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例えば、そんな日常で。2

「サボってばっかりだと内申下がるぞ」とは担任の談で、背中に受けたダメージにより一日中苦しんでいた私に掛けられた言葉でもあった。

昨日は、連絡も入れずに休んだので、担任が直接自宅に連絡を入れたようだ。

母が何と言ったのかは分からないけど、体調不良とは言わなかったようだ。

恐らく「どうしても学校に行きたくないって言ってるんですよ。私も困ってるんです。明日は必ず行かせますから・・。」とか何とか言ったに違いない。

昔、そう言っていたのを聞いたことがある。

けれど、本当に「行きたくない」と言ったのだとして、サボリだと決め付けるのはいかがなものなのか。

なぜ行きたくないのか気にはならないのだろうか、と、人のよさそうな担任の顔を見つめながら思った。

「分かったか?」と言いながら、始めから私のことなど気にも留めていない担任に小さく頭を下げたのは同意したからではない。

そうすれば、最も早く担任の視線から開放されることを知っていたからだ。

いかにも職務を全うしたと満足気に職員室へ帰っていく担任の背中を見ながら、左腕を握り締める。

なぜか、痛みがぶり返したような気がした。


「あ、ビッチが来てる。キモッ」


担任との不毛なやり取りを終え、廊下を歩いていると、すれ違った女子たちの視線がこちらに向いた。

何となく見返すと、「こっち見てるよ、キショッ」と暴言を吐かれる。

茶色や黒や金色のふわふわした髪に短いスカート。こちらを見据える大きな目。

何が楽しいのかニコニコと笑いながら、ガリガリで骨みたい、とか、肌色が病人みたい、とか、悪口なのか何なのか分からない私の容姿に対する指摘が入る。

くすくすと交わされる笑い声が余韻となって耳の横を通り過ぎたのだが、彼女たちに対して感じることは何もなかった。

彼女たちの名前どころか、クラスも学年も知らないし、そもそも知り合いかどうかも分からない。

そんな全くの赤の他人に何かを言われたところで打ちのめされるような繊細な心は持ち合わせていない。


「昨日さ、駅前でアイツの母親見たんだけど、男にすがり付いてんの。」

「は?きもい。ババアのくせに。」

「アイツも似たようなもんでしょ。母親がアレだもんね。」

「夜中にゲーセンいたらしいし、変な親父とホテル入っていったって」


こちらを見ながら話しているのだからきっと私のことなんだろうけど、まるで芸能人の噂話でも聞いているような感じだ。

ゲームセンターなんて行ったことはないし、ラブホテルなんてどこにあるのかさえ分からない。

まあ、母の話は間違いではないけれど。

嘆息しながら目的地である化学室に足を向ける。

そんな私の背中に飽きもせずに罵詈雑言を投げつけてくるのだが、もう振り返るような馬鹿な真似はしなかった。こういうのは気にするだけ無駄なのだ。

それに彼女たちだって、あれだけの敵意を向けてくるのにも関わらず、暴力行為に及ぶことはない。

ここは曲がりなりにも進学校。推薦を狙っている子も多いので、暴力沙汰などはもってのほかなのだ。

女子の場合、公になったときのダメージは男子の比じゃない。

彼女たちもそれはきちんと理解している。


ただ、その代わりに、犯人が特定できないような陰湿な嫌がらせは何のためらいもなくやってみせるのだけれど。

特に休んだ日の翌日は要注意で、教科書などを置いて帰ったものなら確実に使い物にならなくなっている。

落書きだらけだったり、破られていたり、もしくは教科書自体がなくなっていたり。

やられた嫌がらせをあげればきりがないのだが、油断すれば体操服はいつの間にかどこかに隠されてるし、靴箱の中には画鋲を入れられることが多い。

そのどれもが予想の範囲内であるのは、やはり、ここの生徒がどこか模範的で画一的だからだろうか。

つまり、どの嫌がらせも古典的なのだ。

だから、大抵のことは対処できる。


「お、珍しい。今日はちゃんと登校してるんだ」


ぼんやりと考え事をしながら歩いていると、目前に大きな影が差した。

目線を上げると視界に入る金髪。


「朝から来てた?」


琥珀色の瞳が優しげに細められる。

頷くと、更に笑みが深くなった。

「髪切ったんだな」そう言いながら大きな手が私の短くなった髪を丁寧に梳く。


「昨日、休んでただろ?」


問われて、また一つ頷く。続けざまに「大丈夫か?」と聞かれて首を傾いだ。


「顔色悪いから。」


そして、その長い指先が私の顎をなぞった。

ぞわりとした感触に一歩後ろへ下がると、「ふっ」と吐息を吐くみたいにそっと笑って、ぽんぽんと頭頂部を撫でてくる。

その読めない顔をじっと眺めていると、何がおかしいのか今度は「ククッ」と笑い声を落として、

「じゃあな。」と何事もなかったかのように去っていった。


一体何なのか分からない。

けれど、彼はいつもこんな感じだ。

何の前振りもなく突然目の前に現れて、二、三言葉を残して去っていく。

そのときの私はただ頷くか首をふるだけ。そのため、会話らしい会話はしたことがない。

どことなく、私の前に立つその人は機嫌が良いように見えるが、それも確かではなく、すれ違うときにほんの一瞬だけ重なる視線はすでに熱を失っていた。

ライオンみたいにのっしりとした背中で去っていくその人を何となく見送るのだが、彼が未練がましく振り返ることもないし、私も言葉を発しない。

