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三波明による、昔話。

何が間違いだったのかと言えば、最初から、全部間違っていたのだと思う。


俺と光成が出会ったのは自我も芽生えていないような赤ん坊の頃だ。

正確に言えば、親友同士だった母親たちの手によって果たされた強引な出会いで、互いのことを認識することもできなかった。気付けば「居た」という感じだ。

それから、ほとんど一まとめにして育てられた。

一時期は、自分のことを篠原の次男だと思っていたくらいには一緒に居た。

何しろ幼かったものだから、名字が違うことに違和感を覚えることもなく。与えられた環境をただ享受していた。

光成は当然、弟である。

今では俺の身長なんて優に超えている光成であるが、幼少期は俺よりもずっと小さかったのだ。

その色素の薄さと整った容貌は天使もかくやというくらいに愛らしく、ご近所のアイドルであり幼稚舎での人気も凄まじかった。女子というのはいくつであっても可愛いものを愛でる傾向にある。

今のアイツの姿からすると全く想像もできないだろうが、本当にそうだったのだ。

ふわふわの金色の髪と、金箔を振ったような琥珀色の瞳。それは、否応なく人の目をひきつけた。

だからこそ、その違和感に誰もが首を傾げたのかもしれない。


兄の孝仁と、似ていない。


それどころか、母親にも父親にも似ていなかった。

美形一家で有名な篠原であるが、光成のそれとは全く系統が異なっている。

世代を遡れば、そのどこかで外国人の血が混じっているかもしれない。その可能性は捨て難く、先祖返りだと言われれば納得したかもしれない。

しかし、兄である孝仁の容姿はどこからどう見ても生粋の日本人であり、その両親もそうであった。

孝仁の相貌は父親によく似ており、よく見れば、目元だけは母親に似ている。

両親の特徴を色濃く受け継いでいる孝仁。どこをどう見ても、両親の特徴を受け継いでいない光成。

そんな環境に居れば、いくら光成が幼くとも気づかないはずはなかった。

『○○ちゃんはお母さん似ね』

そんな言葉が当たり前に交わされる保護者の間で、


光成君は、篠原の子じゃないのね。


と、もはや疑問文ですらない言葉がぽつりと落ちる。

たまたまその場に居た光成が何を思ったのか知る由はない。

偶然なのか、あるいは、光成の耳に入るようにあえて口に出された言葉だったのか。

だけど、聡い光成は己の外見の特異性に気付いていた。

そして、外見の違いという目を背くことのできない問題にただひたすら戸惑っていたと思う。

『……似てるもん』

泣き声の混じる声で絞り出された声は、誰にも聞かれることなく地面に転がった。

鏡を見て、自分の髪を引きちぎろうとした光成の心情を思えば、あのときに誰かが手を差し伸べてやるべきだった。

篠原の当主夫妻が何を考えていたのかは知らないが、聡明で頭の回転が速く切れ者だと噂されていた二人が、この問題を何の対処もせずにそのままにしておいたことが不思議でしょうがない。

早苗さんもそうだったけれど、ご当主は光成のことを溺愛していた。

末っ子だから可愛くてしょうがないんだと笑った彼の顔を、今でも覚えている。

あれが本音であると信じているし、実際そうであった。

だからこそ、何もかもが後手に回ってしまったのかもしれない。

愛情を過信していたのだ。

愛しているのだから、愛されているのだから、大丈夫。

何の根拠もないのに、誰もがそう信じていた。

篠原の家は、それほどに仲睦ましかったから。


だからあのとき、一番近くで篠原を見ていた俺としては、悔しくてしょうがないのだ。

少しずつ現実を理解していく光成が、どうしようもなく不安がっていたことを見過ごしてしまったことが。


当時中学生だった孝仁が集団生活を学ぶ為にと寮へ入ってしまったことも、悪い方向へ作用した。

本人も、いずれは篠原を継ぐ人間であるから自立は早い方がいいと考えていたようだけれど。

光成のことを誰よりも理解していた孝仁さんが傍に居たなら。

光成の些細な変化にも気付いたはずだ。そして、何らかの対処をしていたに違いない。

中等部に進学する前の孝仁は、光成のことをそれはそれは構い倒して可愛がっていた。幼い光成もそれに答えて、非常に懐いていたのだ。気になることは何でも孝仁さんに質問する。何で、どうして、どうやって。

