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エピソード12-終

 スラムの路上で出会ったその男は、あたしの記憶にあるアニキの姿を、少し大人びさせたらそうなるだろうという、そんな容姿をしていた。

 一方、その隻腕の男の、残っている方の腕に彼女よろしくしがみついている少女は、あたしと同い年ぐらいに見える。


 ……いや、その少女の面影にも、見覚えがある。

 あたしと同じく、アニキに世話になっていた『兄弟』の一人だ。

 名前は確か──そう、メイラだ。


 あたしは二人の姿を見て、カタカタと小刻みに体を震わせた。

 二人を見て、生まれてきた感情は、恐怖だ。


 何に対する恐怖かもよく分からない。

 ただただ、怖いと思った。


 今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。

 衝動的に一歩、二歩と後退あとずさると、あたしの背後を歩いていたツバキに、背中がぶつかった。


「……リタ、知り合いか?」


 あたしの様子を見てか、そう聞くツバキの声が、普段よりトーンの低い、緊張感を纏ったものになっている。

 いつでも刀に手を伸ばせる、臨戦の気配を纏っているのが分かって、あたしは慌てて誤解を解きにかかる。


「ちっ、違う……! ……いや、違わねぇけど、知り合いは知り合いなんだが、ツバキ、そういうんじゃねぇんだ」


 ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ……!


 あたしの胸が、全力で警鐘を鳴らしている。

 あたしとアニキの間柄を紐解いていけば、その先に待ってるモノは何だ……?


