第八話:幻の琥珀色(二)
半分壊れた窓から、湿った空気と共に朝靄が進入してくる。
そんな中、ヤマトたち三人の男は長椅子に腰掛けて、出発の準備に余念が無い。
剣を鞘から抜いて具合を確かめ、鎧のベルトを締め直している。素早く慣れた手付きでありながら、慎重かつ丁寧なチェックだ。
ここは山中にある人口五百にも満たない集落、その隅にある今は使われていない建物の中。持ち主である村長の許可を得て、冒険の拠点となる仮宿として使っているのだ。
慌しい朝。
彼らが身支度を整える間、鎧を身に着ける必要も無く武器も持たないノエルは、自分の準備を終えてすっかり手持ち無沙汰となっていた。
なんとなくポーチの蓋を開け閉めしていると、丸まった真新しい羊皮紙が目に止まる。今回の依頼について書かれている依頼書だ。
「世にも珍しいコーヒーねぇ……」
依頼書を広げ、呆れた、と言いたげな表情でノエルが呟く。
小人閑居して不善をなす……とまでは言わないが、お金持ちが暇を持て余した場合も、似たような事になるらしい。
今回、ノーウェイから取って来るようにと依頼を受けた品は、現地の言葉でコピ・ルアクと呼ばれる非常に珍しいコーヒー。生産量が少ない為、市場に出回る事は殆ど無い幻の逸品なのだという。
「たった一杯のコーヒーの為に冒険者を雇うだなんて……」
馬鹿じゃないの? という言葉を辛うじて飲み込む。
美味しい物が食べたいだとか、特定の何かに入れ込む気持ちはわかる。だが、それにしたって時と場合によるだろうとノエルは思う。
今回支払われる予定の報酬は、屋敷で見かけた使用人全員の食事、数か月分に匹敵するであろう大金だ。こんな事にお金を使う余裕があるのなら、もっと先にすべき事があるのでは無いだろうか?
まあ、その報酬を得ようと名乗りを挙げた自分たちに、ノーウェイを悪く言える義理が無い事はわかっているのだが……。
「ノエルさん? 考え込むのも良いけど、油断だけはしちゃ駄目だよ」
サークスの声に、ノエルはハッとして頭を振る。
そう、油断は禁物だ。何故なら、自分たち以外にも多くの冒険者がこの依頼を受け、全員が失敗しているのだから。
「他の連中、どうして失敗したんだ?」
「さあ? なんでも、目的のコーヒーを手に入れる事が出来なかった、としか聞いてないな」
話しながらヤマトとサークスが立ち上がった。どうやら準備が終わったようだ。太郎丸も立ち上がり、軽く頷いて準備完了を告げる。
「じゃ、そろそろ行こう。暗くならない内に収穫したいからね」
サークスがそう言うのを待っていたのだろうか?
けたたましい音と共に、入り口の扉が勢い良く開かれる。
咄嗟に身構えるヤマトたち。だが……。
「もう、準備良いんでショ? サッサと行くよ!」
入り口に立っていたのは、日に焼けた肌が健康的な、齢十にも満たない小さな少女。コーヒー収穫のガイドとして雇った、この集落に住むスミという娘だ。
乱雑に頭のてっぺんでまとめられた、落ち着いた赤色の髪。穴を開けた布に頭を通し、腰の部分を紐で縛っただけの簡単な服装。交易用として広まっている標準語の発音も、少々怪しい所がある。
あまり豊かでは無いこの集落を象徴するような少女だった。
「なにシてるの? モタモタしてると、日が暮れちゃうよ!」
「何を言ってんだか、このチビは……まだ太陽は昇ったばかりだっての。ほれ、見てみろよ……っても、お前の身長じゃ見えねぇか」
出発を急かすスミを、ヤマトがからかう。彼にしてみれば、軽口を叩いた程度の認識だったのだろうが……。
「うるサい、糞チビ! 糞シて寝てろ!!」
「あイテっ! こ、このやろ……!」
何気ない台詞が、スミの逆鱗に触れたようだ。ヤマトの脛を思い切り蹴っ飛ばし、短い手足でチョコマカと駆けて行くスミ。俊敏な動きで木の陰に隠れると、ヤマトへ向けて舌を出し、アホだのバカだの、レベルの低い挑発を繰り返す。
「こんにゃろ……待ちやがれ!」
そんなスミを追いかけ、駆け出すヤマト。
「あ、ちょっとヤマト! もうっ、大人気ないんだから……」
「さあノエルさん、僕たちも行こう。幸い、二人の向った方向と目的地は同じだ」
微笑を湛えて出発を促すサークスと、溜息をつきながら採集用の袋を担ぐノエル。太郎丸も無言のまま、それに続く。
こうして冒険者一行とガイド一名は、希少なコーヒーを求めて森の奥深くへと向ったのだった。