリしたぜ。なんだい、俺になんか用かい別嬪さんよ」
「バカ言え、話しかけられたのは俺だ。お前は黙ってろ」
「うるせぇ、お前こそ引っこんでろ。俺ほどの色男がいて話しかけられないワケが―――」
「・・・・・・・・『烈怒龍饅頭』一個105円、ひと箱で―――」
「婆さん、少し黙っててくれないか」
それじゃ商売にならないと思うのだが。
「あ、あのっ・・・・・・・・!」
と、ここで再び女性の声。そちらへ振り向いた二人の男は、彼女の当初よりも若干緊張で強張った顔と、微妙に上ずった声とでようやく、いささか悪ノリしすぎたことに気がついたようだった。思わず顔を見合わせると、二人とも気まずそうに頬をかいたりしていた。
「あ・・・・・・えと、悪い悪い、ちょっと調子乗っちまった。それで何の用だいネェちゃん」
「・・・・・・・・あの、実は人を探してるんです」
「ヒト?」
「はい、この人なんですけど・・・・・・・・」
そう言って女性は自分のバッグから一枚の写真を取り出した。以前何かの記念で撮ったらしい、普通のデジカメ写真だった。
男二人はその写真を受け取ってしばし眺めたのち、また再び、お互いの顔を見合わせていた。ただし今度はいかにも驚いたようにその目を丸くして。それからもう一度写真を覗き込む。確かに見覚えが無いことはなかった。だが、
「こいつ探してるの?」
「はい、どうしても会いたいんです」
「「・・・・・・・・」」
男二人は躊躇しているようだった。
知らないということは無い。むしろ最近では、町中で知らない人間がいないぐらいだ。が、その相手の状況を考えるにつけ、果たして、目の前のまだ若々しく汚れを知らなそうな美女に引き合わせてよいものかどうか、一抹の不安がよぎるのもまた事実であった。
しかし目の前の女性の表情は真剣だった。何かの気まぐれや思い付きなどではなく、確固たる意思を持ってこの場にいることが伺える。
なので少し迷ったが、結局男たちは女性に、相手の場所を教えてやることに決めた。
「・・・・・・ネェちゃん、こいつならね、すぐそこに小さい森の入り口が見えるだろ? あそこの中に入っていって、舗装された通路の上を適当に歩いてれば、たぶんすぐに会えるよ。大体いつも、森の中でフラフラしてるらしいからね」
「あ、地震の後に出来たっていう森林公園ですよね」
「そうそう。それでも会えなきゃ、海岸の傍にある『竜神』って居酒屋いってみな。最近じゃあっちにも顔出してるらしーからね」
「分かりました。わざわざご親切に、どうもありがとうございます」
そう言ってその女性は謙虚そうに、男たちに向かって頭を下げた。長い髪の一部がさらっと顔の前に流れてくるが、再び顔を上げたときにその髪を戻す手の仕草もまたどこか可憐だ。
一方お礼を言われた男たちの方はというと、何故だかどことなく苦しげな表情に見える。
「いや、ネェちゃんが良ければいいんだけどねぇ・・・・・・」
「ただ気を付けてくれよ。別に悪く言うわけじゃないけど、最近じゃあの男、」
そう、男が何かを言いかけたその時だった。
突然海のほうから消防車のサイレンを引き伸ばしたような、パァ~という長く低い警報音が鳴り響いてきて、その場にいた彼ら全員の鼓膜を突いて通り抜けた。続いて、もう一回。その後も絶え間なくサイレンは聞こえてくる。
聞いたこともないけたたましい音に女性はつい顔をしかめ、空いているほうの手で片耳を覆ってしまう。そう、知らない人からすればこの音は、それこそ耳を傷めるほどの騒音でしかない。が、その正体を知っている人々にとって、殊更この界隈に何十年も住んでいる者とあらば、この音は正に恐怖を呼び起こす怪物の咆哮と言って差し支えないだろう。
現にさっきまで下らないくだらない会話を見せ付けていた農夫たちの顔から完璧に余裕の色は消え、変わってこれまでにない深刻そうな目つきが表出していた。