それに一つ一つ丁寧に返事をする兄が、光成は自慢だったのだろう。

お兄ちゃんは何でも知っている。光成はきっと、そう思っていた。

だから、もしも孝仁があの当時、屋敷に居たなら事態は防げたのかもしれない。

結果的に、あの二人を引き離すことになってしまったのが最大の過ちだと言える。



―――――その男は、ある日突然やってきて。

篠原の大きな外門の前で深く深く頭を下げ、こう言ったのだ。


「ミツナリを、返してください」


光成と同じ金色の髪を風に揺らしながら、切羽詰る形相で声を掠れさせた。

外見からしていかにも外国人であり、ジャケットを羽織っているその姿は黙って立っているだけで人目を引くだろうと思わせる何かがあった。

たまたまその場に居合わせた俺は、漠然と、似ていると思った。

どこがとか、何がとか、そんな具体的なことは分からなかったけれど、同じ色彩がそう感じさせるのか、ただ似ていると思ったのだ。

第三者である俺がそう思ったのだが、その場に居た全員が同じことを思ったに違いない。

篠原の当主夫妻は明らかに動揺して、何をしたのかというと、幼稚舎に向かうところだった光成をすぐさま屋敷の中に隠したのだ。

光成をよろしくね、と早苗に言われて、当時俺よりも体格の小さかった光成の手を握った。

不安そうにしていた光成は、言われるがまま屋敷に入る。だけど、その目は金髪の男を追っていた。

ミツナリ!ミツナリ!と、追い縋るように呼びかける声を背中に聞きながら、屋敷の使用人に囲まれる。

震えた光成の指が、俺の手を強く握った。

幼いながらも、この不測の事態を把握していたのだろう。

『何で、かくれるの?』震える声が使用人に問うた。

自分は隠される存在なのか、と聞いているようだった。

言葉を失った古参の男は、ただ小さく首を振る。それがどういう意味なのか、幼い俺たちは正確に把握することができない。

それから数刻もしない内に光成の前に現われたご当主が言う。心配しなくてもいいからな。と。

まるで、心配しなくてはならないような何かがあったかのように。


不安に揺れる光成を嘲笑うかのように、金髪の男は毎日現われた。

そして、初日と同じように深く深く頭を下げて「ミツナリを返してください」と懇願する。

ご当主付きの秘書が帰れと罵っているのを聞いた。

お前のような男が近づいていい場所ではないと。恥を知れと。

だけど、男はその言葉しか知らないかのように繰り返す。ミツナリ、ミツナリ。

正しく発音することさえできないのに、慟哭するかのように名を呼ぶから。光成はいつしか、玄関前でその姿を捜すようになった。登園するときはもちろん、屋敷に帰ってきたときも。早苗さんにくっついて買い物に出かけるときも。


思えば、いつだって機会はあった。あの男の存在をうまく説明する機会が。

だけど、篠原のご当主夫妻はそれをしなかった。したくなかったのかできなかったのかは分からないが、もっと早くに事情を説明して、光成の不安を払拭してあげればよかったのだ。

