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エピソード1

 “冒険者の街”、リムズベル。


 “無限迷宮インフィニット・ラビリンス”と呼ばれる巨大ダンジョンを擁するその街は、迷宮から冒険者が持ち帰る品によって潤う、冒険者産業を経済の主軸とした大都市である。


 そのリムズベルの、冒険者が頻繁に出入りする冒険者酒場・兼宿屋のうちの一つ、“海竜かいりゅう宿やど”亭。

 そこの一階の酒場で今、一人の少年が、三人の少女たちの冒険者パーティに対し、参入希望の申し込みをしていた。


「俺、女の子が大好きなんです!」


 酒場の隅にある、円形のテーブル席の一つ。

 そのテーブルに配置された四席のうちの、壁側の三席に位置取った少女たちは、その前に立って熱弁する少年を見て、呆気に取られていた。


 少年はさらに、力説する。


「だから俺、女の子たちのパーティに入れてもらうために、何でもできるようになる努力をしてきました! 壁役でもヒーラーでも、何でもできます! だから、皆さんのパーティに入れてください!」


 そう元気よく言って、少女たちに向かって結婚の申し込みをするように、頭を下げ、右手を差し出す少年。

 対する少女たちは、しばらく唖然あぜんとし、硬直してしまっていた。


 だが少しして、少女たちの一人が、ようやく口を開く。


「お前……アホか?」


 そう言ったのは、栗色の髪をポニーテイルにした、小柄な少女だ。

 袖と丈の短い衣服から伸びるしなやかな四肢からは、少女らしい快活さが伺える。


「アホじゃないです! 皆さんのパーティには壁役とヒーラーが不足していて、それができる冒険者を探しているって聞きました! 俺は何でもできますから、壁役とヒーラーもできます! 是非お願いします!」


