エピソード3-終
「──よう、探したぜぇ、シンディ」
リムズベルの街中、一人で繁華街を歩いているとき背後からかけられた声に、シンディは心臓が飛び出るかというほどの恐怖を感じた。
シンディが振り返ると、そこにいたのは、闇ギルド時代の知り合いの男だった。
「……何の用? ボクもう、闇ギルドとは関係ないよ。他言だってしてない」
シンディは極力、平静を装って、やんわりと男を拒絶する。
だが男は、シンディの肩に馴れ馴れしく腕を回し、寄りかかってくる。
「いやいや、それがそうも行かなくなってよぉ」
そう言って男は、シンディを人気のない路地裏へと誘導する。
シンディも、あまり人前で話したい相手ではなかったので、その誘導に従う。
そしてその狭い路地で、男はシンディを壁際に追い詰め、話を続ける。
「上の人が変わってな、その人が有能な魔術師が手駒に欲しいっつーもんだからシンディの話したら、いたく気に入っちまってよぉ。何が何でも連れて来いって言われちまったのよ」
「……何それ。別にボクじゃなくても、魔術師なんていくらでも都合がつくでしょ」
「頭に“有能な”ってのが付く魔術師となると、そうゴロゴロはしてねぇさ。それもシンディみたいな美少女の、となるとまぁいねぇ」
「……それこそ、何それだよ。その上司の人、公私混同で女を囲うつもり? 闇ギルドの関係者は、ボクも含めて下衆揃いだとは思っていたけど、その人は極め付けだね」
「まあ、人物評価は任せるさ。そんなわけでシンディ、俺に対する人助けだと思って、闇ギルドに戻って来てくれよ。頼むよ」
「……はぁ。残念だけどその人助けに興味は湧かない。断るよ。ボクはもう、闇ギルドとは関わりたくない」
そう言ってシンディは、話は終わったとばかりに路地裏から出て行こうとする。
だが男は、そのシンディの前に、物理的に立ち塞がる。
「さっきも言っただろ。何が何でも連れて来いって言われてるんだよ。子どもの使いじゃねぇ。分かるだろ」
「そんなのボクに関係ない。ボクの容姿のこととか、言わないでもいい事まで言ったキミの自業自得でしょ。大方、その人に取り入ろうとしたんだろうけど」
「──ちっ。相変わらず聡くて嫌なガキだな、テメェは」
「どうも」
「だがよ、そんな聡いんなら、分かるだろシンディ。この話を断られたら、俺がどうするのかってことぐらいよ」
「……どうするの? 分からないけど」
シンディは動揺を悟られまいと、淡々と言葉を口にする。
だが、その言葉が上擦る。
心臓がバクバクと鳴り、胸を締めつける。
相手に協力を余儀なくさせるためには、その人物の弱みを突くこと。
そして、シンディの最大の弱みはと言えば──
「孤児院のガキども、今は幸せそうに暮らしているみたいだが、近々不幸が訪れないといいな──その辺、どう思うよ」
どきんと、シンディの心臓が打たれた。
「……ボクはもう、あそこは卒業した身だよ。関係ないね」
「そうかい。ま、お前が今でもあそこに通ってるのは、調べがついてるんだがな。返事は明日まで待ってやる。闇ギルドの入り口は、あれから一周回って、また元の場所にあるから、そこまで来いよ。一日よーく考えて、色良い返事をくれや」
そう言って男は、手をひらひらと振って、立ち去って行った。
路地裏に残されたシンディは、男が見えなくなると、がっくりと膝をついて、そのままそこにうずくまる。
そして、ぽろぽろと涙を流す。
「……は、あはは……やっぱり、ボクなんかに……出来過ぎてたよね、今の幸せは……」
シンディはそう、涙ながらに独りごつ。
闇ギルドの男は、こう言ったのだ。
シンディが従わなければ、孤児院の子どもたちに『不幸が起きる』のだと。
そしてその『不幸』は、闇ギルドの手の者によって、人為的に起こされるのだ。
その『不幸』は、子どもたちの誰か、あるいは複数人の死であるかもしれないし、ひょっとすれば、それよりもひどい何かかもしれない。
もちろん、そんな非道な行為を許していいわけがない。
