第三話 2025年
ある土曜日。昨日までやっていた現場作業の諸々もひと段落つき、暇の出来た吉田はその足で傾斜の緩やかな丘のふもとを『竜神』へと向かっていた。にもかかわらず、その格好はTシャツに作業ズボンといった先日と殆ど違う様子のないなりだ。他の服を持っていないわけでもあるまいが、もしかすると選ぶのが面倒なのだろうか。
そんな格好でポケットに手を突っ込み、軽快に口笛を吹きつつ舗装された車道脇の歩道を歩いていると、吉田の目の前から赤いランドセルを背負った何人かの小学生たちが列になって近づいてきた。歩道は狭い。体の大きな吉田がいれば尚のことだ。吉田は歩みを止めないながらも、軽く道の左端に寄って小さな子どもたちが通れるようにした。その脇を、吉田の腰ぐらいまでの身長しかない女の子たちがちょこちょこ歩いて通り過ぎていく。
土曜日に登校、といっても現在ではそう珍しいことではない。かの『ゆとり教育』が見直されて既に15年近くが過ぎようとしている。それから現在にいたるまで公立の小中学校でも週休二日制すら廃止する学校が増加し続け、そのため2025年現在では公立学校のほぼ九割以上が第三週以外の土曜日には授業を行っていた。
時間帯からみて子どもたちは学校帰りのようであった。最初の女の子たちだけにとどまらず、時々小学生が何人かずつでグループになって固まって、楽しげに会話をしながら吉田の前方からやってくる。そのたびに吉田は脇によける。毎回やっていると面倒そうな気もするが、通学路に当たっている以上は仕方のないことだし、それにいちいち文句を言うほど吉田も狭量な男ではない。
ふと吉田の耳に、すれ違った男の子たちの会話が聞こえてきた。
「なー、今日ケータイ繋がった?」
「ううん、朝からずっと圏外って出るだけ。お前は?」
「ボクのほうも全然ダメ。校門のところでかーさんにメールしたんだけど、届かないみたい」
「つーしんえーせーが壊れちゃったのかなぁ」
まだ10歳にも満たないような子どもの口から”通信衛星”などという単語が聞こえてきたので、吉田は思わず噴き出しそうになった。小学生がやたらと物事の仕組みを知っているというのは、何故だかとてもシュールな心地がする。
吉田が小学生の頃には、既に携帯電話は吉田ぐらいの年齢の子どもの間にも波及し始めていたと思う。だが吉田も含めて殆どの子どもが、使い始めたころは電話やメールが出来るということに夢中になるのみで、送受信のシステムについての知識など有してはいなかった。この時代の子どもたちにとってはもう携帯電話など、あるのが当たり前の物品なのだろう。
教育システムの変化といい、携帯電話が存在することの日常化といい、心底「時代が変わった」と認識させられる吉田であった。先の教育の話にしても、吉田は『ゆとり教育』の真っ只中にいた世代である。9歳になったばかりの年、それまで土曜日も学校に通っていたのが突然休みに変わり、当時とても喜んだのを覚えている。友人たちと外へ遊びに行ける時間が増えたからだ。しかし今となってはその記憶も、遠い昔のものになりつつある。もちろん、その後彼らの世代を直撃することになった忌々しい出来事の数々も、だが。
・・・・・・。
そこまで考えてから、吉田はそれ以上を考え進めるのをやめた。十年も前に終わったことを考えても仕方がない。悔しさが増すだけで何かが変わるわけでもないならば、開き直って「今」を生きることを考えたほうが得策である。
何の気なしに吉田は胸ポケットから携帯電話を取り出すと、腕を軽くスナップさせて折りたたまれた画面部分をパカッと開いた。最近ではスライド式やタッチパネル付きのほうがトレンドであるが、吉田はその職業上、画面が常時露出しているスライド式を使うと塗料などで汚れてしまう可能性もあるので、古臭くても折りたたみ式のものを使うことにしている。
・・・・・・それにしても、折りたたみ式の携帯電話を開くと無性に「555」と入力したくなるのは、世代なのだろうか。
画面右上の表示に目を通すと、通常なら3つ着いているハズのアンテナマークが消え、『圏外』とだけ表示されていた。先程の小学生たちの会話にもあったように、どうやら本当に電波状況が悪いらしい。
吉田は携帯電話の画面を閉じると再び胸にしまい、そのまま『竜神』への道を急いだ。店でニュースなど見ていれば、何かしらの情報は入るかもしれない。そう思って先日と同じ石段を登っていこうとしたその時、再び背後を通り過ぎる子どもたちの会話が聞こえた。
