表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クレセント・ハート‐三日月のクレハ‐  作者: エメレンタールローヒ・スネオ
2/7

1,旗折師

 今回から本文が開始、という感じです。

 少し長めですが、読んで頂けたら幸いです。

 それではどうぞ。

 夕暮れの屋上。

 日没寸前の太陽が辺りを赤く照らし、全てを朱色に染め上げていた。

 屋上には誰も居ない、グラウンドの方から部活動に勤しむ声が淡々と聴こえてくるだけ。

(……この状況は、一体何なんだろう?)

 そう思い、呆然とこの空間に1人だけ佇んでいる学生服を着た少年‐篠崎ツバキは溜息を吐いた。


『話があるから屋上で待ってて』


 と帰るために支度をしている時に幼馴染から言われたので待っているのだが、その呼びだした張本人が一向に現れない。

 もう既に待ち始めてから1時間以上が経とうとしていた。

 何の用があって呼びだしたのか、そして呼びだしたくせに今どこで何をやっているのかは不明。

 とはいえ長時間たった1人だけで待たされて『いい加減、もう帰ってもいいんじゃなかろうか?』という思いが頭の中を巡り始めているというのが正直なところであった。


「……どうした、もんかなぁ」


 ハァ、と溜息混じりに独り呟く。

 流石にもう家へと帰りたいとそんな思いが頭を巡る、けれども呼ばれたのに勝手に帰るというのもそれはそれで何だかいけないようなことの気がして行動を起こすのは躊躇われた。

(……それに、このまま帰ったら……あいつ、怒りそうだしなぁ)

 呆然とフェンスに寄りかかりながら、今見上げている真っ赤な空の色と同じくらいに顔を真っ赤に染め上げて怒りを露わにする姿を想像する。


『あんた馬鹿じゃないの!あたし、待っててって言ったじゃない!?何で待っててくれなかったの!?』


 とそんな風に怒鳴り散らしてくる姿を想像する。

(……何て理不尽なんだ)

 自分で想像しておいてツバキは頭を抱えた。

 想像をした言葉の内容は『理不尽』としか表現できないものであった、だが本当にそんな言葉を言ってくるのが困ったところであった。

 それは幾度となく繰り返されたこと。

 何故かは知らないが友人と折り合いが悪いことが奇跡的なまでに多く、毎日のように買い物へと付き合わされたり、遊びへと『仕方なく』誘われることが多々ある。

 そして、家が隣同士だというのに何故か遠い場所で待ち合わせをする時はほぼ遅れてやってくるのがいつものパターンだった。ちなみに『ほぼ』という部分がまた困ったところで、遅れてくるからとたかをくくって自分も遅れていくと予定通りの時間に居る何ていうこともあったりする。

 最初、いつまで経っても来なかったので


『まぁ、そういうこともあるか』


 と自己完結をして帰宅したら烈火のごとく怒られた。理不尽な理由で怒られた。

 それ故に以降はどんなに帰りたくても帰らないようにしているわけなのだが、それでもそんなことは関係なくほぼ遅刻をしてくる。

 加えて、そのことを指摘すると


『な、何言ってんの?……えっと、その、待つのも男の甲斐性ってやつよ。甲斐性なし』


 と、頬を今見ている空のように赤く染めながら目を逸らすのである。

 どちらに転んでも理不尽なことには変わりなかった。


「……はぁ」


 全くと言っていいほどに溜息しか出てこない。

(……どうしたら、いいんだろう?)

 そうは思うが、どうしようもないと思う自分が心の中に居るのも確かだった。


「……う~ん、でも、そうだなぁ」


 空を見上げながらポツリと呟く。

 このまま帰ったら理不尽な理由で怒られるのは分かり切ったことであった。

 きっと想像したように今見ている真っ赤な空のような顔で怒鳴り散らしてくるのであろう。


「ハハッ、まったく」


 本当に溜息しか出てこない、とそう思ってツバキは苦笑をしながら肩を竦めた。

(……まったく、本当に)

 本当に理不尽だ、とそう思う。

 思えば昔から理不尽だったとそんなことを思い出す、本当にいつもいつも理不尽で理解不能なこと尽くめで驚いてばかりだったと。だけど、そんな理不尽に対して怒りだとか不満だとかいった感情は全く浮かんでこなかった。


