2,魔女
ここから一気に超展開になります。
文章も少なめですが、読んで頂けたら幸いです。
それではどうぞ。
部屋。
どことも知れない小さく奇妙な部屋の中、窓も出入り口も存在しない本当に奇妙な部屋の中。
おおよそ人の生活感とは無縁で、食料も水も存在しない部屋の中で魔女は笑っていた。
「ふ、ふふ、あはははははははっ!ふっ、くくっ、何て馬鹿なのかしら?この子、くくっ、本当に面白いわ」
視線が向けられているのは大きな水晶球、そこに映る篠崎ツバキの姿を見て魔女は本当に愉快そうに笑っていた。
人間では有り得ないと思われる長い瑠璃色の髪を揺らしながら、妖しいと表することが正しいと思えるほどの異常に整った顔を喜色満面に染めて少女のように笑っていた。
「ふふっ、本当にいつもいつも面白いわ。くくっ、あんなに、あそこまであからさまで馬鹿にしたくなるほどなのに欠片も気付かないで全く別のことを考えるなんて、くくっ、本当に可愛い子ね」
クスッ、と上品に笑って水晶球へと映るツバキを愛おしげに眺める。
魔女としてはツバキに想いを寄せる幼馴染という存在は少し気に入らない部分もあるが、それを全く理解していない、片鱗すら掴んでいないツバキの珍妙な応答はそんな気に入らない部分を補って余りあるほどに愉快で心地良い反応であった。
「くくっ、傍から見たら丸分かりなのに、ねぇ?ふふっ、救われないわねぇ、本当に思わず馬鹿にしたくなっちゃうくらいに、ね」
実際、心の中では馬鹿にしていたけれど。
と、胸の内で続けて魔女はニヤリと冷たい笑みを浮かべた。
まさか本当に欠片も理解されていないとは、言葉を途中で変更した臆病者も夢にも思っていなかったであろう。
「ふふっ、まぁ私にも想像つかなかったけれど、ね。ふふっ、本当に私が想像をつかないことをするのが上手ね、可愛くて愛しいツバキくん」
ニッコリと、ついさっき浮かべた笑顔とは真逆のやわらかな笑みを浮かべて魔女は水晶球に映るツバキを細くしなやかな指で撫でた。
彼を眺めているだけで『退屈』が『楽しい』に変わっていく、彼を眺めているだけで幸せが胸を満たしてくれる。
もはや魔女にとってツバキを眺めることだけが生活の全てとなっていた。
本当に、本当にあのとき退屈凌ぎの為だけにたった一人の人間に繋げてみて良かったと思える。
それは単なる偶然、だけどもそれが全ての始まりだった。
「ふふ、大好きよ、ツバキくん」
脳を惚けさせるような甘ったるい声で、水晶球に映るツバキへと話しかける。
無論、返事なんてものはなかった。
それは当然のこと。一方的にこちらが見ているだけで干渉などは出来ない壁を一つ隔てた向こう側、声を届けることなど叶わないのだから。
自分は今、世界の理から外れた時の狭間とでもいうべき場所に独りでいるのだから。
触れたくても触れられない、声を届けたくとも届けられない。そのことを少しばかりもどかしく感じる。
彼を囲う為の箱庭は、世界はもう出来ている。でも、何も出来ない、このままでは魔女には何も出来なかった。
「ふぅ、早く死んでくれないかなぁ、ツバキくん」
ポツリと呟いて、魔女は愛しいものを見つめる。
水晶球に映る彼の姿は脳天気で何処までも馬鹿みたいで、ちょっとやそっとでは死にそうな気配は全くなかった。
当たり前である、人間が日常生活をただ送るだけで死の危険なんてものは皆無に等しいなどということは魔女も理解している。
でも、死んでくれないと困るというのも事実であった。
とはいえ本当のところでは実際に死んでもらわなければならない、というわけでも無かったりする。
死に直面する、あるいは死に瀕する。その時なら世界との繋がりが揺らぎ、こちらへと引き込むことが可能。
後は箱庭である『世界』へと放り込むだけ。それだけなのだが、そのタイミングは一向に訪れるような気配はなかった。
「ふふっ、まぁ構わないけれどね。私はどれだけでも待つもの」
そう、最悪で天寿を全うするまで待つことになったとしても、そのタイミングで引きずりこめば良いだけなのだから。
そして、チョイチョイと身体を弄って肉体年齢と場合によっては精神年齢も戻してやるだけである。
それはどこまでも自分本位で自分勝手なエゴイズム。けれども、そんな自分のエゴイズムでツバキを染め上げることも魔女にはひどく甘美なものに思えて少しばかり頬を上気させた。
「ふ、ふふ、ふふふふふふふ」
昂揚する心の赴くままに可憐な唇の隙間から笑いを零していく。
「大好きよ、ふふふふ、本当に心の底から大好きよ。愛しい愛しいツバキくん、これからも私をもっともっと楽しませてね」
ニッコリと恋焦がれる少女のような満面の笑顔を浮かべて、水晶球に映るツバキの姿に口づけをする。
それからはツルツルとした水晶の感触しか伝わってこないが、今はそれで十分だった。
突発的な要因であるにせよ、天寿を全うするにせよ人間の生はいつか終わりを迎える。
待つ時間はもしかしたら一瞬かもしれない、あるいは80年以上になるかもしれない、もしくはもう少し短いかもしれない。だが、どれであるにせよ魔女には問題なかった。
もはや時の流れから外れた今の場所で悠久の時を過ごしているのである、あと少し待つくらい魔女には何でも無かった。