他の誰が何と言おうと、お前を渡さない。と。

ただ一言そう言ってあげればよかっただけなのに。

彼らはそうしなかった。

だから光成は、自ら男に接触した。幼稚園児にはどうせ何も分からないだろうという周囲の予測を見事に裏切って、彼が自分の父親だという真実に辿り着いた。

土砂降りの中、それでも頭を下げ続けた同じ髪色を持つ男に傘を差し出して。

「……ああ、ミツナリ。やっと来てくれたんだネ、ボクが君のチチオヤだヨ」

濡れそぼった顔を歓喜の色に染めて男は言った。光成のものと良く似ているその瞳が潤んでいるように見えたのは気のせいではないだろう。

幼い光成は、不思議なイントネーションで話す父親を正面から見据えていた。

俺がその場に居たのは、光成がそうして欲しいと言ったからだ。

一人は怖いと、天使のような顔を曇らせたから。付き添ったのだ。

光成は怖がっていた。自分の名を呼ぶ得体の知れない男に恐怖心を抱いていた。

だけど、泣きそうに焦がれるように焦燥の駆られれる声で呼ばれれば無視することもできず、見て見ぬ振りをするのはもっと恐ろしかったのだろう。

だから、その恐怖に立ち向かうことにしたのだ。


光成はそのとき既に、両親に頼るという選択肢を放棄していた。


その事実に、光成と同じくただの幼稚園児でしかなかった俺には気付くことはできなかった。

俺がもっと大人だったら。いや、それよりも。もしも孝仁さんが傍に居たなら。

事態はもっと別の方向に動いていただろう。

少なくとも、光成を失わずに済んだのだ。


その後、光成と父親は急速に距離を縮めていった。

玄関前で頭を下げることを止めた父親は、近くの公園で光成を待つようになり。

幼稚舎から帰ってきた光成は急いで公園に出かけて行った。いつもは、俺と一緒に遊んでいたのに。

初めて顔を合わせた父親に夢中になっていたのだと思う。

何の証拠もないのに、光成は、彼が父親だと信じて疑わなかった。

血の絆というものが本当にあるのだとすれば、彼らの間にあったのはそれだったのかもしれない。

公園で顔を合わせれば、会えなかった時間を埋めるみたいに。

目を合わせて、手を繋いで。時々は抱き上げてもらうこともあって。心を通わせていった。


そんな二人を見かけた人間は、彼らが親子であることを疑いもしなかった。

似ていたのだ。どうしようもなく。

その男が現われた当初に抱いた「何となく似ている」というものではない。

笑い方が似ている。髪を触る癖も似ていたし、首の傾げ方も、困ったときに眉を顰めるその表情も。

近くに居れば居るほどに、似ていると感じた。


やがて二人きりで出かけるようにもなったけれど、篠原のご当主夫妻は何も言わなかった。

当然、自分たちの息子のことであるから。知らないわけではなかった。むしろ、何もかもを承知だったように思う。だけど、ただの一度も口を挟まなかった。

それが良かったのか、悪かったのか。

今となっては明白で、それこそが光成が離れて行った一番の要因であるとも言える。

だけど、それも含めて。あの頃起きた全ての出来事が、光成を追い詰めていったのだと思った。

一年だ。

約一年もの間。この問題は放置された。

その間に光成は小学生となり、実の父親と親交を深め心を通わせる一方で、光成は篠原の両親とは距離を置くようになった。

仕事で忙しくしているご当主が屋敷に居るときは、必ず寄って行って膝の上に抱き上げてもらっていたというのに。仲睦ましい親子だったのに。そのときの光成は、全く、そんな素振りを見せなかった。

