ぼくらの歌は、あわわわぁ〜♪
「よってぇ! 私は断言するっ! あの××は肥だめの中から生まれたウンコマンだとっ! 糞野郎だ! 露悪を信奉し、周りに毒をまき散らす煙突野郎だっ」
とある町の商店街にあるカラオケ店の12号室にその声は響いた。マイクで拡張された声は僕たちの鼓膜を破らんばかりの音量だった。
今マイクを持って雄弁しているのが斉藤という名前のエロゲーマニアである。××に恐喝紛いのことをされた憂さをこのように大声を出して発散するのが斉藤の
「カラオケ」
であった。そのかわりまったく歌わない。あの歌は例外として。
僕はそんな斉藤を冷めた目で見ていた。この斉藤の弁論だか主張だかは1時間は続く。待っているものにとっては迷惑であり、最初の10分間は曲選びに使うことができるが10分を過ぎると曲を選び終えそこからずっと斉藤の主張を聴かねばならないのだった。
「つまり、私たちは立ち向かわねば---」
斉藤の主張が響きわたる部屋の中でソファにきっちりと座って文庫本を読んでいる者がいた。斉藤の声は彼の黙読する力に負けているようだった。 彼の名前は熊内という。寄り弁大王の称号を欲しいままにしている読書がフェイバリットの男の子である。
この僕を合わせて3人の男たちは単に斉藤が主張をするからというわけでカラオケに来たわけではない。僕たちはこの場に相応しいことをするために来たのである。
「・・・なのだ!! はぁはぁ」
斉藤の主張が終わったようである。彼は額の汗を拭うと僕たち双方の顔を見比べて頷いた。
それは斉藤の合図で、いつも締めくくりにすることを僕たちに促すものだった。
僕は仕方なく立ち上がり斉藤の元へ行った。 しかし熊内だけは文庫本から顔を外さず、ソファに座っていた。
「熊内、最後のやつやるぞ。本は後で良いだろ」
斉藤がマイクを使って言った。しかし熊内は反応しなかった。
「ふぃ〜、活字中毒っていうのも大変だね〜」
斉藤が僕を見て言った。僕は曖昧な笑みを浮かべた。
「この集まりにいったい何の意味があるんだ」
熊内が突然口を開いた。顔は文庫本から上げていなかった。
「ぼくたちがここで論じ合ったりして傷の慰めあいをしてもあいつらは変わらずにぼくらを゛狩り゛に来る。弱者は弱者なんだよ」
文庫本のページが捲られた。室内は静かになった。
「何も変えられやしない。それだけ世界が手遅れだってことだよ」
熊内はそれから黙ってしまった。ぼくたちは黙々と読書をする熊内を眺めていた。
「この悲観論者がっ。悲観的観測しかできねえのかっ。お前こそ真の弱者だっ」
斉藤の声はマイクによって拡張され個室に響いた。
熊内は読書を止めようとはしなかった。
「斉藤、落ち着いて、」
斉藤をなだめようとぼくはそう言った。しかしぼくは斉藤の顔を見て次の言葉を口に出せなかった。
斉藤は涙を流していた。目を熊内に向けて見開いたまま涙を流していた。
「何をされても、自分の中に強い気持ちを持っとけよ。・・・おれらは社会的弱者じゃない! ただ制限された崩壊寸前の仮想社会の中で弱いだけだ! だからこれからこの状態がずっと続くわけじゃない! 解ってるのかよ!! 熊内! 学校では諦めたヤツが負けなんだよ! 高みを目指せば良いんだよ! 」
ぼくは熊内を見た。熊内の手は止まっていた。しかし顔は下を向いている。
「歌おう、ぼくたちの歌」
ぼくは言った。
斉藤がこちらを見た。
「おれは歌う。おれは弱者じゃない。高みを目指す者だ」
斉藤はマイクを握り直した。ぼくももう一本のマイクを取り口に近づけた。
「1・2・3...」
と斉藤がカウントした。そしてぼくたちは歌いだした。
♪~~~♪♪♪~♪♪~~♪♪
暗い闇が迫り来る~~
~~ぼくらの希望を奪うため
闇は変幻自在の体躯を走らせる~~
~~強い心根持ち続け、あわわわぁ〜
希望の光を追いかける、あわわわぁ〜~~
~~友よ、勇む前に負けるなよ
挫けそうにならば、この歌を口ずさめよ~~
ぼくらの歌は、あわわわぁ〜♪
あわわわぁ〜♪
あわわわぁ〜♪
あわわわぁ〜♪
♪♪~♪♪♪♪~~~~♪♪
歌い終わると斉藤はマイクを置いて個室のソファへ腰を乱暴に落とした。まだ涙は枯れていなかった。斉藤は腕を組んで下を向いたまま動かなくなった。
ぼくは熊内を見た。 熊内の文庫本のページは水分でふやけていた。熊内も泣いていた。熊内の唇は何かの歌を口ずさんでいるように微かに動いていた。