「うん、まぁそういうこと、なんだろうなぁ」


 意味もなくウンウンと首肯をする。

 きっと慣れたのだろう、とそう思って想いを巡らす。

 今現在、呼び出したくせに待ちぼうけをくらわされているという状態を鑑みても『まったく、あいつらしい』という安堵にも似た奇妙な納得感しか浮かんでこなかった。

 これを『慣れ』というのだろう、とそんなことを思う。

 だから、例えこのまま来なかったとしても


『何か事情があったんだろう、そういうこともある』


 と自己完結して、まさか!何かの事件にでも巻き込まれたのでは!?とか冗談交じりに考えて『理不尽』に対して溜息を吐く方が何倍も良いとそんなことを思った。このまま帰って『理不尽』な理由で怒られるより何倍も馬鹿らしくて良いと。


「フッ、ケセラセラ……だったかな?」


「あんた、何ブツブツ独り言を言ってるの?」


 鼻で軽く笑ってうろ覚えの方言を呟いていると、不意に扉の方から声が掛けられた。

 直後、金属質な音と共に扉が閉まる音が屋上に鳴り響く。

 1時間以上も遅刻をしてようやく現れたようであった。

 彼女はまるで危ないものでも見るかのような眼でこちらを見ている。それは長時間の遅刻をしたとは思えないほどに理不尽で、思わず肩を竦めたくなるような、そんなひどい対応だった。


「ハハッ、まぁ誰かさんが人を呼び出した割には来ないもんだからさ、暇だったんだよ」


 苦笑をしながら寄りかかっていたフェンスから身体を離す。

 それまで危ないものでも見るかのような呆れた眼でこちらを見ていた彼女が少しうろたえるように身じろぎをした。


「うっ、それはその……えっと、ま、待つのも男の甲斐性ってやつよ!感謝しなさい」


 頬を少し赤く染めて彼女は取り繕うように目を横に逸らした、何故かは知らないが誇らしげに胸を張っている。


「……ハハッ」


 その台詞も仕草も想像した通りで、何とも理不尽だと感じるようなもので、ツバキはどこか安堵するかのような苦笑を洩らした。

 本当に何とも彼女らしいと思えるもので、とてもおかしくなった。

 彼女は屋上と屋内とを繋ぐ扉の前に立っていて、何故かその手には大きなビニールの買い物袋を抱えている。

 どうやら人を呼び出しておきながら今まで買い物をしていたようであった。

 理不尽だ、とそんな感想しか浮かんでこない。本当に彼女らしい『理不尽』だ、とそんな感想しか浮かんでこない。

(ホント……ヤレヤレって感じだよ)

 そう思い、ツバキは目を瞑って安堵するかのように息を吐いた。


「ん?何よ?その顔は?」


「へ?」


 不機嫌そうに眉を顰めた彼女に見咎められる。

 ツバキは意味が分からないと少しばかり呆然としたが、それを見て彼女は更に眉を顰めた。


「ふんっ!まったく……あんたって、いっつもそう。『僕には全部わかってますよ、お嬢様』とでも言いたげな顔をして」


「えっ?いや、そんな顔はしてないと……」


「してた!まったく、しょうがないお嬢様だなぁ、とかそんな顔だった!」


 即時の糾弾。

 反論は許さないとでも言うような断定の口調だった。

(……う~ん、そんなこといわれてもなぁ)

 気まずさに負けてポリポリと頬を掻く。

 曰く


『僕には全部わかってますよ、お嬢様』


 という顔をしていたらしいが、

(『僕』とか『お嬢様』とか間違っても頭の中には出てこないんだけどなぁ……)

 そもそも一人称自体あまり使わないし『お嬢様』なんて間違っても使ったりしない、とツバキはそんなことを思いながら漫然と顔を赤く染めている彼女を眺めた。

 不満げに唇を尖らせ不機嫌さを態度で表わすかのように明後日の方向を向いている。

理不尽‐そんな言葉が頭に浮かんでくる、帰っても帰らなくてもどちらにしろ怒られることには変わりないようであった。

今もチラチラと視線だけを向けながら、ブツブツと何かを呟いている。

(ふぅ、まったく……)

