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真・烈怒龍 第一幕 ”希望”【レドラスタジオ・アーカイブス】  作者: 彩条あきら


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第十三話 感謝

 幅の広い正門を通り抜けると、両脇を桜の木々に挟まれた距離50メートルほどの長い並木道に出た。この真っ直ぐな一本道が、全てのキャンパスへと繋がっている。

 現在は四月初旬。ここ数十年間で馬鹿みたく勇み足になった夏の熱気も、現時点では辛うじて踏みとどまってくれており、その余波を受けて格段にお早いお目覚めとなってきた桜のつぼみ達も、今のところは小さな桃色の花々を可愛らしく広げて新入生たちを出迎えてくれている。

 

 仙台文化大学――略称S.C.Uの誇る桜並木の下に、先ごろ二年目のキャンパスライフを迎えたばかりである新星理恵の姿はあった。

 長袖の白いシャツに黒の半スカートという、周囲の女子大生たちと比べても幾分清楚な格好に身を包んだ新星は、その長い黒髪を揺らしながら大空を仰ぎ、澄み渡った天から花びらとともに舞い降りてくる桃色の甘い香りを胸いっぱいに吸い込んでいた。

 その周りの路上には、同じキャンパスへと向かう男女含めた学友たちがひしめいている。新星と交流のある者もいればない者もいたが、皆概ね明るい笑顔を浮かべていた。入学から最初の一年間を追え、もう間もなく後輩たちもできるのだ。近年では珍しいうららかな陽気とも相俟って、学生たちの気分が高揚するのも無理からぬことだった。

 

 新星は傍らに立つ一本の桜の木を見上げながらも歩みを止めず、そのまま右手の建物に入っていこうとして、直近に見える曲がり角を建物の方に伸びる道へと進んだ。

 するといきなり新星の目の前に眼鏡をかけた一人の見知らぬ男子生徒が現れ、角を曲がってすぐのところで鉢合わせした。

 新星は驚いて立ち止まり、反射的に二、三歩後ずさりした。思わず力が入って、持っていたバッグの持ち手部分を握り締めたが、すぐに気を取り直して愛想笑いを浮かべた。相手に向かって小さく頭を下げる。


「ごめんなさい、よそ見しちゃってました」

「………!」


 その男子はやや俯き加減な様子だったが、新星のその言葉を聞いて顔を上げたかと思うと、何故か息を呑んだように黙り込み、それまで細めていた目を丸く見開いて新星の顔を凝視した。

 彼は新星に似た白っぽい長袖の服装に上下を包んでいた。髪の毛が男子にしては少々長いように見えるが、それ以外はこれといって特筆するべき点も見当たらない。どこにでもいそうな普通の男子学生であった。

 彼はしばらく声も出さずに口をパクパクさせながらその場で慌てていたが、少しもしないうちに急いで頭を下げると、何も言わずにそそくさと新星の横を通り過ぎていった。

 新星はちょっとの間だけ彼の背中を目で追っていたが、やがてすぐに興味を失い、急いで自分の受講する講義が執り行われる予定のキャンパスへと入っていった。

 多分それは、日常生活においては然したる格別性もないイベントであった。

 少なくとも、新星にとっては。


* * * * *


 数日後、その日も講義を終えて校舎から出てきた新星は、親しい友人たちと建物の入り口の外で別れた後、一人帰宅の徒につこうとしていた。

 その日の天気はやや曇り。午後から雨が振るという予報だったが、新星は傘を持参し忘れていた。これは、コンビニか薬局にでも寄って買っていったほうがいいかもしれない。

 平素と比べて急激に気温が下降していたが、まだ長袖を着ていて良かったと思う新星だった。

 

 新星は階段状の道を下り、校門へと続く桜並木道に入っていこうとした。曲がり角に立っている桜の木を見上げれば、まだ花々は立派に咲いていたが、雲に日の光を遮られて心なしか色がくすんでいるようにも見えた。

 こういうものに風情を感じる人間もいるとのことだが、新星はどちらかといえば晴れの日の桜の方が好みだった。

 そのとき急に、桜の木の陰からこの間の眼鏡をかけた男子生徒が姿を現し、新星の進行方向に立ち塞がった。突然の出来事だったので新星は前回同様びっくりして立ち止まり、なにやら目が泳いでいる相手の顔を恐るおそるといった感じに覗き込んだ。

