エピソード2-2
その後、二人は半刻ほど、一緒に竹刀を振った。
約束通り、サムライの刀の構えを、ツバキから手取り足取り教わったニノは、とても満悦した様子で浮かれていた。
そして修練を終えると、二人は協力して、道場の雑巾がけをした。
そうして床をぴかぴかにし終えると、綺麗になった道場を見渡して、ツバキが言う。
「ひょっとすると私は、この雑巾がけが一番好きなのかもしれないな」
「はい、足腰が鍛えられます」
ニノの合いの手に、ツバキは微笑む。
「……それもあるが、何と言えばいいのか──道場を清めるのと同時に、自分の心も清々しくなる。子どもの頃から、父上に剣を教わった後、必ずこうして雑巾がけをしていた。道場を閉めた今でも、毎朝こうして道場で竹刀を振り、雑巾がけをすることは、欠かしたことがない」
そう思い出を交えて語るツバキに対し、ニノはきらきらと目を輝かせて、こんなことを言った。
「はい! 今のツバキさん、すごく綺麗です!」
「……何だその、脈絡のない唐突な世辞は」
「お世辞じゃないです。脈絡もあります。心が綺麗なときが、女の子は一番綺麗です。今のツバキさん、純粋な子どもみたいに、すごく透き通ってます」
「……キミは本当に、不思議な少年だな」
その後、二人は片付けをして、道場を出て行こうとした。
だが、そのとき──
「頼もーう!」
道場の入り口、門の方で、野太い男の大声が聞こえて来た。
「来客か……? 珍しいな。すまない、ニノはここで少し待っていてくれ」
ツバキは少年にそう言うと、対応のために表へと出て行き、入り口の門を開く。
すると門を開けたそこには、無精ひげを生やした、飄々(ひょうひょう)とした風体の男が立っていた。
その男は、ツバキと似た雰囲気の、異国風の服装をしていた。
「何用でしょうか。本道場は現在畳んでおります。剣術指南を希望でしたら、申し訳ないですがお引き取りを……」
ツバキはそう、丁重に訪問を断ろうとした。
だが、対する男の方は、門が開いたのをいいことに、構わずずかずかと中に入ってしまう。
「いや何、元より剣術を指南してもらおうなどというつもりはないから、その点は構わずとも結構」
「ま、待て! 勝手に入るな! 無礼であろう!」
ツバキは静止するが、男はそのままツバキの横を通り過ぎ、砂利道を歩いて道場の訓練場へと無遠慮に歩いてゆく。
「無礼上等。俺は道場破りをしに来たんだから、礼儀どうこう考えるつもりもない」
「道場破りだと……?」
「ああ。この道場の師範を出してもらおうか」
ずかずかと歩み進む男に、ツバキは早歩きで追いながら言う。
「いま、この道場に師範はいない。師範代は私だが、先にも言った通りこの道場は、今は閉鎖している。道場破りなどしても意味はないぞ」
「なんだ、潰れたのか? ──まあ構わんさ。ここの看板を取ったって事実さえあれば、俺がこれから作る道場の名が上がる。師範がいないってぇことなら、師範代のお嬢ちゃんがここの道場主ってわけだ。──立ち合ってもらおうか」
図々しく訓練場の前まで入り込んだ男は、その後ろを追うツバキへと振り返り、その腰の刀を抜いてツバキへと突きつけた。
その刀身が黒塗りにされた刀の刃は、朝日に照らされ怪しく輝く。
だがツバキは、刀を突きつけられても動じずに、
「断る。お引き取り願おう」
男を眼光鋭く見据え、そう短く言い放った。
だが男の方も易々とは引き下がらない。
「断る? 何だ、やり合ったら負けるからやりませんってなぁ、随分と腑抜けた師範代だな」
「何とでも言え。いま私は冒険者として修行中の身だ。この道場も今は畳んでいる。道場破りなど、受ける道理がない」
「それではこちらが困る。そういうことなら──俺の不戦勝として、看板を貰い受けて行くまでだな」
そう言って男は、訓練場のほうを見る。
その奥の壁には、道場の入り口から外された看板が、立てかけられていた。
「なっ──そんな無法が許されると思っているのか!」
「なぁに、道場破りをしに行ったら、あなたには勝てません、命が惜しいのでどうぞ看板をお受け取り下さいってぇ、そう道場主に言われたなら仕方ねぇ」
男はそう言って、訓練場へと勝手に上り込んでゆく。
そのとき、ツバキは信じられないものを見た。
男は土足で、道場の訓練場へと上り込んだのだ。
「──貴様っ! 神聖な道場に土足で踏み入るとは、それで一端のサムライのつもりか! 今すぐそこから下りろ!」
だがツバキのその怒声にも、男はニヤッと笑って、
「だからさ、その古臭いサムライの風習を、俺がぶち壊してやろうってぇことなんだよ」
そう言って、道場の床をわざとらしく、ぐりぐりと踏み躙った。
その道場の奥で一連の様子を見守っていた少年が、ふらりと動こうとした。
だが、
「ニノ。待ってくれ」
ツバキが少年に対し、静止の声をかける。
そして、
「この無法者は、私の客だ──私が片付ける、手を出さないでくれ」
そう言ったツバキの顔には、静かな怒りが湛えられていた。