 彼女らしいと言えば彼女らしい、そう思ってツバキは当初思っていた通り『理不尽』に対して暖かい溜息を吐いた。

 やっぱり『慣れ』というやつなんだろう、とそんなことを思いながら。


「……むっ」


 溜息を見て、彼女がまた眉を顰める。


「……何かイラッとする溜息ね……あたしのこと馬鹿にしてる?」


「えっ?いや、そんなことないって」


「ホント?」


「ホントホント」


 彼女の問いに対して即座に頷いて肯定する。彼女は不満げに呻くが一応は納得してくれたようで渋々と引き下がってくれた。

 いい加減、話を先に進めたい。

そう思っての行動だった。

チラリと空を見ると、太陽が落ちかかっており夜になりかけていた。


「……あ~、それでさ。何か用事があるんだよな?呼び出したんだから」


「うっ、え、えっと……あ、当たり前じゃない!その、用件はある……ある。そう、ある!」


 何故か少しうろたえながら同じ言葉を何度も言って、気恥ずかしそうにそっぽを向く。

 その顔は周囲が夜の色に染まり始めているはずなのに、夕陽の色に染まっていた。


「……あの、その……ごめん、ね?待たせちゃった、よね?」


「え?うん、まぁ少なく見積もっても1時間以上は」


 そっぽを向いたまま視線だけをこちらへと寄こしたまま投げかけられた問いに対して素直に答える。

(……あれ?2時間くらい、だったかな?)

 返答をしてから少し考え込む、が今まで時間を確認してなかったので正確にどれほどの時間を屋上で過ごしていたかは分からなかった。

 2時間と言われれば2時間の気がする、3時間と言われれば3時間のような気もする。

(まぁ、いっか)

 とりあえず1時間以上なのには変わりないから嘘ではないだろう、とツバキは非常にアバウトなことを考えて自己完結した。


「……そっ、か。1時間以上、か」


「うん、まぁそうだね」


「あ、はは」


 力のない笑い。

 その笑いは何か絶望的なものを叩きつけられたかのような、それでいて何か安堵するかのようにも見える不思議な笑みだった。

(……妙だな)

 どうにも落ち着かない気分に襲われて所在なさげに頭を掻く。

 彼女は傍目から見ても明らかなほどに申し訳なさそうな顔をして、上目遣いでこちらを見つめてきた。


「うぅ、その、ごめんね?ツバキ。……あの、あたしだって、悪いとは思ってるの。いつもいつも遅れちゃって……その、好き好んで遅れているわけじゃないんだけど!……でも、いつも色々と迷っちゃって、今日も迷っちゃって、遅く、なっちゃって……ホントに、本当に、ごめんね」


「……」


 ツバキは何も言えなかった。

 それはとても弱々しい言葉だった。

『ふざけるな』

 なんて言葉は欠片も出てこないけれど、仮にそんなことを言って拒絶してしまったら全てが壊れてしまいそうなほどに弱々しくて……そんな言葉を口にする彼女も、今にも涙が零れ落ちそうなほど濡れた瞳をしていて、自分に許しを請うような怯えた態度をしていて、その姿はとても弱々しいと感じるものだった。

 その姿を、普段は絶対に見ないような彼女のそんな姿を見て

(……雨でも降るんじゃなかろうか?)

 ツバキは天気の心配をした。

 身体の芯からゾクゾクと震えがあがってくるのを感じる。

 彼女は動かない、上目遣いのままこちらを見つめている。おそらく何か言葉が掛けられるのを待っているのだろう。


「……」


「……」


 静寂。

 ツバキはそのまま空を見上げた。


「……ふむ」


「え?あの、ツバ、キ?」


 控えめに声を掛けられるが、取り合わずにそのまま空を見る。

 太陽はもう地平線へと隠れる寸前で綺麗な三日月がぼんやりと浮かんでいた、周囲には雲が1つも見当たらず雨が降る気配もなかった。

(……う~ん、やけにしおらしいから変な感じがしたんだけどなぁ)

 降りそうにはないな、とそんなことを思いながらパリパリと所在なく頭を掻く。

 いつも強気で『理不尽』なことをしてくる幼馴染の弱気なしおらしい姿、それは初めて見るものでとても不可解なものであった。

 いつも見る姿とはまるきり逆のもので、全くと言っていいほどに何も分からない。

 だが、不可解で何も分からないことの中から1つだけツバキは理解をした。

(……迷ったから遅れた、か)