 一方、そう熱意を語る少年は、外見だけ見れば、金髪碧眼(へきがん)で童顔の愛らしい美少年だった。

 少年は、未だ頭を上げることなく、必死に右手を差し出している。

 握手を返してもらえたら、パーティの一員として認められると考えているようだ。


 それに対して、先の少女は大きくため息をつく。


「はぁ……まあ、言動がアレなのは置いとくとしてもよ。何でもできるってことは、器用貧乏ってことだろ。役に立つとは思えねぇな」


「器用貧乏じゃありません! 何でもできます!」


「だから、それを器用貧乏って言うんだよ」


「違います! 何でもできます!」


「……ああもう、話にならん。お前らも何か言ってやれ」


 そう言って、栗色の髪の少女は、ほかの二人の少女に発言を振る。

 すると、彼女の隣に座っていた少女が口を開く。

 銀髪をショートカットにし、魔術師風のローブを着た、聡明そうめいそうな少女だ。


「その『何でもできる』っていうのは、壁役でもヒーラーでも、一人前にこなせるっていう意味でいいのかな?」


 少年に対する問いかけ。

 だけどそれに応じたのは、先の栗色の髪の少女だった。


「──はぁ!? シンディお前、こんなやつパーティに入れるつもりかよ!?」


 だがその割り込みに対し、シンディと呼ばれた銀髪の少女は、冷たい視線を向ける。


「ごめんね、リタはちょっと黙っててもらってもいい? ボクは今、この人の話を聞きたいんだ」


 言葉面は柔らかく、しかし有無を言わせぬ声色でそう言われ、栗色の少女──リタは、苦虫をかみ殺したような顔で黙ってしまう。


「……で、どう? 壁役でもヒーラーでも、一人前にこなせるっていうことなのかな」


「はい! そう考えてもらって、問題はないと思います!」


「ふぅん……」


 顔を上げて、真っ直ぐに目を向けてくる少年の姿を見て、銀髪の少女シンディは、顎に手を当てて考え込む。

 そして、


「……ツバキはどう思う?」


 そう、三人目の少女に視線を向けた。


 視線の先にいるのは、ひたいに白い布──彼女の生まれ故郷ではハチマキと呼ぶ──を身に付けた、黒髪の少女だ。

 異国風の服装をしていて、抜き身の刀のような凛然りんぜんとした空気と、それを包む柔布のような柔和な空気とを同時に備えている──そんな雰囲気の少女である。


「私は、能力さえ伴うなら一向に構わない。人格に関しては、度が過ぎなければ黙認するよ。私とて、他人のことをとやかく言えた筋合いではないしな」


 ツバキは淡々と、そう答える。

 そしてこのツバキの発言に、隣の銀髪の少女もうなずく。


「……そうだね、ボクも同意見。多少変なところがあるのは、ボクだって一緒だしね」


 この流れに慌てたのは、最初の栗色ポニーテイルの少女、リタである。


「──ちょ、ちょっ、ちょっと待てよ! 二人とも、こんなアホを仲間に入れるつもりかよ!? 冗談だろ!?」


 これには、銀髪の少女シンディが応じる。


「……リタはやっぱり嫌?」


「嫌に決まってる!」


「どうして?」


「ど、どうしてって……だ、だって、『女の子が大好きです』なんて堂々と言う色欲しきよくまみれの男と、パーティを組もうって方がどうかしてんだろ!」


「んー……でも、素直でいいんじゃない? 男の子なんだし、実際そういうものだと思うよ」


 自分の主張をあっさりと論破されたリタは、それでも悔しまぎれの反論をする。


「じゃあ何だよ、シンディはこいつが言い寄ってきたら、オーケーする気なのか!? こんな色欲魔のどこがいいんだよ!?」


 そう言ってリタは、渦中の少年をビッと指さす。

 しかし、シンディの方はあきれ顔で、


「……そんな話してないじゃない。少し頭冷やそうよ、リタ」


 そう冷静に突っ込むばかりだ。


「~~っ! 分かったよ! あたしが悪いんだろ! じゃあ頭冷やしてくる! バイバイ!」


 完全に居場所をなくしたリタは、捨て台詞を吐いて席を立ち、宿部屋のある二階へ、どすどすと上がって行った。

 そしてしばらくすると、軽装の革鎧レザーアーマーと、小剣ショートソードや何本かの短剣ダガーを身に付けた姿で二階から降りてきて、三人のほうを一瞥いちべつすらせずに、またどすどすと酒場の外に出て行った。


