第十二話 再び、邂逅
まっさらな青空の下、夏の太陽がギラギラと照りつけている。
気温は30℃前後。正午に近づくにつれ、これから益々暑くなっていくのだろう。日本流の湿気を含む熱気に包まれた竜ヶ守の町は、いまや天然のサウナ風呂と化していた。
これほどの暑さを自然界で体験するためには、かつての夏では八月の到来を待たねばならなかった。
だがしかし、今はまだ七月上旬。この二十数年間で、日本の夏の到来は従来よりも二ヶ月近く早まってきていた。この国では夏本番になってからの気候を、しばし「蒸し風呂に入っているよう」だとか「フライパンの上に立っているよう」とか形容したものだが、その表現が始まるのはもはや五月下旬ごろにまで前倒しされていた。現代のティーンエージャーが「五月の穏やかな陽気」などという表現に実感を抱けないのも無理からぬことである。
2025年の現在、七月を過ぎてからの気候はほぼ「釜茹でにされている」のに等しかった。
怪獣二体の激闘で瓦礫と木片の山に変わった竜ヶ守の町では、避難所でそれぞれ一晩を明かした住民たちが戻ってきていた。
放射能を帯びた謎の巨大恐竜――デスジラスの死骸がひととおり回収され、町のそこらで検出されていた放射能も人体に影響を及ぼすほどの値ではないと判明したからか、現地入りしていた陸自部隊によって今朝早くに町の封鎖は解かれていた。
半壊・全壊あわせても家屋の被害は百世帯ほどで、『竜ヶ守市』として特別指定された領域の三分の一に相当する規模だったが、幸いにも怪獣たちの移動範囲そのものが直径一キロほどの円内に収まるものだったため、実際に破壊された領域は限定的であった。
状況としては、局地的に竜巻が発生したようなものだった。怪獣たちの進路から逸れた道の殆んどは何の問題もなく使用できたため、住民たちの帰宅もさほど困難ではなかったのだが、それでもあちこちに見える家屋の無惨な残骸は、町の人々の心に刻まれたトラウマを呼び起こすには充分であった。
よく日焼けした筋肉質の体に、薄汚れた白シャツとグレーの作業着ズボンを装着した町大工・吉田義一は、道路に溢れた木材の山を軽々と乗り越えながら、目の前の道で無事な家財などを運び出している町の人々を見渡して、ふぅ、と小さく息をついていた。
彼らの表情は、見える範囲で判断する限り、どれも疲れきっているように見えた。
当然だろう。かの震災から立ち直ってまだ十年にもならない。他の自治体と比較すればかなりの早さで復興の進んだ竜ヶ守の地であったが、それでも長かったことに変わりはない。ようやく落ち着きを取り戻せたかと思った矢先にこの事態であるから、彼らの心中は察するに余りあった。
吉田自身も立ち止まって目の前の倒壊家屋を見上げていると、背後から別の男がやってきて、その背中に親しげに声をかけた。
「おぅ、ヨっちゃん!」
「お、八っつぁん。あれ、役場に行くんじゃなかったっけ?」
そこに立っていたのは、八っつぁんこと漁師の八五郎であった。今朝は半袖シャツにねじり鉢巻きといういつもの格好ではなく、格安ブランドのロゴが印字された水色のTシャツに短パンという、やや整った出で立ちである。柄にもなくめかし込んだりしているのは、たった今吉田が言ったように町役場に用事があるからであった。
その左手には、小さめな額に入った写真らしいものを握っている。
八五郎は困ったような顔で、坊主頭をぼりぼりと掻きながら説明をはじめた。
「親父の船の証明書を再発行してもらおうと思ったんだけどさ、昨日ちょっとだけ見えた登録番号が間違ってたら困るから、家まで写真取りに行ってたんだよ。ほら、これ」
そう言って八五郎が見せてきたのは、額に入った一枚のシワだらけの写真だ。全長十五メートルほどの白い漁船をバックに、背の高い漁師姿の男性と、小学生ぐらいの小さな男の子の姿が映っている。親子らしきその二人こそ、幼少時の八五郎と、今は亡きその父親であった。存命中は吉田も、何度も会って話したことがある。子の八五郎に似て、気さくな人物であった。
背後に映っている船舶は、若干八五郎親子の影に隠れてはいるものの、その船体側面に書かれた名前は確かに『第五八幡丸』と読めた。果たしてそれは、昨日八五郎がデスジラスの死骸の中に見出したという父親の船と同一の名称であった。名前のすぐ傍に、例の『MG2』から始まる文字列も見えている。