「じゃ、今日の夜7時に、森林公園でな」
「ホントにやるの、肝試しなんて? どーせお化けなんて居やしないのに・・・・」
「何だよ、知らないのか? 最近あの森に出るんだぞ・・・・、顔に傷があっておっかなーい顔した警察官の幽霊が・・・・」
「えっ?」
「ううううう、うらめしやぁーっ」
「わー、ちょっとやめてやめて・・・・・・・・・」
携帯電話の話をしていた子たちよりも若干高学年らしい、小学生の男の子たちだった。吉田は一瞬だけピクリと固まって、それから再び石段を登り始める。
彼らの話にあった森林公園というのは、いま吉田が登っていっている小高い丘の南東方向に広がる、およそ5年ほど前に完成した敷地面積10ヘクタールほどの人工林のことである。かの『東日本大震災』の起こった翌年に植樹された苗木が10年ほどかけて育ったもので、木々の合間を縫うように通路が整備されてからというもの、竜ヶ守復興の象徴であると同時に市民の憩いの場ともなっている。
『竜神』が立っている丘の頂上からもその森林公園はよく眺められて、なおかつ歩いて向かうことも容易な距離にある。そして、この間の初遭遇時の行動を考えると、小学生たちの話題にしている幽霊の正体は”彼”以外に有り得なかった。
「お前の顔をよこせぇー!」
石段の下で小学生たちがきゃっきゃ言いながら互いに攻撃を出し合い、そのまま何処かへと走り去っていった。
時代が変わっても、学力が上がったとしても、結局それだけはいつまでも変わらないのだと吉田はため息をついた。本当に小学生の男子の言葉ほど、デリカシーのないものは無い。
* * * * *
「よぉ、ヨっちゃん。相変わらず汚ねぇ格好してんなぁ」
「うるせ、ほっとけ。八っつぁんも昼飯か?」
「用事なんぞ無くたって、この店集まんのは決まってることじゃねえか」
その言葉に呼応してガハハと笑う中年軍団。暖簾を上げて入ってきた吉田を、『竜神』で飲み食いしていたムサい男連中が出迎えた。吉田と同じく竜ヶ守で働く大工や、仙台まで通勤してサラリーマンをやっている者、農家の経営者など職種はさまざまだ。彼らはカウンターの向かい側に設けられた座敷で所狭しと座り込み、二つしかない卓袱台を囲んで冷奴や枝豆など摘まみながら談笑している。まだ昼間ゆえか、酒の入っている者は3分の1にも満たなかった。
それは一見、居酒屋と呼ぶのには奇妙な光景であった。小さな町で顔見知りが多いということもあるのだろうが、職業上は何の関わりもなさそうな集団が、ひとつの卓袱台を囲んでとても親しげに世間話に花を咲かせている。
そういう意味では居酒屋というよりも、むしろ喫茶店か定食屋に近い。集まる面々が必要以上にむさ苦しいというただ一点を除けば、こういうファミリーチックな店内の雰囲気は『竜神』が人を集める理由のひとつであるかもしれなかった。
「あー、吉田さんもいらっしゃい」
そう言って店の奥から出てきたグラサン男。白地のTシャツの上に緑の半袖ジャケットを羽織り、小さな盆に焼き鳥とビール瓶を載せて運んでいる。『竜神』のマスターこと・・・・・・・いや、マスターはマスターだ。他の言葉では表現できない。
「・・・・・・なんか今、ものすごく不本意な気がしたんですけど」
「何言ってんだお前? んなことより、俺の席あるか」
「あー、待っててください」
そう言って座敷の方に食事と酒を運んでいくマスター。いくつかあるカウンター席も、殆ど埋まっているようだった。店主や客同士の親密度が高いこの店ではカウンターの客が座敷への料理の移動を手伝ってくれることも珍しくないが、何もかも任せっきりという訳にもいかない。マスター自身もテキパキ動かなくては、店は立ち行かないだろう。
そのときカウンター席に目を向けた吉田の目に、一番奥の席で酒瓶を掴みカウンターに突っ伏している人影が見えた。相変わらず水色のYシャツをだらしなく着て、腰元にはベルトに引っ掻けた警棒やらトランシーバーやらがぶら下がっている。あの後姿は見覚えがあった。すなわち、
「・・・・ぉぃ、・・・・おい、マスター、おいってば」
「ん、なんです?」
視線だけはその人物の方に向けたまま、盆を抱えてカウンターに戻る途中であったマスターを呼び止める。
「あの、一番奥の席にいるのって・・・・・・」
「・・・・・・あぁ、大丈夫です。ちゃんと手帳返しておきましたから」
「そうか」