「……あの人、リタさんっていうんですよね? 武装していったみたいですけど、どこに行ったんでしょう?」


 少年が、残った二人の少女に向けて、心配そうに聞く。

 これには、黒髪の異国風少女、ツバキが答える。


「大方、ダンジョンだろう。モンスター相手に八つ当たりだな」


「……一人で、大丈夫なんでしょうか?」


「ああ見えて、有能な探索者エクスプローラーだ。深層に潜らなければ、そうそう大事だいじは起こるまいよ」


 そう言ってツバキは、木製のお猪口ちょこに入った、透明な米酒を飲み干す。

 しかし一方、シンディは少し心配そうな顔をする。


「……でも、リタって頭に血が上ると、後先考えなくなるようなところあるよ? 大丈夫かな……」


「むっ……」


 シンディの言葉を聞いて、ツバキも眉根を寄せる。

 思い当たる節があるようだ。


「──俺、追いかけてきます!」


 二人の反応を見ると、少年はそう言って、すぐさま酒場を出て行った。


「あっ、ちょっと待っ──行っちゃった……」


 シンディが手を伸ばして呼び止めようとするも、間に合わない。


「……ボクたちも追いかけようか?」


 シンディがツバキに言うが、ツバキの方は、据わった目で席から動こうとしない。


「……ふん。どうせ大事は起こるまいよ。仮に何か起こったとしても、それはリタの自業自得だ。そんなことまで面倒は見切れん」


 そう言ってお猪口に酒を注ぎ、飲み干す。

 そのツバキに対して、シンディは冷たい目を向け、


「……ツバキのそういうところ、ボクは少し、冷たいと思うな」


 そう言って二階に上がって行った。


「…………」


 独りになったツバキは、空になったお猪口を見つめ、沈黙する。


 しばらくすると、二階からシンディが降りてきた。

 自分の分と、ツバキの分の武具や荷物を持ってきたシンディは、


「はい。行くでしょ」


 そう言って、ツバキに彼女の装備を差し出す。


「……まったく、お前には敵わん」


 ツバキは装備を受け取り、立ち上がった。




「──リ、リタさんっ!」


 ダンジョンへ行く道は決まっている。

 走って追いかけた少年は、歩幅の小さな大股歩きで歩いていたリタに、露店の立ち並ぶ道端で追いついた。


「何の用だよ、色欲魔」


 人でごった返した露店通り。

 リタは早歩きの足を止めずに、かつ後ろを振り返りもせずに、言葉だけを発する。

 その真後ろを、少女と同じ歩幅で、少年が追いかける。


「はぁっ……そのっ……リタさんが、心配で……」


 少年がそう言う間に、リタは横道へと曲がり、人通りのない裏路地へと足を進める。


「テメェに心配されるいわれはねぇ。色欲魔にストーキングされる方がよっぽど心配だ」


「で、でも……」


 少年がなおも追いすがると、もうほとんど人気ひとけのなくなった場所で、リタが足を止める。

 そして、流れるような動きで腰の小剣を抜きつつ、振り向きざまそれを、少年の首筋へと当てた。


「うるせぇ。ついて来んな。殺すぞ」


「……ま、街中で、刃物沙汰は、まずいんじゃないかな、と」


 少年は冷や汗を浮かべながら、両手を上げて降参のポーズ。


「テメェがついてこなければ刃物沙汰にならねぇよ。分かったら、あたしの周囲百メートル以内に近付くな。いいな」


「は、はい……」


「……ふんっ」


 少年の了承を確認したリタは、小剣を腰のさやに収め、立ち去ってゆく。