しかし神ならぬシンディには、孤児院の子どもすべてから四六時中ずっと目を離さず、彼らをいつまでも守り続けることなど不可能だ。
そして、不可能であるからこそ、それがシンディを脅迫する材料になるのである。
孤児院の子どもたちの幸せを願うシンディには、男の言葉に従うよりほかの選択肢は、元より与えられていないのだ。
「……これってやっぱ、悪いことをし続けたボクへの、罰なのかな……。ふふっ、そんな不合理なことはないよね。……そうじゃない、単なる因果だ。ボクが闇ギルドなんかと深く関わった、そのツケなんだ……」
シンディはそう言って、体勢を起こし、地べたに座り込んだまま、空を見上げる。
その空は、腹立たしいほどの爽やかな青空だった。
「あーあ……楽しかったなぁ、冒険者。リタと会って、ツバキと会って……まるで、夢みたいな時間だった」
そう呟いて、シンディは後は、ただただ涙を流した。
闇ギルドに戻ったら、もう冒険者は続けられない。
一方で後ろめたい悪事を続けながら、一方で冒険者生活を楽しむなどと、そんな器用な事を自分ができないことは、分かっていた。
その翌日、シンディは仲間たちの前で言う。
「リタ、ツバキ、これまでありがとう。一緒に冒険できて、すごく楽しかった」
それは、シンディのまったくの本心だった。
そして、言うべきことを言ったシンディは、これまで一緒に冒険をしてきたメンバーたちと別れようとする。
だけど、二階へと向かおうとするそのシンディの手を、リタが取った。
「……離してほしいな」
本当は離さないでほしい。
もっとずっと、一緒に冒険をしていたい。
だけどそんな夢の時間は、もう終わりなんだ。
でも分からず屋のリタは、手を離さない。
「嫌だ」
「離して」
「断る」
「──だったらっ!!」
シンディの感情が爆発しそうになる。
だったら、助けてよって言いたくなる。
……でも、それはダメだ。
そんなことをしても、何の意味もない。
闇ギルドは強大な組織で、抱える暗殺者には手練れも多く、街の有力者の後ろ盾もある。
一介の冒険者に、どうにかできる相手じゃない。
事情を話しても、ただただリタたちを悩ませ、彼女たちの身に危険を及ばせるだけだ。
彼女たちには、ボクのことを忘れてもらうのが、一番いい。
「……ごめん」
シンディは感情を押し殺し、理性に従って、ただそれだけを言って、仲間たちの元を去る。
「……うくっ……ううぅ……」
二階へと上る階段を上がりながら、嗚咽し、ローブの袖で涙を拭く。
──ただ、このときシンディは、一つ思い違いをしていた。
以前にリタが言っていたことは、話を盛っていたということはないにせよ、何かの錯覚のようなものが働いた結果の認識なんだろうと、そのぐらいに思っていた。
まさか彼女の証言が、そのまま真実を示していたものだとは、思っていなかったのである。
シンディは二階の自分の部屋で、まとめてあった荷物を背負う。
そして、普通に降りて行ったら絶対また止められると思ったから、宿の部屋の窓から、“低速落下”の魔法を使って、庭に降りた。
宿代は前払いだから問題ない。
シンディは最後に、思い出の詰まった“海竜の宿り木”亭を振り返り、そしてまた前へと向き直り、歩いてゆく。
孤児院にも、最後の挨拶に行った。
ここにも、もう自分は近寄らないほうがいいと思ったから、これが最後だ。
そうして、スラム街の闇ギルドの入り口に向かう。
入り口の小屋の前で、合言葉。
小屋の扉が開き、中に通される。
「よう、来たかシンディ。それじゃあ、返答を聞こうか」
小屋の中には、昨日出会った男がいた。
「……返答なんか、分かってるでしょ」
「まあな。お前がいい子で助かるよ」
そう言う男に連れられて、小屋の床に隠された地下への階段を下りてゆく。
広い地下住居を連れられて、だいぶ歩いた後に辿り着いた部屋には、一人の太った中年男がいた。
シンディを連れてきた男は、その部屋の前で待機し、シンディだけが部屋の中に通される。
その中年男は、世渡りの巧そうな、しかし生理的嫌悪感を抱かせる顔つきをしていた。
