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due

 なぜか、私には子供の頃の記憶があまりない。

しかし、私にはかけがえのない友人達がいた。ケイゴ、ユーキ、ジュンちゃん……。

 特にジュンちゃんは私の恩人だ。いや、ヒーローと言った方が正しい。

 私は小学校から中学校までひどいイジメにあっていた。理由は私があの部落の出身だからだ。

 父や母にそのことを相談したことはない。父や母も若い頃それで苦しんだと聞いていたからだ、おじいさんやおばあさんの頃はそれは想像を絶するものだったらしい。

 差別はあってはならないこと。そういう建前ができたのはここ最近のこと。しかし、建前は所詮建前。表面を覆う薄っぺらい皮を張り替えてみたところで、人間はそう簡単に変わらない。倫理や正義、道徳なんて、トマトの薄皮くらい薄っぺらい。その薄皮の下はきっと腐っていて、ウジ虫がわいている。そうでなければ同じ人間に対してこれほどの仕打ちができるはずがない。この村の人間達は腐ったトマトなのだ。みんな一本の蔦にしがみついてかろうじて生きている。その中で少々いびつな私はイジメられる。私もみんなと一緒に腐っていくことをなぜ誰も許してはくれないのだろう。私の最後は地面に落ちて朽ち果てるしかない。でも、もし地面に落ちたとき、運良く強い風が吹いて、私は転がりだすことができたなら……、誰も知らない場所で新しい根をおろすことができやしないろうか? いや、きっとそれは無理だ。私の中にそれほどに強い生命力があるようには思えない。強い生命力を持った種が欲しい。いつか、ここでさえなければどこだっていい。荒れ地だってアスファルトの上でだって根をおろしてやる! そんなふうに言える強い意志の種が……。私はずっとそう考えていた。

他の集落の人たちは私が通った後にひそひそ話をはじめる。そういう気配がわかってしまう。先生達ですら私を腫れ物を触るようにあつかう。

 私の部落には子供は私一人だけだった。なので同じ悩みを共有できる友人も、一緒に戦ってくれる仲間もいなかった。

 当時私はスクールバスで通学していた。部落の停留所には、私一人のためにスクールバスが停車する。その窓から降り注ぐ悪意のこもったいくつもの視線を浴びて、私は歯を食いしばりながら毎朝バスに乗り込んでゆく。これからまた始まる、地獄のような一日を想像して。

 ある日、道徳の授業で同和教育というものが始まった。ようは部落差別はいけないって話だ。

 案の定、一部の男子がひそひそと話しはじめる。私のことを笑っている。新任の若い先生も気づいてはいるが、どうしたらよいのかわからない様子だ。私はなんて余計なお世話な授業だろうと思った。今この授業は、このクラスにおいて、よくも悪くも私一人のために行われているではないか。私は早く授業が終わりますようにと祈った。これでは学校が、いや、この国がグルになって私を辱めているだけではないか……。

 恥ずかしい。いたたまれない。疎外感……。いろいろな感情が混じりあい、何か叫びたい衝動に駆られる。しかし、なんと叫べばいいのかわからず、ただ涙をこらえているしかなかった。

 するとその時、私の代わりに叫んでくれた者がいた。ガタンと教室中に響くような音をたてて立ち上がって発言した生徒。

「おめーらのことだよ! バカども!」

 ジュンちゃんだった。

「は? なんのこと? 別に俺ら差別なんてしてねーし」クラスのリーダー格の男子がふてぶてしく言い放った。

「おめーらがやってることは、僕から見たら立派な差別だよ」冷たい声でジュンちゃんが言った。

「僕だって、ははは……」ジュンちゃんの一人称を笑った者がいたが、ジュンちゃんが放つ只ならぬ殺気に気圧されて、その声はフェイドアウトした。

 村では僕という一人称を使う者はいなかった。私も僕という一人称を使う者をテレビの中でしかみたことがなかった。男子は俺かオラ。女子は私だ。ジュンちゃんは転校生だった。いつのまにかジュンちゃんはこのクラスにいた。だから私はジュンちゃんは転校生だと思っていた。きっと、ずっと遠くの、都会から来たのではないだろうか。しかし、それでも女の子が僕を使うのは異様だと思った。

「この時代にこんな狭っこい村の中で生まれた所がどうとか言ってる、お前等は、原始人かよ? アメリカにでも行ってみたらどうだ? お前らのショボさをいくらか自覚できるだろうよ」 

 ジュンちゃんはアメリカに行ったことがあるのだろうか? わからないが、ジュンちゃんは、なんだか私たちの知らないもっと広い世界を知っているような気がした。

「別にアメリカなんか行く予定ねーし」

「知ってるか? この村はどんどん人口が減っているんだ。つまりお前らが大人になった時、この村には仕事がないかもしれないんだ。そうしたら外に出ていくしかない。そこでお前らはこの村の出身ってだけで田舎者扱いされるかもしれない。その時、お前らに嘆いたり、相手を非難する資格はないぞ」

 誰もが声を失った。ジュンちゃんはゆっくりと教室を見渡した。

「ねえ、みんな、お願いだから落ち着いて」先生がそう声をかける。先生は先生としての仕事をとりあえずは、ひとつこなせた。

「僕は落ち着いています。最後にひとつ、お前ら全員このショボイ村の中で一生暮らしてりゃいいさ。猿どもが。言わせてもらうけど、差別されてるのはお前らの方だよ。お前らはこの僕に差別されてるんだよ」