吉田は、その写真をまじまじと見つめながら、懐疑的な口調でこう言った。
「十五年も昔の船の証明書なんて、もらえるのか?」
それ以前に、船舶証明書というのは自治体の役場で貰えるものだったのだろうか。万年大工の吉田にはよく分からなかった。
が、八五郎は一向に気にしない様子で、
「とにかく、あれが親父の船の残骸だってことを証明するものが必要なんだよ。可能性があるなら片っ端から当たってみないとな」
「……でも、自衛隊とかにどうやって説明するんだ? 昔流された父親の船が怪獣の死体に合体してましたって、たぶん相手にされねーぞ。俺にだって、まだよく分からないし」
吉田の言い分も至極真っ当なものであった。
昨夜からの八五郎の話や、吉田の目撃談を総合するに、あの恐竜――デスジラスは数え切れないほどのガラクタが寄せ集まって動いていた怪物だというのだった。
金属光沢を放つ体に、その死骸の周囲に散乱していた無数の部品類。戦闘中に周囲の瓦礫を吸い寄せて新しい腕を形成するという、ロボットだとしてもあり得ない能力。そしてそのボディに、十五年も前に流されたハズの八五郎の父親の船の一部が組み込まれていたという事実。
これらから判断して、デスジラスは動くガラクタの集合体らしい、というのである。
かなり無茶というか、荒唐無稽な説であった。
正直、そんなものがどうやって動いていたのか吉田には説明もつかないし、おそらくは八五郎にだってそうだろう。ただ、状況からするとそんな結論しか出せないということである。
「でも自衛隊の連中だって、あれが恐竜の死体だと思うから集めていったんだろ。細かい理屈なんて知るかよ。とにかく親父の船がその中に入ってるなら、手間かかっても良いから取り戻したいんだよ」
その感情は、吉田にも分からないわけではなかった。
津波に攫われた遺体も含め、八五郎には父親の形見らしいものが殆んど何もなかったのだ。今彼が手にしている写真だけが唯一、瓦礫の中から見つかってボランティアによって洗浄され、その手元に返ってきたものだった。
そんな八五郎にとって、父親の乗っていた船が事情はよく分からなくとも戻ってきたというのは、本当に一大事なのであろう。やや無茶な説明をつけてでもそれを取り返そうと試みるのは、致し方ないことなのかもしれない。
吉田は、やれやれ、と言って八五郎の足元に目を遣りながらも、内心呆れてはいなかった。
「まぁ、頑張れ。上手くいくと良いがな」
「おぅ!」
そう威勢よく返事をすると、八五郎は若干急ぎ足でその場を離れていって瓦礫の山脈から離脱し、町の西の方にある役場を目指して姿を消したのだった。
その背中を見送った吉田は周囲の町の様子を見回すと、瓦礫が散乱する道の上を再びてくてくと歩き始めた。町がここまで派手に壊れたとなれば、いずれ自分たちの職場は殺到する仕事で大わらわになるのだ。ひとまずは瓦礫の撤去が優先なので一、二ヶ月先の話になるであろうが、被害状況を詳細に見ておいても損はなかった。
顔見知りの婆さんが経営するお土産店のところまでやってくると、幸いにも店は破壊を免れていた。戦場の真っ只中にあってかなりの幸運である。
ここは昨日『竜神』での八五郎との会話で話題に上がった、数少ない『烈怒龍饅頭』の販売店であった。町の復興を手助けした“守護神龍レドラ伝説”のブームが過去のものとなっていく中で、飽きずにそのグッズを売っていた稀有な店である。
先日は、一日一個売れればいいほうなどと八五郎に茶化されていたが、この分では近いうちに必ず再ブームが起こって売り切れ御免になるだろうと吉田には予想できた。何せ、遺跡どころか本物のレドラが現れてしまったのだ。町の再復興を待たずして、世の怪獣ファンが殺到してくるに違いない。エイケン然り、オタクのパワーは舐めてかかれないものだった。
と、吉田は店の角を曲がってすぐ、眼前に見える森林公園の入り口前に人影を発見した。長い黒髪をなびかせたそのシルエットは、吉田の目には一発で女性のそれと分かった。
地図を手に、キョロキョロと辺りを見回していたその女性は、ややあってこちらの様子に気付いたかと思うと驚いたような顔になり、すぐに小走りになって吉田の下へとやってきた。
女性の姿には見覚えがあった。その女性は、吉田の前で立ち止まるとぴょこんと頭を下げ、礼を言った。