 最初は誰だか分からなかったが、少し経ってから先日もこの場所で出くわした男子学生であることに気がついた。格段の特徴があるわけではなかったが、前回出会ったときと全く同じ格好をしていたので記憶の糸が繋がったのだった。

 一方相手の男子の方は、相変わらず目が泳いだまま鯉の如く口をパクパクさせていた。

 

「……えと……あの……」

「あ……この間もここで会いましたよね。どうかしたんですか?」

「………!」


 その瞬間、彼は目を見開いて新星の顔を見つめたかと思うと、あたふたと足元に置いてあったバッグを開けて何か白い封筒のようなものを取り出し、両手で握って新星の前に突き出した。

 彼はひどくどもりながらも、必死な様子で言葉を継いだ。


「と、と、と……戸川といいます。これ読んでください!」

「……はい?」


 新星は驚愕にまみれてそんな言葉しか出てこず、相手の差し出した小さな便箋を無意識のうちに受け取って固まっていた。

 その一方、戸川と名乗った男子学生は便箋を渡せて目的を果たしたのか、終始おどおどとした態度を変えないまま、置いてあったバッグを引っ掴んでくるりと踵を返し、猛烈に早足でその場を立ち去っていった。

 取り残された新星が手に渡された封筒を顔に近づけて裏返してみると、そこには妙にポップな字体で『新星女史へ』と銘打たれ、ご丁寧にハートマークのシールで封がなされていた。

 これはもしやラブレターなのだろうか。

 新星は呆然としながら、戸川の消えていった薄暗い桜並木を見つめていた。


* * * * *


 また別の日。

 新星は、友人たちと一緒に大学の食堂にやってきていた。それぞれが注文したメニューを持ってカウンターに近いテーブルを選んで座り、談笑しながら食事を開始する。ちなみに新星が食べているのはサンドイッチ定食だった。

 直前に受けていた講義で教授の言った冗談を誰かが真似し、それを見て全員が笑い声に包まれる。新星も口元に手を当て、やや押さえたトーンでだが笑っていた。女子大生の集まりらしい、華やかで賑やかな食事風景だった。

 

 が、新星が何ともなしに顔を上げたそのときだった。

 彼女から見て向かい側に並ぶ、他のテーブルの列を二列ほど通り越したあたりに、別の学生グループの頭上ごしに戸川の顔が覗いているのが見えた。今までと違って視線は一切泳がず、真っ直ぐにこちら側を見つめているのが分かった。

 瞬時に新星は目を伏せ、目の前のプレートを見つめて黙った。

 告白を受けて今日でちょうど一週間。申し訳ないとは思ったが、彼からのラブレターに記載されていたメールアドレス宛に、昨日中に断りの返事を出しておいたハズだった。

 

 新星は静かにサンドイッチをはみながら、もしや気の所為ではなかったかと思い、もう一度慎重に顔を上げテーブルの向こう側を覗き見た。

 戸川は、やはりそこに立っていた。

 それどころか、二度目に自分と目が合った途端、口の端がつりあがって確かにそれと分かる笑みすらこぼしたのだ。

 新星は再度慌てて顔を伏せ、それ以上目を合わせないようにした。

 自分の席で妙に縮こまっている新星の様子を見て、周囲にいた友人たちが訝しげに思ったのか大丈夫かと声をかけてきていた。

 新星は即座に平静を装って頭を上げ、なんでもないと微笑みかけてみせた。

 戸川の姿はいつの間にか消えていた。


* * * * *

 

 またある日のこと。

 その日は遅くまで学校の図書館で調べものをしており、気付けば夜の八時を数えていた。屋外に出てみれば既にとっぷりと日も暮れ、その暗闇の中でしとしとと冷たい雨が降りしきっていた。この間とは違って、ちゃんと傘も持ってきていた。

 すっかり夜の帳が下りたバス停までの道のりを、新星は透明なビニール傘を差しながらてくてくと一人で歩いていた。流石にこの時間帯になると、学校から帰っていく人間も少ない。大学の正門前から伸びるその路地には、殆んど人の姿はなかった。