やはり、水岡らしい。自分が言うのもなんだが、まっ昼間からこんなところにいて大丈夫なのだろうかと心配になってくる。普段着の自分たちはともかく、あの男は制服姿だから見つかったら色々とマズイのではないだろうか。そう考えてから吉田は、上司も見逃しているのだろうと言った先日のマスターの言葉を思い出した。
「・・・・・・」
「じゃ、いま持ってきますから、座っててください」
「おぅ―――じゃなかった、マスター、ちょっと待て。待てったら。まさかと思うが・・・・・・」
「はい?」
「また、ナンコツ食わす気じゃないだろうな?」
「・・・・・・あー、はいはい。大丈夫、安心してください」
「ホッ・・・・・・・・・」
「今日は最初から2本ありますから」
「まだ食わせる気か!?」
* * * * *
他の男たちに混じってテーブルにつき、なんこつをポリポリかじる吉田。胡坐をかいて座ると腹ぐらいまでの高さしかない卓袱台に肘を突きつつ、5メートルぐらい向こうにある液晶テレビに目を向けて、静かにニュースを眺めている。
『―――から昼にかけて、日本全国で大規模な電波障害が観測されています。気象庁は、「今回の障害発生の原因は不明」とする一方で、数年前にピークを迎えた太陽活動が再び活発化している可能性にも言及し、現在、詳しい分析を進めています。なお、この障害による公共交通機関の遅れなどは―――』
「そういやさ、ヨっちゃん」
「え?」
ニュースを見ていたら突然、横に居た八っつぁんこと漁師の八五郎に声をかけられた。八五郎は酒こそ飲んでいないが、先ほどから手にした器に山盛りになったキムチへ箸を突っ込んでは、それを少しずつ摘まんで口に運んでいた。見ているだけで、汗がにじんできそうだ。
「川の向こうの遺跡、また調査が入ってたぞ。こんだけ経っても、まだ終わらないのな」
「へぇ。今度はどこの調査隊だ?」
遺跡と聞いて突然、吉田の目がすっと細まる。
「東京のナントカって大学の・・・・・・やべ、忘れたかなぁ。確か、指揮してんのが青川って考古学の教授だった気が・・・・・・」
「いや待て、普通逆だろ。そこまで分かってて、何で大学のほうを忘れるんだ?」
「やー、そいつと一緒にいた女との掛け合いが絶妙でな。ありゃ、素人の漫才じゃないね」
「・・・・・・大丈夫なのか、その調査隊」
冷や汗の吉田。楽しそうに笑う八五郎。
「しかしま・・・・・・発見から十五年もかかって調べきれないってのは、やっぱ何か在るんだろうね、あの遺跡には」
「十五年っても、最初の三年ぐらいなんか何も調査できてなかったぜ。観光客が山ほど来てただけだろ、あの頃は」
「あの頃は、な。今じゃすっかりブームも失せちまったが」
「調査目的の連中は喜んだけど、俺らにとっちゃ客が来てくれたほうが有り難かったしな。まだ売ってたっけ、『烈怒龍饅頭』とか」
「三丁目のバアさんが飽きずに売ってるよ、確か。ま、一日一個売れれば良い方じゃないか?」
「ふぅん・・・・・・」
吉田はそう言ってから静かに目を閉じた。今でもまぶたの裏に焼きついているあの光景。目を閉じれば鮮やかに浮かび上がってくる・・・・・・・現実味の無い破壊の跡と、ソレを引き起こした大災害。そして、その場所を復興に導いた”守り神”の存在。
* * * * *
「烈怒龍」。
それは吉田らが住むこの土地に古くから伝わる、伝説の守護獣の名である。
伝説によれば今から1500年ほど前、この土地に突如として現れた悪鬼の如き存在『悪竜』が人々を攻撃し始めたのだという。悪竜は漆黒を纏ったような見た目をした、一目でソレとわかる闇の存在であり、七日七晩に渡って生命という生命を踏みにじり続けた。
しかし絶望しかけた人々の目の前に、これまた突如として降臨し守ったのが今に伝わる伝説の守護怪獣『烈怒龍』であった。人々の想いを託された烈怒龍は一瞬で悪竜を滅ぼすと、そのまま霞となって消えていった・・・・・・というのだった。
* * * * *
土地の名である「竜ヶ守」も、元はといえばこの『烈怒龍』伝説に由来している。現在でも、町の西のはずれには『竜神大社』などという神社が存在するほどだ。
しかしながらこの伝説は、あくまでも伝説上の出来事として考えられ、そのため十数年前までは真剣に研究されたり、議論の対象となる機会は少なかった。少なくとも竜神信仰のようなものであれば竜ヶ守に限らず、日本中どこにでも存在するからだ。