最後にひとつ、と断わっておいて、ジュンちゃんは言いたいことを二つ以上言った気がしたが、私以外にそのことに気付いた人間はいただろうか? 私は笑いをこらえるのに必死だった。みんなにはきっと、私が泣きたいのを堪えているように見えたに違いない……。

きーんこーんかーんこーん……と終業のチャイムが鳴った。その音はそこにいた誰の耳にも、何故かいつもより虚しく聞こえたことだろう。

 その日以降、私へのイジメはパタリとなくなった。

 かわりに私とジュンちゃんは、クラスからはいないものと扱われることとなる。

 シカト。それもイジメの一種だろうが、以前に比べれば私はずっと過ごしやすくなった。罵声や嫌がらせ、暴力に怯えることなく過ごせるというだけで。

 しかし、ジュンちゃんには悪いことをしたという気持ちもあった。あんなことがなければ、ジュンちゃんはお友達を作って、このクラスのみんなともうまくやれていたかもしれないのに。そのチャンスを私のために潰してしまった……。

 あの日から一週間ほど経ったある日、焼却炉の近くにジュンちゃんがいるのを見つけた。ジュンちゃんは先生に頼まれでもしたのか、ゴミ袋に入っている紙や何か古い木材のようなものを、次々と焼却炉に投げ入れていた。

 近づいていく私に気づいたジュンちゃんは「よう」といって手をあげた。

「あの……、この前はごめんね」

「何が?」何のことかわからないといった感じの、キョトンとした目をしてジュンちゃんが返す。

「あの……、このまえの授業……」

「ああ、あれか。僕の方こそごめん。余計なことして」

「いえ、あの……ありがとう……」

「あーあ。あいつらまとめてこの焼却炉にぶち込んでやりてー。なあ、そう思わねー?」

「えっと……、女の子がそういう言葉づかい、ダメだと思う……」

 私のその言葉を聞いたジュンちゃんは何故か大笑いしだした。

「なあ、お前友達いないだろ? 僕と友達になれ。そんで僕の友達とも友達になれ」名案を披露し、どうだ! と言わんばかりの自信満々の目をしてジュンちゃんは言った。

 なんて失礼なことをはっきりと言う人だろう。そして、なんて心地よい命令だろう。私はなんだか鼻の奥がくすぐったくなった。


 広大な田園風景の真ん中、舗装された農耕車専用道路を私とジュンちゃんは自転車で走っていた。

 あと何日かで田植えがはじまるのだろう。この時期は田んぼから、新たな生命を予感させる匂いが立ちこめる。

 青臭くて、水っぽくて、ついでに遠くで何かが焼けたような匂いも微かに混じる。東京に住んでいる今でも、これに近い匂いに時々出会う。雨上がりの空き地で、初夏の公園で、台風が来る前の静かな風の中で……。出会う度、私の中にある何かがはじけそうになる。きっとそれは私の涙で膨らんだ水風船だ。けれどそれがはじけることはない。なぜなら私の中にはジュンちゃんからもらった強さがあるからだ。

 ジュンちゃんに案内されてたどり着いた新光寺という場所は山の中の別荘地だった。オモチャのような、外国の建物のような別荘があちこちにある。行楽シーズン以外ここには人の気配がほとんどないらしい。私は新光寺と言うからには、お寺があるのかと思っていた。なぜ新光寺という地名なのかとジュンちゃんに尋ねると「わかんない」という、簡単な答えが返ってきた。

 このどこかでジュンちゃんの友達と待ち合わせているらしい。

 ジュンちゃんに続いて坂道を上ってゆく。急勾配を信じられないほど軽やかにジュンちゃんはペダルを漕ぐ。ジュンちゃんの自転車には何か特別な仕組みが施されているのだろうかと思ったほどだ。しかしどう見ても二人の自転車に大きな違いは見あたらない。二台ともごく普通のシティサイクルだ。そして偶然にもおそろいの赤。

「ねえ、どこにむかってるの?」

 私は不安になって聞いた。先ほどからジュンちゃんは「こっちかな」といって交差点を曲がっては、道が下りになると「おっと、違ったか」といいながら元の道に引き返すということを何度か繰り返していた。とにかく上に上に向かおうとしているのはわかるのだが、目的地までの道のりを知っているようには思えない。

 そうしてるうちに、私にもわかった。この新光寺という町は、まるで迷路だ。山ひとつに蜘蛛の巣を覆いかぶせたように道が広がっている。それも直線に伸びる道が極端に少ない、複雑な編み目状をしている。

「悪い。実は僕もまだよく道がわかってないんだ。でもそろそろ着くはずだよ」さすがのジュンちゃんも息を切らしながら振り返り叫んだ。

「どうしてそろそろだってわかるの?」

「なんとなく」

 ジュンちゃんのこたえはいつも簡潔だ。そのおかげで、たとえ、根拠は勘だ! といわれてもなぜか納得してしまう。ジュンちゃんは方向音痴ではあるようだが、勘はよくあたる。この時もその勘はあたった。カーブを曲がり終えた時、声が聞こえた。「おーい」という男の子の声。十メートルほど先に大げさにひらけた青空が見える。その中に、これまた大げさに手を振る二人の男の子がいた。


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