 背後で、カラン、という空き缶の転がるような音がした。

 新星が音につられて振り返ってみると、そこには誰もいなかった。ただ数メートル後方に立っている電信柱の頭上に接合された防犯灯が、カチカチと明滅を繰り返しているだけである。関東地方では実験的に電柱全てを地下に埋めた都市も存在したが、ここ宮城は仙台市ではまだのことであった。

 薄暗闇の中に沈んだ路上で音を立てているものは、降り注ぐ雨垂れと、切れかかった街灯だけであった。そこに人は、誰もいない。

 

 しかし街灯が再び明るく戻ったとき、新星は何か妙な違和感を覚えた。

 電信柱の足元に出来る影が、気のせいかもしれないが二本になっているように見えたのだ。足を止めた彼女は体ごと後ろを振り向き、少しずつその電柱の下ににじり寄っていった。

 当初よりも一メートルほど電柱に近づいたところで、もう一度頭上のライトが明るくなった。

 その瞬間、電柱の影から覗くレンズ越しのふたつの眼が、暗闇の中にハッキリと映し出された。その眼差しは確かにこちらを凝視し、微動だにしていなかった。

 新星は思わず声を上げそうになって咄嗟に口を押さえ、体の向きをもと進んでいた方向に反転させると決して後ろを見ないようにしながら、出来るだけ全速力でその場から歩き去ろうとした。

 あまり早足で歩くと道のあちこちに出来ている水たまりに思わず足を突っ込んでしまうかもしれなかったが、今はそんなことを気にしていられる余裕はなかった。

 バス停につくまでの間、一度も背後は振り返らなかったが、終始雨音の中に自分以外の足音が含まれているような気がして仕方がなかった。当然ながら、確認のしようもなかった。


* * * * *


「……それで、バスに乗った直後、メールが送られてきたんですね?」

「はい……“あんまり走ると濡れるよ。濡れたら風邪を引くよ”って」


 仙台警察署の二階にある小部屋で、新星は一人の男性警官を前に事の発端から今日までの経緯を説明していた。窓際の椅子に腰掛けた彼女の目の下には、ハッキリそれと分かる“くま”が出来ていた。以前と比べて、頬も若干こけているように見える。

 桜の木の下で告白されてから一ヶ月と少し経っていた。

 こんな言い回しを聞けばロマンに満ち溢れていると錯覚しかねないが、もはやそれどころではなくなっていた。あれ以来、戸川のアプローチは常軌を逸した方向に進みつつあったのだ。

 

 彼からのメールは一日に三百件を数えるようになり、どうやって調べたのか自宅の電話にも、用件不明の無言電話が頻繁にかかってくるようになっていた。ポストには一日何十通もの“恋文”が投函され、捨てても捨てても送られてきた。

 大学で講義を受けている間も油断は禁物だった。時折、何処からか視線を感じると思って振り返れば、若干開けられた教室のドアの隙間から眼鏡をかけた誰かの眼差しが覗いていて、新星がそちらを見た瞬間にさっといなくなってしまったりするのだ。気懸かりで、ノートをとるどころではなかった。

 帰り道でも、音などの兆候があるかないかは別にしても、昼夜を問わず背後から誰かが自分を追跡してくるような気がしてならなかった。


 そんなことが一ヶ月近く続き、目に見えてやつれていた新星を心配した女友達の一人が事情を聞きだし、すぐ警察に行くべきだと後押ししてくれたのがつい昨日のことであった。

 もっと早くに自分で思いつくことはなかったのかと疑問を持つ者もいるだろうが、こういうケースではそもそも、被害者にそのような自発的かつ論理的な対応を要求すること自体が酷な話なのである。

 『無闇に事を荒立てたくない』『自分の考え過ぎかもしれない』。優しい人間ほど、そういった考えが先行してしまうものである。そしてそこに恐怖心が加われば、自分の置かれている状況を容易に『ストーカー』という単語に結びつけることが、もう不可能になってしまうのだ。