 あとに残された少年は、


「……はぁ。百メートル以内かぁ」


 そう言って、がっくりと肩を落とした。




 ダンジョンに入ったリタは、ツバキが予想した通り、ダンジョンのモンスター相手に八つ当たりをしていた。

 襲い掛かってくるコボルドやゴブリンなどの雑魚モンスターたちを相手に、俊敏な動きでもって次々と急所を斬り裂き、あるいは貫いてゆく。


「ちっ……あたしの方がおかしいってのかよ」


 倒されたモンスターが消滅し、そのあとに残る宝石を拾いながら、リタはひとり、悪態をつく。


「くそっ──こんな雑魚相手じゃ、気も晴れやしねぇ」


 そして彼女はさらに、ダンジョン“無限迷宮”の深くへと進んでゆく。




 リタが自分の失態に気付いたのは、第三層の奥まで潜ったときだった。


「しまった、『転送石てんそうせき』持って来てねぇ……」


 リタは道具袋を確認し、歯噛はがみする。

 『転送石』は、リムズベルの街に建設された専用の転移所てんいじょに、瞬間移動することが可能な帰還用のアイテムである。

 一回使い切りの消耗品で、今、リタの道具袋にはそれが入っていなかった。


「ちっ……しょうがねぇな、いい加減、戻るか」


 リタが自分の迂闊うかつさを呪いながら、帰還のへ着こうとした、そのときだった。


「ぐるるるる……」


 リタの帰り道を塞ぐように、一匹のモンスターが、道の奥から姿を現したのである。

 それを見て、リタの顔に驚愕きょうがくが浮かぶ。


「なっ……! イグニスビースト──じゃねぇ、その特別変異種ミュータント……!」


 その全身が炎に包まれたモンスターは、大型犬を、馬ほどにまで巨大化させたような姿をしていた。


「やべぇ……あたし一人で倒せる相手じゃ……逃げ切れるか……?」


 リタは小剣を逆手に構え、道の先から迫ってくるモンスターを注意深く見据えつつ、額には冷や汗を浮かべる。


 通常のイグニスビーストというモンスターは、普通の大型犬ぐらいの大きさで、それならばリタの実力で十分に対処できる相手だ。

 だが、“無限迷宮”に稀に発生する“特別変異種”が相手となると、話はまったく変わってくる。


 特別変異種は、通常の個体よりも大幅に体が大きいばかりでなく、敏捷性をはじめとした様々な能力も、通常の個体と比べて段違いに大きい。

 イグニスビースト級のモンスターの特別変異種となると、リタ一人で相手にするのはとても無理だし、シンディ、ツバキとの三人がかりでも、勝てるかどうか分からないほどの相手だ。


「くっ……」


 リタは焦る。

 敏捷性自慢のリタをして、イグニスビーストの特別変異種には、その俊敏さにおいてすら勝てる気がしない。


 その巨大炎獣(えんじゅう)は、獲物を追い詰めるかのように、じりじりとリタに近付いてくる。

 リタは、後ずさりしたくなる気持ちを必死に押さえ、その場に踏みとどまる。


 この道は、リタが地上へと戻るために必ず通らなければならない、不可避の通路だ。

 あの巨大炎獣の脇をどうにかすり抜け、向こう側に突破しなければならない。


 それに、もしあの獣に背を向けて逃走して、その先で別のモンスターの群れにでも出会ったら、それこそデッドエンドだ。

 モンスターはすでに倒した場所に再び『湧く』こともないではなく、あの巨大炎獣もリタが通っていない道から現れたのだろうが、それでも、すでに『掃除』してきた道へと逃げたほうが、何倍も安全だ。