椅子にどっかりと座り込んだ中年男は、左右にそれぞれ一人ずつ、シンディと同い年ぐらいの少女を侍らせていた。
おそらくは彼女らも、闇ギルドが抱える腕利きの暗殺者なのだろう。
「ぐふふ……お前がシンディか。聞いていた通り、美しい。お前にはこれから、ワシの側近として働いてもらうぞ。よいな」
中年男はそう言って、シンディの全身を舐めるように見てくる。
「……嫌だって言う権利、ボクにあるの?」
「あると思うかね? だがその気が強そうなところも、実にワシ好みだ。ぐふふふ……」
「そう。ボクはあなたのこと、好きになれそうにない」
「構わんよ。今は口で何と言おうと、すぐにワシ抜きでは生きられん体にしてやるからのぅ、ぐふふふ」
シンディはここで、あ、もうこれダメだなと思った。
薬漬けにでもされるか、もっと別の手段で調教でもされるのか。
元よりこの闇ギルドに戻って来る選択をした時点で、もう自分の人生は終わったなと思っていたから、今更どうとも思わないけど──
──ただ。
やっぱり、振り切ったつもりでも、未練がましく思い出してしまう。
リタやツバキと、ダンジョンで一緒に苦労して、酒場で笑い合って、ときには喧嘩もして。
ちょっとの付き合いだったけど、あのニノという少年も、なかなか楽しい子だった。
(──嫌だよ……)
ぽつりと、シンディの瞳から、涙が零れ落ちる。
(──嫌だ……ボクまた、みんなと冒険したいよ……まだまだみんなと、一緒にいたいよ……どうして、どうしてボクは……こんな風にしか、なれないんだろう……)
ぼろぼろと、涙が溢れてくる。
泣いたってどうもならないって分かっていても、感情がとめどなく、湧き出してくる。
──しかし、そのとき。
「──な、なんだテメェは!」
シンディたちがいる部屋の外から、騒ぎの音が聞こえて来た。
何やら戦いの音のようなものも聞こえてくる。
「何があった? んん?」
「そ、それが……」
中年男に、慌てて部屋に飛び込んできた部下が、こそこそと話をする。
その報告を受けた中年男が、シンディに目を向ける。
「のぅ、シンディ。この闇ギルドをどうやって嗅ぎつけたか、愚かな侵入者が、シンディを出せと言って暴れているそうだが、どういうことかのぅ」
「──ちっ、違う! ボクは何もしてない! 闇ギルドとの関係だって、誰にも喋ってないんだ……!」
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
シンディは混乱し、狼狽し、慌てる。
迂闊だった。
きっと、リタに尾行されたんだと気付くが、今更気付いても後の祭りだ。
でもリタだって、スラム街の出身だって言っていた。
闇ギルドのヤバさぐらい、知っているはずだ。
なのに、どうして……。
しかし、そうシンディが狼狽しているうちに、部屋の扉がものすごい勢いで吹き飛ばされた。
それと同時に、一人のボロ雑巾のようになった男が部屋に飛び込んできて、床をゴロゴロと転がり、止まった。
それは、シンディを恐喝し、ここに連れてきたあの男だった。
「あ、よかった、シンディさん。ここにいたんですね」
その惨状に不似合いな笑顔で入って来たのは、金髪碧眼で童顔の、最近見慣れた少年だった。
「ニノ……何で……?」
「シンディさんに、あらためて確認したいことがあるんです」
シンディは、この少年はこんなときに何を言っているんだろうと思った。
確認──一体何を、確認すると言うのか。
「シンディさんは、リタさんやツバキさんと一緒に、冒険者を続けたいですか?」
少年はシンディに、そう聞いてきた。
「な……何言ってるんだよ……そんなの、もう、無理だから、こうして……」
シンディは、震える声で答える。
だけど、ニノは首を振る。
「無理だとか無理じゃないかとか、そんなことは俺、聞いてません。シンディさんがどうしたいのかを聞いてるんです」
「そ、そんなの……」
シンディは、嗚咽を飲み込んでから、涙声で叫ぶ。
「そんなの、冒険者でいたいに決まってる! ボクだってもっとみんなと一緒に、冒険者してたいよっ!!」