顔を合わせれば、傍に寄ろうとするのだ。だけど、そこに躊躇いが生まれる。

まだ、あれほど幼かった光成にとって、それはどれほどの痛みだっただろう。

光成はただ戸惑い、混乱していた。そして、それは篠原の人間全員に言えることだった。

初めての状況に、何をすればいいのか、何を言えばいいのかも分からず。

お互いの距離を測りかねていた。


そんな日々に終止符を打ったのは、早苗さんだった。


彼女いわく。

光成は、彼女の妹の子だそうだ。つまり、光成は篠原の子ではなかった。

何年も連絡をとっていなかったらしいが、ある日突然、早苗さんの前に赤ん坊を抱いて現われたのだという。それが光成だ。

しかし、彼女はその後すぐに亡くなっている。病気だったらしい。

父親については頑として口を割らなかったそうだ。

そして、光成は篠原の子として育てられた。実際、篠原の養子になっている。


「あの人は、正真正銘……光成の父親よ」


相手は小学生だ。つい先日までは幼稚園児だった。

だから、詳細を語る必要もない。母親が言うことを無条件に信じる。

だが、早苗さんは己の言葉を証明する為に証拠を差し出した。

赤ん坊を抱いた母親とその夫が並んだ家族写真に、訳の分からない数字が並んだ一枚の紙切れだ。

あれは多分、DNAの鑑定書だったのだろう。

当時の光成と俺には理解することができなかったけれど、これが証拠だと提示されれば納得しないわけにはいかなかった。

子供だったから。

大人の言うことを鵜呑みにするしかない。

机の上に置かれた写真の中に、金色の髪を揺らす光成が居る。小さな小さな光成が。

そんな彼の両親は優しげな笑みを浮かべて、カメラに視線を向けていた。


―――――今でもあのとき早苗さんが口にした言葉を覚えているのは、それほどに衝撃的だったからだ。

この耳について離れないほどに。今でもあの光景を再現できるほどに。


「どうする?光成」


篠原の屋敷の一室。

来客用に整えられた和室で、俺たちは向かい合っていた。

張り替えたばかりの青い畳が甘い臭いを放っていた。今でも、ふとした瞬間に思い出す。

人生に分岐点というのがあるのなら、光成のそれは、まさしくあの時に訪れたのだ。

俺は光成の横に並んで、その横顔を見ていた。


一枚の大理石でできた応接台を挟んで、早苗さんは言う。

「どうする?」と、再び問われた光成は大きな目をもっと大きく見開いて黙り込んだ。

時間が止まったのかと思えるほどの長い時間、そうしていて。

俺は、人が絶望する瞬間というのを初めて目の当たりにした。


早苗さんは間違ったのだ。


それは絶対に聞いてはならないことだった。

『どうする?』なんて、まるで、どちらを選んでもいいと言っているみたいに聞こえた。

光成は多分、そういう意味として捉えただろう。

幼いからこそ、誰かの言葉を深読みすることなんてできない。与えられた印象そのままに受け取る。

どうでもいい、とそう言っているように聞こえたとしても仕方ない。

選択権があるように見せかけて、その実、光成を追い詰めるような言い方をした。

早苗さんには早苗さんの言い分もあっただろう。彼女が光成を大切に思っていたのは周知の事実だ。

一年間も何も言わず、光成のしたいようにさせていたのは見守っていたからだとも言える。

突然現われた外国人の身元などとっくに調べ上げて、彼と光成が正真正銘の親子であると知っていたからこそ邪魔ができなかったのかもしれない。

彼女なりの葛藤もあったのだろう。

だが、彼女は大人で。篠原の女主人で。だからこそ、感情を隠すのが上手かった。

だから、もしもあのとき、彼女の指先が震えていたのだとしても俺たちには気付くことができなかった。

優しい母親を演じようとしていたのかもしれないし、冷静に見えても動揺していたのかもしれない。

大切に慈しんで育ててきたはずの光成が、当然のように実の父親の手を取ったのが悲しくもあり悔しくもあったのかもしれないが、その心情を推し量ることなどできようはずもない。


お前は実の子供ではないのだと。その真実を口にするのが恐ろしくて、その場に同席することさえ拒絶した当主の思いも。俺たちには分からなかった。

まるで、お前のことなどどうでもいいのだと。そう言われているような気がしてもおかしくない。

『とうさまは……?』と、入室するなり小さく呟いた光成が俺の手をきつく握った。

言い訳することもせずに『旦那様はお仕事よ』とただ一言、口にした早苗さん。

只ならぬ雰囲気の中で語られた真実は、光成を、ただ打ちのめした。

誰か一人でも、光成に縋り付いて言うべきだったのだ。


お前を誰にも渡しはしない。と。


縋り付いて泣き叫んで、抱きしめて、愛を証明すべきだった。

目には見えないものを信じさせるには、そうするしかなかったのだ。

それなのに。

こともあろうに、寛容さを示した。

大人が取るべき模範的行動を取った。

例え、相手が幼い子供といえど選択肢は与えるべきだと、まるで常識人であるかのように振舞ったのだ。

母親ではなく、一人の大人として。

これがもしも、他の問題であったならそれは正しい行動だっただろう。

だけど、あの場に同席していた俺は。はっきりと悟った。この人は、間違ったのだと。


結果的に光成は、篠原を選ぶことができなかった。

当然だ。光成にはいつだって負い目のようなものがあった。

この家の本当の子供ではないかもしれないという、負い目が。

だから、実の父親の手を取ることしかできなかったのだ。それが、当然の流れだから。

光成をこちら側に引き止めるには、有無を言わせない強引さが必要だったのだ。

血の絆など、関係ないと。そんなものなどなくてもお前は私の子供だから、決して離しはしないと。

たったそれだけを口にしてやるだけで良かったのに。

篠原の当主夫妻は、それをしなかった。


『あっくん、またね』


金色の髪を靡かせる男の手を掴んだまま、光成は俺に言った。

空港まで見送りに行った篠原の当主夫妻には目を向けずに、俺だけに、そう言った。

光成が実の父親に引き取られるという事実を、最後の最後に聞かされた孝仁さんもその場に居たけれど、時は既に遅く。孝仁さんでさえ光成を引き止めることが叶わなかった。

光成は俺を見て『あっくん、元気でね』と泣いた。

一緒に来て欲しそうな顔をして。

何も知らない通りすがりの人間は、きっと微笑ましく思っていただろう。

俺も泣いていて『みつくん、行かないで』と声を上げたから。

空港で別れを惜しむ光景はそう珍しいものではない。

幼い子供同士が、そんな会話をしていれば思わず目を向けてしまうだろう。

何でもない、愛らしい光景の一つだ。

だけど、俺たちにとってはそうじゃなかった。

直感的に分かっていたのだ。これは、ほんのひと時の別れではないことを。


すぐ会えるよね?と聞いた声に返事はなかった。


―――――あの日、俺たちは光成を失った。

天使は、死んだ。

あの日、俺たちの天使は死んだのだ。













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