「昨日の夜は、案内してくださってありがとうございます。助かりました」
そうしてから女性は頭を上げると、垂れてきた前髪を手ですくって顔の両脇に流し、その綺麗な瞳で吉田の顔をじっと見つめた。
女性の名は、新星理恵といった。
新星は殆んど日焼けしていなかった。肉付きの良い体に、本日は白を基調としたワンピースを身に纏いながら、昨日と変わらぬ黄色のトートバッグを体の前で抱えている。格好だけなら派手な部類には入らないが、素が美麗なので印象は弱くなっていない。白い素肌といい、流麗な立ち振る舞いといい、どこか『大和撫子』を髣髴とさせるものがあった。
年の頃は十代後半から二十代前半といったところだろうか。少なくとも吉田より年下であることは間違いなく、おおよそ大学生ぐらいに見えた。
吉田はその顔を見て小さく微笑んでから、彼女の背後に広がる森の方へと目を向けた。
「役に立てたならよかったよ。ところで、ねーちゃん、何か探してんの?」
「あ、えっとその……」
新星はそうたどたどしく呟いて、バッグと一緒に持っていた地図を広げて何度も上下を入れ替えては、困ったような表情になって言った。
「『竜神』って居酒屋知ってますか? 海岸の方にあるって聞いたんですけど……」
その台詞を聞いた途端、吉田は思わずゲッと呟いた。
「ねーちゃん、あの店いくつもりなのか。悪いことは言わんから止めとけ。あそこは昼間から酒を飲んでるロクデナシのたまり場だ。店長は似合わないサングラスかけて格好つけて、頼んでもいないナンコツばっかり食わせようとするアホたれだ。間違っても、ねーちゃんみたいな綺麗な子の行くとこじゃない」
自分だって入り浸っているくせに、あんまりな言いようであった。
「探してる人が、そのお店によくいるって聞いたんですけど」
そう言われて吉田は一瞬怪訝な顔つきになり、『竜神』の店屋がある丘の方を覗き見てから、腕を組んで小さく唸って考え込んだ。
吉田には正直、この美麗な女性とつながりのある人間が想像できなかった。誰かの親戚だったりするのだろうか? そう思った吉田は、無礼を承知でちょっとだけ聞いてみることにした。
「ねーちゃん、失礼だけど苗字は?」
「えと、新星、です」
妙にたどたどしい言い方だった気がしたが、あえて吉田は深く突っ込まないことにした。
新星。聞いたことのない苗字である。そこから連想される『竜神』の客は、吉田の知る限りではいない。これは店に案内したほうが早いかもしれない。吉田は諦めたように息をついた。
「よし分かった。ねーちゃん……じゃなかった、新星さんね。俺も今からその店に行くところだから、ついてくるといいよ。あの丘の上なんだけどね、こっから普通に歩いて十分もかからないよ」
「ありがとうございます」
そう言ってまた深々と頭を下げる新星であった。
随分と腰の低い女性であるが、こういう礼儀正しい子は吉田は嫌いではなかった。
* * * * *
傾斜のゆるやかな石段を上りきると、目の前にこじんまりとした瓦葺き二階建ての店屋の姿が現れた。入り口前に下げられた藍色の暖簾に角張った書体で『竜神』と屋号が綴られている。目当ての居酒屋にご到着である。
吉田はホッと一息つくと、自分の後から石段を上ってくる女の方に顔を向けた。
新星は、吉田などに比べると幾分ゆっくりめに上を目指してきていた。元々あまり体力があるようには見えないが、それに加えてこのクソ暑い天候である。あまり急いで動き回ると、下手すれば熱中症で昏倒しそうな気配すらある。そんな中を、自分のペースで確実に上ってくるというのは中々賢い選択であった。
「あ……すみません、進むの遅くて」
「気にしない気にしない。むしろ、倒れられたらこっちが困るからね」
そう言って角刈りの頭をバリバリ掻き毟る吉田であった。動作がもはやオッサンである。不潔というか、女性の目の前でそれをやるのは如何なものであろうか。
やがて丘の上の広場まで上りきった新星は両膝を押さえて前屈みになり、何度か深く息を吸ったり吐いたりした後、再び前髪を両脇に流し、額の汗を軽く手で拭ってから顔を上げた。
普通なら神社などがあってもおかしくないであろう石段の上の広場に、通勤路の脇にでもありそうな暖簾と看板を備えた居酒屋が建っているのは、どことなく不思議な光景であった。
店の外観を眺めている新星の考えを察したのか、吉田は軽く笑って言った。
