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エピソード12-1

「なー、アニキー。見て見て」


「お、何だリタ」


 それは数年前の姿。

 本当の自分の年齢を知らないあたしだけど、おそらくは十歳をちょっと越えたぐらいだと思うあの頃の、セピア色の想い出。


 スラム街で暮らしていたあたしには、ガキ同士で何人かの仲間がいたが、中でも特に、あたしが慕っていた人が一人いる。

 あたしが「アニキ」と呼んでいたその人は、実際の兄弟じゃない。

 孤児みなしごのあたしに、スラム街での生き方をいろいろ教えてくれた人だった。


 あたしだけじゃない。

 あたしの仲間たちは、だいたいアニキから「仕事」の仕方を教えてもらっていた。


「へへー、じゃーん!」


 あたしは自分とアニキ以外に誰もいない人気のない路上で、仕事の成果をアニキに見せつける。

 それはスラムをのうのうと歩いていたおっさんの、懐からスリ取った財布だった。

 財布は小さな布袋で、その中に銀貨が十数枚と、小金貨が数枚、それに大金貨が七枚入っていた。


「お、おいおい……何だこの金貨の量。……これ、リタがスッたのか?」


「まぁねー。どう、アニキ。あたしの腕も満更じゃねぇだろ?」


 アニキに褒めてもらおうと、尻尾を振る犬のようにキラキラした目で自慢するあたし。

 あたしはアニキに、あたまをわしゃわしゃっと撫でてもらうのが好きだった。

 そのときも、そうやって「すごいな」って褒めてくれることを期待してた。


 だけど、アニキは難しい顔をして、「まずいな……」と呟く。


「……額が多すぎる。この額だと、血眼になって探されるぞ。……おいリタ、この稼ぎ、ほかの誰かに見せたか?」


「う、ううん。まだアニキだけだけど……?」


 期待していたのと違うリアクションが返ってきて、あたしは少し戸惑う。

 アニキが怖い顔をして、あたしの両肩を掴んでくる。


「いいか、リタ。この稼ぎは一旦俺に預けろ。あと、このことはほかの誰にも言うな。……兄弟たちにもだ」


「う、うん、分かった」


 あたしは何だか分からなかったけど、素直に頷く。

 このときのあたしにとって、アニキの言うことは絶対だった。


 あたしはその稼ぎ──あたしがスッてきた財布を、何の気なしにアニキに預けた。

 アニキはその中から銀貨だけを抜き取って、その銀貨を全部、あたしに渡してくれた。


 ──だけどその日の夕刻、あたしは早速、アニキの言いつけを破ってしまった。

 つい話の流れで、兄弟──スラムの仲間たちに、この戦果のことを自慢してしまったのだ。


 このときのあたしはよく分かっていなかったが、大金貨七枚が入っていたあの財布の中身は、そんじょそこらの労働者の三、四ヶ月分の給料に相当するぐらいの、とんでもない額だ。

