気付き
十歳の頃は普通に学校へ通っていた。
私は家からエルンシュタット城下町までは徒歩で通うことができた。平坦な道がずっと続いていたので疲れることはなかったし、これといって強力な魔物や盗賊や獣人もいなかった。それに大人は城下町の外であっても、私たち子どものことをずっと見守ってくれていた。今思うと、エルンシュタットという国は周りの国々の情勢と比べて、非常に治安が良かった。いや、当時貧乏だった私が学校に通えたのだから、治安どころか社会全体が豊かだったのだろう。
そんな私たちは学校で、朝から昼のおわりまで勉強をした。帰宅後、農家の手伝いをする子どもたちが多かったため、昼のおわりに授業は切り上げられた。貴族の子どもたちは夕方まで勉強と魔法の鍛錬を行っていた。農作業がないから、勉学に励むのは当然といった雰囲気だった。
だけど私は母とやる農作業も好きだったので、特にこれといって羨ましいとは思わなかった。
学校で培ったものの差は出てしまうだろうなぁと、漠然と感じた。
ただ、差が出たのは事実としても、実力が伴っていたのは私だった。
それは魔法科の試験の日に分かった。
これは外で魔法が撃てた最初の機会であったが、同時に、最初の気付きの日でもあった。
▽
「では魔法科の試験を始めます。魔法は何を使っても構いません。木の板を破壊したら合格とします」
魔法科のコリン先生はメガネをくいと上げて、マジメに言った。
コリン先生の背には石造りの白い建物があり、その建物が木の板を覆っていた。木の板の大きさはだいたい人一人が横になった時と同じぐらいの大きさをしていた。
この木の板を魔法で破壊することが、この試験の内容だった。
クラスメイトは初めての試験に緊張していた。みんな、座学としての蓄積は多くあったが、実地での経験は皆無に等しかったからだ。
一方で私は関係のないことを考えていた。可愛いコリン先生はマジメすぎるからモテないのだ、などと先生の顔を見ながら考えた。
そこに緊張はまったくなかった。
理由は単純で、試験のことを舐めていたからだ。
めちゃくちゃ簡単そう。
それが第一印象だった。
マジメな座学と比較すると、拍子抜けするほどショボく見えてすらいた。誰でも出来るのではないかという予感しかしなかった。
だが、実際に始まるとクラスメイトたちの結果は散々だった。
木の板の端っこを削る人、傷をつける人は「惜しい」とその場で地団駄を踏んでいた。それすら酷いと私は思ったが、中には全然違う所に魔法が飛んでいく人や、魔法が届かない人、そして魔法を放つことができない人もいた。
私はみんなと仲が良かったし、みんなのことが好きだったけれど、こればかりは少し呆れてしまうものがあった。
「どうしたの? サラちゃん、お腹でもいたいの?」
サラとは私の名前だ。隣で親友クラケットちゃんが心配そうに話しかけてきてくれた。私は「ううん、大丈夫」といって明後日の方向に顔を向けた。実はあまりにも呆れて笑ってしまっていた。
こういった見下した態度と行動は、あとあと自己嫌悪に陥るには十分すぎるほどだった。当時のクラケットちゃんが気付かなくて本当に良かったと、私は今でも思っている。
「次、サラ。前へ」
コリン先生が私の名前を呼んだ。
クラケットちゃんが「頑張って」と応援してくれた。その応援の言葉は素直に嬉しかった。しかし、頑張るまでもなかた。
私は杖を胸に構え、地面につきたて、大地と風と星の神々に祈りを捧げた。あなた方の身体の一部である魔力を私に分け与えたまえと、この試験中に何度も唱えられた言葉を、私も唱える。
すると、足元の魔方陣は光り出し、頭の大きさほどの赤々とした火球が目の前に現れた。
クラスメイトのみんなは随分と驚いた。そして審査をするサラ先生も驚いているようで、目を見開いていた。
驚いていないのはその場で私一人だけだった。全然本気でもなんでもない、朝飯前のように出来るこの火球に驚く要素なんてどこにあるのだろう、なんて生意気に考えていた。
もちろんこれは、最初の気付きにまだ至っていないからそう考えてしまったわけだが……。
「サラ、それ以上は暴走します。魔法を止めなさい、今すぐに!!」
