エピソード2-終
男が、頭上に振り上げた刀を、振り下ろす。
だが、刀が振り下ろされた先に、少女の姿はなかった。
「──門下生。どこから湧いて出た」
男は怪訝な顔をする。
ツバキは、少し離れた場所で、ニノの腕に抱かれていた。
ほぼ下着姿の状態で、ニノにお姫様抱っこされたツバキは、弱々しく口を開く。
「……手を出すなと……言ったはずだ」
「すみません。見ていられませんでした」
「……そうか」
ニノはツバキに対し、解毒の魔法を発動させる。
すると、ツバキの体内を侵食していた毒が消え去り、脱力していたツバキの体に力が戻った。
「──やれやれ。興が冷めたな。看板は貰って行くぞ」
男は刀を鞘に納め、また土足で道場に上がり込み、看板を取りに行く。
「いいんですか、ツバキさん」
ニノが、ツバキを地面に下ろしつつ言う。
ツバキはしかし、俯く。
「私は敗れたのだ。悔しいが……あやつの言う通りだ。卑怯だなどと言っても、そんなものは負け犬の遠吠えにしかならない……」
「じゃあ、看板を持って行かれてもいいんですね?」
「いいわけがないだろう!」
ニノの問いに、ツバキは瞳に涙を湛え、叫んだ。
そして感情を抑えきれなった少女は、瞳から涙を溢れさせる。
「私は父よりこの道場を託されたのだ……それをこんな形で、穢されるなど……」
瞳からぽろぽろと大粒の涙を流し、ツバキは無様に、想いを口にする。
その少女の姿を見て、ニノは笑顔で言った。
「じゃあ、取り返しましょう。道場破り、破りです」
「え……?」
ニノのその笑顔に、ツバキは一瞬、心を奪われてしまった。
だがすぐに内容に気付いて、涙を拭いて、ニノを止めようとする。
「──ま、待ってくれ、ニノ! 私は道場の威信を懸けて戦い、敗れたのだ。それをキミに仇を取ってもらい、看板を守るというのは──」
しかしツバキのその言葉に、ニノは不思議そうな顔をした。
「何を言ってるんですか? 俺は手出ししませんよ。──やるのは、ツバキさんです」
この言葉に、ツバキはきょとんとする。
「私が……? ……い、いやでも、私はいま尋常に立ち合って、あの男に敗れたのだぞ。毒を使ったから卑怯だ、やり直せなどとは……」
「負けたって勝手に決めつけているのは、ツバキさんですよ。今の戦い、サムライの流儀でなく、冒険者の流儀で戦っていたんですよね? 冒険者の流儀に従うなら、生きていれば勝ちです。違いますか?」
ツバキはニノに言われて、ハッとする。
ニノの言うことは、屁理屈であるようにも聞こえる。
だが確かに言えることは、今の戦いは、ツバキの知るサムライの流儀に則った戦いではないということだ。
であるならばそもそも、サムライの流儀に基づいた決闘のルールなどは、通用しないと考えても、確かにおかしくはない。
「──おいおい、門下生。言いがかりはよしてもらおうか」
そのニノとツバキの会話を聞いていた男が、道場から庭へ、看板を抱えて戻ってくる。
「一対一の尋常な対決をして、俺が勝った。それを門下生、お前がしゃしゃり出て、解毒をして仕切り直したぁ、随分な物言いじゃねぇの。実質、二対一とは頂けねぇ」
しかしこの男の言葉にも、ニノはしれっとして返す。
「そうですか? 先に、冒険者ならっていう話を持ち出したのは、そっちですよね。冒険者なら、モンスターと一対一の決闘なんてしません。仲間と一緒に戦って、仲間の助力を得て、それで勝てば勝ちです。──それとも、『あなたのルールでは』、毒を使うのはアリで、仲間の助力を頼るのはナシなんですか?」
「くっ……てめぇ……!」
男はニノを睨みつけるが、言葉は出ない。