 だけどあたしに、それ以上の思考の時間は与えられなかった。

 アニキにしがみついていた少女──メイラが、アニキから離れ、怒りの形相であたしに向かって飛び掛かってきたからだ。


「──リタぁあっ!!」


 メイラは猫のような俊敏さで、あたしに掴みかかってくる。


「──っ!」


 あたしはそれを反射的にしゃがんで回避し、メイラの懐に潜り込んで、その胸元の衣服と右腕の服の袖を掴むと、足払いを仕掛けて少女をうつ伏せに倒した。

 倒れたときにメイラが頭を打たないように引き手をして、そのまま上を取って覆いかぶさり、左手も取り押さえて抑え込む。


「あ……」


 あたしはそこまでの動作をほとんど無意識的にやってしまったけど、そこから先をどうするかなんて、何も考えてなかった。

 あたしに地面に引き倒されて抑え込まれたメイラは、あたしのことを憎々しげに睨みつける。


「……リタっ! あんたが──あんたのせいで!」


 そのメイラの言葉に、ビクッと、あたしの心臓が跳ねる。

 こいつがあたしのせいだって言うってことは、それはつまり──


 そのあたしの隙をついて、メイラがしなやかな両脚を曲げて、あたしの腹を思い切り蹴飛ばしてくる。


「げふっ……!」


 あたしの体は一瞬だけ宙を舞い──だけど空中でくるんと体勢を整えて、着地する。

 一方のメイラも、素早く体勢を整えながら後退する。


「かはっ……けほっ……、くそっ……!」


「はぁっ、はぁっ……リタぁっ! あんたよくも……!」


 一方、その様子を困惑しながら見ていたのは、あたしの仲間たちだ。

 加勢するべきなのかどうなのか、状況が判断できずに迷っている。


 そりゃあそうだろう。

 かく言うあたしだって、今のこの状況の、半分しか認識できていない。


 ただ、ああ、多分やっぱりそうなんだろうなっていう理解はしていて、一方で、それをにわかに受け入れられないあたしもいて……。

 メイラの怒りをこの体で無抵抗に受けるべきなのか、どうなのかと迷っているうちに、メイラはまた猫のように目を細め、あたしに飛び掛かって来ようとして──


 そこに、鶴の一声が飛んだ。


「やめろ、メイラ」


 その男の声に、バネを溜めて発射寸前だったメイラの体が、雷に打たれたようにびくっと震える。


「で、でも……」


「でもじゃねぇ、やめろ」


 男の二度目の言葉に、身を低くして臨戦態勢を取っていたメイラは、不服そうな顔をしながらも身を起こした。

 そして、後ろを向いてからてってと小走りし、隻腕の男──アニキの後ろにつく。


「悪かったな、リタ。大丈夫か?」


 前に立ったアニキが、あたしに声を掛けてくる。

 あたしは隻腕のアニキの姿を直視できずに、視線を逸らしつつ答える。


「……あ、ああ。普段はモンスター相手にしてんだ。このぐらい、どうってことねぇよ」


「ってことは、冒険者稼業はうまくいってるんだな。スラムで暮らしてたときと比べてどうだ?」


「路上で飢えて死ぬか、モンスターに殺されて死ぬかの差だよ。……今んとこ、うまくいってる。仲間にも恵まれた」


「何よりだ。俺の方も、まあそこそこうまいことやってるよ。見ての通り、教え子に手ぇ出したりしながらな」


 言ってアニキは、残っている左腕で、メイラを抱き寄せる。

 メイラは咄嗟とっさのことに驚いた顔をしているが、嫌がっている素振りはなく、むしろ頬を赤らめているようだ。


 それを見て、あたしは少し、複雑な気持ちになってしまった。

 ……そんな資格、あたしにはねぇってのに。


「それはそうと、お仲間連れてこんなトコぶらついてるってのは、スラム観光ってわけでもねぇんだろ。何しに来たよ?」


 アニキはさらりと、話題を変えてくる。

 正直、ありがたい。


「あ、ああ。イリーズって大商人の家から盗まれた、盗品の指輪を探してる。エメラルドが嵌ってて、裏には夫婦のイニシャルと結婚年月日。故買屋を総当たりしようと思って来たんだけど……アニキ、心当たりある?」


「あー……」


 あたしのそのダメ元の問いかけに、アニキは何故だか頭をかいて黙ってしまう。

 そこであたしは、ある可能性に気付いてしまった。

 その一方で、その様子を見て取ったメイラは、傍らのアニキの腕をぐいと引っ張り、


「行こう」


 と言った。

 そして、アニキの手を引き、あたしたちの横を通り過ぎて行こうとする。


「……わりぃなリタ。お前と話してると、こいつが焼き餅焼いちまうらしい。……またいずれな」


 アニキは最後にそう言って、メイラに手を引かれて去って行った。

 それを見送る、あたしたち五人。


 二人が見えなくなるまで、あたしは気が気じゃなかった。

 だけど、そんなあたしの心配を見越したように、二人が見えなくなるぐらいまで見守った後で、シンディが口を開く。


「すごい奇縁だね。何万分の一を引いちゃった?」


「みたいですね」


 そのシンディの言葉に、ニノが同意する。


 ……何だよ、分かってて見逃してくれたのか。


「……いいのか? ニノがその気になりゃあ、捕まえるのぐらいわけなかっただろ。大金貨十枚だぜ」


「別に。俺、そんなに金に困ってませんし」


「ボクも。よく事情は分からないけど、リタの大事な人なんでしょ? そこまでして、お金儲けしたいとも思えないし」


 一方、ツバキとミスティの二人は、頭の上に疑問符を浮かべていたが、あたしたちの会話の内容を解きほぐし終えたのか、しばらくしてようやく、ミスティが叫んだ。


「えええええーっ!? 今の人、空き巣の犯人だったんですか!?」


 そのミスティの叫び声に、離れかけていた周囲の目が、またあたしたちに集中する。

 ミスティは自分の手で口を塞いで、失態を恥じる。


「多分ね。……でもボクそれより、リタとあの人との関係に、興味があるな。リタが言いたくない事なら、無理にとは言わないけど」


 シンディがミスティの驚愕をさらっと流しながら、あたしに言葉を向けてくる。

 あたしはそれで観念する。


 人に寄り掛かってなきゃ生きて行けないあたしだ。

 隠し事を墓場まで持っていくのは、性に合ってない。


「……聞きたいなら、後で酒入れながら話すよ。それより先に、仕事済ましちまおうぜ」


 あたしはそう言って、再びスラムを先導して歩き始めた。




 それからあたしたちは、粛々と故買屋を当たって回り、三件目で件の指輪を見付けることに成功した。

 そしてそれを大金貨三枚で買い取って、依頼人のイリーズの元に持って行って、残りの成功報酬を受け取った。


 その後は、“海竜の宿り木亭”で、いつもの仲間内での宴会だ。

 あたしは悪酔いしながら自分の過去話をし、仲間たちはあたしを強く非難するでもなく、その話を聞いてくれた。


 ちなみにその際に、死人を生き返せるほどの魔法を使えるニノに、腕を再生する魔法とか使えないのかと聞いたら、当たり前のように「使えますよ」と答えた。

 ……いろいろと、何だかなぁだ。


 そんなことで過去を消せるなんてことは、思えねぇけど……それでも次の休みには、アニキを探して会いに行って、治療を提案してみよう。

 メイラには、ふざけんなって言われそうだけど、まあしゃあないだろ。


 そうやって、今と未来を生きることしか、あたしたちにはできないんだから。


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