 呆然と頭の中で彼女が口にした言葉の内容を反芻する。

 彼女の謝罪‐とても長くてたどたどしい口調で語られたそれは、本当に申し訳ないと心から思っていると実感出来るものだった。

 申し訳ないと思っているがゆえに長くたどたどしいものであったが、頭の中で整理して短く要約をすると


『遅れたのは故意ではない、迷ったから遅れた』


 となる。

 少なくともツバキはそんな風に要約をした。

(……そうなのか、方向音痴だったのか)

 今まで全く知らなかった、と心の中で呟く。

 きっと目的地に到達するまで何処とも知れない道を彷徨っていたのだろう、まったく分からない場所に出てしまって、それでも頑張って分かる道まで引き返したり地図を確認したりして最後まで諦めることなく頑張って待ち合わせ場所まで来ていたのだろう。

 そんな姿を想像してツバキは涙を流しそうになった。

 どんなに頑張っても変えることの出来ないもの、生まれながらにして持つ生来の気質だとか、そういったものがある。

(うん、無理なものは無理、そういうことってあるんだよなぁ)

 きっとそういうことなんだろう、とツバキはそんなことを思った。


「えっと、ツバキ?あの、何で目頭を押さえ……」


「大丈夫」


「え?」


「大丈夫、気にしてないよ。どんなに遅れても、どんなに待つことになったとしても、絶対に待ち合わせ場所には来てくれた。それだけで十分だよ」


「ふぇ?……えっと、ホン、ト?」


「うん」


 ニッコリと満面の笑顔で、彼女に良く見えるようにと大仰な仕草で首肯をする。

 自分は今、人生の中で最も素直な気持ちで最高に優しい笑顔を浮かべている。そんな自覚があった。


「……そっか。フフフっ、そっかそっか~」


 ウンウンと目を瞑って小刻みに頷く。

 その顔はそれまでの弱々しいものから一転して、みるみる明るさを取り戻していった。

 小さな笑みを零し、最後に景気づけるように一際大きく頷く。そして


「あははっ、うん!ツバキ、あんたって本当に馬鹿ね!」


 本当に、本当に嬉しそうな太陽のような笑顔でそう言った。


「……ハハハ、そうかなぁ?」


「うん!馬鹿、ホントにスッゴイ馬鹿!」


「アハハ……」


 思わず苦笑を洩らす。

 理不尽だ、と頭の中ではそんなことを思っていた。

 彼女は本当に嬉しそうな顔で『馬鹿』と連呼する。

 少しばかり顔が引きつり溜息を吐きそうになるが、今は慈愛の方が勝っているため顔は最高に優しいと思える笑顔を保っていた。

 このタイミングでどうして馬鹿という言葉が出てくるのかは理解出来ない、けれどそんな彼女らしい『理不尽』な姿に少しばかりツバキは安堵した。

 今の彼女は何か心の中に抱えていた懸案事項から解き放たれたような、そんなすがすがしい笑顔を浮かべている。

(きっと、自分の弱い部分を見せるのが怖かったんだろうなぁ)

 自分が方向音痴で目的地に着くまで長時間かかってしまう、という事実を改めて打ち明けるのは怖かったのだろう。

 自分から自分の弱い部分をさらけ出すことは簡単に出来ることじゃない、とそう思ってツバキは不可解だった彼女の弱々しい姿に納得をした。

 きっとこのことを言うために今日は屋上に呼び出したのだろう、とそんなことを思う。

 それほどに彼女は晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 そんな彼女の笑顔を見て、一つ苦笑をするように肩を竦める。

 ツバキも彼女がいつも遅刻をしてくる理由がハッキリして、今まで心の中でモヤモヤとしていた部分がスッキリと無くなった。

 これからも遅刻をしてきたとしても気長に待つことにしよう、彼女もその方向音痴という点に悩み苦労をしながらも頑張っているはずなのだから。

(うん、細かいことは気にしない)

 一つの頷きと共に決心をし、未だに綺麗な笑顔を浮かべている彼女の方に向かって歩き始める。


「それじゃ、そろそろ帰ろうか?」


「フフフっ……って、えっ?何?何か言った?」


「いや、もう暗くなり始めてきたからそろそろ家に帰らないって?」


「えっ?」


 言葉を聞いた瞬間に彼女がたじろいだ。

(あれ?用は終わったんじゃないの?)

