我が友へ贈る
我が友よ、貴方とともに過ごした日々はかけがえの無いものだった。晴れの日も雨の日も、春も秋も、夏も冬も、すべてが大切な思い出だ。
おっと、貴方への呼びかけは友で良かったのかな。もしかしたら他にいい呼び方があるのかもしれないね。私は貴方の群れの一員だった。となると家族と呼ぶのがいいのだろうか。
貴方は私にいくつかの仕事をくれた。群れの外から来客が来たことを知らせたり、貴方の子どもを見守ったりする役目だ。仕事を与える、仕事を行うという関係ならば主従、ご主人様と呼ぶべきなのかな。そういえば貴方たち人間は、我々に様々な仕事を任せているそうだね。我々の鼻の良さを活かして探し物をしたり、狩りの供として連れていったり。体のどこかが悪い人間を助ける同族もいると聞いたよ。
我々は人間に頼られると気分がいい。信頼と愛情を感じられるからね。我々の誇りを刺激するのは、貴方たちを助けることができたという達成感だ。
話が脱線してしまった。呼び方の話だったね。父と呼ぶのもいいかもしれないな。貴方は私を拾い、育て上げてくれた人だ。冷たい夜の空気に凍えていたあの日は今でも思い出せるよ。ここまで育ててくれたことには本当に感謝している。
うん、やっぱり友や友人と呼ぶのがしっくりくる。貴方を私は尊敬し、貴方も私を信頼してくれる。貴方は私を頼ってくれるし、私も貴方を愛している。互いに信頼し合い、頼り合い、友誼を交わす。貴方のことは友と呼ぶのが一番だ。
さて、我が友よ。貴方と共に過ごした日々は本当に輝いていた。小さな箱に毛布と共に入れられていた私を拾い、育ててくれた貴方。まだ分別の無い子どもだった私を辛抱強く育てるのには苦労が絶えなかったと思う。
成長した私を色々な場所へ何度も連れて行ってくれた。日々の散歩で貴方と共に歩くだけでも心が躍るというのに、一緒に遠出した日には最高の幸福を感じたよ。
煙と油、そして鉄の匂いがするあの箱。あれに乗せられて遠出に行った。山に行ったときは芳しい緑の香りが胸を満たした。夏や秋、季節によって姿を変える山を登った思い出は今でも色あせることは無い。
海にも行ったね。塩辛い水がどこまでも広く溜まった大きな水たまり。体を波で洗われながら泳ぐのも、なんともいえない心地よさだった。ただ、泳いだ後、貴方にしっかり真水で洗ってもらわないと体がカピカピになるのだけはいかんともしがたかったよ。
ああそうだ、小さな友よ。君ともよい関係を結べたと思っている。我が友人の娘たる君は、私と遊ぶことを本当に楽しんでくれていた。私がこの家に来たとき、君はまだ立つこともできなかった。小さな小さな赤ん坊だったね。
そんな君が元気に走り回るようになったころ、君が好んだのは私の背中に乗る事だった。君を背中に乗せて野原を走り回ったときはとても疲れたが、君のはしゃぐ姿を見てその疲れも吹き飛んだほどだ。
しかし、肝を冷やした思い出もある。皆で海に行ったとき、君が波に流された。あの時は背筋を怖気が走ったよ。いてもたってもいられず海に飛び込んで、君のところまで全力で泳いだ。私にしがみつく君の体を、あれ程重く感じたことは他に無い。助けられて本当に良かった。
ああ友よ、願わくばあの日々をもう一度味わいたい。貴方と共に川原の土手を歩き、野原で貴方が投げたボールをくわえて走り、山の空気を吸いながら斜面を踏みしめ、浜辺では貴方の足跡の隣に私の足跡を刻みたい。
過ぎ去った日々よ、遥か彼方。けれど、いつまでもそれを求めるのは未練というものか。せめてその思い出を胸に抱き続けよう。
長々と話してしまったね。何でこんなことを言ったのか、それは貴方と共に過ごせたことが、私にとってすばらしい幸せだったからだよ。これほど素晴らしい日々を過ごせたんだ、悔いることなどないさ。
だがらそんな顔をしないでくれ、我が友よ。元からこうなることは分かっていたんだ。君たち人間の寿命はとても長い。我々の寿命の軽く三倍以上は生きられるというじゃないか。いつかは別れがくることは決まっていたのさ。
小さき友よ、君も泣かないでくれ。別れは必然だ。笑って見送っておくれ。
ああ、我が友よ、ありがとう。そのまま貴方の二つの前足で私を抱きしめてくれ。貴方に抱かれながら逝きたいんだ。貴方からは自然の香りがする。山の香り、海の香り、野原の香り。それらすべてが、私の幸せな日々を思い出させてくれるから。いくつもの思い出を噛みしめながら眠りたい。
私は幸せだ。一匹の犬として、人間の貴方の友人でいられたことを誇りに思う。