「おい、このサイレンって・・・・・・・・!」
「津波かァ? なんかの間違いじゃねえのか、地震も何も起こってないってのに」
「・・・・・・・・もしかして、さっきお前が言ってた”隕石”のせいじゃねえのか?」
「まさか!? あんなちっぽけなもんで津波が起こったりするんかいね」
「あの、すみません。隕石って一体何の・・・・・・?」
女性は状況がまったく飲み込めていないといった様子で、表情を強張らせて会話を続ける男たちに訊ねていた。男の一人が女性のほうを振り向いて、緊張した様子で説明をはじめた。
「さっき海のほうに、こんぐらいの大きさのモンが燃えながら突っ込んでってな。やたらと速かったし、空から急に降ってきたんで、隕石じゃねえかって話してたんだわ」
「ともかく、警報が出たんなら一度、高台かどっかに逃げたほうがいいだろな」
「そだな。本当かどうかは別にしても、本当だったらえらいことだしな」
「・・・・・・ちゅーわけでネェちゃん、とりあえず俺らと一緒に、」
そう言って女性のほうを再度振り向く男二人。が、気がつけば女性の姿は消えていた。
驚いた彼らが周囲を探すこと数秒。彼らの視線の遥か彼方に、もう既に森までの道を全速力で走っていっているあの女性の後姿が見えた。風にたなびく艶やかな黒髪。男たちは、思わず頭を抱えて叫んでいた。
「ってネェちゃん、どこいく気だ!? 戻って来ーい!!」
「人の心配してる場合じゃねぇ、死んじまうぞ!」
* * * * *
森へ駆け込む彼女の背後から、道を教えてくれた男二人が何事かを叫ぶのが聞こえた。しかし、止まらなかった。いや、”止まれなかった”。止まるわけにはいかないのだ。
実際、こういうときに選択すべきとされる行動は耳にタコが出来るぐらい聞かされていた。彼女とてこの宮城に生まれた人間だ。まだ十代にも満たないうちにあの大震災に遭遇したし、それからの学生時代、記録映画やら震災への対応を描いた啓発ビデオなど、機会があるごとにその目に焼き付けられてきた。
津波発生時は何をおいてもまず、高台に避難すべき。そんなことは分かっている。
だがたとえ頭では分かっていたとしても、心の内までそう簡単に割り切れるものではない。ましてや今この森には、彼女が誰よりも死なせたくない人がいるかもしれないのだ。ならば猶のこと、一人で安全な場所に避難するわけには行かなかった。せめて、森を隅々まで探してからにしなければ。それがどれほど危険な行為かは、彼女自身よく理解していた。
緑の光で満ち溢れる森の中を、彼女は探す相手の名前を呼びながら、一心に走り続けた。
「水岡さん・・・・・・・・・っ!」
* * * * *
森の中を通る道が一箇所に集まるサークル状の広場に出て、彼女はひざ頭を押さえ、少し下を向いて苦しそうに息をついていた。覚悟はしていたがやはり広い。中学、高校と茶道部に所属していた彼女の体力では少々手間取る様子だった。
が、それでも見つけなくてはならない。探す相手が今ここにいるのも元はといえば自分の所為なのだ。自分があの場所に行ったから。だから彼は今ここにいる。仕事だったとはいえ、たった一度の誠意のために汚名を被って。見過ごす訳にはいかない。
けれども、流石に限界かもしれなかった。決して体力の話ではない。彼女のしている腕時計によれば、森に入ってから既に五分以上が経過しているらしいのだ。
たった五分、と思う人間も多いが、津波が陸地を進む速度は我々の想像より遥かに速いのだ。津波の規模にもよるが、油断をしていたら確実に飲み込まれる。
農夫たちは隕石が落下したと言っていたが、彼女が道中で気付かなかった程度であるならば、実際それほどの影響は引き起こさないハズだ。少なくとも10年前のような大津波が襲ってくることは考えにくいだろう。