 彼女の様子にツバキは少しばかり首を傾げる。


「……あ~、と、帰らないの?」


「だ、駄目っ!その、まだこ、こ……う~、とにかく駄目っ!まだ、え~と、そう!用はこれからなの!」


 彼女が慌てるように顔を真っ赤に染め上げて否定をする。用件はまだ終わっていなかったようであった。

 思わずパリパリと頭を掻く。

 月は先ほどよりもハッキリと見えるようになり殆ど夜になりかかっている。正直なところ早く家に帰りたい、というのが本音であった。

 頭をパリパリと掻きながら先を促す。


「え~と、それじゃ、その用事って?」


「うっ……それは、その、えっと」


「……?」


 ツバキは彼女の様子を見て、思わず首を傾げた。

 顔を真っ赤に染め上げて、何かを躊躇うかのように手をモジモジと動かしている。

(その用事を済ませる為に呼び出したっていうのに何でそこで止まるんだろう?)

 何か言いにくいことなのだろうか?と思考を巡らせながら何かを躊躇している彼女の姿を眺める。

 あるいは今、彼女が告げようとしていることは自分が方向音痴であると告白すること以上に打ち明けにくいことなのだろうか?

 彼女の姿を見てツバキはそんなことを思った。


「……ふむ、言いにくいことなら別に無理をして言ってくれなくてもいいよ?」


「え?」


 呆然と彼女がこちらへと顔を向ける。

 その顔を、赤みが無くなった真っ白な顔を見つめながら続きを口にする。


「何というかさ、そんなに言い淀むってことはさ、出来れば言いたくないことなんだろ?だったら……」


‐別に言ってくれなくても構わない、何も言わなかったとしても何も変わらない。細かいことは気にしないからさ。

 そう続けようとした瞬間、何か絶望的なものを見たかのような色を無くした表情で彼女が慌てて声を荒げた。


「駄目っ!それは、駄目!……その、今日は頑張って言おうって、そう心に決めてきたから」


「えっと、そう、なの?」


「うん……確かに、言いだすのは凄く怖くて、このままでも……まだ、このままでもいいかなって、そうも思う……でも!凄く怖い、けど伝えたくないわけじゃない……変わりたくないわけじゃないの」


「……あ~、そう、なんだ」


「……うん」


「……」


 コクリと消え入りそうなほど小さな声で返事をする彼女を見ながら、思わず呆然と頭を掻く。

 いったん真っ白になった彼女の顔は、言葉を紡いでいくにつれ紅潮していき今ではこれ以上にないと言えるほどに赤く染まっていた。

(……ふむ)

 どうしよう、と心の中で少しばかり焦る。

 ツバキには良く分からなかった。何が分からないのかというと、そもそも全体的に良く分からなかった。

 当たり前だ。これから伝えようとしていること、今はまだ彼女の中にしかない言葉を前提に独白しているのだから、それを知らない自分が分かるはずがないじゃないか。と、そんな風に心の中で言い訳をする。

 だから、今の言葉がどういうことなのかは分からない。けれど、今彼女は心の準備が必要なほどに何か大切なことを伝えようとしているということ。

それだけはツバキにも分かった。


「……うん、分かった。いや、何を言おうとしているのかは全然分かんないんだけど、とりあえず良く分かった」


「え?……えっと、その、どういう、こと?」


 控えめに、途切れ途切れに言葉を発しながら彼女が呆然と呟く。

 その瞳は何かに怯えるように揺れていた。

 その瞳を、その不安げな瞳を見つめながら言葉を続ける。


「大丈夫、何を言おうとしているのかは分からない……分からないけどさ、何を言ったとしても絶対に笑ったりしないし、馬鹿なことを言って茶化したりもしない。しっかりと言葉を受け止めるよ」