冷静さを取り戻したコリン先生は、先生らしく私に向かって怒声を発した。
「サラちゃん、危ないよー」
クラケットちゃんは目を覆いつつも、私を涙目で見ていた。
でも決して危なくない自信があったので、私はそんなクラケットちゃんの表情は見ないようにした。
それどころか、目の前にあった火球を私は大きくした。
「やめなさい」
コリン先生は私にじりじりと近づく。
「でも先生これ、安全ですよ」
「ダメです」
「えー」
「えーじゃありません。試験ですよ?」
「試験だから頑張ってるのに」
こんな試験で本当に先生は満足しているのだろうか。神々から身体の一部である魔力を分け与えてもらっているのに、その魔法が目的を果たせないのはバチあたりにもほどがあるんじゃないだろうか。
そんな思いがふつふつと煮えたぎって、いつしか沸点をこえた。
だから私は、止める努力をするコリン先生も、怯えるクラケットちゃんも無視して、その火球を放った。
結果、私は子どもだったと悟ることになった。
コリン先生は正しかった。
火球は暴走こそせず、正しく、狙った物を焼き尽くした。それはよかった。ただ火球の範囲が広すぎたため、狙った物の周囲も一緒に焼き尽くした。
木の板は石造りの白い建物で覆われていたにも関わらず、コゲを残すどころか、溶けてしまったのか跡形もなく消え去った。その建物を覆っていた木々は燃えるどころか、すでに灰となり地面を白く染め上げてしまっていた。
コリン先生やクラスメイトたちはみんな、言葉を失っていた。怖くて泣き出してしまった子もいた。
もちろん私も言葉を失ってしまっていた。
自分の力については知ったつもりでいたが、誰かと比較した強さまでは知らなかった。
▽
「先生、入ります……」
後日の昼食中。私はコリン先生に職員室まで呼びだしをくらった。
学校の職員室はまるで教会のように木々の自然な匂いと、ニスの人工的な匂いがキツかった。自然に囲まれた家で育っている私としては、あまり近寄りたくない部屋の一つではあった。
「そこに座って」
コリン先生は優しく、私を手前にある椅子へと誘った。
私とコリン先生は向き合って座る。
「私は教師として、また神の教えを説くものとして、この立場になってもう十年になります。ベテランと言うには若く、新人というには歳を取ってしまっている、そんな年齢です。なので私の言うことは中途半端に聞こえるかもしれませんが、聞いてください。
サラさん、あなたは私が見てきた生徒の中で最も優秀な人間だと思っています。魔力の量も、大人顔負けと言っていいでしょう。正直、私なんかより魔力が扱えると思います。しかしそれは、魔法というテクニックと同時に伸ばしていかなければいけません。法は物事に秩序を与える規範や定めという意味を持ちます。魔法とは、手にする魔力に秩序を与えて形作られるものでなければいけません。
ですから……ええ、ですから。これはワガママに聞こえてしまうかもしれませんが、あなたの優秀な才能はより、周りの魔法にも合わせた形を取って欲しいと思うのです。そうすることで、あなたの才能はより豊かに開花するはずです。私はベテランではない先生ですが、その才能の開花については、保証させてください」
コリン先生は終始、笑みを浮かべていた。その笑みは可愛かった。モテるだろうと思った。
一方でそれはコリン先生が仮面を私の目の前で仮面を被ったように見えた。
それに、長々と褒められたように聞こえたが、結局のところ、
空気を読め。
という話なのだろうと思った。
そしてそれは、大人なコリン先生だけではなく、クラスメイトの人たちや、親友であるクラケットちゃんにとっても同じで、私はその日から、あまり本心を話さない大人しい子になった。
▽
これが学校で起こった、最初の気付きの話だ。
この妙な雰囲気と距離感については、私が学校を去る十五歳まで続く。もちろん十五歳という年齢は卒業には早すぎて中退となった。
ただ、直接の理由はこの出来事じゃない。この時の私の運命はまだ、方角を変えた程度に過ぎない。
でも、中退することになる。
色々な事情があってしょうがなかったのだ。