「ふざけんなよ……こんなことで、死んでたまるか」


 リタは、徐々に距離を詰めてくる巨大炎獣の動きを、その一挙手一投足を見逃すまいと見据え、自分の挙動のタイミングを計る。

 そしてそのときに、何故か、街で追いかけてきた少年の声を思い出してしまった。


『そのっ……リタさんが、心配で……』


 そう、本当に心配そうな声で、必死に追いかけてきたあの少年。

 その少年に対し、自分はどんな仕打ちをしたか。

 色欲魔と罵り、喉元に刃を突きつけ、追い払った。


「──ざっけんな! 何でこんなときに、あんな色欲魔のことを!」


 そう、リタが回想を振り払うように叫んだ、そのとき──


「ぐぁあるるるるっ!!」


 彼我の距離5メートルほどまで近付いてきていた巨大炎獣が、そこで一気に飛び掛かってきた。


「──ちっ!」


 その襲い来る速度は、恐ろしく速い。

 リタも同時に、地面を蹴る。


 こちらに飛び掛かってくるそのとき、交差をするように、脇をすり抜ける。

 そうすれば、互いの速度が相乗的に働いて、一瞬の間に切り抜けられる──それが、リタの狙いだった。


 だが、そのリタの体が、横合いに跳ね飛ばされた。


「──がふっ!」


 リタの華奢な体が、通路の横手の壁に無惨に叩きつけられる。


 それは炎獣の手の鉤爪かぎづめが刹那の間に振るわれ、リタの体を捉えたのだが、もはや前後不覚のリタには、何が起こったのかすら分からない。


 ただ、全身の骨が砕けたような痛みと、鉤爪で腹部を深く引き裂かれた痛みとが、リタに、自分はもう死ぬんだと感じさせた。


 壁に激しく打ち付けられたリタの体が、ずるずると崩れ落ちる。

 その、もはや無抵抗となったリタに、炎獣がゆっくりと歩み寄ってくる。


 そして、その口が大きく開かれ、その奥から灼熱しゃくねつの炎が吐き出されようとしたそのとき──


 ──通路の奥から、一筋の太い氷槍ひょうそうが飛来し、巨大炎獣の横っ腹に突き刺さった。


「ぐるぁあああああっ!!」


 突然襲った攻撃に、絶叫を上げ苦しむ巨大炎獣。


「リタさぁぁぁあああああんっ!!」


 そこに、一人の少年が、とてつもないスピードで駆け寄ってきた。

 新たな敵の出現に、苦悶くもんしていた巨大炎獣が身構えるが、少年はその脇を、猛スピードで通り過ぎていった。

 崩れ落ちた少女の体は、少年に抱きかかえられ、運ばれて行った。




「んくっ……」


 リタが目を覚ましたのは、ダンジョン内の狭い一室だった。

 リタが目蓋を開くと、その見上げた先には、金髪碧眼の少年の顔があった。


 少年は、横たわったリタの腹部に両手を当て、治癒魔法でその傷を癒しているところだった。

 リタはその状況を見て、弱々しく言葉を吐く。


「……どうしてここにお前がいるんだよ、色欲魔」


 自分で言葉にしてみて、リタは、そうだ、と気付く。

 この少年にはついてくるなと言ったし、実際についてきていないのも、確認していた。

 自分のピンチに都合よく駆けつけられるはずがない。


 しかし少年は、事もなげに言う。


「言われたとおり、百メートル以内には近付きませんでしたよ。でも、リタさんの状況は魔法を使って確認していました。問題なく帰れるようなら、姿を現すつもりはなかったんですけど、さすがにアイツはヤバイと思って、百メートル以内に入っちゃいました。すみません」