‐だって、その言葉は君にとって大切なことだと思うから。

 そう心の中で続きを呟いて、ツバキは静かに頷いた。


「…………その……ホン、ト?」


「ああ、ホントだよ、本当。ホントに本当」


「……そう、分かった」


 ポツリと、消え入りそうなほど小さな声で呟いて彼女も静かに頷いた。

 それはつい先ほど耳にした小さな声よりも更に小さな声で、本当に今まで聞いたことが無いような小さくか細い女の子の声だった。

 その言葉と同時に、それまで不安げに揺れていた瞳が安心を取り戻したかのように輝きを取り戻す。

 彼女は何かを決心するように一度目を瞑ってから改めてこちらへと瞳を向けた。


「それじゃ、今から、言うから……あたしの気持ちを、ずっとずっと前から伝えたかったことを言うから……最後まで、ちゃんと聞いてて、ね?」


「……」


 ウン、と無言で頷きを返す。

 元からそのつもりだった。

 もはや言葉は要らない、最後まで口を挟まずに彼女の言葉を受け取ろうとそう思う。

 彼女は買い物袋を持ったまま胸の前で手を組んで、深く息を吸っては吐いてを繰り返していた。

 一時の静寂。

 彼女の息づかいだけが聴こえる静かな世界だった。

 まるで音だけを切り取ったのではないかと思えるほどに他の音は何も聞こえてこなかった、ただ月の光と落ちる寸前の太陽だけが全てを照らしている。

 そして、そんな幻想的とも思える光景の中で彼女は意を決するように目を見開いた。


「……あの、ね。あたし、小さな頃からツバキにずっと伝えたかったことが、あるの」


 たどたどしく吹けば消えてしまうような弱々しい声で言葉が紡がれていく。

 その言葉は段々と尻すぼみになっていき、それと同時に彼女の顔は段々と赤みを増していった。

 身体は強張り、フルフルと小刻みに揺れていく。


「あ、あの、ね。あたし、小さな頃からずっと、ずっ、と……」


「……」


 彼女の身体がガクガクと一瞬前よりも確実に強さを増して大きく揺れる。

 硬く閉じられた瞳の端には涙が溜まっていた。


「……っ、ずっ、と、あんたのことが、ツバキの、ことが、す、すき」


「……」


 言葉を紡ぐにつれ身体に込められた力がどんどんと強くなっていき、ついに瞳の端に溜まっていた涙が頬を伝って零れ落ちた。

 それを皮切りにこれ以上は無いというほどに真っ赤な彼女の顔が更に紅潮していく。

 そして、


「っ~!す、すき焼きみたいに見えてたの!!」


 限界を超えた彼女がそう叫んだ。


「……」


 これはどう反応すればいいんだろう?とツバキはそう思って呆然とした。


「……え~、と」


「っ!な、何!?まさか告白でもすると思った?フンッ!っ、ぅぅ、か、勘違いしないでよねっ!」


 プイッと何故か泣きそうな顔で彼女がそっぽを向く。

(いや、そんなことは思ってなかったけどさ)

 と、ツバキはそんな風に思うが口には出さない。言ってもややこしいことになるだけだということがツバキには分かり切っていた。


「……あ~、その」


「っ!」


 言葉に反応してビクッと肩を揺らす。

 ツバキは心の中で焦った。

 本当に、まったくといっていいほど何を言えばいいのか分からない。

 何かを言わなければいけないと、そうは思うのだが言葉が一向に出てこなかった。

 すき焼きみたいと言われても、どう返せばいいのか分からない。

 そんな風に言い淀んでいると彼女がガサガサと手に持つ買い物袋を漁りながら足早に近づいてきた。


「フンッ!あんた、頭に糖分が足りてないんじゃないの?だから、そんな……そんな恥ずかしい勘違いをしちゃうのよ!」


「いや、そんな勘違いはしてないけどさ」


「黙れっ、口ごたえするな~っ!」


「はい……」


 勢いに負けて、半ば反射的に返事をしてしまう。

 このあたりに『慣れ』というものが表れているような気がしてツバキは少しばかり悲しくなった。


「フンッ!糖分よ、糖分。あんたの頭に糖分が足りてないのが全部悪いのよ!」


「いや、何かもう意味が分からな」


「うるさい!口を挟むなっ!」


「はい……」


 再び、反射的に肯定を返す。

 そして彼女は慣れきってしまったこちらの反応へは目もくれず、ガサガサと漁っていた買い物袋の中からバナナを取り出した。


「フンッ!それもこれも糖分が足りてないのが悪いのよっ!そう、だから、その、これでも食べて糖分を補給しなさい!」


 叫ぶなりグイッとバナナを押しつけられる。


「……」


 ツバキは無言でバナナを受け取った。

 もはや何かを言う気は欠片も起きなかった。

 何とはなしにバナナを一つだけ房からもぎ取る。そうして房に残るバナナは残り7個となる。

 とりあえず1本だけで十分だから残りは返したい、とそう思うが彼女はこちらを確認することもなく屋内へと繋がる扉へと歩き出していた。

(全部食えと、そう言うんだろうか?)

