エピソード8:ハーレムは紙一重
遅めに起きてくるリタやシンディに合わせた、いつもの遅めの朝食の時間。
リタ、ツバキ、シンディ、ニノの四人が、“海竜の宿り木”亭のいつものテーブルを陣取って朝食をとる食事風景は、しかし最近、少し様子が変わっていた。
「……ちっ」
リタが、ツバキの方をちらと見て、不機嫌そうに聞こえるか聞こえないかの小さな舌打ちをしながら、目玉焼きを口に運ぶ。
どうと口に出して言うわけではないのだが、不機嫌オーラだけはむんむんに出している。
最近の食事風景では、だいたいいつもこんな様子であったのだが。
その様子に、この場をもってついにキレたのは、一緒に食事をしていたシンディだった。
「あのさぁ、リタ。何が気に入らないのか知らないけど、何かあるならはっきり言ったら? そう不機嫌そうにされてると、こっちの食事もまずくなるんだけど」
予想していなかった方角から来た攻撃に、リタが苛立たしげに歯ぎしりする。
そして次には、大仰に肩を竦めるパフォーマンスをしながら言った。
「何かあるなら、ねぇ……何かあるのは、あたしじゃなくてツバキのほうだと思うけどな」
そのリタの言葉に、ツバキはドキッとした顔をする。
が、彼女はすぐにすまし顔を作って、
「……それらしい心当たりが一つあるが、別に私は、やましいことをしているつもりはない。自分の考えに基づいて行動した結果だ。それについてリタからどうこう言われる筋合いもないと思うが」
「……そうかい。まあそうだな、ツバキが個人的に何をしようが、あたしらに筋立てする道理はねぇわな」
リタはツバキの言葉にそう返しながらも、まったく納得していないという様子で、不機嫌さを撤回しようとしない。
シンディはその様子を見て、さらに口出しをする。
「ボクには何の話だか分からないけど、リタ、そう思うんだったら、その不愉快そうにするのやめてくれる? ボク、そういうの見たくないから」
このシンディの言葉に、リタはまた舌打ちをする。
「あたしがどんな態度でいようがあたしの勝手だろ。そんなことまでシンディに強制される謂れはねぇ」
だがこの言葉にも、シンディはぴしゃりと否定をする。
「勝手じゃないよ。少なくともボクの前ではやめてほしい」
ここでリタもキレた。
木のテーブルに両手をバンと叩きつけて立ち上がり、ツバキとニノを指さす。
「ざっけんな! なんであたしなんだよ! シンディはこいつらが何してるか知らねぇから、そんなこと言ってられんだよ!」
「そうだよ。だから、ボクには何の話だか分からないって、さっきから言ってるでしょ」
「だったら何であたしが責められなきゃなんないんだよ! おかしいだろ!」
「ボクが不愉快なのは、リタの態度だからだよ。ツバキと、ニノも関わってるの? いずれにせよ、ボクに見えないところで何かをやっているんだとしても、それはどうだっていいよ」
リタがイライラを募らせる。
シンディと口喧嘩をしても、大概勝てない。
だから彼女には、ふて腐れるしか方法がない。
「ちっ……ああそうかよ、分かったよ。どうせあたしが間違ってんだろ。シンディの言うことはいつも正しいもんな!」
「正しいとか正しくないとか、そんなこと言ってないじゃない。ボクが嫌だって言ってるの」
「だから、あたしが悪いんだろ!」
「……うん? まあ、それはそうかな。でも悪いって絶対評価じゃなくて、ボクがそうと思ってるってだけだよ」
「どう違うんだよ……シンディの言うことは難しくてわかんねぇ!」
「リタのその、すぐに考えを投げ出すの、悪い癖だよ」
「あああもう! ごちそうさま!」
リタは目の前の食事を口の中にかき込むと、また派手にテーブルに手をついて、むしゃくしゃした様子で二階へと上がって行った。