 そう言って少年は頭を下げる。

 魔法はリタの専門外なので、そんな魔法が存在することを、リタは知らなかった。


「……なんだよそりゃ。魔法ってのは怖ぇな。ってかそれ、本物のストーカーじゃねぇか」


 リタはそう言いながら、内心では、それは違うなと思っていた。

 この少年は、本当に自分を心配して、見守っていてくれたのだろうと思った。


 そうこうしているうちに、リタの傷の治癒が完了する。

 傷も完全に塞がり、一部衣服と鎧が破損していることを除けば、リタは完全な健康体に戻っていた。


「……お前、何であたしを助けたんだよ」


 元気になったリタは、横たわっていた体を起こして、あぐらをく。


「何で、っていうのは?」


「あたしはお前のことを、散々拒絶したんだ。そんなあたしを、お前が助ける義理なんてないだろ」


「……そうですか?」


 少年は首を傾げる。


「そうだよ。だいたいお前は──」


 リタがそう、言葉を続けようとしたときだった。


「──ぐぁああるるるるるっ!!」


「なっ──!」


 あの巨大炎獣のえ声が聞こえて、リタはびくりと体を震わせた。

 そしてきょろきょろと、自分のいる部屋を確認する。


 部屋は石造りの狭い一室だったが、その入り口の石扉が、ガンガンと揺らされていた。


「うわぁ、結構執念深いなぁ。しばらく何もしてこなかったから、どこか行ったかと思ってたのに」


 少年が呑気のんきに、そんなことを言う。

 一方のリタは、ガタガタと体を震わせ、その震えを止めようと、自らの体を抱く。

 先刻の体験が、恐怖となってリタの体に染みついてしまっていた。


「お、お前……転送石、持ってないのか?」


 リタは少年に聞くが、少年は首を横に振る。


「すみません。お金がなくて、買ってないんです」


「──くそっ!」


 リタも持っていないのだから、そこは少年を責められない。

 リタは必死に、体の震えを止めようと、自分の体を押さえ込む。


 だが、止まらない。

 怖い。

 怖い。

 怖い。


 ──そのときふわりと、リタの体を、少年の腕が包み込んだ。

 少年が、リタを抱き締めたのだ。


「なっ……」


 リタの体が、瞬間、強ばる。


 しかしすぐに、少年の温かい腕に包まれて、リタは安らぎを覚えた。

 リタの体の震えが止まる。


 少年の体が、リタから離れてゆく。


「……この、色欲魔」


 リタは顔を赤くして、拗ねたように言う。


「すみません、怖い想いをさせてしまって。できれば振り切りたかったんですけど、向こうも結構素早くて、無理でした」


「……たりめーだ。あたしが敏捷性で勝てない相手だぞ。器用貧乏の足で、あたしを抱えてこんな場所に逃げ込めただけでも、奇跡としか思えねぇ」


「すみません。俺、リタさんと二人でゆっくり話したくて。そんな機会なんてほかにないと思ったから、ここに閉じこもりました。魔法で施錠せじょうをしてあるので、アイツはここには入って来れないはずです。──少し、お話しませんか?」


