愚か者の代償
その日やっと決心がついた。人生が嫌で嫌で絶望し、ついに自殺を決意した。
(ここから飛び降りたら、楽に死ねるかな……)
とある高層マンションの屋上。フェンスを背にもたれながら、今にもへたり込みそうな足元を覗き込んだ。
遥か遠く下にある道路で行き交う車が、ほんの豆粒のように点々と見える。そこで同じく行き交っているだろう人間は、もうほとんど見えなかった。
あまりの高さに眩暈がして恐怖にギュッと目をつぶる。それでもしぼむ勇気を振り絞ると、空中に一歩。意を決して踏み出した。
とつぜんグンと、身体中が浮遊感に囚われた。身動き一つ出来ぬまま、ものすごい空気圧に呼吸を奪われていく。耳元では風圧がゴォゴォと地鳴りだし、それはまるで自然が怒っているようだった。どんなに苦しくても息を吸うこともできず、あっという間に硬い地面へ叩きつけられていった。
「――――ッ!!!」
痛いッ、痛いッ、苦しいッ……。そして、意識を失っていく。ああでも――。
(これで、死ねるんだ……)
安堵した。だがその願いは、残酷にもかなえられなかったらしい。
失くしたはずの意識が戻ったとき。目を開けるとなぜかベッドの上に寝ていたのだ。空調が効いている、快適な温かい部屋で。
(ゆ、め……?)
やけにリアルな夢だったけれど、自殺願望が見せてくれた儚い幻だったのだろうか。
しかしそれにしては手も足も、胴体も、頭さえ身体が一切動かない。そうしていると規則的な、おそらく呼吸器らしい音が聞こえてくるのに気が付いた。
(なんてこと……)
そう。それは自分の身体から伸びている、機械の音であったのだ。
あの瞬間、奇跡的に助かったものの健全な体は障害を残し、一生、機械に繋がる運命へと変わり果てた。
「…ろぉ…し…………。だれ、か……、ころ、れ…………」
殺してください――。自力では不可能なので、毎日毎夜、介助へ訪れる人たちにこの言葉を吐き続けた。実際にはもう声は出せず、懸命に口を開いてもちっとも伝わらないのだけれども。それどころか「横に向きたい?」などと見当違いのことを言われる。
もはや食事はおろか寝たきりで、自力で息さえできなくなった身体だ。夢にまで見たその願いは、このさき一生、かなえられることはないのだろう。