残されたのは、シンディ、ツバキ、ニノの三人。
シンディは陶器のコップに注がれたミルクを一気に飲み干してから、目の前の二人に問いかける。
「……はあ。で、一体何がどうなってるのか、ボクにも分かるように教えてくれるかな」
シンディの問いかけに対し、これまで状況に口を出さずにおろおろとしていたニノが発言する。
「俺には、なんでリタさんが怒っていたのか、全然分からないです」
「ふぅん。……ツバキは? 分かってるんだよね、さっきの話しぶりからすれば」
話を振られたツバキはしかし、むすっとした顔で言う。
「……だから、私はやましいことはしていないつもりだ。それではダメなのか」
「ダメ。それじゃツバキの中で折り合いがついても、ボクが納得できない」
そう言われたツバキは、俯いたまま、語り始める。
「そうか、なら私の考えを述べるが……憶測が混ざるぞ、いいか」
「いいよ。その分は割り引いて考えるから」
「分かった。……それにしてもまず、どこから説明したものか……とりあえず直接の関連事らしきことから言おうか。結果の話だが、私は今、夜寝るときに、ニノと一緒に寝ていることが多い」
「……は?」
この暴露には、さすがのシンディも驚きを隠せなかった。
その表情を見て、ツバキが慌てて付け加える。
「ち、違う! シンディが今想像しているような意味での『寝る』ではないぞ! ただ私のベッドで一緒に寝ているというだけで、それ以上のやましいことは一切していない!」
「……ごめん、常識で考えて、ツバキの言っていることがよく分からな──」
そこまで言ったところで、シンディは何かを思い出したように、停止した。
そして、ニノにジト目を向けて言う。
「──ううん、何となく分かった。……ねぇニノ、キミ本当に男の子?」
「ええええっ! 俺、何か男としておかしいですか!?」
「うん、おかしい。著しくおかしい」
「な、何がおかしいですか?」
「その話は、話がこんがらがるから今はしたくない」
「じゃあ、あとででいいから俺に男を教えてください、シンディさん!」
このニノの言葉に、いろいろと妄想をたくましくしたシンディが、顔を赤らめた。
「……それ、色々と語弊があるからね、ニノ。──で、それはそうとツバキ。それ以上のやましいことはしていないにせよ、ニノと一緒に寝ているっていうのは、どういうことなの? ……ああいや、ここは話の芯には関わってきそうにないから、答えたくないなら答えなくてもいいけど」
「それは、その……強くなるための方策だったのだが、やっぱりおかしかっただろうか?」
そのツバキの言葉に、シンディは、はあと大きくため息をつく。
「ううん。細部は分からないけど、ツバキがだいたい平常運転だったっていうのはよく分かった。──で、それをリタが知っちゃったわけだ」
「……うん、どうして知ったのかは分からないが、おそらくはそうなのだと思う。だがそうだとしても、先にも言っている通り、私はやましいことは何も……」
「男の子と一緒のベッドで寝ることは、やましくないの?」
「うっ」
ぐさりと、シンディの言葉がツバキの胸に突き刺さった。
「リタってあれで、ツバキ以上に清純なところあるからねー。それにあれは……」
「……?」
「……ううん、それはいいや」
嫉妬とか失恋的な感情も混ざっているな、とシンディは思ったが、それは口には出さなかった。
多分そのことに、ツバキは気付いていないのだから、無駄にリタの不名誉を増やしてやる必要もない。
「でも、分かった。全部知ったら腑に落ちた。そう思ったらリタのあれも許せるから、ボクはもういいや。あとは、リタとツバキとニノの問題なんだけど……そうも言ってられないか。──そうだ、ニノ、ちょっと来てくれる?」
「俺ですか?」