 リタはこの少年の物言いに、妙な違和感を覚えた。

 どこか、会話がかみ合っていない気がする。

 しかし、リタもこの少年と話をしたかったから、気にせず彼の提案に乗ることにした。


「そうだな。さっきの質問の答え、まだ聞いてねぇしな。──なんでお前、あたしにこんなにしてくれるんだよ」


 リタがまた、顔を赤らめながら、ねたように言う。

 その質問に、少年は凄く難しいことを聞かれたというように考え込み、そして言う。


「リタさんに、何かあったら嫌だから──では、答えになりませんか?」


「ならねぇ。だから何で、さっき初めて会ったばっかで、あんなにお前をひどく扱ったあたしに対して、そんな風に思うんだよ。お前ちょっと異常だよ」


 そうすると少年はまた考え込んでしまう。

 そして、うーん、うーんと考えた末に「これはすでに言ったことなんですけど」と前置きをして、自身の見解を言った。


「俺、女の子が大好きなんです」


「……は?」


 これには、リタの目が点になった。

 いや、確かに言われはしたが……と、酒場での最初の出会いを思い出す。

 少年はさらに、主張を続ける。


「特に、リタさんみたいな可愛い人は、大、大、大好きです。だから、ちょっとぐらい邪険にされたって、そんなのはご褒美です。嫌う理由になんてなりません」


 少年があんまり率直に言うものだから、リタは呆気あっけに取られてしまう。

 が、すぐに面と向かって「可愛い」と言われたことに気付いて、赤面してしまう。


「お、おまっ……アホだろ」


「そうですか?」


「そうだよ。……あー、もう何かあたしもアホらしくなった。──分かった、もういいよ」


「……? いいって、何がですか?」


「パーティに入るの。反対してんのあたしだけなんだろ? いいよ、入れよ」


 リタが照れくさそうにそう言うと、少年はぱああっと、表情を輝かせる。


「ほっ、ホントですか!?」


 そう言ってリタの手をがしっと握る。


「あ、ああ。お前が悪い奴じゃないって、何となく分かっちまったしな」


「やったあ! ありがとうございます、リタさん!」


 少年はそう言って、がばっとリタに抱きついた。


「わっ、バカっ、テメェっ! 何どさくさに紛れて抱きついて来てんだ!」


 少年にぎゅううと抱き締められたリタは、顔を真っ赤にして大慌て。


「リタさんの体、柔らかいです! いい匂いです!」


「てめっ、ホンモノの色欲魔じゃねぇか! 離せっ! 殺すぞ!」


「すみません、もうちょっとだけ」


「もうちょっとだけ、じゃねぇえええええっ!」


 どうにか引っぺがされた頃には、少年はご満悦で、少女は完全にだこ状態であった。


「はぁ、はぁ……でも、パーティに入れるったって、この状況を抜け出せて、街に戻れたらだぞ」


 そう言って茹で蛸リタは、その狭い部屋の入り口の扉を指さす。

 その扉はいまだ、ガンガンと揺らされ続けていた。

 部屋の外には、あの巨大炎獣がいるのである。


「はい。じゃあ──そろそろ、帰りましょうか」


 が、少年が当たり前のようにそう言ったので、リタは眉をひそめてしまった。


「帰るって……お前も転送石、持ってねぇんだよな?」


「はい」


「じゃあどうやって帰るんだよ」


「徒歩で」


「いやだから、アレどうするんだよ」


 リタが言って、ガンガンと揺らされる扉を示す。

 すると、少年はあっさりと、こう言った。


「倒します」


「……は?」


 リタが、何を言っているんだこいつは、という顔で少年を見る。

 が、すぐに合点がいったというように、呆れながら言う。


「……あのなぁ。お前は分かってないかもしれないけどな、アレの強さはハンパじゃねぇんだぞ。あたしとシンディとツバキ、三人がかりでも勝てるかどうか分かんねぇ相手だ」


「そうかもしれないですね」


「ああ。まして、器用貧乏のお前とあたしの2人だけで、倒せるような相手じゃねぇよ」


「それは違います。だから、言ったじゃないですか。俺は器用貧乏じゃないです」


 そう言って、少年は扉のほうを向く。


「──俺は、何でもできるんです」




「いや……お前、何言って……」


「リタさんは下っていてください。アイツは俺が仕留めます」


 そう言って少年は、自身の腰の鞘から長剣ロングソードを抜く。

 そしてまずは、自らの武器に魔法を付与する。


「我がかいなの先、我がかたきを打ち倒す刃に、凍てつく氷の灯火を与えん──『氷結武器アイシクルウェポン』!」


 少年が手早く呪文を唱えると、彼が手にした長剣に、ボウッと青白い炎が宿る。

 ただし、それは実際には炎ではなく、逆にすべてを凍てつかせる冷気をまとったものだ。


 そして少年は、矢継ぎ早に次の呪文を唱える。


「我がみちを塞いだ扉の錠、汝に最早、我が途を閉ざすこと許さじ──『開錠アンロック』!」


 それは少年自身が魔法で閉じた扉を、再び開放するための魔法だ。

 部屋の入り口の扉で、何かが弾けたような音がして、その扉が自動的に開いてゆく。


 その奥には、あの馬ほどの巨体を持った、特別変異種のイグニスビーストがいた。

 それを見たリタの体が、再び恐怖の震えに襲われる。


「すみませんリタさん。ちょっとだけ我慢してください──すぐに倒しますから」