「普通、こんな面倒な場所に居酒屋開いたって繁盛しないんだけどな。何をどう間違ったか、客がついちまったんだよねぇ」
居酒屋というのは通常、サラリーマンなどが会社帰りに手軽に寄れるから売り上げになるものなのである。『竜神』のように丘の上に店舗を構えたりすると、石段を上らせる手間をとらせることになって客が来ず、まずは誰もそんなリスクを冒そうとはしないものである。
逆に言えば、そんな条件下でも店を繁盛させている『竜神』は何かが違うということなのだろう。
悪態をつきつつも、吉田自身がそのことは一番よく知っていた。
新星を伴って、吉田が戸を開けて店内に入っていくと、そこには二、三人だが客がいた。
「おぅ、ヨっちゃん!」
八五郎同様、親しげに声をかけてくる客たち。吉田もそれに軽く手を挙げて応える。
自分が言うのもなんだが、日曜の朝からこんな場所で朝飯をかっくらう彼らは、家庭のほうは大丈夫なのだろうか。只でさえあんなことが起こった翌日である。店を開けるほうもあけるほうなら、来るほうもくるほうであった。
吉田の後ろから新星がおずおずと顔を出して店内をのぞき見ていると、突然カウンター内からマスターが顔を覗かせ、明るい調子で声をかけた。
「いらっしゃい。似合わないサングラスをかけたアホたれ店長ですよ」
「何で知ってんだよ!? 全身カミナリのオッサンかアンタは!」
そのうち全能の神を自称したりするのだろうか。
「つーか、なんだな。たった一晩しか経ってないのに、殆んど一年ぶりに来たような感じがするな」
「強ち間違ってもいないと思いますけどね」
マスターはニマニマしながら、店の奥に引っ込んだ。相変わらず白シャツの上に緑のジャケットを羽織るというダサい格好は変わっていない。サングラスをしているくせに素の表情が読み取れてしまうというのは、果たしてサングラスをしている意味があるのだろうか。甚だ疑問である。
一旦引っ込んだマスターは、やがて手にした皿の上に、串に刺した白っぽい具を乗せて現れ、
「この店に来るのは初めてですよね? お近づきのシルシに、」
「ナンコツ食わせようとすんな!」
ごく自然な流れを装って差し出してくるところに、そら恐ろしさを感じる吉田であった。
「そんなことより、このねーちゃん、ここの客の誰かを探してるんだってさ。力になってやれよ」
「あ、そうなの?」
「はい。あの、この人なんですけど……」
そう言って新星は、手に持っていたバッグのファスナーを開け、中から何かを取り出そうとした。
そのときだった。
吉田と新星の背後から再び戸をスライドさせる音がして、マスターも含めた三人がそちら側を振り向くと、そこに水岡真悟が立っていた。
相変わらず警察官の夏服を着崩し、暗い表情で下を向いていた水岡は、すぐ目の前に誰かが立ち塞がっているのに気付いて顔を上げ、そこにいた吉田と新星の顔を見て言葉に詰まっていた。
鼻の頭から左頬にかけて一直線に通った傷が、顔の前が影になってもはっきりと見えていた。
新星は一瞬呆気にとられていたが、すぐに気が着くと、目の前の男に向かって言った。
「水岡さん!」
しかし話しかけられた本人は何も言わずにすぐさま踵を返すと、ギンギンに降り注ぐ日光の中に再び去っていった。
新星は慌てて再度水岡の名を叫び、その後を追って店の外へと出て行った。
二人がいなくなった後で、吉田とマスターは互いに顔を見合わせていた。口に出さずとも、お互い何を言わんとしているかは分かっている。この状況ではそれ以外ありえなかった。
しばらくして、新星がやや落ち込んだ様子でとぼとぼと店内に戻ってくると、開口一番で吉田は訊ねた。
「新星さん、アンタがさがしてた奴って、水岡のことだったのか?」
新星はハッと顔を上げて吉田の顔を見つめ返し、言うべきかどうか迷いながらも、ややあって黙って頷いた。
吉田はそれを受けて若干身を乗り出し、畳み掛けるようにして新星に問いただした。
「なら、アイツがヤケクソになっちまった理由も知ってるのか? どうしてああなっちまった?」
少しの間、沈黙があった。
新星は吉田やマスターにくるりと背を向け、体を揺らしつつ何か思案している様子であった。
そしてやがて、また彼らの方を振り向いた新星は意を決したような表情を浮かべていた。新星は言った。
「水岡さんは……私の命の恩人なんです」
(第十三話へ続く)