「うん。おいでおいで~」
そう言ってシンディは、ニノを呼び寄せ、ツバキにも聞こえないよう、こそこそとニノに耳うちをする。
リタは酒場の二階にある宿の自室で、ベッドの上で膝を抱えながら蹲っていた。
「……何であたしなんだよ。あいつらが、あたしとシンディを裏切ったんじゃねぇか」
同じパーティのメンバーなのに。
それなのに、自分とシンディに隠して、いつの間にかニノとツバキが『できあがって』いた。
冒険中など、みんなで一緒にいるときは、それらしい素振りなんかまったく見せなかったのに。
ひょっとしたら、ツバキのあの朴念仁な様子も、すべて本性を隠した演技なのだろうか。
「もう、何信じたらいいんだよ……わかんねぇよ……」
ツバキにもニノにも、そしてシンディにさえも見放された。
今の自分は、もう誰からも見捨てられたのだという孤立感が、リタの胸中をぐるぐると巡っていた。
また、それだけではない。
まだ出会って間もない少年、ニノの馴れ馴れしい笑顔を思い浮かべる。
そして、それが背を向けて、向こうにいるツバキに絡んでゆく。
リタは手を伸ばし、言葉を発しようとするが、届きもしないし、声も出せない。
ただそれを、無様に見せつけられることしかできない。
そんな悪夢のような絵を想像してしまうことが、リタの胸をきりきりと締めつける。
「何なんだよ……何なんだよもう……」
そうやって、独りの部屋で深く深く自分の中に落ち込んでゆくリタだったが。
そのとき、その部屋の扉が、コンコンとノックされた。
一瞬、居留守を使おうかと思った。
ツバキ、ニノ、シンディ……誰であれ、誰かと会うのが、怖かった。
だけど、このまま独りでいるのも怖かったから、リタはか細い声を出した。
「……誰?」
そうすると、返ってきたのは少年の声だった。
「俺です。ニノです」
その声を聞いて、リタは服の袖で涙をぐしぐしと拭き、無理やりに不機嫌そうな声を作る。
「何の用だよ」
「リタさんと話がしたいです。中に入れてもらえませんか」
「……別に、部屋の鍵はかけてねぇよ。入ってきたけりゃ、勝手に入って来いよ」
「わかりました」
部屋の扉が開かれ、ニノが入ってくる。
そのときになってリタは、自分がひどく情けない格好をしているのであろうことに気付いた。
涙で目の周りを赤く腫らし、みすぼらしくベッドの上でいじけた姿が、ニノの目に入ったであろう。
でももう、そんなことはどうでもいいと思った。
「……何だよ、笑いに来たのか」
そのリタの言葉に、ニノは答えずに、リタに近付いてゆく。
そしてニノは、リタの目の前に立つと、膝を抱えてうずくまった少女を、ぎゅっと抱きしめた。
「俺、リタさんのことも、大好きです」
「あっ……」
その少年の温かさを感じ、リタの瞳から、ひとりでに涙が溢れる。
だが次の瞬間には、リタの感情は怒りに変わった。
ニノを乱暴に振りほどくと、瞳に涙を溜めたまま、少年を怒鳴りつける。
「──ふざっけんな! 何なんだよテメェ! ツバキとデキてんだろ! それなのに何でこんなことすんだよ! 舐めてんのかテメェは! 女を何だと思ってんだ! 死ねよ、ほんと死んじまえよ、このっ……女たらしが!」
リタは吐き捨てるように、言葉をまくし立てる。
だがニノは、ひるまずリタを真っ直ぐに見つめる。
「シンディさんに言われました。俺がリタさんのことも好きなら、ちゃんとそう言ってやりなよって」
「……っ!」
「俺、リタさんも、ツバキさんも、シンディさんも、みんな好きです。大好きです」
その言葉を聞くと、リタは涙をいっぱいに溜めた目でニノを睨みつけ、両手でその少年の襟首を締め上げる。
「だから、それがおかしいっつってんだよ! 何でわかんねぇんだよ! テメェはツバキを選んだんだろ! だったらあたしにすり寄ってくんなよ! そんなことされたら、あたしは……!」
