① 一章
「なるほどここが噂に聞いていた混沌の坩堝か」
「はい、そのようでございますね」
「いやぁ、見れば見るほどすごい場所ですねぇ」
一人の少年と、彼の後ろに控える二人の少女。彼らの眼前には巨大な門の姿があった。ビルの高さにして四階分ぐらいだろうか。人類の英知と莫大な資材、そして効為と呼ばれる現代の魔術を混ぜ込んで作られたそれは、しかしある意味では一歩通行なものだった。すなわち入る者ではなく、出るものを拒むための堅牢さだ。
そして、それと存在理由を同じくする城壁が視界の端まで続いている。だだっ広い荒野には、城壁とのサイズの違いから砂粒のように見える人影がポツリポツリと見え、それよりも遥かに多い機械製の見張りの姿が見える。
その場所は現代において最も多くの人が住み、そして同時に住人以外には最大の禁忌として扱われている場所。名を『隔離都市カラディア』。推定人口はおおよそ五千万。もはや国と言ったほうがいい規模のそれは、しかし紛れも無く都市だった。
いや、ある意味では一般的な都市以下と言ってもいい。なぜならそこには一切の法が存在しない。
警察もいなければ倫理も道徳なく。
ものを盗もうが人を殺そうが何の罪に問われることも無い。
いや、そもそも罪を問うものがおらず、“罪”というものの定義すらない。他人の命など何の価値も持たず、外の常識が何一つ通用しない、そんな場所だった。
外に住むものの中には、『獣と悪魔の住まう場所』などと言う者もいるが、それは極めて正しい表現と言えるだろう。なぜならそうした者が送られてくる場所ではあるし、何よりまともな人間は生きていけないような環境だからだ。
そして、そんな都市の唯一の入り口に三人は歩き出した。門の近くにいた兵士達は、その姿に気づくと手に持った銃を一斉に向けた。
けれど、隊長らしき人物が銃をおろすと、怪訝そうな表情で三人に歩み寄った。
「おいおい、どこの坊ちゃんだか知らねぇが、ここは観光地なんかじゃねぇぞ?」
口は悪いが、三人の身を案じている辺り悪い人物ではないのだろう。と、言うよりもこの場合悪いのは三人の格好だった。
真ん中の少年は、男にしては長い黒髪にいかにも高級そうなベストとスラックスに身を包んでいるし、その後ろに控える二人には至ってはあろうことかメイド服姿だった。これでは物見遊山のお坊ちゃま一行と思われても仕方ないだろう。
「いやいや、僕の目的地はここで間違っていないよ?なあ?」
「はい、そのとおりです」
それで納得出来るはずも無い隊長は、彼らを何とか説得しようとした。
「いいか、この場所はだな……」
「知ってるよ、どんな場所かは。そして僕らがなぜここに来たのかも、僕等の正体を、効為者だということを知ってくれれば納得してくれるはずさ」
「ああ、そういうことか……」
少年の言葉を聞いた途端、隊長は彼らを説得する必要が無いことを悟った。なぜなら彼らはここに来るべくして来た、と言うことを知ったからだ。
効為者。つまり彼らは人権の認められていない、それどころか人として扱われない人類ということになる。
それでも、哀れみのこもった視線を向けてしまった男に、少年は何故か笑みを浮かべた。
「ああ、別に同情してくれなくてもいいよ。もともと僕はこの場所に来たかったから来たんだし。何もかもを国に管理された生活よりも、この場所のほうが面白そうじゃないか?」
「そうかい。じゃあ、せめて中では死なないように気をつけろよ」
男は今までいろんな者がこの都市に入っていくのを見てきたが、その多くは三つのパターンに分かれていた。
一つは重大な犯罪を犯した者。そしてもう一つは外じゃまともに生きていけないくらい思考のイカレた者。そして最後は効為者だ。
彼らはその二番目と三番目だったと言うわけで、服装は珍しくとも今まで彼が通してきた人間達と何も変わらなかった。まあ、そもそも彼が何を言ったところで、彼に中に入ろうとする者を止める権限などは無いのだが。
ゆっくりと開く門を前にして、なおも笑っている少年の姿を見て、隊長はため息をついた。引き止めてやるだけ無駄だった、と。
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「いやー楽しみだね。実にたのしみだ!こんなにわくわくするなんて久しぶりだよ!あの場所を出てきてよかった」
実際の、そして見た目の十七歳という数字に見合わず子供のようにはしゃぐ彼、一ノ瀬悠。彼の後ろを歩く二人の少女―――肩口で切りそろえた黒髪に、いかにもまじめそうな雰囲気、礼儀正しい口調の立花愛理と、対照的に背中まで伸びた茶髪で、いかにも快活な少女、篠宮渚は彼の言葉にうなずいた。
「ええ。悠様が喜んでいらっしゃるのならそれが最善かと」
「まぁさっきのおっさんも今までなかなか周りにいなかったタイプの人間ですしねぇ」
彼女らの、特に渚の言葉に悠は笑いながら何度もうなずいた。
「そうだよね!あんなちっぽけな存在で、まさか僕に同情するなんて、今まで見たことが無いくらい滑稽だよね!おまけにあんなおもちゃまで向けてさ!あんなもので自分の身を守れると思ってる辺りが最高に面白かったよね!」
あははははと、たがが外れたかのように笑う悠に、二人のメイドはただ黙って付き従っていた。無駄なことをしゃべって主人の喜びに水を注すつもりは無かったし、そもそも彼がこんなにも喜んでいるのは今までに無いことだった。普段の彼はただひたすらに機嫌が悪く、そしてその不機嫌は時として彼女達に暴力と言う形で振るわれていたから、彼女達にとっても彼の機嫌が良いのは喜ばしいことだった。無論、その程度で揺らぐような忠誠ではこんな地獄にまで彼に付き従おうとはしないだろが。
重厚な門が開く音とともに彼の笑みも深くなっていった。
「さあ、この中にはどんなすばらしい光景が広がっているんだろうか?きっと見たことも無い、いや視たことがあったとしても実際に見ると感動してしまうような光景が広がっているんだろうなぁ!」
そうして、絶望の渦巻く隔離都市に、真っ黒な悦びをまとった三匹の獣が新たに加わった。