エピソード7:サムライ少女の壮絶な自爆劇(1)
ツバキは悩んでいた。
最近、自分たちは、ニノに頼りすぎているのではないだろうか、このままでは自分たちは堕落してしまうのではないだろうか、と。
だからある日の夜、ツバキは宿屋のシンディの部屋へ赴き、その問題をシンディに提起してみた。
すると、寝間着姿の少女からは、こんな言葉が返ってきた。
「ふむふむ、つまりツバキは、自分が堕落しちゃうのが嫌なんだ?」
そうあらためて聞き返されて、ツバキとしては困ってしまった。
人間、堕落してはいけないことなど自明の理であると思っていたから、嫌かどうかという自分の好き嫌いの問題にされてしまうなど、考えてもみなかったからだ。
「まあ、そういうことになるが……」
だから、ツバキの口からは、そんな言葉しか出てこない。
そして、そのツバキの言葉を聞いたシンディは、二つ目の確認をしてきた。
「それで、ツバキはどうしたいの?」
「むっ……どうしたいと言われても……」
ツバキはこれまた口ごもってしまう。
これまで武道に殉じる生き方をしてきたから、そんなことを深く考えたこともなかった。
シンディが少し、助け舟を出す。
「えっと、ニノをパーティから追い出したい? それとも、ボクたちの方が何か変わったほうがいいと思ってる?」
そう言われて、また考え込む。
ニノをパーティから追い出したいのかと言えば、そんなことはない。
このままでは自分たちが堕落してしまうとして、そのことの責任がニノにあるとは思えない。
だとするなら、問題があるのは自分たちの方だろう。
「……後者だな」
「そっか。──でも、ごめんね」
そこでシンディが謝ってくる。
「なぜ謝るんだ?」
ツバキが首を傾げると、シンディはにひひっと普段あまり見せない顔で笑って、
「ボクね、今のパーティがすごく好きなんだ。色んな意味で堕落しちゃいそうな自分も含めて、大好きなの。だからそういうのは、ツバキと一緒になって、変えたいとは思わない。──だから、ごめんね」
そう言われてしまっては、ツバキとしても、それ以上の協力をシンディには頼めない。
だからツバキは、話をそこまでで切り上げて、踵を返して部屋を出て行こうとした。
だがそこに、パーティ随一のエロ魔人が襲い掛かる。
「えいっ」
「──ふあっ!?」
背を向けたツバキの背後にシンディが忍び寄り、後ろから手を回してサムライ少女の胸を、衣服の上から揉み始めたのだ。
「んっ……な、何をする、シンディ……!」
予想もしていなかった襲撃を受け、ツバキは驚いて赤くなる。
「んー、ボクとしてはぁ、ツバキにももーちょっと、柔らかくなってもらいたいなぁって」
そう言いながら、手の中の柔らかいものを、もにゅもにゅと揉みしだくシンディ。
「ん、くっ──し、シンディ、お前、実は酔っているだろ!?」
「はーい、酔ってまーす。今日も楽しかったので、たくさん飲んじゃいましたー。ボクって顔に出ないんだよねー。……でもツバキの胸、さらし巻いてるのにこんなって、ずるいなぁ。ボクにも半分ちょうだいよぉ」
「や、やめっ──えぇい、離せっ!」
ツバキは力ずくでシンディを振りほどき、慌ててその部屋の扉を開け、逃げるように部屋を出て行った。
「ちぇー、いい触り心地だったのになー」
後には名残惜しそうに自分の両手を見つめ、手指をわきわきさせる寝間着姿の銀髪少女が残ったのだった。
「はぁっ、はぁっ……し、シンディめ、最近どんどんおかしくなって来ているぞ……」
自分の部屋に慌てて逃げ込んだツバキは、しかし生真面目に、シンディの言っていた言葉を反芻する。
「もうちょっと柔らかく、か……。胸のことではあるまいし、堅物すぎるということなんだろうが……」
むぅとなって、ツバキは考える。
そう言われても、これまでずっと武の道に生きてきた自分である。
突然柔らかくなれと言われても、どうしたらいいか分からない。
「──ええい、酔っ払いの言うことだ。気にせず寝よう」
悩んでいても仕方ないので、ツバキは自分も寝間着に着替え、ベッドに潜り込んだ。
翌朝。
ツバキが眠い目をこすりながら宿の表に出て顔を洗おうとすると、そこにはすでに準備体操をしているニノの姿があった。
「ふああ……おはよう、ニノ」
「おはようございます、ツバキさん」
「悪い、準備する間、少し待ってもらってもいいか。無論、先に始めてもらっても構わないが……」
「いえ、腕立てでもしながら待ってます」
「そうか、すまないな……」
ツバキはそう言って、欠伸をしつつ、のそのそと井戸水を汲みに行く。
最近では、ニノの前でこういっただらしない姿を見せることにも、抵抗がなくなってきていた。
最初に二人で道場に行った日から、二人は毎朝、一緒にトレーニングをするようになっていた。