そのシンディの魂の叫びを聞いたニノは、にっこりと微笑んだ。
そして言う。
「そうですか。じゃあ、そうしましょう」
だが、腰を抜かしてその様子を見ていた中年男が、ようやくの声を張り上げる。
「──な、何をしている! お前ら、さっさとこのクソガキを殺せ!」
そう、左右に侍らせていた少女たちに指示する。
どうしていいか戸惑っていた少女たちは、その指示を受けて、ニノに向かって疾駆する。
一人は、腰の鞘から細身剣を抜いた。
もう一人は、ポケットから絞首鉄線を取り出す。
あっという間に、攻防が始まった。
左右から高速で連続攻撃が繰り出されるが、それをニノが見切り、尋常ならざる敏捷性で躱すため、少女たちの攻撃はひゅんひゅんと高速で空振りをする。
そして一秒後、ニノが空中に逃げるように、高く跳躍した。
天井まで十メートル近くもある部屋の、天井近くまで宙返りで跳び、その空中で、手で印を組み、高速で呪文詠唱する。
二人の少女暗殺者は、ともに左手で腰の短剣を抜き、投擲の構えを取る。
だがそれを放つ前に、空中にいるニノの魔術が完成し、二人の少女がバタバタと倒れた。
ニノは跳躍する前にいた位置に、寸分の違いもなく着地する。
「女の子は傷つけたくないんですから、けしかけないでほしいです」
ニノの足元に倒れた少女たちは、すぅすぅと寝息を立てていた。
ニノはそのままつかつかと歩き、腰を抜かした中年男の前に立って、腰の剣を抜いて突きつける。
「き、貴様っ……この闇ギルドに手出しをするというのが、どういうことか分かっているのか? 数十人の手練れの暗殺者が、貴様らの命を狙うことになるのだぞ……! 街の有力者の後ろ盾だってある……!」
中年男が、突きつけられた剣先に怯えた表情を浮かべながらも、脅し文句を絞り出す。
だが、ニノはまるで怯んだ様子もなく、中年男を冷たい目で見下ろす。
「知りませんよ、そんなの。そんなことより──あなたこそ分かっているんですか?」
「な……何をだ」
ごくりと、中年男が唾を飲む。
ニノは、普段の彼からは想像もつかないような、低い、しかしよく伝わる声で言う。
「俺のパーティメンバーに手出しをするというのが、どういうことか分かっているのかって聞いてるんですよ。──組織壊滅のリスクを負ってまでやるべき価値のあることなのか、その計算の上手そうな頭でよく考えたほうがいいですよ。──次は、容赦はしませんから」
少年はそう言って剣を収め、シンディを連れて、部屋を出て行った。
しばらくして、気を取り直した中年男がバタバタと部屋を出て行って見ると、その廊下には、山のような数の手練れの暗殺者たちが、全員気を失って、崩れ落ちていた。
「な、何なんだ、あのガキは……」
廊下に腰を抜かしてへたり込んだ中年男は、あのシンディという少女を手に入れるのはもう諦めようと、そう心に誓っていた。
ニノとシンディの二人が闇ギルドの本拠地を出て、いつもの宿、“海竜の宿り木”亭に帰ろうとすると、その道すがら、向こう側から息を切らせて走ってくるリタ、それにツバキと出会った。
「──シンディ! ……あのよ、何があったか知らねぇけど、一度宿に戻って、そこでしっかり話そうぜ」
「……ああ、頼むシンディ。ひょっとしたら、私たちでは何もできない話なのかもしれない。でも、せめて話ぐらいは……って、シンディ……?」
二人の姿を見たシンディは、二人の間に飛び込み、右手と左手で二人に抱き付いた。
そして、二人をぎゅっと抱いて、往来で大泣きした。
「うあっ、うっ、うっ──うわあああああああああああんっ!」
そうして子どものように泣き出してしまった、いつもは聡明な少女の姿に、困惑して顔を見合わせるリタとツバキ。
「お、おい色欲魔。お前、何かしたのか?」
そうリタが問われたニノは、指をくわえて羨ましそうに二人の姿を見ていた。
「何かしたかったですけど、そんな雰囲気じゃないんですもん。せめて俺に抱き付いてきてほしかったなぁ……」
そんな風にしょぼーんとして言う、平常運転の少年だった。