 出来れば勘弁してほしい、とツバキは両の手に持つバナナを眺めて呆然とした。

 理不尽だ、とそんな言葉が頭を駆け巡る。

 糖分が足りないとバナナを押しつけて、1人だけ残して先に帰ろうとする彼女の姿は本当に『理不尽』で。理解不能なこと尽くめで

(……ふぅ、ホント、やれやれって感じだよ)

 そう思ってツバキは安堵するかのように苦笑を洩らした。

 本当に彼女らしいと、そう思う。本当に彼女らしい『理不尽』な姿だと、そう思ってツバキは安堵した。

 ギィと金属的な音が鳴り響く。

 彼女は既に扉の前に立っていて、こちらを見つめていた。


「ツバキ!今日のことは、その、何でもないんだからね!もう、全部わかっちゃってるかもしれないけれど、その、本当に何でもないんだからね!」


「あ~、うん、はいはい」


「フンッ!何よ!その適当な返事は!ぅぅ、あんたのことなんか、本当に何とも思ってないんだからね!」


 ガタン!と扉が乱暴に叩きつけられる音が鳴り響く。

 その音を最後に、捨て台詞のように叫んだ彼女は屋上から姿を消した。

 それまでどこか暖かな雰囲気が流れていた空間に閑散とした風が吹き抜け、一挙に空虚な空間へと変わる。

 ツバキはそんな独りっきりの空間で一つ息を吐いた。

(勘違いしないでね、と言われてもなぁ)

 呆然と半ば反射的にバナナを持った手で頭を掻く。

 ツバキには言葉の半分以上も理解することが出来なかった。

『勘違いしないでね』

そう彼女は言っていたが一体どこに勘違いをするような要素があったのだろうか?と首を傾げる。

話を聞いていた限りでは何処にも勘違いするような場所などは無かった気がした。


「う~ん……うん!良く分からないな!」


 コクリと勢いよく頷いて、頭の中で解決できない問題に見切りをつける。

 少なくとも自分は何一つ勘違いなどしていないのだから何も問題は無いだろう、とそう思ってツバキも屋内に繋がっている扉の方へと歩き出した。

 彼女が来る前まではしっかりと辺りを照らした太陽は地平線へと沈み、今では月が爛々とした輝きを放って辺りを照らしていた。

 今が時間にして何時になるのかは分からない、けれど今日はもう家に帰ろう。

 そう思いツバキは扉に手をかけた。

 瞬間、その場所で最後に彼女が叫んだ言葉が頭に反響する。

『あんたのことなんか、本当に何とも思ってないんだからね!』

 と彼女はそう言った、それはもう真っ赤な顔で力いっぱい叫んでいた。


「……ふっ」


 それを思い出して、思わず軽く笑ってしまう。

(うん、大丈夫。何も、勘違いなんかしてないさ)

 心の中で先に屋上を後にした彼女へと話しかけるように呟いて、扉を開ける。

 彼女は本当に自分のことなんか、篠崎ツバキのことなんか何とも思っていないということ。それをツバキはしっかりと知っていた、随分と前に自分の居ない場所で友人と思しき人達に必死な様子で叫んでいたのを聞いていた。

(……でも、だからどうしたって、そんな話だよな)

 そう関係ないと、自分のことをどう思っていようと関係ないとそう思う。

 何故なら彼女がどう思っていようと自分は彼女のことを大切だと、そう心の底から思うから。

(そう、自分の心は変わらないから)

 フッとどこか自分を馬鹿にするような笑みを浮かべて、ツバキは背後で扉が閉まる金属的な音を耳にした。


 デレたあとにツンがくる……ツンデレではなくデレツン、最後に突っぱねられるから救いが無いという……ご愁傷様です、名前も出てないけどこれで出番は殆ど終わりだよ。やったね!

 とか思ったりしていました(笑

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