説明会
来る一日から開始される企業の説明会のために、椿本心弥は、美容室で茶色に染めたロングヘヤ―をショートにカットしていた。カットされていく茶髪を眺めながら、東京の大学に入学したその年の夏に、初めて帰省した日の事に思いを馳せていた。
父の弥汰と母の早苗が、息子の初めての帰省を心待ちにしていたことは言うまでもない。楽しみにしていたその日がやってきた。早苗は朝から浮き足立ち、息子のために精一杯のご馳走をとその準備に追われていた。夕飯時に、心待ちしていた息子の心弥が帰ってきた。
「ただいま」
心弥の声を聞いて、早苗は満面の笑みでダイニングの扉を開けた。
「!?」
その瞬間、早苗の顔から笑みが消えた。それでも早苗は、やっきになって喜びだけは表そうとして顔を引き攣らせていた。
ドアを開けて玄関に入ってきた心弥の髪の毛は、長く伸ばされて、ブロンドに染められていたのだ。東京という自由奔放な大都会がそうさせたのか、それとも、都会人だと主張したいがためにそうしたのか。地方出身は得てして、派手に繕い、派手に振る舞おうとする。心弥もまた、その中の一人であったことだけは、間違いないのである。
弥汰は、心弥のグラスにビールを注ぎながらも、その目線は、心弥の頭髪に注いでいた。どこでどう育て方を間違ったのであろうか、などと自分自身に問い質しながら。
お喋り好きの、中学生になったばかりの妹の早波もまた、今日ばかりは両親と同様にだんまりのまま、ジッと心弥の頭髪を眺め、釘付けになっていた。中学生になっても通学はジャージ姿でと校則で決まっている。兄のように洒落た服を着て、髪の毛を染めて、早く大人になりたい、などと未来図に思いを巡らして。
「親父」
と、心弥が呼びかけた。
「え?」
と、弥汰は目線を心弥の頭髪からグラスの方に移行させた。途端に、
「あッ」
と、呻き声を上げた。
注いでいたビールがグラスから溢れ、テーブル零れ滴り落ちていたのだ。
「お母さん、布巾、布巾」
「あ、はい」
弥汰に言われて、早苗は我に返ったように慌てて布巾でテーブルに溢れ出たビールを拭いた。
突然、早波がクスクスッと笑った。
「何が可笑しいの」
早苗が、叱りつけるように言った。
「早波に怒ってもしょうがないだろう」
弥汰が、非難するように言った。
「じゃ、誰に怒ればいいんですか」
と、早苗がムキになって言い返すと
「テーブルのビールにだ」
と、弥汰がわけのわからぬ事を言い放った。
弥汰と早苗の一発触発的な張り詰めた空気に、ただならぬ予感を感じた心弥は、早々に切り上げて、夕飯を済ませた。
「もういいの?」
「うん、もういい」
愛想も素っ気もない返答をして、心弥は部屋を出て行き、二階の自室に戻った。早波も同じように感じたのであろうか、早々と食事を済ませて、自分の部屋に戻った。
早波が部屋の扉をバンと閉めた音が、静寂に包まれた部屋の中に響き渡った。その瞬間、それがゴングの音となって、弥汰と早苗のバトルが開始された。
「どういうつもりなんだ?」
「どういうって何がです?」
「あいつの髪の毛だよ」
「聞いてみたらどうです?」
「俺がか?」
「はい、お父さんが」
弥汰は、それには答えずに
「ああいう所は、お前の家系の血を引き継いたんだろうな」
「私じゃなく、お父さんの方ですよ」
早苗が反論するや否や、弥汰は鼻で笑って
「お前の姪や甥は皆して髪を染めてるよな。俺の姪や甥は誰も染めてはおらんよな」
弥汰は、どうだ反論できまいと言いたげな表情をして言った。早苗が黙っていると、
「近頃に若い奴はなっとらん。俺の若い頃は……。そう言えば、お前も若い頃染めてたな、髪の毛」
「似合ってるって言ったのは、どなたでしたっけ?」
「俺がそんなこと言うわけないだろうが」
「言いましたッ」
「言ってねえよッ」
ベッドに横たわっている心弥は、いつまで続くかわからぬ弥汰と早苗の取り留めのない会話を終らせようと、ベッドから出てドアを開け、部屋から出て行き、
バーン!
激しく音を立ててドアを閉めた。そしてその音が、弥汰と早苗のバトルの終了のゴングの音となった。
翌月の盆休みに、弥汰の兄の家に家族全員で法事に出かけた。家を離れていた従兄弟達も帰省していた。久し振りに会った従兄弟達を見て驚愕したのは弥汰であった。と言うのも、弥汰の甥や姪もまた、全員が黒髪を茶色く染めていたからである。その日以来、弥汰が髪の毛に関して誰に対しても何も言わなくなったのはいうまでもない。
鏡には、ショートヘヤーとなって、黒髪に染め直された心弥が映っていた。