瞬きをするくらいの邂逅だ。

明日になれば、落とされた言葉の一つも思い出せないだろう。


「あ、光成さんだ・・」


陶酔したようなため息交じりの声と共に、周囲の視線が去っていくその人に集まっていく。

無数の、視線という矢印が彼の体中に突き刺さっているのに、気にもならないようだ。

戸惑うことも足を止めることもない。

その、無造作に後ろに流した髪が首のラインで柔らかく動く後ろ姿を、女子はもちろんのこと男子までもが視線で追いかけている。

体格が良いのと高身長なことで日本人のようには見えない。

周囲は完全に沸き立っている。


けれど、誰も彼の近くへは寄っていかない。


明らかに色めきだっている女子生徒も、声を抑えて彼の不興を買わないようにしているようだし、男子生徒だってどこか落ち着きのない様子で廊下の隅に避けて、彼が通り過ぎるのを待っている。

そうか。近づかないのではなく、近づけないのだ。

王者の風格、というのだろうか。

彼の一般のそれとは違う厳かな空気が誰かが傍に寄ることは許さない。


「ねえ、あんたさ光成さんの何なわけ?」


そして、王様がいなくなった途端に、行き場を失った視線がこちらに向かってきた。

こうなるだろうとは分かっていたけれど、予測した通りの成り行きに苦笑が漏れそうだ。

実際は、眉の一つも動かなかったけれど。

もともと私は、他の女子生徒によく思われていない。

いつからそうなってしまったのかは私にも分からないけれど、その理由の一端が、母にあることは何となく分かっている。

この街で生まれ育ち、昔から男をとっかえひっかえしていた母は、ある意味この街の有名人。

誰の子供か分からない娘を産み落としてからも、自宅に色んな男を出入りさせて、それを隠すようなことはしなかった。

そんな母のことを、同級生の親たちは良い目で見なかった。

幼い頃に、「ねえねえ、アンちゃんのお母さんってインランなの?」と、純粋な眼差しで尋ねられた日のことは忘れたことがない。

あの子が、淫乱の意味を知っていたかどうかは分からないけれど、あの子の親は少なくとも私の母のことを話の種にしていただろうし、自分たちの娘がそんな女の子供と仲良くすることを良しとしなかった。

その日から私の周りには誰もいなくなった。

いつかは、母を通してではなく、私だけを見て仲良くしてくれる子が現れるのではないかと思ったけれど、小学校も中学校も、何年経過しても、私はいつも一人きりだった。

その間に、噂は噂を呼んで、いつからか、その娘である私も母と同じような存在だと認識されているようになった。

県内各地から人が集まる高校に進学すれば大丈夫かと思えば、同じ中学出身の女子たちが周囲の人間に面白半分、嫌がらせ半分で、私の過去を触れ回った。

そうなると、集団行動を正義とする女子生徒の中において、完全な異物である私が受け入れられることはなくなった。


だから、女子生徒たちは自分たちが好意を寄せている「ミツナリ」なる人物に私のような存在が近づくことは許さない。


そして、彼をどこかの宗教団体の祖のように崇めている男子生徒も、ヒエラルキーの底辺にいるような女子が、彼と言葉を交わすことに苛立ちを覚えるようだった。


「淫乱が、光成さんに近づくんじゃねえよ。」


誰が発した言葉かわからないが、ぽつりと落とされた言葉がさざなみのように周囲に広がっていく。

「だいたい光成さんに近づくなんて思い上がりも良いところじゃない?」

「光成さんがお前みたいな淫乱相手にするわけねえだろ」

「光成さんが優しいからって調子に乗ってんじゃねーぞ」等々、口々に何かを言ってくる。

言葉と共にこちらに向けられている敵意溢れる眼差しは、グサグサと皮膚に突き刺さるのに、あの人はよく平気な顔をして歩けたものだ。

視線というのはこんなにも、痛い。


だけど、私は彼らに返す言葉を持ち合わせていない。

だって意味が分からないからだ。

彼の整った相貌や、目立つ金髪、日本人離れした体格が衆目を集めるのは分かる。

けれど、それ以外に何があるかと聞かれれば分からない。

彼が、こんなにも周囲に一目置かれている理由が分からなければ、そんな彼が私に近づいてくる理由も知らない。

それに、私はその答えを知りたいと思っていない。

なんで、とか、どうして、とか考えるだけ無駄だと知っているから。


「おい、何か言えよ!シカトすんな!」


バシンッ!


何かが飛んできた、と思った瞬間、頭に強い衝撃が走った。

よく慣れ親しんだ感覚だと思う。

いつもよりもだいぶ優しい痛みではあるが。

傾いだ体を支えようとして意味がなかったことを知る。

負傷した左腕に力が入らず、ろくな受身もできずに額から廊下に打ち付けられた。

「お、おい、やばくない?それ・・」

誰かが呟く。

視界の隅に幾人かの男子生徒の上履きが見えた。

マジックでクラスと名前が書かれている。

彼らのうちの誰かに殴られたのだろう。

顔を上げようとして、


「おい、お前ら!何してる!!」


しんと静まり返った廊下に、大人の声が響いた。

途端に、踵を返してどこかにさっていくいくつかの青い上履き。


遠ざかっていく上履きと、そこに書かれていた『初瀬 祐』という文字が、なぜかこの目に焼きついた気がした。









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