「いいじゃない、リタ」
そのとき唐突に、部屋の扉が開き、少女の声が聞こえて来た。
扉を開けて入ってきたのは、シンディだった。
ずっと扉の外で、会話を聞いていたのだろう。
それに気付いたリタは、涙を振り捨て、ニノを解放すると、入り口のシンディを睨みつける。
「シンディ……趣味悪いぜ。どういうつもりだ」
「ねぇリタ、『ハーレム』って知ってるかな」
シンディはリタの質問には答えず、逆にそう、リタに問いかけた。
「……それが何だ。こいつみたいな女たらしが、何人もの女を囲うってふざけた話だろ。ありえねぇお伽噺か、さもなきゃ女を道具か何かとしか思ってねぇクズ男の所業だ。吐き気がする」
リタは心底気に入らないというように、そう口にする。
だがそれに、シンディは首を横に振った。
「ううん。それはまがいものだね」
「ああ? んなもんに、まがいものも何もあんのかよ」
「あるから言ってるんだよ。本物のハーレム主はね、ハーレムのすべての女を平等に愛して、みんなを幸せにしなくちゃいけないんだ。──それって、すごく難しいことで、リタの言うようなクズみたいな男に、簡単にできることじゃないよ」
そう言ったシンディは、冗談を言っているという様子でもない。
いつものように淡々としているが、本気の話をしている姿だった。
「……ちっ、そうかよ。だがそんなもん興味もねぇ。だからどうした、だ」
「だからさ──ニノはどっちだろうねって、ボクはそう聞きたいんだよ。リタにね」
シンディは言って、意味ありげに笑った。
それに対し、リタは何も言葉を発せずに、口をつぐんでしまう。
思うところがあるようだった。
「あ、あとね、ニノとツバキがデキてるっていうあれ、リタの勘違いだよ」
「……は?」
「リタの勘違い。あとでツバキから、ちゃんと話を聞いてごらん」
シンディはそこまで言うと、いじけた少女の部屋に入り込んで、彼女の装備品一式を手に取っていった。
「お、おい、シンディ……何やってんだ」
「ん、リタの装備を用意してるんだよ。丸腰でダンジョンは、キツイでしょ?」
「は……? いやだから、何言って……」
シンディの突然の奇行に、狼狽するリタ。
だがシンディは、それを意に介さず、ニノに指令を出す。
「ニノ! リタをお姫様抱っこ!」
「あいあいさ!」
「わっ、わわっ、何を──や、やめろ、ニノ!」
シンディの指示に敬礼をしたニノが、ベッドの上のリタの体を両手でひょいと持ち上げる。
一方、持ち上げられた方のリタは、顔を真っ赤にしてじたばたと大慌てだ。
「お、お前ら、何考えてるんだよ! 離せよ!」
「何って、いつも通りにダンジョンに行こうとしてるんだよ」
「意味わかんねぇよ! だいたいニノ、お前シンディの言いなりかよ!」
「違いますよ。これは共謀って言うんです」
「なっ……!」
そんな調子でリタは、ニノにお姫様抱っこされたまま部屋を出て、二階から降り、一階の酒場を通り過ぎて、表に出されそうになる。
そこで冗談ではないとようやく察し、お姫様抱っこされたまま街中を行くのだけは嫌だと思って、自分で歩くから解放しろと二人を説得した。
そうして、ようやく地面に下ろされたリタ。
酒場のマスターやほかの客に見られ、湯気を噴くほど茹で上がった彼女は、ツバキも合流して揃った、残り三人のパーティメンバーを恨めし気に見る。
そのリタに対して、首謀者のシンディが、笑顔で言った。
「いじけ虫は強引に連れ出すのが一番の特効薬。これ、ボク自身の経験からの教訓ね」
そうしてその日、いびつながらも四人で冒険をしたパーティは、ダンジョンから帰る頃には、元通りの姿を取り戻していたのだった。