 いじめや虐待に似て、それは一種のマインドコントロールに近かった。


「私が……いけないんですよね。不用意に彼にメールを送ったりしたから」


 新星は俯いて、弱々しい声でそう呟いた。

 それは、彼女を警察に行かせた女友達から言われたことであった。相手の素性をよく確認もせず、書かれていたアドレスにメールを送ったりするから相手に連絡先を教えてしまったのだと、そう叱られてしまった。着信拒否にしてもまたアドレスを変えて送りつけてくるぐらいである。

 しかし、目の前に座っている男性警官は優しげに言った。


「いえ、最初はこんなことになるなんて、想像できなくて当たり前だと思います。今までずっと一人で耐えてきたんですよね……頑張りましたね」


 そう言って微笑んだ彼は、目鼻立ちのくっきりした顔を薄く日焼けさせた端正な見た目の持ち主だった。学生時代からスポーツなどをやっていても不思議ではない雰囲気がある。髪の毛は我々の知っている状態よりも短く整えられていたが、確かにそれは水岡真悟であった。

 23歳の巡査部長・水岡は、すまなそうな顔をして言った。


「それより、こちらこそすみません。本来ならこういう相談は婦人警官相手の方が話しやすいと思うんですけどね。色々あって、今日は全員出払っちゃってるんで……」

「あ……いえ別に、そんなことないですよ」


 新星が慌てて顔の前で手を振る。

 

「親切に話を聞いてくれて、ありがとうございます。それでなんですけど……やめてもらうことってできるんですよね、ストーカー」

「ええ、これだけ証拠が揃ってれば充分だと思いますよ。相手が契約してるサーバーなんかにも、これまで送信されたメールの記録が残ってるはずですし。あとはそういったものをこちらで裁判所に提出してですね……」


 そうして新星の目をまっすぐ見て語られる水岡の言葉には、不思議と説得力があった。たとえ仕事とはいえ、このように真剣に話を聞き、親身になって考えてくれる人物の存在は、この一人ではどうしようもない状況に追い込まれた新星の心をかなり勇気付けた。

 警察官というものは、ドラマなどで見るのと違って実際はかなり事務的、機械的に対応するものだと思っていたので、こうやって面と向かったとき、一人の人間として励ましの言葉をくれたりしたのは実はかなり意外であった。

 心の中にかかった靄が、徐々に晴れていくような感覚を新星は覚えていた。


* * * * *


「そのあと…………警察の門を出てすぐのところで、戸川が待ち構えていたんです」


 『竜神』のカウンター席に座る新星は、神妙そうな顔つきでそう話した。

 すぐ隣では吉田が、カウンター内からはマスターが、それぞれ黙って耳を傾けていた。座敷の方からはたまに笑い声などが聞こえてくるが、そちらとはまるで見えない壁で隔てられたような感があった。距離にして一メートルも離れてはいないのに、どこか遠い国の出来事のように感じられる。

 

「物陰に隠れた彼の姿を、二階の窓から水岡さんが見つけたそうです。後ろから私に近づく彼を止めようとして、建物から出てきた水岡さんはナイフで顔を切られました」

「……それが、二ヶ月前のあの事件だってことか」


 吉田は色々と驚かされっぱなしだった。


「水岡の奴がストーカーから護った女ってのは、ねーちゃんのことだったのか」

「……はい」


 そう言って吉田の方を向いた新星はこの上なく深刻そうな顔をしていたが、やがてすぐに愁いを帯びた微笑を浮かべた。なにやら切なさを感じる表情だった。


「私が今ここにいるのは、水岡さんのお陰なんです。あれから……毎日が怖くなくなりました。だから、せめてちゃんとお礼を言いたいんです。もしあの人が傷ついてるなら、ちゃんと会って謝りたいんです」


 新星の目は真剣だった。

 それを見て吉田は少々言葉を探していたが、他には言うべくもないと思って口にした。


「……頼む、あいつに絶対その話を聞かせてやってくれ」

「はいっ」


 新星はどこか健気にも見える笑顔を浮かべてハッキリとそう言った。

 一方マスターはカウンターからその顔を眺めて、じっと何かを言いたげにしていたが、結局最後まで無言を貫き通していた。

 換気扇の音が妙に大きく感じるマスターであった。



(第十四話へ続く)


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