 特に大金貨なんてのは、あたしらが普段拝むこともない代物だし、兄弟たちはみんな、あたしがホラを吹いているものだと思った。


 そしてそれが面白くないあたしは、あたしの話を信じない兄弟たちを連れて、アニキのところに、証拠を見せてもらいに行った。

 するとアニキは、こう言ったんだ。


「──ああ? 知らねぇよそんなもん。リタ、嘘つくのもほどほどにしとけよ」


 このとき、あたしは冷や水をぶっかけられたような想いがした。

 心の中で、何かとてつもない掛け違いが起こって、自分の中にあった温かいものが、すべてさーっと流れていってしまうような感覚。


 あたしはそれが怖くて、必死になってアニキに食ってかかったけど──アニキはそんなあたしを冷たく跳ねのけた。

 兄弟たちから嘘つき呼ばわりされ、アニキに見捨てられ、路上に一人残されて座り込むあたし。


 あたしは、アニキに騙されたのだと思った。

 あたしの稼ぎを、アニキがうまいこと騙し取ったのだと。


 そして思い出す。

 アニキは、あたしに「仕事」を教えるときに、最初にこう言っていた。


「このスラムじゃ、誰も心の底から信用するな──俺や兄弟を含めて誰一人だ。じゃなきゃ裏切られたとき、ツラいぜ」


 ──あたしはその日から、そのアニキの教え通りに行動するようになった。


 上っ面はそれまでと大して変えず、ただ心の底ではいつも、アニキや兄弟たちを疑いながら過ごした。

 関係はだいぶギクシャクしたが、お互いに生きるための協力ぐらいはできた。


 ──それから数日して、アニキが街の衛視に捕まった。


 そしてその翌日に、アニキは片腕を失って、スラムに戻ってきた。

 それからの数日間、アニキはスラムの路上で、生死の境をさまようことになって──




「んっ……」


 だらしなく少しだけ隙間の開いた木窓から、薄暗い部屋の中に日光の帯が注ぎ込み、あたしの目蓋の上を横切っている。

 その眩しさにようやく気付いたあたしが、ベッドの上で目を覚ます。


 寝ぼけ眼で上半身を起こして、肩口のはだけたシャツを整え、頭をばりばりと掻く。

 “海竜の宿り木亭”の、あたしが借り切っている私室は、いつも通りに散らかっていた。


「ちっ……思い出したくもねぇ過去だってのに……」


 あたしはわりと明瞭に頭に残っている夢の内容に悪態をつきながら、ベッドから降りて、部屋の扉を開けて階下へと向かう。

 そうしながら、ぼんやりとした頭で、過去の記憶を思い起こす。


 あの夢の内容は、そのまんま、あたしの過去の思い出だ。

 だけど結局、あの件の真相がどうだったのか、あたしは知らない。


 アニキの腕が失われたのは、あたしのせいだったのかもしれないし、それとは全然関係なかったのかもしれない。

 アニキは何も喋ってくれなかったし、あたしにもそれ以上に詮索する勇気はなかった。


「ふああ……おはよ」

「おはよう、リタ」

「ああ、おはよう。相変らず、お早うという時間でもないがな」


 あれから数年たって、ひょんな才能があったのかいつの間にか冒険者なんて稼業に足を突っ込んでいたあたしは、シンディやツバキと出会って、誰も信用しないというスタンスも変えた。


 アニキが言っていたのは「スラム街では」って話だったし、いつまでも人を信用しないで生き続けられるほど、あたしは強い心を持っている人間じゃなかった。

 誰かに寄り掛かっていないと心が悲鳴をあげてしまうような──あたしは結局、そんな生き物だったわけだ。


「おはようございます、リタさん!」

「おはようございます。……リタ姉さま、いつも思うんですけど、そんなはしたない格好で降りてきて、よく恥ずかしくないですね」


 そこに来て、ニノも現れた。

 この得体のしれない男に、さっそく心を預けちまったあたしがいる。


 まったくもってバカだと思う。

 ミスティみたいなガキにバカにされるのも、無理もない。

 でもあたしは、こういう形でしか生きられそうにない。


「朝からキャンキャンうるせぇな……あたしがどんな格好してようが勝手だろ。……顔洗ってくる」


 仲間たちと朝の挨拶を交わしながら、寝間着代わりのシャツと短パンだけの姿で、あたしはのこのこと酒場を横切る。

 ニノも含めて、この酒場を朝から愛用している人間は、あたしのこんな姿なんて見慣れているし──いや、何人かジロジロ見てるのもいる気がするが、別に真っ裸ってわけでもないから、今更気にすることもない。


 宿の表へ出て顔を洗って戻ってきたあたしは、酒場のいつものテーブルのいつもの席に、どっかりと腰を下ろす。

 ツバキがそのあたしの様子を見て、声を掛けてくる。


「何やら、いつもにも増してだるそうだな。嫌な夢でも見たか?」


「当たり。自分が嫌になる夢を見たよ。……ところで今日は、何かクエスト受けてたんだったっけか?」


 特に話したい内容でもないので、あたしは露骨に話題を逸らしにかかる。


 ──アニキや兄弟には、二年ほど前に冒険者を初めてよりこっち、ろくに会っていない。

 それでも兄弟には、たまにスラムをふらついているときに見かけることもあって、ちょっと声を掛ける程度はする。


 だけどアニキには、あたしが冒険者になってからは、そもそも会ってもいない。

 今どこで何をしているのか……いやそれ以前に、今、生きているのかどうかも知らない。


 ……あたしがこんな卑怯な人間だって知ったら、ツバキやシンディは、あたしのことを軽蔑するだろうか。

 それを試すのは、少し怖い。


 そんなあたしの内心を読んでってことはないだろうが、ともあれ、あたしの話したくないオーラは、シンディが汲んでくれたようだ。


「うん。今日のクエストは、とある商人からの依頼だね。午後には詳しい話を聞きに行くことになってるから、それまでには食事と支度、済ませておいて。何となく、リタの出番になりそうなクエストだし」


「あいよ、了解」


 するとそこに、酒場の女将おかみさんが朝食のプレートを持って来てくれた。

 彼女は配膳ついでに、あたしに小言を言う。


「リタ、あんたねぇ、男を誘ってるつもりもないんだったら、そういう格好は慎みな。だいたい冒険者なんてのは、女日照りのケダモノばっかりなんだからさ」


 そう言って親指で、ほかのテーブルの冒険者連中を指すと、連中は、


「ははっ、ちげぇねぇ」

「俺らは構わねぇぜ。毎朝美少女のあどけない姿が拝めるなんて、最高の環境だ」

「俺もリタさんのそういう格好、毎朝見たいです!」


 なんて言ってゲラゲラ笑っている。

 約一名、うちのテーブルからの発言が混ざっている気もするが、気にしないことにしよう。


 しかしこうまで言われると、さすがにあたしも恥ずかしくなってくる。


「……オーライ、女将。検討しとく」


 あたしがそう言うと、周囲のテーブルの男連中から、女将さんに対してブーイングの嵐が起こる。

 まったく、しょうがない連中だよ。

 憎めねぇけど。


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