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dieci

「今まで発見したコースで、多分これが一番長い。気をつけなきゃいけないのが、最終コーナーの『砂場』。そこのカーブは緩やかなんだけど、外側に向かってやや逆バンクになってる。さらにやっかいなのがカーブの内側には細かい砂がたまっていてそれが常に道路上に流れ出てるから、滑りやすい」

「なんでそんなところに砂が溜まってるんだ?」

「元々そこにも建物があったんだけど、ちょっと前に取り壊されて、それ以来ずっと更地になってるんだよ」

 いつかのユーキとの会話だ。

 場面が変わる。

 あの農耕車専用道路。突然の夕立の中をエイミと自転車で走っている。二人はがむしゃらにペダルを漕いでいた。

「ジュンちゃーん。私、なんかねー。なんか楽しくなってきちゃったー」

「バカ、風邪ひくぞー」

「バカっていうなー、バカやろうー!」

「お。どうした? エイミのくせに。でも、なんかいい感じだったぞ」

「バカやろうー!」

 二人同時に叫んで、笑いあった。

 雨のせいでわからなかったけど、エイミはきっと嬉しくて、たまらなくて、泣いていたんだと思う。

 でも、もしかしたら自分も泣いていたのかもしれない。

 また場面が切り替わる。

「そんなチャリじゃ勝てるわけないだろ。それに、俺は男だぞ」

「チャリがどーとか、男とか女とか関係ねーんだよ。ようは度胸だろ?」

「だけど、ユーキと最初に決めたんだ。危険だからここじゃレースはしないって」

「危険だから? お前らそれでも男か?」

「今さっき男とか女とか関係ねーって言ったの、ジュンの方じゃん」

 ケイゴとの会話だ。

 ジュンは自分が夢を見ていることに気がついた。

 また場面がかわる。

 ここは学校だった。始業のチャイムが鳴る。しかし教室には誰もいない。移動教室だったろうか?

 体育館に行ってみたが、そこにも誰もいない。音楽室にも視聴覚室にも、理科室にも、他のクラスの教室にも人っ子一人見あたらない。

 どうやらこの校舎には自分しかいないようだ。

 屋上に行ってみると、校舎の裏手から立ち上る煙が見えた。

 煙のふもとに行ってみると、そこには焼却炉があった。

 ごうごうと何かを燃やし、煙突から白煙を吐き出し続けている。

 なにを燃やしているのだろうと、中を覗いてみると、白い廃材のようなものがいくつも見えた。よく見るとそれはヒトの骨だった。炎の中にいくつもの頭蓋骨や大腿骨と思われるものが見える。

 ああ、そうか。みんなここにいたのか。きっとクラス全員をこの中に放り込んだのは自分かもしれないな。と、ジュンは気づいた。

 目が覚める。

 時計は八時十五分。

 遅刻だ。と思ったが。すぐに慌てる必要がないことに気づく。

 仕事は昨日で辞めたからだ。

 一昨日、ジュンは彩湖で行われたレースに参加し、旧友達と劇的な再会を果たした。そして、その夜三人は再会を祝し飲み明かすと、ジュンは二日酔いのまま出勤し、殴り書きの辞表を提出した。

 ジュンは大学を卒業後、大手通信事業の下請けの会社で営業の仕事に就いていた。営業という職種はいくら大手の下請けといえども世間での印象はいいものではないらしく、新卒の学生には不人気なものだった。実際にジュンの職場も人の回転は速かった。新卒採用の若者は一年持てばいい方。ほとんどがノルマの達成に追われる重圧や、顧客からの厳しい言葉に耐えられなくなり辞めていった。

 しかし、負けず嫌いのジュンにとってこの仕事は天職といえた。営業成績を張り出され、はっきりとした形で勝ち負けが目に見える。

 ジュンは就職一年目から営業成績一位を取りつづけていた。

 しかし、ふとある日、自分はなんの為に働いているのだろうと疑問に思ってしまった。いつからか自分は一位を取り続けなければならいという、なかば強迫観にも似た使命感に追い立てられている自分に気づく。

 すると冷静に周囲を観察することができてしまった。そして、気づいた。もうここにはジュンという人間の居場所はないと。

 同僚同士によるノルマの貸し借り。同業者との契約期間の調整。うまいこと楽をして一定の給料さえ貰えたらそれでいいという、ふぬけた考えをしている奴らだけが生き残る世界。

 それが、ジュンが八年間戦い続けてきた場所だった。

 入社当時はこれほど自分に似合う仕事は他にないと思っていた。しかし、考えてみれば、自分は元来負けず嫌いなどではなかった。いつから自分はこうなってしまったのだろうと考える。

 高校時代は陸上部に所属し、インターハイにも出場した。最後の大会、ゴールテープを切ったのは強豪校の選手で、それはジュンのすぐ目の前でのことだった。あと少し、ほんの少し気持ちを振り切ることができれば、ゴールテープを切ったのは自分だったはずだ。そしてジュンは泣いた。しかしそれはまがい物のくやし涙だったと、あの頃からうすうす気がついてはいた。自分らしさを演出するために。他人が持っているジュンというイメージ。その期待にこたえるための演技。

 少しづつ、徐々に。何かによってジュンは化けの皮を剥がされていったのだった。単純に疲れてしまっただけとも考えられるが……。なんにしても、いつからそれが始まったのかは、もう覚えてはいない。

 しかし、いつからジュンは負けず嫌いなジュンを演じていたのか、その記憶ははっきりしている。

 あの日からだ。ジュンはクラス全員に向けて牙をむいた。エイミを見ていると、その衝動を抑え込むことはできなかった。ジュンは抑うつされ続けた自分の恨みを彼らにぶつけた。ずっとイメージし続けた。クラス全員を敵に回し、一人立ち向かう自分の姿を。静かに暗い感情の奔流でいびつに研がれていった牙は鋭かった。

 結果、自分は勝ったのか、負けたのかわからなかった……。

 ただ後悔はしていない。エイミからは「ジュンちゃんは私にとってヒーローなんだ」と言われた。

 そんなエイミに本心を伝えることはできなかった。「お前のヒーローは、正義感なんて持ち合わせていない。恨みから生み出した虚栄心だけの、ただの暗い女の子だ」とは……。


 午前十一時。やっとベッドから起きあがったジュンは、トーストとインスタントコーヒーで簡単な朝食を済ませ、それ以上に簡単な身支度を整えると、室内からロードバイクを運び出した。

 ユーキから計画を聞かされ、衝動買いしてしまった。赤いデローザ。これを見たユーキは「まるで赤い彗星だね」とはしゃぎながら言っていたが、なんのことかわからなかった。それにしても三十万は少し痛い出費だったと後悔しはじめていた。しかし仲間とのドラマチックな再会をもたらしてくれたことを考えれば、割にあうかもしれないとも思えた。

 これで自分は消えてしまおう。それがジュンが出した結論――。

 しかし、一昨日のことを思い出すたび、その結論が揺らぎそうになる。ケイゴの背中を追いながら、勝ちたいと思った。その欲求は、まがい物だらけの自分の中にあるにしては、あまりに誠実で、純粋で、熱いものだったからだ。今こうして無我夢中でペダルを回していてもあの感覚がふと蘇る。立ち並ぶ木々から漏れる日差しが顔の上をちらちらと流れてゆく。気のせいか、風の中に新光寺の匂いがした。十五年前のあの日も、これと同じ気持ちで新光寺の最終コーナーに突入していったとするなら、ジュンという人間はまんざらまがい物でもないのかもしれない。

 エイミが自らの中に作り出した、もう一人の人格にしては……。


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