作者による解説 in 2021
↑当時専用サイトに掲載していたトップ絵↑
自主怪獣映画「レドラ-デスジラス復活-」リメイク小説。何度も言うけどこのネーミング2011年につけてるんですよ。漢字オンリーなのが何とも中二病感を誘いますが(笑)、まさか五年後に『シン・ゴジラ』がやるとは思ってもみなくてw
完結編「レドラ3」の破綻から一年後にはもう本作の連載を開始してるんですけど、思えば結構ペースが早いね。高三の春に書き始めて大学入学三か月前に完結してる(大学受験に身が入る精神状態じゃなかったため一年浪人してる)。
正直この作品、書いてる途中は楽しかった記憶が殆ど一切ないんですけど、後からファンの人の評価を聞くと思ったより好評で驚くというか、少なくとも旧サイト閉鎖時に消えてしまったのを惜しむ声が聞こえて来て一時期「これのどこが面白いんだ?」って不思議だった。
本作の発端は、行き当たりばったりで展開していた自主怪獣映画の物語やキャラクターを現実に即した世界観に直し、可能ならCGモデルでの怪獣バトル動画もやってしまおう、というリファインとかリブート的なものだった。ただそこらへんやっぱり「リアリティ」の解釈を間違えているというか、怪獣も人間もキャラクターが活躍できる尤もらしいお膳立てこそ「リアリティの追及」なのに、この当時はひたすら「現実っぽくない」ものを排除することとしか思ってなかった。
レドラの光の翼とか、ハイテク施設に潜む謎の男とか、そこかしこに「レドラ3」要素の流用が見られるのはやはり「3」の制作中止とお蔵入りが当時、相当悔しかったんでしょう。ただこの黒幕の男の言動がなんというか、非常に小物臭い…w
裏を明かすとこの男が古代日本に現れた悪竜=デスレドラの化身で、眷属として宇宙デブリを核にデスジラスを生み出し地上に送り込んだ張本人。しかもその正体はレドラが人間だった頃の親友で、彼らの一族が大和朝廷のお目こぼしを得るため売り渡され滅びた他部族の怨念に憑りつかれてしまった成れの果て…というドラマチックだけど少々アブない背景設定があったり。
そして、これだけ壮大な設定なのに表の言動がアレなのは、当時ぼくを標的にしていたいじめ加害者の主犯格の言動をまんま再現しちゃったから(笑) いや、何故そこをミックスしたのかとw
なんかこう、他人の人格や何もかもを踏みにじっておいて、誰も聞いてないのに訳の分からない理由を並べ立てて自己正当化を絶叫するっていう、理解不能なバケモノっぷりを、当時の自分なりに消化しようとしたんでしょうかね。聞こえよがしに嫌味を言う的な。
それにしても酷いのは、当時まだ発生から2~3ヶ月しか経ってない頃に東日本大震災で被災した東北の復興青写真みたいなことを作品で描いてること。流石にこれは不謹慎というか、マジで連載途中いつ物言いがつくか戦々恐々としながらやってました。発生当日は修学旅行で海外にいて、ニュース越しに発生を知ったような状態だから揺れを自分で体験してないし、埼玉県民だから海にも面してなく、津波の恐怖にも直面してない。
あらゆる意味で僕には描く資格というか、描かなきゃいけない必然性がなかった。何より輪をかけて酷いのは、僕自身も自発的に描きたいと思って描いたのではなく、当時何を間違ったか「描かねば作品が破たんする!」と思い込んでしまったからという。
オリジナル版の時点から、一作目の舞台が東北地方の仙台近郊という設定は存在しており、その中断前後に始まったこの企画も、名称は架空にしても場所のイメージはやはり東北地方仙台近郊で固まってた。ところがそうして一年近く動かしてきた企画が、発表のほんの二か月前になって東日本大震災に直面しちゃった。「ヤバい、この事件を組み込まないと話が成立しなくなる!」ってパニックになっちゃって、結果こういう内容にした訳なんです。
…後から思えばそもそも架空の土地だし、地方を変えるとか詳細をぼかすとか、あるいは少し発表を待つとか色々選択肢はあったハズですが、その時の僕はとにかく現行スケジュールと内容を維持することに躍起になってしまい、その解決策としてまだ全容も把握出来てなかった未曽有の大災害がほぼ全面復興した想定の未来図を描こうとしちゃった。あまりにアホすぎる。
キャラクターの設定全般そうですけど、基本的に『旧作のものをリファインする』以外の必然性がまるでなくて、件の東日本大震災ネタと併せて何もかもが「こうでなくてはならない」という縛りだらけ・強迫観念まみれの中で描いていて、自分が心の底からモチベーションを湧き上がらせる要素で作られたものじゃなかったんですよね。そしていつ不謹慎と叩かれるか分からぬ不安(自業自得だけど。結果的に一度も批判的なコメントは来なかった)。この辺の記憶があるから、やってて楽しかった記憶が全くない、という訳です。
…ですが、この解説書くために改めて読み直してみたら、意外と面白く感じて自分でも驚いてたり。震災ネタは置いといて、ストーカーに狙われたトラウマと必死に戦いながら恩人を助けようとしにくるヒロイン・新星理恵の心情描写とか、人知を超えた廃棄物ゴーレムっぷりを見せつける新生デスジラスとか、確かにまっさらな状態で読んだら、得体の知れない脅威に立ち向かうファンタジーとしてそれなりに楽しめる要素はあったのかもしれない。
気付かれた方もいるでしょうが、作中のデスジラスはひたすら水岡の自殺願望・破滅願望の化身のように描いてます。で、ほんの僅かでも「生きたい」という本能が働いた瞬間にレドラが出現する演出になってる。抽象的だけどね。水岡や新星の心情とか計算しながらだったんで、書いてる途中は気分が重たくて仕方なかったけど、逆にそれが心情描写の緻密さと捉えられた部分もあったのかな。思えば本作の作風、時期的には同じくアーカイブ公開されてる『GRIEF of THE EARTH』の流れを汲んでるんですよね。
両作とも「自分の些細な言動が他人の政治宗教の都合で無断利用される」懸念が描かれてますね。これ主たる理由がふたつあって、ひとつは政治的な過激派がそこらで繰り返してることを自分なりに観察した結果だったのと、もうひとつは母親の無神経な言動がキッカケだった(またか!)。
詳細は省きますけど、一体いつ自分の作品がプロパガンダ目的で利用されたり、『同志の作品』扱いされて無断で拡散されるか分からないって恐怖。今思い返せば少々被害妄想めいてなくもないんですけど、高校生の当時はガチ恐怖だったのです。そういう頃の不安諸々が「そんなつもりで言ったんじゃないのに」という展開に現れてるのかなぁ。