 少年はその巨大炎獣を見据え、冷気を纏った長剣を構える。

 少年と巨大炎獣は対峙たいじし、じりじりと間合いを計って──


「ぐぁるるるるぅっ!」


 ──巨大炎獣が、跳んだ。

 リタに対してそうしたように、瞬く速度で少年へと襲い掛かる。


 そして、その手の鉤爪が振るわれる。

 リタが目視することすらできなかった、あの瞬速で振るわれる。


 少年の体は、しかし、そこにはなかった。


「ぐるぉおおおおおっ!」


 逆に、苦悶の叫びを上げたのは、炎獣のほうだ。

 その鉤爪のある腕、右腕の付け根が、剣で斬られたように斜めに凍り付いていた。


 そして少年はいつの間にか、飛び掛かってきた炎獣の横手に回っており、次の攻撃モーションへと移っている。

 巨大炎獣に対して半身になり、剣を持った腕をいっぱいに後ろに引いていた少年は──


「いきます──『十字星突サザンクロス』!」


 目にも止まらぬ速度で、剣による刺突しとつを連打した。

 ととととと……という小気味よい音を立てて、剣は巨大炎獣の胴に突き刺さる。

 その九ヶ所の傷口から、メキメキと氷が生えるように氷結してゆき──


 ──バンッと音を立てて、巨大炎獣はその場から消え去った。


 後には、一際大きな宝石が、地面に転がる。


「なっ……あ……」


 信じられないものを見た、という様子で尻もちをつくリタ。

 でもその体の震えは、止まっていた。


 少年は、巨大炎獣が落とした宝石を無造作に拾い、リタの元まで行って、手を差し伸べる。


「それじゃ、帰りましょう」


 あどけない笑顔で言う少年に対し、


「う、嘘だろ……」


 リタは呆然としながら、差し出された手を取ることしかできなかった。




 そして、そのダンジョンでの帰り道。

 少し落ち着いたリタは、前を歩く少年に向かって話しかける。


「そういや、お前の名前聞いてなかったな」


「はい。俺はニノっていいます」


「ニノか。……でさぁ、ニノ。思ったんだけど、あいつ倒せるなら、何で最初っから倒さなかったんだ?」


 リタが疑問を口にする。


「うーん、大怪我をしていたリタさんの治癒を優先させたかったっていうのが一つです。それともう一つは、もう言いました」


 ニノのその言葉に、リタは首を傾げる。

 しかし次の瞬間、リタの脳裏に先刻の言葉がよみがえった。


『すみません。俺、リタさんと二人でゆっくり話したくて。そんな機会なんてほかにないと思ったから、ここに閉じこもりました』


 リタの頭の中で、あのときの違和感──掛け違われていた会話のピースが、ぴたりとはまる。


「なっ……ニノお前、そんな理由で、あの状況を利用したのか?」


「そんな理由って言いますけど、俺にとってはすごく大事なことなんですよ」


 リタの言葉に、ニノはぷりぷりと可愛らしく怒る。

 が、リタにとってはそんなことはどうでもいい。

 それよりも──


『すみません、怖い想いをさせてしまって』


 あのときの少年の言葉が、リタの記憶に蘇る。

 さらに、


『……この、色欲魔』


 ニノに抱かれて、しおらしくなってしまった自分の姿を思い出し、羞恥に震える。


「……テメェ、言葉の意味合いが、全然違ってくんじゃねぇかああああっ!」


「えっ、な、なんですか突然!? わっ、剣振り回さないでっ! 刃物沙汰はどうかとっ!」


「いいんだよ街中じゃねぇから!」


「良くないですよぉおお!」


 そうやってニノがリタから逃げ回っていると、ダンジョンの通路の向こう側から、見知った二人の少女が姿を現した。


「よかった、二人とも無事だったんだ。イグニスビーストの特別変異種が目撃されたとかで、ダンジョンに入場規制が掛かっちゃって──って、何してるの?」


 リタの小剣をニノの長剣が受け止め、鍔迫つばぜり合いをしている男女の姿を見て、シンディが首を傾げる。


「こいつにけがされた! あたしもうお嫁に行けない!」


「えええっ! 穢されたって、大袈裟おおげさな! ちょっと抱いただけじゃないですか!」


 その二人のやり取りを聞いて、額に青筋を浮かべたのは、シンディの横にいた黒髪の少女だ。

 その少女、ツバキは、やや酔いの回った赤ら顔と据わった目で、ニノを睨みつける。


「穢された、抱いた……だと? ……そうか、度が過ぎねば黙認するつもりだったが、レ○プ犯であるならもはや容赦する理由はないな。──貴様、そこに直れ! 私がその首、たたき落としてくれる!」


 そう言ってツバキが、腰の刀を抜く。


「えええええっ!? 何でそうなるんですかぁ! うわぁあああんっ! 俺は可愛い女の子たちに囲まれて楽しく冒険したいだけなのにぃ!」


 ニノは言いながらリタを押し返し、とんでもない敏捷性でシンディたちの脇を通り過ぎてゆく。


「待て、この色欲魔!」

「尋常に首を落されろ、外道!」


 それを追いかけてゆくリタとツバキ。

 そして最後に残されたシンディは、三人が去って行った方を見て、首を傾げる。


「あの調子だとリタ、彼と打ち解けたのかな?」


 長年連れ添った仲間にしか感じ取れない機微を見抜き、少女は少し、微笑んだ。


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