エピソード2-3
「貴様の望み通り勝負してやる。そこから下りてこい」
「ようやく立ち合う気になったかい、嬢ちゃん」
ツバキが挑発すると、飄々とした様子のその男は、道場から、砂利の敷き詰められた庭へと下りる。
「ああ。だがこれは、道場破りとの試合ではない。無法者を成敗し、叩き出す。それだけの戦いだ」
「どっちでも構わんさ」
そう言って、男は黒塗りの刀を構える。
体を、左半身を前にした半身にし、刀を持った右手を高々と掲げて刃先をツバキの方へと向けた、奇妙な構えだ。
対するツバキも、腰から刀を抜く。
こちらはまったくの正道、正眼の構えだ。
「ツバキさん、俺、見ていればいいですか?」
道場にいるニノが、ツバキに声を掛ける。
「ああ。手出し無用だ」
「分かりました。でも、気を付けてください。そいつの──」
「口出しも無用で頼む」
「……はい、分かりました」
そのやりとりに、構えを崩さずに微動だにしていなかった男が、ツバキと対峙したまま口だけを挟む。
「あっちの男は何か、嬢ちゃんの彼氏かい?」
「……いや、門下生だよ。少々好色なのと、優秀すぎるのが玉に疵だがな」
「何だいそりゃ。そも、道場は畳んでいるって言ってたろう」
「罪滅ぼしの特例措置でな。……それより、言葉を交わしに来たのではないのだろう。かかって来たらどうだ」
そのツバキの挑発を受けて、男が愉快げに口元を歪ませる。
そして、
「そりゃあ──ごもっともだ!」
男が地面を蹴った。
男は驚くべき速度で一気に間合いを詰め、高所から滑空させるように刀を突き下ろす。
「──ぐっ!」
ツバキはその必殺の剣を、すんでのところで刀で受け流した。
だが、勢いを完全には削ぎ切れず、肩口を浅く斬り裂かれてしまう。
ツバキの肩から少量の血が噴き出る。
「まだだぁ──っ!」
そのツバキに向けて、男の弐の太刀が振るわれる。
「──づっ!」
その乱暴な一振りを、ツバキはこれまたどうにか、刀で受け止める。
だがその威力に押され、体勢を崩される。
「──っしゃああああっ!」
男は更に、変幻自在に斬撃を放ち続けた。
まるで野生の獣のように縦横無尽に跳び回り、四方八方からツバキを追い詰めてゆく。
対するツバキは、その攻撃を凌いではいるものの、防戦一方。
それでもようやく牽制の一振りを放つと、男は後方へと跳躍し、その一撃を回避した。
一度お互いの間合いから外れ、距離を取った両者は、再び構えの姿勢を取る。
「へぇ、これを凌ぐたぁ、意外とやるじゃないか、嬢ちゃん」
男は余裕の表情で、ツバキを見据える。
「貴様こそ、無法者のわりには大した剣技だ」
一方のツバキはというと、肩に血をにじませているものの、こちらも涼しい顔だった。
そして、静かに言う。
「少々変則的なので、対応に戸惑った。だが──貴様の剣筋は、もう見切った」
それは決してツバキの見栄などではなく、本心よりの、静かな自信に満ちた言葉だった。
だが、そのツバキの言葉を聞いても、男はにぃと口元を歪ませる。
「そうかい。だけどな嬢ちゃん──もう、勝負はついてるんだよ」
「……? どういう意味だ? 確かに初手で傷は負ったが、こんなかすり傷で勝負がついたなどと言うつもりか」
「いやな、それがまったくその通りなんだよ、嬢ちゃん」
「ふん、何を言って──」
ツバキがそう、男の言葉を一笑に付そうとしたときだった。
──ツバキは突然眩暈に襲われ、ふらっと倒れそうになってしまう。
「なっ……!」
ツバキはどうにか意識を保ち、持ちこたえる。
だが、意識が徐々に朦朧とし、手足も思うように動かなくなってくる。
「な、何だこれは……失血の影響……? いや、そんなはずはない。この程度の傷で、それほどの血を失うわけが……」
そう狼狽するツバキの目に、男が構えた黒塗りの刀が目に入った。
その黒塗りは、一部分──ツバキの血に濡れた部分の色が剥げて、その部分だけ、刀の地の色が見えていた。
それを見て、ツバキは直感する。
「まさか……貴様……!」
「ようやく気付いたか、いや鈍い鈍い。──そう、いま嬢ちゃんの体には、この刀に塗られていた『毒』が回っている。もう満足には動けまいて」
──毒。
そう、あの刀の黒塗りは、すべて毒が塗られていたのだ。
「くっ……卑怯な、真似を……」
そう話している間にも、毒は回る。
ツバキは、はぁはぁと荒く息をつきながら、ついに片膝をついてしまった。
対する男は、もはや構えも解いて、対戦相手の少女を見下す。
「卑怯、卑怯ねぇ。だけどな嬢ちゃん、冒険者をやっていて、モンスターを相手に、卑怯だなんて言い訳が通用するかい? ──所詮、古臭いサムライの仕来りに縛られている武道なんてのは、実戦じゃあママゴトなのさ」
ツバキは、その男の言い様を聞き、悔しさに歯噛みする。
ツバキとて、モンスターを相手にするときには、初見の相手であるならば、それが毒を持っている可能性なども考慮に入れて、対処を考える。
だが相手が人間で、サムライの端くれだからと思って、相手が毒を使って来ないなどと勝手に決めつけたのは、確かにツバキの油断であり、ツバキの思い込みが招いた失態だ。
つまりは、この男の言う通りなのだと気付いてしまったのである。
そして、自分のその不甲斐なさが、父の遺した剣の道を無様に汚してしまったという思いに、ツバキの心は打ちのめされていた。
「さて、俺の剣筋は見切ったんだったな。──そら、よけてみな」
男は無造作にツバキの前に立ち、数振り、刀を閃かせる。
「──くぅっ!」
ツバキは満足に動かぬ体をどうにか動かして、男の剣を受け流そうとする。
だが、とても及ばず、次々と太刀を受けてしまう。
しかし男は、ツバキの命を奪うことはしなかった。
その代わりに、一太刀ごとにツバキの道着を斬り裂き、その少女の柔肌を露出させてゆく。
「ほらほらどうした。ちゃんと躱さないと、門下生の前で真っ裸になっちまうぞ」
男はなおも愉快げに刀を振るい、少女を辱める。
だがツバキにはもはや、為す術もない。
ただただ男の太刀が舞うごとに、着衣を剥かれてゆく。
このとき、ツバキは一瞬、ニノに助けを求めようかと考えた。
だがすぐに、その考えを捨てる。
自分が手を出すなと言ったのだ。
それを、自分が危機に陥ったから助けを求めるなど、ツバキの誇りが許さなかった。
そんなことをするぐらいなら、辱めを受けたほうがマシだと思った。
そうして、ほとんど下着姿になったツバキの胸元に、男の刀が突きつけられる。
柔肌の露出されたツバキの上半身は、ほぼ胸に巻かれたさらしのみが、彼女の身を隠す布地となっていた。
「最後だ。──そうだな、己が流派の愚かしさを認め、自ら看板を差し出すのであれば、そのさらしだけは勘弁してやるが、どうする?」
「……断る。……やるなら……さっさとやれ」
「──そうかい」
男はそう言うと、天高く刀を振り上げ、そして振り下ろした。