ところがこの状況が、ある日から一変することになるのが今から十五年前のことである。時に西暦2011年。直接のきっかけは、かの『東日本大震災』の発生であった。
震度6クラスの余震を数度引き起こし、また最初の揺れでは地を覆うような大津波を発生させて人を含むあらゆるものを飲み込み、人々の心に深い傷跡を残した戦後最大級とも噂される悪夢の大災害。当然ながら竜ヶ守の町もその被災地のひとつであった。
津波に飲み込まれた町は跡形もなく瓦礫の山と化し、人々は何かもを諦めかけていた。その先には何の希望も見出せないと。だが震災発生から数ヵ月後、彼らのその足元から誰もが予想だにしなかった希望が現れた。
津波とその引き潮によって奪い去られた大量の土砂の下から、それまで地下深くに埋もれ誰にも発見されなかった未知の古代遺跡が発見されたのである。
『竜ヶ守遺跡』
そう名づけられた古墳時代の遺跡の内部からは、考古学的にも極めて興味深い壁画が発見された。そこに描かれていたのは伝説に残る”赤い龍”と”黒い龍”――――「烈怒龍 対 悪竜」の対決の壁画である。
竜ヶ守を擁する自治体はこの遺跡の存在に、復興に向けての一縷の望みを託すことにした。すなわち”伝説を内包した神秘の遺跡”として『竜ヶ守遺跡』の名前を、全国へ向けて大々的に宣伝したのである。そしてこの宣伝の効果は、すぐさま顕れることになった。
行き着いた先が、現在の竜ヶ守である。『遺跡訪問』に訪れた観光客たちの落としていく膨大な観光マネーによって竜ヶ守のみならず、その周辺自治体は確かな復興財源を獲得し、その結果この土地一帯は驚異の”七年復興”を遂げることとなった。
それは地震と津波によって家を奪われ、”原発問題”で風評被害を買い、挙句には耳を疑うような行為である”被災地見物”によってその支援すらも妨害されかけた現地の人々にとって、たったひとつもたらされた福音であった。
またそれは、”被災地の復興”を真に願う人々の懸命な努力が実を結んだ瞬間でもあった。
* * * * *
吉田は肘をつきながら、ボーっとテレビを見つめていた。そう考えてみると、十五年という期間がなんだかいやに短く感じられる。いま思い出してみても、アレが果たして現実の出来事だったのかどうか、未だによく分からなくなることがあった。
それにしても記憶に新しいのは、その直後に漂った『自粛ムード』でも、自分たち被災者をダシにした『不謹慎バッシング』でも、米軍の『トモダチ作戦』をはじめとした世界中から寄せられた支援の手でもない。その後世界中で巻き起こることになった”変革”のうねりである。
この十数年で、日本を含めて世界の様相は大きく遷り変わった。国内における諸システムの変容に加え、世界のエネルギー問題への関心、自然災害に対する意識改革など、あらゆる点で十五年前とは違った世界が形作られようとし、その急激な変化についていけず取り残される人間も続出した。相変わらず人類の愚かしさは変化していないが、牛歩ながらも人は良い方向に進みたがっているように思えた。いや、そうなのだと思いたかった。
何につけても全ての発端は、あの大震災だった。あらゆる点においてあの出来事が引き金となり、その後の”激動の時代”が始まったような気がする。良くも悪くも、西暦2011年はかつてのイギリス産業革命やサラエボの銃声のごとく、『時代の節目』であったのだ。
「・・・・・・ま、でも、」
「あ?」
吉田の呟きに、横に居た八五郎が反応した。皿のキムチは殆ど空になっていた
「いつまで経っても、俺たちゃ相変わらず、酒飲んでるんだろうな」
「・・・・・・何の話だ?」
「人間はしぶといっつーことだよ。そのときは苦しくて、悔しくて、どうしようもないけどな」
「・・・・・・現場でアタマでも打ったか?」
「余計なお世話だっつの」
「もういいから飲もうぜ。おいマスター、生ビール2つジョッキでくれ!」
「相変わらず、昼夜の感覚がねぇなこの店は・・・・・・」
あきれた風に声を出した吉田だが、ふと、その視線の先にいた水岡の背中が気になった。
その時テレビから、昼のニュースが中盤に移ったことを告げるメロディーが流れ出し、続いてさっきとは別の男性アナウンサーのニュースの朗読が聞こえてきた。
『―――続いては、『仙台市ストーカー傷害事件』の続報です』
その瞬間、突っ伏した水岡の肩がピクリと反応したのを、吉田は見逃さなかった。
(第四話に続く)