ツバキはニノに対抗して、それまでよりも一時間ほど早く起きて、ニノと一緒のタイミングでトレーニングを開始するようにした。
トレーニングの強度も、ニノと張り合うように上げたせいで、以前よりも間違いなくハードになっている。
一度などは、ニノと同じように重い鎧を着こみ、ウェイトを乗せて訓練をしようとして、ニノから止められたことすらあった。
トレーニングはハードにすればいいというものじゃないです、個々人の限度に合った内容じゃないと体を壊しますよと言われて、ニノという少年が今までの積み重ねで今の位置にいるのだと思い知らされた。
とは言え、少なくとも以前の自分よりも、一段上のトレーニングをしていることだけは、間違いないという自負はある。
(……そう思うことで驕ってしまい、気が緩んでいるのかもしれんな)
ツバキは井戸水で顔を洗いながら、柔軟運動をしているニノの姿を見る。
昨夜、あの後ベッドの中で悶々と考えた結果、導き出された答えは、結局のところ、事はすべて自分次第だということだ。
ニノが現れたから堕落するのだという考えをしていては、それこそ身を滅ぼすだろう。
ツバキは顔を洗い終え、部屋に戻って支度をすると、ニノと合流してトレーニングを開始する。
「はぁっ……はぁっ……」
ランニングを終えたツバキは、道場の縁側であおむけに倒れ、ほうほうのていで荒く息をついていた。
「大丈夫ですか、ツバキさん?」
「あ、ああ……だが、少し休む……」
隣では、まったく平気な様子でツバキを気遣うニノが、縁側に座っている。
ちょっとニノのペースに合わせて走ってきただけでこのザマだ。
「ツバキさん、お腹出てますよ。触っていいですか」
「やったら……叩き斬る……」
そんなやりとりをしながら、実際に叩き斬ろうとしても、そんなことは不可能だろうなと思う。
このニノという少年の強さは、底知れない。
真剣にやりあったら、負けるのは確実に自分だろう。
だが、そんな風に思っていてはダメだとも思う。
武人が、この相手には負けて当然と思ったら、その時点で武人としてはお終いだろうと思うのだ。
「早く起きないと、大事なところ触っちゃいますよー」
そう言ってニノがわきわきと手を伸ばしてくるのを感じたので、ツバキはがばっと上半身を起こして、少年を睨みつける。
ヒィッと、怯えた表情を見せるニノ。
ふと、ツバキは考える。
自分には、この少年に何としても勝ってやろうという、武人としての必死さが足りないのではないかと。
「……なあ、ニノ。何か私にしたいこと、してほしいことはあるか?」
「えっ、何でもいいんですか?」
「とりあえず言ってみてくれ」
そう言われて、ニノはうーんと考え込み、やがてピンと来たように手を打って、言った。
「俺、ツバキさんと一緒に寝たいです!」
「なっ──それは、今ここで、ということか……?」
「いえ、夜寝るとき、一緒のベッドで寝たいです!」
「い、いや……それは、さすがに……」
ツバキは想像してしまう。
夜、ベッドの中であんなことやこんなことをして、ニノと二人で大人の階段を上ってしまう自分の姿を。
だが、すぐに思い至る。
このニノという少年は、恐ろしく不埒かと思えば、意外と深入りを望まなかったりもする。
そのニノの言うことだから、字義通り、一緒のベッドで寝るというだけの要求である可能性が高い。
そもそもツバキが何故、ニノの望みを聞いたのかといえば、それは自分を追い込むためだった。
ニノには負けても仕方ない、負けてもいいと思っているから、平気で負ける。
だったら、どうしても負けられない理由を作ったらどうだろうと考えたのだ。
「……いや、いいだろう。それでいこう」
「……? 何がです?」
「今日の手合わせで、私がニノから一本も取れなかったら、そのニノの望みを受けよう」
「ホントですかっ!?」
ニノがきらきらとした目をしながら、ツバキの手を取ってくる。
「ああ、二言はない」
「俺、本気出してもいいですか!?」
「……それは、いつもの手合わせでは、本気を出していなかったということか?」
「あっ、えっと……はい、すみません」
ニノが失言したというように、気まずそうに答える。
「……まったく。いいぞ、是非本気を出してくれ、そうでなければ意味がない。ただし、魔法は無しで頼む。剣だけで、本気で。……頼めるか?」
「はい! 俺、剣だけで本気でやります!」
そのニノの言葉を受け取りつつ、ツバキは、どうしたらこの少年に勝てるのかをイメージしてゆく。
実力的には、魔法を使わずともニノの方が数段上であることは、疑いない。
だが、「一本も取れなかったら」という条件で、絶対に一本すら取れないほどの実力差は、ないと思う。
まずはせめても一本を取って、そこから明日以降、突破口を切り拓いてゆく。
そこがスタート地点だと思った。