ニノはツバキに向き直る。
「ですけど、ツバキさんが、あんな『毒なんかに頼らないと何にもできないような雑魚』にこそ、この道場の看板が相応しいと思うのであれば、どうぞご勝手に。正直俺にとっては、この道場の看板も、威信も、どうでもいいことですから、知ったことじゃありません。ツバキさんの想いを為すも為さないも、ツバキさんの勝手です」
ニノはそう並べ立てて、あとは我関せずとばかりに、道場の縁側に向かって行った。
「──ちっ。妙な横槍が入ったが、誰が何と言おうと、この勝負は俺の勝ちだ。看板は貰って行く。じゃあな」
一方、看板を抱えた男は、そう言って逃げるように道場を後にしようとする。
だが──
「……待て」
絞り出すような、少女の声。
先ほどまで涙を流していたその少女──ツバキは、今は凛然と男を見据えていた。
そしてツバキは、意志を込めた言葉を放つ。
「その看板は、置いて行ってもらう。今度は私が貴様に、立ち合いを申し込む──道場破り、破りだ」
「……ちっ」
その場から立ち去ろうとしていた男は、やむなく看板を足元に置き、振り返る。
「──わかったよ。だが今度は命を取るぞ、嬢ちゃん。そう何度もいちゃもんをつけられたんじゃあ、たまんねぇ」
そう言って男は、刀を抜き、構えを取る。
右手の刀を高く掲げた、あの独特の構えだ。
一方のツバキも、およそ半裸の格好のまま、先と同じ、正眼の構えで対する。
「何度やったって、結果は同じなんだよ──っらあああああっ!」
男が地面を蹴る。
あの高空からの突き下ろしが、ツバキのさらしが巻かれた胸へと襲い掛かる。
だが──
ツバキはその突きを、容易く下から跳ね上げると、体勢を崩されてがら空きになった男の胴に、痛烈な峰打ちを叩き込んだ。
「あっ……が……」
男は刀を落とし、倒れ、砂利の敷かれた庭の地べたを、腹を抱えて悶え呻いた。
「貴様の剣筋は、すでに見切ったと言った」
そしてツバキは、地べたを這いずる男の首元に刀の刃先を向け、問うた。
「どうする、もう一度やるか?」
男は、いや、もう御免だと首を振り、看板を置いて、ほうほうの体で道場から立ち去った。
「よかったですね、ツバキさん」
戦いが終わったのを見て、縁側に座って見ていたニノが、声をかけてきた。
「ああ。ニノ、キミのおかげだ」
その少年に、ツバキは看板を拾ってから、歩み寄る。
するとニノは、ツバキが予想もしていなかった言葉を、投げかけてきた。
「はい、俺のおかげです。だからツバキさん、俺、助言のご褒美がほしいです」
「……ご褒美?」
「はい。ハグがいいです。ツバキさんに、ぎゅーっとしてほしいです」
少年は、相変わらずの好色ぶりだった。
一方、言われたツバキとしては、まあそれぐらいだったらいいかとも思ったが、一瞬後に、自分が着衣を斬り裂かれ、ほとんど半裸の状態であることに気付いた。
「……こ、この格好でか?」
「はい、その格好でです」
計算高いのかも分からない少年の、一見は無邪気そうな声。
ツバキは逡巡するが、それだけの恩はあると思って、意を決した。
ツバキは看板を置く。
そして恥じらいながらも、道場の縁側に座ったニノの顔を、恐る恐る胸に抱いた。
「……こ、これでいいのか?」
「は、はいっ! はわ~、俺、幸せです~」
ニノは、ツバキのさらしの巻かれた胸に顔を抱かれながら、極楽浄土にいるような顔で、幸せに浸る。
ツバキはその少年の髪を、子どもに対してそうするように手で撫でながら、空を見上げ、遠い目をする。
「……私はこの神聖な道場で、一体何をしているのだろう」
清々しい朝日が、道場の二人に向けて降り注いでいた。