いずれにせよ、警報が鳴ってから五分も経過しているのだ。すぐ飲み込まれるということはなくとも、徐々に水は迫ってきているのだろう。ただでさえ海に近いこの森に、いつまでも居続けるのは農夫たちが言っていた通り自殺行為かもしれない。
そこまで考えてから、彼女はまずは海がよく見える開けた場所に行こうと決めた。幸い手近な園内地図を見ると、もう少し海に近いあたりに階段つきの小さな風車小屋があるようだ。少しリスクを伴うが、そこに上って海のほうを見渡してみれば現状が把握できるはずだ。
そう思って彼女は息をどうにか整えると、目指すものがある、森の東側へ向かって走り出そうとその白い足を一歩踏み出した。
そのとき彼女の目の端に、茂みの奥で何か動いているのが映った。不思議に思ってそちらを見ると、人の手で丸く刈り込まれたと思われる路端の小さな茂みから、特徴的な水色のワイシャツを着崩し、紺のズボンの裾を引きずり、その高い背丈にもかかわらず背中を丸めてだらだらと歩く、よく見覚えのある一人の男がその姿を現した。彼の顔にはよく目立つ、左の頬から鼻の頭までつづく一筋の傷跡が見て取れた。彼の目は焦点が合っていなかった。
その姿を見て、女性の方は息を呑んでいた。そして思わず声を掛ける。
「水岡・・・・・・さん・・・・・・?」
名前を呼ばれた水岡は、感情の篭もっていない様子でその目線を彼女の方に向けた。
だが数秒後、これまで怒りと嘲笑の色しか見せてこなかったその顔に突然、初めての驚愕の色が浮かぶ。しかめっ面のままだが大きく目を見開いて、おもむろに声を発する。
「新星、理恵・・・・・・!?」
「・・・・・・・・はいっ」
草木の隙間に間断なく降り注ぐ緑の光。その下で対峙する男と女――水岡真悟と新星理恵。
彼らはそれからしばらくの間、互いにひとことも発さないまま見つめ合っていた。新星の方は心の底から嬉しそうな、達成感のある笑顔を。反対に水岡の方は激しく動揺したような、何を言ったらいいのか分からない様なそんな複雑な顔を、それぞれ全面に顕わしながら。
新星はまず一歩、水岡に向かって足を踏み出そうとした。ソレを見て水岡が、何故か拳をぐっと握り締める。新星もそれに気がついたのか、一瞬ハッとして動きが止まる。が、意を決したように前に進もうとする。
その時だった。
新星は不意に、自分の周囲に影が差したような感じがした。実際、彼女の頭上から降り注ぐ光がまるで雲でもかかったかのように急に少なくなり、彼女や水岡のいる広場全体が暗く落ち込んだのである。
なんだろう。そう思って頭上を振り返った瞬間、
「きゃあっ!!?」
巨大な何かが目の前に降ってきて、合金製のボディがひしゃげ、ガラスが砕け、フロントガラスのフレームがはじけ飛んでゴミ箱を打つというバラエティー豊かな挙動を一挙に実行しながら広場のレンガの上で勢いよくバウンドすると、水岡の背後にあったベンチや木々を巻き込んで金属同士が擦れ合う壮大な音を立てながら引っくり返り、最後にそのバンパーをレンガ床に叩きつけるとゆっくりと揺れ続けながら、次第にその動きを止めていった。
頭の上から降ってきたのは乗用車―――正確には新品同然の青いワゴン車―――だった。たった一瞬のうちに鉄クズへと変わり果ててしまったが。
新星はしゃがみ込んだまま恐る恐るその顔を上げた。いつの間にか鼓動が激しくなっている。一方水岡はというと、どういうわけか目の前で起こった大惨事に特に驚くでもなく、ぼうっとしたまま傍で揺れるワゴン車の車体を見つめていた。
新星の背後でメキメキと、何かを引き裂くような音がした。彼女はまた咄嗟にそちらに顔を向けた。そして、信じられない光景を目にした。
十数メートルもある巨大な怪物が、行く手の木々をなぎ倒し森の中を進んできていた。
(第七話へ続く)




